令和5年のタカキビ餅

今年のタカキビ餅は、日と場所をわけて2回搗いた。28日にカフェオリゼで2升、30日にしろうさぎで2升である。もち米は都加賀のものが2kg。木次の道の駅「たんびにきてや」で購ったもの。あとはSさんに例年お願いしているJA雲南からのものである。

タカキビの配合割合は例年と同じく2割だが、今年はひき割りを忘れて水につけたものがあり、怪我の功名とでもいおうか、搗く前にすり鉢で適度につぶしたものを使ったが、これがよかった。

まず、ひき割りにする比率が確認しやすい。次に挽き割って選別するより、手間が少ない。水につけやすいのもいいし、歩留まりもよさそうだ。次回からは直前にすり鉢でくだくという方法一択でいこう。

カフェオリゼでやったときには、タカキビをまぜない白餅も5合強ほど搗いた。来年は1升ほどついて確かめてみてもよいのが、「搗きたてのタカキビ餅は白餅よりも熱い」ということ。今回、量が違っていたこともあるが、たしかにそうかも。というのも、しろうさぎで同じ2升ずつ搗くときにも、タカキビ餅のほうが熱い気がするので。
もうひとつ、確かめたいことがある。今年のタカキビ餅は腰が弱かったのでは?搗きすぎだったのでは?ということ。煮餅にしたときにも、白よりも崩れるのが早いようだ。どれも、形・大きさ・保存状態などで比較しないとなんともいえん。これ、タカキビをすり鉢でつぶしたことの影響もあるのかもしらん。

よりうまいタカキビ餅を目指して、来年の火入れと栽培へ向かうのだ。

 

お茶のきた道

Sunday Market CiBOの企画、「茶茶茶」。去る10月22日に出雲市役所前の芝生広場で催された。県内外から6つの製茶者がいらしたのだった。カフェ・オリゼの手伝いで出向き、隙間を抜ってのごく短い時ではあったが、よい機会であった。

一畑園(出雲市)
かみや園+(雲南市)
天の製茶園(熊本県)
石鎚黒茶さつき会(愛媛県西条市)
海田園黒坂製茶(岡山県美作市)
宝箱(松江市)

日頃、お茶はよく喫する。ドクダミやカキドオシは庭畑からとって茶にしたりもする。気にかかるのは「お茶ってなんだろう」ということ。思い出すのは、石田豊さんのこと。東京阿佐ヶ谷に住んでいた時にはご近所でもあったし、編集者として一冊の著書を編んだこともある。いまでも思い起こすのは、なんと楽しい人なのか、あぁいうふうに暮らせたら生きられたいいなあと、憧れともいえる気持ちを抱いていたことだ。だがしかし、ある日、癌を患ったのだと、まあしかし身体は治るように反応しているようだからなんとかなるだろうという元気な声をどこかのベンチに座りながら聞いた。その日からあまり会う機会がなく、なくなったという知らせを聞いたときも、驚きはしたものの妙に現実感がなかった。

その石田さんが最後に執心していたのが、お茶であった。チャノキを庭に植えたのだと。いつもの私なら、身を乗り出して、それでそれで、とのってくるものの、茶についてだけはピンとこなかった。そこで、これを読んでミイと貸していただいたのが、今も手元にある2冊だった。

守屋毅『お茶のきた道」1981,NHKブックス
松下智『日本茶の伝来』1978,淡交社

葬儀も終わりしばらくたった時分に自宅に伺った際、「それはあなたのところにあったほうが喜びますでしょう」と奥さまから申し出いただき、爾来、形見のようにあるものだ。

石田豊さんが、著書『もったいないのココロ』の序文でも述し、しばしば口にした言葉がある。原始人にように生きたい。縄文人に少しでも近づきたい。著書(じつはびっくりするほどまったく売れなかった。幸いにもamazon中古在庫は豊富)の序文にも記されている。

茶の話はこの本には出てこないが、栽培の起源はなにかということで、ひょうたんを栽培したことが出てくる。石田さんのおもしろいところは、文献を渉猟し徹底して調べながらも「まずやってみる」軽さをもっていることだ。私が現在、焼畑を「やっている」のは、多分に石田さんの影響であろう。しかるに「茶」について、本を受け取ってから20年あまり、その歩みは遅遅としている。

