12月31日人間の条件(本の話#s001)

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「片つかぬことを抱えし年の瀬は月の晦日とさして変わらず」髙山宗東

 本日、快晴となった大晦日です。今晩の準備をしています。机に向かって。

 役に立つこと、必要なこと……古代ギリシアが軽蔑した概念は、侮蔑から称揚へと駆け上がり、いまや世界を覆い尽くさんとしています。なので、堂々と胸を張って「この話はなんの役にも立ちませんから!」とは言いません。誰も来ないであろう晦日の夜にひっそりと行われるのです。

 アーレント「人間の条件」は、本とスパイスの特別編として、来年各章ごとに読み進んでいく予定です。今回はそのさわりとしての開催です。

 さて、内容ですが、「役に立たないことこそが人間の人間たる条件」なのだ!ということを明らかにしていきます。

 アイヒマン問題(凡庸なる悪=知識・思考の奴隷化=役にたつ知識など糞だ問題)、カール・シュミット(自分の存在をおびやかすものを存在論敵に殲滅するのが政治)、キリスト教の愛(愛は最強の反政治性)、近代の最終形としてのひきこもり、動物化する世界……などを補助線として。

【参考便宜的図式を以下に】

oikos ーーー police

zoe ーーー bios

economy ーーー politics

private ーーー public

 ちょっと青空を見に出かけて夕方からささっとまとめましょうぞ。

おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.~12月18日

2016/12/18(日)のことを備忘として。

11:30三所着

トーミ組み立て1時間

脱穀13:00〜15:30

という按配でした。

そう、トーミを買ったのです。組み立てました。本格稼働は後日となるのですが、買って正解。想像以上によいです。選別の精度はかなり高い。決め手となっているのは、落とすところのスリットです。雑穀の細かい粒の場合、このスリットが細いほうがよいのです。新品ならばまだ甘くなっていないので、狭く細いスリットから落とせるのであります。

 使い込むにつれて甘くなっていくことが想定されますし、もっと均一な幅でのスリットであればと思うので、箱状のものを取り付けられないかなあと考えてもみます。当面はこれでいろいろ試してみましょうぞ。

軽トラくん、ありがとう、お世話になりました

 昨日まで野山を果敢に駆けまわるように走ってくれた軽トラ。あちこちにサビが浮いた姿は私にはかっこよく頼もしく見えたものですが、はたからみると壊れそうな車が公道を走っているという不安もあったようです。

 「もう引退させてあげなよ」と妻からも、車屋からも言われていました。数ヶ月前に今度の車検12月24日(なんとクリスマスイブ)までには、交替をと決めていて、後任も決まっていたのです。後任もそこそこ年季のいったベテランであり、溶接して強化してもらいたいところもあり整備に時間がかかっておりました。そして、整備完了納車OKの連絡があり、昨日が「仕事納め」となったわけです。

 1年前から、エンジンこそ調子よくまわりはするものの、おそらくキャブレターの不調などが疑われ、回転は不安定で、冬になると急激に燃費が悪く調子も悪くなっていたのが昨年のこと。くわえて数ヶ月前にウィンカーの調子が悪く電気系統を配線からやりなおさないといかんようなことになっていて応急処置をしていました。マフラーが落ちそうになっていたので、これも応急処置です。荷台はサビでサイドが使えず、穴は運転席のアクセルペダルの下にも空いていて、冬は足元が寒かった。寒いだけならともかく、そろそろぱこっと抜けてもおかしくない有様で、パッチ(溶接)は必須事項となりつつある状態でした。

 もう2年くらいは乗れたと思いますが、雪の山中で立ち往生するのは少々危険でもあることですし、引退宣言となったわけです。

 これといったセレモニーもなく、さらりと別れましたが、感謝の気持が胸からあふれても困るので、ひとことだけ記しておきます。

 ありがとう。お世話になりました。Good bye!!

