出雲といえば曇り空って本当か?

「出雲といえば、晴れ少ない、曇り多い、暗い」
と言われるが、東京/出雲を半々で暮らしてきた身にはピンとこない。長年のもやもやを、もののついでにざっとではあるが調べてみた。気象庁のデータを80年代からあたっての比較。画像は日照率の比較。冬は確かに格段の差。それはわかる、の、だが、5月〜10月にかけては東京と同じかむしろ上回る傾向。

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 いや、日照の問題じゃなくて快晴の時間とかなんとか…の気もするが、ちょっとデータ比較がしづらい。元データにはあたっていないものの、雲量比較ということで、Weather Sparkのサイトで東京と松江を比べてみた。下の図の上が松江のそれ。下が東京。

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松江(出雲地方における気象台)

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月別比較〜東京の雲

 

 比べてみれば、一年を通じて快晴と本曇りの中間領域、なかでも「ほぼ晴れ」「一部曇り」の割合が東京と比較して高いのが出雲地方ということがみえてくる。

ただ、これはあくまで月間の平均比較。日毎にみるとまた違った数値なり図が出てくるのだろうが、どなたかやった方がいらっしゃれば教えてね。

数値だけでは語れない部分が多いことではあるが、印象や体感、実感というものがどう形成され、共有されていくかをみるときに、こうした数値はとても大事な役を果たすのだから、できるところでおさえておくべきなのですよ、さとうくん。

たとえば、これはおもしろいケースだと思うのです。
出雲市の定住促進サイトということで若干立ち位置にバイアスがあるものの、移住者である出雲大好き女子の投稿。《色々な人に「山陰は寒いし曇りや雨ばっかりなイメージ」と言われ、覚悟をして引っ越した訳ですが、全然イメージと違ってた。
……一日の中で「晴→雨→曇→雨→晴→雨」なんです。……という感じで天気がコロコロ変わりやすく不安定なのです》
http://izumonakurashi.jp/2019/01/13/出雲な天気/
そ、冬の時期はとくに著しいのだが、夏をのぞいて全般にこうした傾向にあると、出雲のみなさん思いません?

こんなことをしてみる気になったのは、テッド・チャン「商人と錬金術師の門」(大森望訳・『息吹』早川書房)を読んだあとに、豊福晋平氏のgakko.siteを読んでいたからなのだが。。
https://gakko.site/wp/archives/516

教育ICTの推進は必然的に学習の個別化を進行させるが、《学習の個別化は圧倒的な情報量と最適化システムを必要とし、コンテンツ提供業者への依存を高めるので、教育目標と知識そのものを与える役割を教員から奪う。》
豊福氏は、日本の学校教育が急激に舵を向けようとしているこの流れを「罠」として指摘しながら、構築主義をプッシュするのだが、どうなのか。学習の個別化って矛盾じゃないかというところを試してみたくもあった。
あっさり言ってしまえば、後期ヴィトゲンシュタイン。そこからテッド・チャンまでは近い。

5月の草刈り

 田植えのシーズンが終わると、あちらこちらで草刈りが始まり、梅雨のくるまえに山でもケタでも燃やす光景があちらこちらでみられる。おもしろいなあと思うことがふたつある。

 ひとつには、草の都合ではなく人間の都合で切るものだから、だんだんと草の種類がしぼられていっているように見えること。頻度も少ないだろうし、成長点で切っておさえるのではなく、ともかくおさえこもうと、地際ぎりぎりを切ろうとする、場合によっては土ごと。

 すると成長点が地下にあるチガヤや地下茎をはびこらせるもの、あるいは草刈りのタイミングと花をつけ散種するタイミングをずらす草が年々優勢となっていく。草たちも互いがはげしく生存のための闘争を繰り広げているのだろうが、その場にうまく介入して国益ならぬ人益を確保しようというのとは少々異なる所業が繰り広げられているように感じるのは、草に肩入れする私の偏向だろうか。

 そして、もうひとつには、道路の草刈りのあとで、オオキンケイギクがみごとに刈残されている姿をこの春、木次で多く目にしたこと。最近ふえたから知らない人が多いのだろうか。あぁ、それとも、花が咲いているものをそうやすやすと刈払機では切れないという人のやさしさだったのかもしれない。