数日前、美作番茶、石鎚黒茶との出会いがあった。これからどこへ転がっていくのか。とまっていたものが動きだしそうだ。

クサギノ葉ハ、少シ苦味ノアル、甚香ノ高キモノデアル

田中梅治の『粒々辛苦』に「クサギナ採」の項があるのを見つけた。資料として複写したきりで、これまで落ち着いて読むことはなかった田中翁の文。読むほどに、ある香りがたってくるのがわかった。この匂いは何なのだろう。何とはわからぬ。わからないままに、わからぬがゆえに、誘っているのかもしれない。「ここ」へきてみれと。一度、素読してみたいが、今はかなわぬ。よって、クサギナの件の箇所をひいて備忘としておきたい。

《クサギの葉は、少し苦味のある、甚香の高きものである。之を味噌汁に炊けば、中々馬鹿にならぬうまいものだ。而し前に書いた女のあま手の分が煮て呉れねば、にが手の分の女が煮たのでは苦味が多う過ぎる。之を五月末頃採りて乾し置き、後之を味噌汁に、大豆を叩き潰して、之を入れて炊けば、苦味がなく中々うまい。》

思うに、島根県邑智郡に在する田中翁がこれを記した頃、すなわち昭和一桁年代において、クサギを採って食する風は消え入る門にたっていたのかもしれない。同じように、翁自身も霧消していく存在であることを自覚されていたであろう。だからこそ、消えてなるものかと、老いてなお張り詰めた、それでいて優しさとも達観ともいえる眼差しのこもった匂いのようなものが、一つ一つの言葉から、立ち上がってくるのを、それが幻だとしても、私は受け止めてみたい。

 

令和4年のタカキビ餅

12月29日、今年もタカキビ餅がつけた。よかった。ほんとうに。

年の瀬にタカキビ餅をつきはじめて何回目となるかはわからない。すぐにはわからないくらいには経験を積み重ねてきたせいか、準備も当日も記録メモを都度見直しながらということはなく、頭の中にあるものと、身体が覚えているもので対応はできていたように思う。

タカキビと餅米の割合は2:8。タカキビはすべて焼畑のもの。よくみのった。やや早いと思われる9月上旬、台風通過の予報が出ていた前日に取り入れたものだ。とってみればちょうどよい熟し方であった。しっかり熟したのであるから、早めに水に浸けておかなかればならない。4日〜6日を要するが、諸事情で着手できたのは3日前。そのぶん、ひき割りにする割合を増やそうとしてみたが、加減がよくわからない。ひき割りの過程で皮の薄いものはよくむけたと思われるから、水の吸収はよくなっていたはずである。

妻とふたりでつくつもりであったが、声をかけたら6人も集まってくれることになった。慌てて餅米を買い足した。タカキビ餅2升、白餅2升をあわせてつくことに。餅つき機は1升づきのものなので、あわせて4回戦となる。蒸し過程で入れる水の量は取扱説明書の目安量より10ccましの450cc(のちほど再確認のこと)とした。1回目は二人で、試しにと白餅でやってみたが、慣れないもので、みんなが着てからだねと、2回戦の開始を後ろにずらす。

ひとりふたりとやってきて、あわせて8人揃ってみれば、ついた一升を丸餅にまとめるのはあっという間。餅を切るのが一番の技を要するのだが、慣れた人が一人入って、スイスイ。

機械が蒸したり搗いたりする間はお茶とおしゃべりで楽しく過ごす。そうした時間も含めてではあろうが、餅つきは皆さん楽しんでもらえたようで、「また来年も」という話にもなり、「杵と臼が家にあるから持ってきますよ」との声も。