パリでもニューヨークでもなく木次のカフェで

「パリやニューヨークのような文化を発信するカフェがやりたかった」。という一文を目にして、言わんとすることはわかるけど、、、。としばし黙考した3分をリフレインしみてよう。

「文化の発信」への違和感

 類似表現はあまたあって、情報の発信だとか、発信基地だとか、横文字にするとハブだとか。よくわかんないんだよね、ずーっと。【受信する=消費する=受け身である】立場にいる人が、そのポジションを逆転させることを言うのだろうね。アマチュア的というか、アマチュア無線的というか、そんな感じ。だって、表現者・発信者の立場にある人は「発信していきたい」とは言わない。

 ただ、この使い方の微妙なところは、発信という語義からして不特定多数への「伝達」を企図しているのだから、アマチュアがそれをやるのはもともと無理筋な点だ。だから「発信していきたい」というような願望・希望を込めて使われているのであって、ガチで発信するつもりはもともとない。「つもり」でやるわけだから、本当に発信できているかどうかは問われない。

 そして、「文化」は発信するものだろうかという大いなる疑問もある。

 平凡社の世界大百科事典をひくと……、

日本語の〈文化〉という語は〈世の中が開けて生活水準が高まっている状態〉や〈人類の理想を実現していく精神の活動〉を意味する場合と,〈弥生文化〉というように〈生活様式〉を総称する場合とがある。

 

 文化の発信は、使われ方からすると前者の意味が強いようでいて、特定の様式なりセクトなりの価値伝達ともとれる。そして、類義と思われる「趣味」に近いものだ。日本のJIS履歴書の中には「趣味」の欄があって、「仕事」の「趣味」のふたつからなる人物の紹介が公的にも私的にもスタンダードであることを連想させる。

 ここでいう趣味と文化の共通点は、仕事の世界では価値とされないものの集合体である。非生産的であり、非効率的であるもの。そして仕事の禁欲性に対しての享楽性。いずれにしても仕事の補完物でしかない位置づけでの、趣味=文化である。

 

 そんな飼いならされた、産業の下僕としての文化など、発信してもしょうがなかろうに。と、思うのだった。それが私の感じた違和感。パリでもニューヨークでもベルリンでも、文化のあるカフェには対抗性があるのではないか。端的には批評文化である。あぁ、ごめん、これはステレオタイプなものいいでまとめるけれど、発言内容と発言者を区分できない日本のコミュニケーション様式に問題がある。これまで日本では、ディベートや対話のあり方の変革を多くの人が政策や教育界や産業界も巻き込んで、大なり小なり挑んできたが果たせていない。

 もっとも、批評空間は、パリのような哲学的な街でも容易ではない。だからこそ、小さな空間をサンクチュアリとして、その格好の場としてのカフェが、その空間たり得たのだ。そこから結果として文化が発信されていたし、いまでもそれはある、きっと(願望)。

 

 日本でそれは可能か。できるかということをこれから実験してみる。パリでもニューヨークでもなく島根の小さなまち木次で。

 名前をナレッジ・ロフト「本とスパイス」という。12月にひっそりとはじめる第1回のテーマは「サンタクロースの秘密」。内容についてはまた改めて。

学者になってはいけないよ

「学者になってはいけないよ」

 民俗調査にフィールドに出ようとするとき、よくこう諭されたという思い出話をきいたのは誰からだったろうか。学者になってはいけないと繰り返し口にしていた民俗学者のその話し方を真似た口調とその深い温かさと厳しさは、私の耳にいまでも再生できる。

 農山村に生きてきた取材先の老人たちから話をきく、昔の暮らしを尋ねてみるそのとき、学者になってはいけない、ということだ。二重三重の意味があると思うのだが、それは今日はおく。

 とあるおばあさんから電話がかかってきた。妻が尋ねてくれたのだが、その場ではわからず、ほかの人にも聞いてみるというその回答であった。「お役に立てずに」と何度もおっしゃる。いや十分に役に立つしありがたいことなのだが。うまく伝えられないのは私の至らないところだ。修練修行を積みたい。

 たとえば「葉は春はやわらかいけれど、だんだん硬くなって」という言葉には、山の奥ではなく里にあったものだろうと推測される。情景や背景をその人と土地と歴史をふまえて想像してみること。できるだけ正確に。間違える度にただしながら、間違いをおそれず、たちどまらず。