 特定外来生物なので、販売・栽培は禁止されているのだから、たとえどこかの家の庭で咲いていたとしても抜き取ってよいものではある。(私人の敷地内で無断で立ち入るという行為そのものが罪に問われることはあるかもしれないが)

 とことんふえたあとで、騒ぎがひろがるのかもしれない。すると、今度はともかく「やっつけろ」となるのだろう。それが悲しい。花がかわいそうなのではない、そうした人間の所業が悲しいのである。思わずなのかなんなのか道路に咲くそれを刈残した作業員は、どう思うだろうか。

 

じゃんがら念仏踊りの記憶

 いわきのじゃんがら念仏踊りのことを、思い出して、動画をあたってみるものの、、、ない。あるにはあるのだが、記憶とは異なるのものだ。

 たとえば、これは比較的近いものであるのだが、それでも違和感をおぼえるほどには遠い。

 いわき市遠野町深山田じゃんがら

 なにかが変わったように思う。こんなに腰高かったけ? 膝が折れて地面をはうような姿勢だったはずなんだけど。青年男女の動画が多いからなのか。他の動画の中にはずいぶんパフォーマティブなものも多く、こりゃそう簡単に観ることもできんのだなと思った。

 さて、本題。

 じゃんがら念仏踊りにおいて、太鼓を叩く手の動きと、撥をもった手をくるくるとまわす所作は、技術的な連関をもっている。撥をもつその握りの遊びと運動(軌跡・リズム)でもって、太鼓を叩くことで生じる響きやリズムが、この踊りの要なのである(但不確かな記憶)。

 想起ついでにもうひとつ。

 撥が空をくるくると舞うその時、太鼓の音は片手が刻むかすかなものとなり、太鼓に伴奏していた鉦のリズムが時空を満たす。その中に再び、空を舞っていた撥が太鼓に到達するだが、体感的・身体的には、その繰り返しは上昇感なのである。シャーマニスティックなそれと言ってもいいのだが、むしろ弁証法的? ……とここまでいうと世迷い言だなあ。

『草原の河』8月1日より広島・横川シネマにて

 日本で初めてのチベット人監督による劇場公開作。

 こうした作品は山陰地方に住む者にとっては、広島・岡山での上映を期待することになる。そして8月1日より広島の横川シネマでの上映がはじまるので、行こうと思う。

 ソンタルジャ監督のインタビュー記事を読んだ。

 この映画ではプロの役者を採用していない。チベット人だけで映画をつくりたかった監督は、その理由を、チベットにはプロの役者がほとんど居ないということに加えてこうのべている。

「この父親役のグル・ツェテンさんにしても、もし普段やってることと全く違うことをやれと言われたらとてもできないと思うんです。でも牧畜民という自分自身を演じるということなので、彼はできるわけです」

 演じるとはなんなのか。

 演劇・映画・舞台を通じて表現されるものとはなんなのか。そんな問を発しようものなら、現代的意味、商業的意味、思想的意味、教育的意味。無数の意味が横溢しかねない。

 そして、この映画にはその「毒」に毒されないものがあるように思えた。

 ソンタルジャ監督は侯孝賢の映画から影響を受けたという。侯孝賢の映画はスクリーンから離れた客席の存在を前提としてつくられているように思えるし、蓮見重彦もそういうことをどこかで書いていたと私の記憶にはある。そういうこととはどういうことか。

 映画のシーンに笑いを誘うところがあるとしよう。そこで笑う観客があたかも映画の1シーンであるかのように、映画を観ながら感じてしまうのだ。そんな映画は通常は退屈なものとして敬遠される。夢中にさせることを回避しているのだから。

 さて。『草原の河』はどうなのだろう。楽しみである。

《「ダム屋の遺言」は水力発電を活性化できるか》に思う

 日経コンストラクション・ウェブに掲載の《「ダム屋の遺言」は水力発電を活性化できるか》は、様々な提起をはらんでいて、熟読した。もう少しだけ掘ってみたいので自らの備忘として残すものである。