実食についてはまた追記する。

来年も、また焼畑でつくれることを祈りつつ。

野生のアズキは古い川のほとりに

「秋、野生のあずきを探しに、6000年前の記憶を探しに」と、書いてから5年が経ち、いま2箇所ほどのスポットで毎年みている。最初の2年ほどはどこを探しても見当たらず、途方に暮れたと思うのだが、当時どこを探したかも忘れてしまった。あきらめ半分で、人にそれとなく尋ねるようにもなった。そういうものがあるんですよ、というくらいに。それから半年か1年たつかの頃に、いまみている2箇所を、教えてもらった。「ありましたよ。たぶんそうなんじゃないか」と。

見つける(かる)時期は9月。つる性であるし、他の植生とまじりわかりにくいが、この時期に黄色い花が目立つので、見つけやすいのだ。

さて、野生のアズキとはヤブツルアズキ(Vigna angularis var. nipponensis)のこと。ひとつのポイントでは、毎年安定して開花結実している(もうひとつのポイントでは翌年は消えたりもするが、いまのところ見つけられている)。河川ぞいに点々とひろがってもいて、じっくりと探していたわけでもなかったが、なんと数日前にツルマメ(Glycine soja)も発見した。ふたつがからみあっているので、わかりにくいでしょうが、ヤブツルアズキは褐色の蔓、実は熟して鞘は黒くなっている。ツルマメはグリーンの蔓、実は枝豆のちっちゃいやつがついている。ほんとに大豆そっくりだ。あちこちにはびこっている葛と似ていなくはないが鞘も葉も異なる。

はじめて見つけたのが10月5日で、10日後の10月15日に様子をみにいってみたが、採種にはまだ早かった。もっとも密生しているところは見事に刈られ、すみにかためられていた。水路の堰のそばであったからだろうが、なぜここにと考えたときに、あぁやはり上流から流れてきたものかもしれないと。

来歴についてはおぼろげに気にしている程度であったが、今日が吉日として、たどってみることにした。そして、あった。ポイントほどの群生ではないが、生きている。小さな群れで。ツルマメもいっしょだ。採種ポイントからは1kmほど河川をさかのぼったところ。かつては後谷川と呼ばれていた川のほとりだ。後谷……民俗学では、後谷、イヤ谷、寺田、これらは葬送地を意味するものとして認知されている。下の写真である。この小さな川と谷は明治19年に大規模土木工事によって改変された場所でもある。

ツルマメはウェブサイト「松江の花図鑑」にもある。2012年10月13日、玉湯でまだ青い果実だ。このポイントと標高は20m程度しか変わらないと思う。開花、結実とも栽培大豆とほぼ同じなのだろう。

ツルマメと似た野生種にヤブマメがあるが、「三河の植物観察」をみると両者を比較した違いを写真とテキストでわかりやすく示している。ツルマメは「小葉が細く、花の長さが短く、小型。果実は全体に毛があり、種子の表面もざらつく」と。ヤブマメは「小葉の幅が広く、花の長さが長く、やや日陰を好む」と。

10日から14日後を目安にまた来てみることとしよう。

クサギナを採って煮て干す

クサギ。シソ科の低木で、夏に咲く花は、ジャスミンに似た香りを漂わせる。草木染めではおなじみの植物であって、青がとれるのは藍とこのクサギだけだ。珍しい植物ではないが、そうひんぱんに見かけるものでもない。そのクサギ。焼畑をしている奥出雲町佐白のダムの見える牧場内で、最近多く見かけるようになった。いくつか思いあたる節はあるものの、なぜかはよくわからない。ただ、ほんとうに、あそこにも、ここにも、というようにどこにでもある。成育も早く、あっという間にいちばん目立つ樹になってきた。仕事の手を休め眺めていると、思うのである。食えたらいいのになあと。人として自然な感性の発露ではあろう。
そして、食えるのだ、実際。食えるということはわかっている。問題はいかにして食うか、である。
同時に気になることがあった。紙とウェブを問わず、やたらと「臭いからクサギ」「悪臭」「なんでも食べるウサギもこの木だけは食べない」という記述が並びたっている。おそらく、食べたことも、嗅いだこともんなく、どこかで書かれたものをそのまま写してしまうからであろう。それら記事のなかでも、実際、食べたことのある人は「それほど強い臭いではないし、もっと臭い木はある」というトーンとなる。
私も、最初はおそるおそるちぎって嗅いでみたものだが、独特の香りはあるものの、悪臭であるとは全く、本当に全く思わなかった。件の記述を拾うなか、理由として次のことを考えた。