 ふたつの言葉を思い出す。

 田中幾太郎さんのお宅で聞いた一言。

「あの爺さんらも、もうおらんようになった」。田中氏だとて80歳前の老人である。その田中氏が若い頃に聞き感じた古老の存在感とその語りがどんなものだったのか。知る由もないが、その嘆きとも憧憬ともつかぬ「もう二度と現前することはないもの」への強い、とても強い念がその場に、古老の存在の空気感を漂わせて身震いするかのような戦慄を覚えたものだ。

 木次のH.Tさんから聞いた、あの声。

「ごはんができたよ〜」。年に一度しか白米を食べられない家から、子どもたちを呼ぶあの誇らしげな母親の声が、いまでも忘れられないという。「ごはんができたよ〜」の意味・記号ではない。その声を通して伝わるものこそが、大事なのだと私は思う。

 だから。

 私がどこまでできるかは自身心許なくはあるが、語ることをはじめてみようと思った次第である。30年後に幾ばくかのものを伝えられるだろうか。これからくるだれかに。

 

おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.~10月30日

作業日報。
10月30日(日)。引き続き三所の古民家でアマランサスの調製。
参加者1名+軽トラ1台。曇り。気温17℃(12時)。
◉経過
11時15分~11時20分 ダムの見える牧場春焼き夏焼き地視認
11時20分~12時00分 移動・布勢文化祭(農産物)取材
12時00分~12時30分 移動・昼食
12時30分~16時30分 アマランサス調製
16時30分~16時40分 撤収





おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.~10月29日

作業日報。
10月29日(土)。小雨ぱらつく午前10時。島根大からの到着が諸事情で遅れている間にチェーンソーの目立てをしました。が、クサビを忘れた、、、。伐倒は次回にして、置き去りにしてきた杉を玉切り枝打ちなどして運び出しました。そして今日のメインは芋掘り! 詳細は後述。
参加者7名+軽トラ1台。曇り。気温13℃(12時)。
◉経過
10時30分~12時30分 ダムの見える牧場の春焼き地にてサツマイモの収穫
12時30分~13時00分 昼食
13時00分~14時50分 サツマイモの収穫、伐採した杉の整理
14時50分~15時20分 夏焼地カブの整理(間引き等)
15時20分~15時40分 片付け、撤収



おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.~10月27日

作業日報です。
10月27日(木)。三所の古民家で作業。脱穀に洗濯板を初使用したが、これといった成果はなし。叩くのが一番だという方法論に改訂はなし。今回、「叩き」の作業を前回よりさぼった。ま、いいだろうと。すると、たちまち種の入ったままの籾の量がふえてしまった。費用対効果的に考えてどんなものかは微妙。捨ててよしとするかどうか。次回はそのへんもよく考えてみよう。
参加者1名+軽トラ1台。曇り時々晴れ。気温18℃(12時)。
◉経過
11時30分〜12時30分 セッティング、場所整備。草刈りなど。
12時30分~13時00分 昼食休憩
13時00分~16時00分 アマランサス選別作業。草刈りと庭木選定など(約1時間半)。
16時00分~16時15分 片付け、撤収

 この日、三所の古民家の裏手にある古木が何の木かわかった。竹藪に覆われ、蔓にからまれ、半死状態であった古木である。

 遠くからみてわかったのだ。あれはなんだ?と。そう。実がなっていたのである。
 なんと、これ。

 柿。山柿のひとつだろうか。柿についてはまた改めて。

おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.~10月24日

作業日報です。 10月24日(月)。三所の古民家で作業。トーミを本格使用し「成功」。 参加者1名+軽トラ1台。曇り時々雨。気温18℃(12時)。
◉経過
10時40分~11時00分 ダムの見える牧場のカブ地を路上から確認。牛柵の倒壊などなし。ブラウンスイスの新入りが引っ越してきており、しばし見学。
11時00分〜11時20分 古老取材:蕎麦、地カブ、柿渋のことなど
11時20分~12時40分 三所の古民家へ移動。アマランサス調製作業
12時40分~13時10分
昼食休憩
13時10分~16時15分 片付け、撤収


