令和4年、冬の火入れの記録

春の火入れを前に、冬の記憶を整理。
令和3年2月12日快晴
冬の火入れをやり直した。1月23日に開始数時間ほどで中止したところである。この日は快晴。気温は5〜10℃であったと思う。
狙いのひとつは春の火入れ準備。防火帯形成のひとつである。燃やすことで防火帯を形成しておくことは理にかなっている。先日公開講座で例を知ったネパールのとある地方の焼畑では、火入れ前日の夜に「焼いて」防火帯をつくるという。燃えるものが燃えてしまえば、もう燃えることはないのだ。焼畑がすぐれて状況管理時間管理の技術であることを、その意味をよくよく反芻しておこう。
狙いのふたつめは、消炭をつくること。竹の消炭は野でつくりやすく、使いやすい。土壌改良材などと呼ばれることもあるが、それはほんの、ほんとうにほんの一端でしかない、と私は思う。小川真の著作参照のこと。
狙いの3つめ。火をみて感じておくこと。昨年春も夏も火入れは中止としたので、火を見ていないのだ。春の火とは次元を異にするとはいえ、ふるまいに共通する面もある。それを身体に覚えておくためにも。
動き続けて燃焼6時間強

今回、火のコントロールはやや難しかった。着火から延焼開始(臨界点突破)までは30分ほど。このときほぼ無風。条件が悪く天候悪化もあって中断した前回は1時間半以上かかっているから上出来だろう。
着火が10時半くらいだったろうか。延焼開始まではスムーズだったが、雪に埋もれた竹や積み崩し途中の竹を掘り出しては積み増しながら燃やし続けた。火勢が足りないことが予想され、着火点から1mほどいったところに背の高さくらいは積んでいた。なぜ着火点から積んでいないのかといえば、危なくなったら崩す必要があるからだ。そして、ちょうど1mほど進んだところで、危なさを感じ、少々崩した。途端に勢いは削がれた。積み高1m50cmをひとつの目安だろう。

タンクの水が抜けていたものの
そろそろ放水して消炭づくりに入ろうかとタンクのもとへ行ってみれば、なんと水が抜けていた。仕方なく自然鎮火を確かめて撤収となった。翌日の午後、全部灰になってしまったかと諦め半分で行ってみれば、なんのなんのまだ炭でも燃えているところがかなりあった。雪をまぜながら、バケツ2杯分を持ち帰った。
ほか、気づいたこと多々あった気がしてならないが、思い出した折にまた加筆することとして、簡単ではあるがここまで。

出雲の山墾りをぼちぼちと

 ひっそり今年も始動します。活動ページを設けました。
冬の準備がものをいうのです。冬の間に、春焼き予定地の竹を半分くらいまでは焼いておきたいということもあります。
雪がたっぷり積もっていれば、延焼(つまるところの山火事)対策を大幅に減じることができます。人員でいえば、最低10人はいるところが、2人でもいけるというように。
s-orochi.org

しかしながら、ちょっと積りすぎているようです。
奥出雲の横田では観測上、10年ぶりくらいの1mごえだったようですし、焼畑フィールドである佐白でも60センチほどはいっただろうと思います。明後日、現地確認の予定ですので、レポートはそのときに。
下の写真は数日前のご近所。

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