1. 臭いに対する個人差……いやがる人とそうでない人がいる。どんなものもそうだろうし、あるだろう。
2. 季節による……山菜としてとるのは6月までのようだ。夏・秋には臭いがきつくなるのかもしれない。私も夏・秋にはちぎっていないので、確かめてみよう。
3. 煮るときには匂う……実は2日ほど前に試してみた。臭いはしますが、臭いとはとうてい言えない。むしろ好感。どこかで嗅いだことがあるなあと。シソ科ゆえに、赤しそに似ている気がする。
4. 昔ほど匂わなくなっている!……及川ひろみさんのコラムで言及されている。cf.《宍塚の里山》49 美しい花を咲かせる「クサギ」は臭いか

それはさておき、食うために、である。
出雲圏域で郷土食資料をざっくり縦覧した限りでは、奥出雲の横田地区にみられる程度であるが、県境をまたげば、広島県岡山県の山間部には食習の残るところも多い。道の駅でふつうに売られているらしいとも。確かめる機会は夏にと思う。食欲増進にいいようで、夏バテ解消にもなるかもしれん。

採取の仕方、調製の仕方に、さほど大差はない……ともいえるが、「10時間ゆでる」から「さっとゆでる」までの幅はある。そのあたり捨象しながら、以下のように採取と調製をまとめた。

1. 採取時期は5月〜6月。6月に採るというところも多い。とりやすいのは6月に入って大きく葉が展開している時期だろう。5月では小さい。葉は卵の大きさくらいとも、もう少し大きなものとも。今回はバラバラの大きさで採った。葉が大きすぎると食すときに、くだきにくいのではないか、あるいは煮沸の時間がより長くなるのではないか。一方で小さすぎると、味や香りが薄くなることもあるだろう。

2. 調製は、採ったその日に煮沸すること30分。その後一晩おいて、水でさらして、日干しする。6月後半の暑い日であれば、1日でパリパリに乾く。灰や重曹を加えて煮た方がよかったのか、まずはそこが試される調理編は、近日実施予定。

 

令和3年のタカキビ餅

12月28日、タカキビ餅を搗いた。餅搗き機を用いて、ではある。臼も杵もない。でも、餅を搗けたという安堵感とも充実感ともいえるものがたしかにあるのは、餅がひとりでは決して搗けないものだからだろう。去年はcovid19の影響もあり、妻とふたりで搗いた。今年は6人ほどが集まって、10升近く搗いたろうか。2升づきの餅つき機2台を使って、8時から11時ごろまでの仕事はあっという間だ。「よいお年を」。そう声をかけあうのは、年を越すことの当たり前が必ずしも当たり前でないということの証でもあろう。

さて、今年のタカキビ餅。配合は例年と同じ。もち米1升6合にタカキビ4合。タカキビはミキサーで軽く挽き割ったものを、2種類の篩で3つにふりわけて、粒の大きなものを浸水4日、小さなものは一晩の浸水とした。粉は小瓶に少しほどだったので、蒸すときに上にふるうのみ。水の量は2升炊きの標準700mlよりやや多い750mlとした。ちょうどよい分量だったと思う。

今年は火入れもできず2年目の場所も柵がつくれる場所ではなかったので、山ではなくすべて畑のもの。オリゼ畑が半分、斐川の畑が半分である。量としては。斐川の畑は熟し切ることできずに収穫したので、茶色ではなく全体に黄色っぽい実であり、おそらく水分も吸いやすく砕けやすいのだと思う。つきたてを少し頬張った印象としては、加減として、ちょうどよいやわらかさと味になっており、美味い。