◉取材
 久しぶりに師匠の顔が庭先に見えたので、立ち寄ったら、これをなめて見ろと。どうだ?と。近頃はなんでもインスタントになったからなあ、と。何をおっしゃりたいのか、そしてこれはなんなのか。

 ……整理しましょう。ブルーシートに蕎麦を干されておられました。今年はできが悪いと、長雨でダメだったと。いやこちらもダメでした、焼畑に播いた種が発芽しなかったんです。なんででしょう? うーん、覆土せんとだなとの答え。 ここからがまた長いのですが、大幅に省略しますね。 液体は柿渋です。しかも匂わない。なめてもOK。2年〜3年かかるとか。そしてその柿渋を障子紙の古いのに塗る。その柿渋紙を敷いて蕎麦の種を干せば、通気性もあって乾燥がうまくいくのだということでした。つまりは試作段階なのか。 以下は断片備忘録です。

・地カブ……まぁ、自給自足の中でつくってきたというか、とってきたものだ。カブは雪にも寒さにも強い。冬、青物がない時にもとれる。春、とうだちした時のものもよい。そういうものは、とっておくものだ。桑園の中でそういう場所をとっていたものだ。(桑園の端というより桑園のなかだと)。
・タカキビ……脱穀したらもってきてくれ。箒の1本くらい土産にあげるから。これはとにかく長持ちするからいいんだ。

◉アマランサスはトーミでしっかり分別できることが判明 詳細はまた改めて写真解説をば。底なしに思えた脱穀調整作業にかなり明るい兆し。

 

おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.~10月23日

作業日報です。

10月23日(日)。今日は昨日つくったカブ地の柵の点検と間引き整理。

参加者1名+軽トラ1台。曇り時々雨。気温18℃(12時)。

◉経過

11時00分~11時40分 ダムの見える牧場:降雨のため車中にて焼畑地を眺るなど様子見。

11時40分~13時50分 カブ地の整理(間引きと踏まれる食べられるなどしたカブの片付け)

13時50分~14時00分 撤収 片付け

14時00分~15時00分 移動・昼食

15時00分~17時50分 移動・資料探し(県立図書館、大東図書館)

◉カブ地整備

 柵は昨日の形を保持している。入ろうとした形跡もないが要注意の状況は続く。

 まずは踏み荒らされたところにあるカブを片付ける。見込みのないカブも引き抜き、間引きもしていく。こうしてみると、密植すぎてどちらにしてもダメだったのかもしれない。牛が間引きをしてくれたといってもいいくらいに。

 

 全体でみると、気が重くなるほどにダメダメなのだが、手を入れている地点地点ではまだ再生の余地ありと感じる。希望が見えたというのはこういうことなのだろう。

「掃除」をしてきれいにしてみると、1枚軽く囓られた跡があるだけで、虫食いもないきれいなカブがあらわれた。

 奇跡的ともいえるが、ほかの箇所でも大なり小なり「生き残り」を見つけている。希望の星だ。

 明日は柵の様子だけみて、明後日の雨の日に続きをやる。

◉調査活動

 図書館にて資料をあたる。大東図書館の『志津見の民俗』は禁帯出でした。カーリルはほんとにあてにならん、なんでだろう。県立図書館では閉館まで40分しかなく、慌てて作業。しかし時間があるとつい長居してしまうので、短時間で片付けるのを癖にしたい。

 『布施村誌』を見た。複写本。発行年がわからず、司書(窓口)に聞いてもわからないという。私ならもっと適切な回答をするのだけどね。さて、おそらく戦後間もない頃につくられたものだと思う。草稿なのだろうか。目次や奥付、前書き後書きもないのだから。

 「布勢村内栽培セル作物名」の中より。

 禾 穀類 

 いね むぎ あは とうきび たふもろこし

 ヒエはなくアワはある。タカキビではなくトウキビがある。ふむうむ。

 はんざき(さんせううを)の項には、「八代、馬馳ニ産す」と。馬馳に川あったっけ? と。斐伊川本流にあたるところなのかもね。