 記事は、元国土交通省河川局長で、現在日本水フォーラムの代表理事でもある竹村公太郎氏のインタビューである。

 尾原ダムの影響下にある斐伊川流域市民にとっては興味深い内容であろう。

 ポイントのひとつは《2つ目は運用の変更。要するに、多目的ダムの水位を上げるのです》。1960年代の法律にしばられ、気象予報の精度があがった今日では可能であるということ。尾原ダムの水位をめぐっては、もう少し柔軟に運用できればともどかしい思いをしている関係者も多いのでは思う。

 そして、もうひとつは、《1997年に、河川法第一条に「環境保全」の概念が加えられた時……河川管理者の意識が変わりました。……環境そのものが目的になったわけです。全国津々浦々の職員が、市民と一緒に活動を始めた》。

 尾原ダムはこの動きの先駆であったはずで、「これから」が大事だと思った次第。

 

自然農=混作はきたなく見えるのか

「草だか野菜だかわからんし、きたない。どれだけとれるかもわかったもんじゃない」

 自然農へ向けられた苦言である。ただ誤解なきよう、これ直接面と向かって言われてるんだが、全然いやな気にならんのです。なぜだろう。発言者が農業を正面きってやってる人だからだろうと思う。こうして言語だけで記すとひどい発言に感じてしまうんのだけれど。

 さて、ひとつ前の投稿で「混作」へチャレンジするのだと書いたのだが、今日たまたま開いた、飯沼二郎,1980『日本の古代農業革命』にも同様の”混作きたない”をみて、なぜだろう、なんだろうと不思議な思いにとらわれたので、備忘として記す。すなわち飯沼はこう言う。

《このことは、東南アジアの農業の性質を考えるうえに重要である。東南アジアの農業、とくに畑作の一次的性格としてのミックス・ファーミングともいうべき間作、混作をまぜあわせたような形態(中尾氏も上述のように根菜農耕文化の一特徴としてあげている)が潜在的に存在していた。それはこんにちの焼畑のなかにのみ残存するのではなく、平地の畑にも残っている。……(略)……タイのサンパトンやビルマのインレー湖周辺の農村では、畑にいろいろの作物が雑然とつくられているようで、みためにはきたないが、その技術には伝来の習熟性がかんじられる。》

 対して、混作を「美しい」とは言わないが、ある感動をもって書き残しているのが六車由実である。2004『東北学』Vol.10中にある。

《たとえば、昨年の秋に、ラオス北部、ルアンパバンの周辺で目の当たりにした焼畑の光景は、私たちの想像をはるかに超えて豊かで感動的だった。ここでは平地には雄大な水田が広がっているが、そのすぐ先にある山では焼畑が拓かれ、陸稲だけでも10種類近くの稲が育てられ、隙間にはハトムギ、バナナ、ウリ、キャッサバ、トウモロコシ、ゴマ、オクラ、サトイモなどさまざまな作物が混植されている》

 うむ。その東南アジアの混作をまだ目にしたことがなく、これ以上の言を控え、加筆できるだけの材料をそろえていきたい。

文字を見る脳と自然を見る脳は同じことをしている

興味ある人がおられると思うので、ウェブに転がっていた論文(有名ですが)を共有。
マイクロな生態系管理の智慧=民俗知を、どう記録・継承していくか、その手法開発の参考資料として。
”The Structures of Letters and Symbols throughout Human History Are Selected to Match Those Found
in Objects in Natural Scenes” Mark A. Changizi,Qiong Zhang,Hao Ye, and Shinsuke Shimojo
http://www.journals.uchicago.edu/doi/pdf/10.1086/502806
これから郵便局へ寄った後、アワの脱穀と精白作業です。

社会関係資本をパパッと捉えるために

 社会関係資本(Socail Capital)がわからないといわれてたじろいだ。プログラマーの会話のなかで、ルビーってなんのことかよくわからないといわれるようなものだ。

 ふたつの意味がある。ひとつは、言った本人が「知らない」ことを意味している場合。もうひとつは「存在意義がないのでは」という問題提起的な意味の場合。そして、社会関係資本がわからないということには両者が入り混じっているように思える。私がたじろいだのもそのせいだ。

 自分自身、社会関係資本という言葉をなんとなく使っていることに気付かされた。いかんいかん。反省反省。たちどまって反省してみれば、乱用されて語義も錯綜しているように思える。かといって、古びておかしくなった言葉として捨ててしまうのは惜しい。この概念がもたらした視座はいまでも有効だ。