そのあたり、実食してまた追記したい。

来年は、焼畑でつくれることを祈りつつ。

◆令和4年1月9日追記
焼いたタカキビ餅をぜんざいで。
ところどころかたい粒が残っているが、それがまたよい。ちょうどいい按配である。今年は焼畑でしっかり熟したものが収穫できるはずなので、粒がより固くなるはず。ひき割りの量を多くすることで同様の旨さをひきだすべく精進しよう。山の畑でもつくらなかったことで収量すくなく、餅に使った4合ぶんとスリランカカリーのライスに使った2合ぶんほどでほとんどを使い切った。あと2合ほどを残しているが、春すぎにはなくなるだろう。種子としてとってあるものが3束ほどある。
そして、雑穀種子の整理をぼちぼちとすすめよう、春へむけて

ガマズミの若い小枝はよくしなる

令和3年11月19日。今宵は満月であったか。ニュースで月食のことを知る。昨日、大社町からの帰路、車のフロントガラスを通して、東からのぼる大きな明るい月を観ていたのだった。明日が満月ねとiphoneを手にしながら妻は言った。そう、それは昨日のこと。

今日は午後から奥出雲の山へ。伊賀平山、羽内谷(はないだん)。撮影取材で山々が遠望できるところをと要望したところ、ふだん行けないようなところまで案内いただいた。羽内谷はかんな流しの史跡があるということをはじめて知った。昭和50年代まで砂鉄採取が続いていたとのことだ。驚いたのは、その史跡の奥にぽつんと一軒の民家があって、水田が開けていたことだ。集落があって、次第に移転していって残った一軒なのではないようだがどうなのだろう。

楓の紅葉が盛りの頃であるが、車中からみえた、道端の大きな楓にはっとさせられる。あきらかに人が育てたものだろうからだ。山のそれとはあきらかに違う、やさしさがあって、その特有の匂いというか空気に包み込まれるような感覚があった。なんなのだろう。不思議でおもしろい。

仕事を終えたのが、午後3時半ごろだった。懸案となっている作業道の撮影に向かうには、もう陽が傾きすぎている。やや早いものの帰ることとしたが、そうだ、カメンガラ(ガマズミ)の実をとって帰ることを思い出した。
果たして、いつものところへ行き、一房を口の中に入れてみると、うん、この甘酸っぱさだよと。とりごろである。実はまだ鮮やかな色をしているものが半分強くらい。ちょうどいい時期だろう。いつもより葉が落ちているようだが、実の熟し加減はこんなもの。

あらためて気がついたことがある。小枝がじつによくしなる。ためしにひとつ折って持ち帰った。柴をまとめて結わえるのに使ったという言い伝えは理にかなったものだと認識できた。すべての枝がそうではない。やや若い枝なら紐のように使える。山へ”芝刈り”に入る際、ガマズミのあるところを頭に入れておき、集めた柴木が束になるタイミングとガマズミがある場所とが一致するように動くこと。当たり前すぎることだったのだろうが、世代としても個としても山から遠ざかった身には、技能訓練を要することとなる。

まこと、赤子が這うような動き方ではあろうが、糸の先くらいのものがつかめればいいし、なんら得るものなく、無に帰すことになろうが、それもまたよし。そう思いながら、持ち帰った小枝がしなる感触を何度も動かしながら確かめる夜。月食のときは過ぎ、望月の光を想像しつつ。

ヌルデ雑想

ヌルデの紅葉は、ハゼノキやヤマウルシの鮮やかな真紅とはちがって、遠目には目立たない。緑色を残しながら、黄、赤、茶がまじったような風合いだが、近寄ってみれば存在感もあって美しい。塩木とも呼ばれる(た)所以たる、リンゴ酸カルシウムをふく実は、その塩をふいたような粉もすっかり洗い流されているようだ。今年もなめることはかなわず。
なめるには10月初旬だろうか。まだ葉が色づく前に見つけねばならぬようだ。その頃には他の木々の緑に囲まれてわかりにくいものだろう。だから、今年目星をつけておくのだという意識というか意地もあって、ヌルデが毎日のように目に飛び込んでくる。車で山の端を通るたび、中から、あ、あそこにも、ここにも、と、こんなにたくさんあったんだと驚くほどだ。

火入れフィールドで目にすることはほぼなかったと記憶しているが勘違いだろうか。見逃していただけだったのかもしれない。タラノキクサギアカメガシワなど他の先駆樹に比して成長が早くないのではないか。少なくとも奥出雲町佐白近辺ではそう見える。ただ、近隣の林縁ではしばしば3mを超えるような大きなものを目にする。

粥杖、幸い木、負い木……。民俗学からの関心から注目するようになった木ではある。見分けのつきやすいこの時節、できるだけ見ておこう。

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フシノキという名のもとでもある五倍子(附子ふし)も多くはないが目にした気がする。竹紙が漉けるようになったら、染めてみるのもよしか。

追記1

ヌルデが辞典等で記載されているよりも大きくならないことについて。何日か前にも引いていた岡山理大植物生態研究室のサイトにも記述があった。中国地方の気候、土質によるのか?

†. ヌルデ Rhus javanica L. var. roxburghii (DC.) Rehder et Wils.…岡山理科大学植物生態研究室

†.植物民俗学的にも注目されるヌルデ…森と水の郷あきた

追記2

負い木としてヌルデを用いたことは、菅江真澄が記している。そのことをのちほど追記しようと思う。
この写真は3年前か、静岡の焼畑フォーラムで井川に宿泊したときに撮ったもの。正月のつくりもののひとつといえようが、井川ではヌルデを使うようだ。他の地方ではヤナギ、クルミノキなども。加工がしやすい、手に入りやすいといった便や理の向きから我々は考えてしまうのだが、”魔除け”に限らず、この世界を形づくるものは斯様なことだけではすまぬものである。

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金木犀かおる10月の終わり

遅咲きだった今年の金木犀

菟原の駐車場から家まで歩いていると、鼻をくすぐるよい香りがする。はてどこの金木犀だろうと思うに、うちのだった。数日前の香り、蕾からわずかにこぼれ落ちるような若いそれとは異なるもので、すぐにはわからなかったのだ。熟したとろりと甘い香りとなった10月29日。覚えておこう。
木次町里方のこの家に暮らし始めてからこんなに遅い開花ははじめてのことだ。もともと開花時期の変動に幅があるのが金木犀らしい。これから霜がおり、冬がきて雪がつもり、春の桜を楽しみ、夏の暑さにおろおろしてる間に秋がきたら、また同じように香りを届けてくれることを願う。
  さて、キンモクセイはギンモクセイの変種であり、日本には江戸時代に雄株が渡来、挿し木で国内にひろがっていったものだ。だから自然分布はないということなどは、辻井達一,1995『日本の樹木』〈中公新書〉に詳しいらしいが、未読。二度咲きもあるらしいが、その生態も含めてもう少していねいに見ていこうと思う。つまり今年の遅咲きは二度目の開花だった可能性をいれつつ。

ウルシ属の紅葉とヌルデ備忘

時速60kmで走っている車の運転席からも、ウルシ属の真っ赤な紅葉が目につくようになってきた。多いのはヤマハゼだろうか。ほんの数日前からだ。まだ緑の濃い葉のなかに点々と、そこにいたのねとばかり名乗りをあげてくれている。ヌルデの実を今年こそ見つけてなめてみたいぞ。
ヌルデは焼畑民俗とのかかわりも深い。種子の休眠期間が長いことや地方名の多さなど下のサイトを参照されたし。

†. ヌルデ Rhus javanica L. var. roxburghii (DC.) Rehder et Wils.…岡山理科大学植物生態研究室

†.植物民俗学的にも注目されるヌルデ…森と水の郷あきた

小学館の全日本大百科には湯浅浩史が《ヌルデの果実はカリウム塩を含み、かつては塩の代用にされた。台湾のツオウ族などでは戦前まで利用していた》と記載している。台湾のツオウ族のことについて、他に知りたいのだが、鳥居龍蔵の著作集にあるだろうか。……ということから見つけたサイトを見ながら探してみたい。 

鳥居龍蔵著書・論文目録 | 民族学フィールドワークの先覚者 鳥居龍蔵とその世界

スリランカカリー3days初日。ポークカリーうまし。ただしすべて味見のみ。明日には食す。