 私にとっては、実務上の問題として、どうしようかというのがここでの問題。説明するか言い換えるか、う〜む。そこで、判断材料に、ぱぱっとかいつまんでわかるものを探していたら、これ(下記リンク)がありましたのでみなさまにもご推薦。よいです。2008年の勉強会資料とありますが、公開されていますので、よいでしょう。

「 援助と社会関係資本 」~ ソーシャルキャピタル論の可能性 ~佐藤 寛 編

http://intl.civil.t.u-tokyo.ac.jp/docs/08THStudy_080619.pdf

◉たとえば、第4章のまとめとしてのここ。

1. 補助金には適正規模がある。

(地域住民の自助努力によらない所得増加、効用増加は、社会関係資本を通常よりも早い速度で減価させる)

2. 既存組織との調整に配慮しなければ新プロジェクトがよい循環を生み出さない。

(重要なのが、誰を排除しての組織づくりが行われているかという点である)

3. 域内活動に参加するときに、自主性が高いほどよい循環が生み出される。

(自主的な運営がされればされるほど、同じ生産量でも得られる満足感が大きくなる)

4. 循環の構造を理解して行動するリーダーの存在が重要。

…この四つの命題が実際に観察できるかどうかを調べることによって、社会関係資本の循環構造モデルの妥当性を調べる。

◉あるいは、3章の4節。

 縦の社会関係資本は、ある場所に「よそ者」のロジックが持ち込まれるときに新たに形成されたり、破壊されたりしやすい。それは「よそ者」それ自身の存在に起因するというよりは、よそ者が持ち込む資源に誘発されて変化する社会関係によるものである。そこで、縦の視点を視野に収めるには、異なる場所同士の関係を同じスコープの中に含める必要がある。

 いやあ、いわゆる「わかる人にはわかる」問題として、ビンビン伝わってきませんか? 

 こうしたことを踏まえた「地域の課題解決」でないと、「やらないよりまし」な事業でなく、「やればやるだけ有害」なものになりかねませんよね。

江津の森のレストラン

 昨日の午後から石見に1泊2日で出かけてきた。吉賀町を離れて3年ぶりかの訪問であった。なんの感慨もなかった、というよりも、まだ続いているのかもしれない。終わったり離れたりというのではないあり方でもって。

「もし、〜〜だったら、ここにいたかもしれないし、そうだったら、ずいぶんと〜〜の状況もいまのようにはなってはいなかったでしょうに」

 助手席でそう語る声に、「そうだね」と小さく深く同意した。

 さて、吉賀で目に見えるもの。山の姿は出雲のそれとは違うなあ。何度でも思う。急峻さや大きさや。そして繁茂する竹の姿が見られない。3年前よりは少し増えた気もするし、そういう声も聞くのだが、山ひとつが竹に覆われてしまうようなところは皆無だ。

 江津市にある森のレストラン。イタリア料理を供するいわみ福祉会のお店だ。ブログのプロフィール欄にはこうある。

「森のレストランのコンセプトは、人びと・物・情報・サービスなどを1本の木に例え、それらが自然と集い、繋がり、大きくなっていく、そんな場所でありたいという願いにあります。」

 美味しいです。めっぽう感心するほどではないものの。でも、石見でどこのお店を勧めるかという意味では一押しといっていい。なにがいいかというと、とても気持ちがいいのです。料理をつくる人、出す人、用意する人、誰もがていねいで心がそこにある感じとでもいいますか。

 そこにいる人、訪れる人は、誰もがひとりの人として、その空間に居合わせることができます。

 障害者がごく自然にそこで働いている、働けている空間だから、なのでしょう。もちろん、多くの工夫や配慮がなされています。妻が観察したところによると。。。

・無駄な動きがない。手があいたら次に何をやるかが決まっている。誰が何をやるかが明確になっている。

・ふつうの飲食店より働いている人が多い。厨房の設備にいいものが揃っている。空間が広い。

・置いてある本雑誌がきちんとセレクトされている。

 このレストランのよさをわかってくれる人、そう、内田樹だったら、「いいね」と言うんじゃないかなと。そう思います。すぐれた武道家。芸道に秀でた人。

 

 あぁ、もっと何か伝える術と中身がある気がするのですが、次回(また訪問したとき)の宿題とします。