クサギの香りと茶、そして生薬として

石鎚黒茶を喫しながら閃いた。この発酵臭、香り、クサギナ(写真右端)と似ているではないかと。美作番茶(写真上)にも通じるものがある。私が知るクサギナは、煮沸アク抜きして天日干ししたものだ。雲南・奥出雲には知る人なく、主として芸北・備北に残る幾多の記録から模したものだが、参照したものの中に茶としての用は記されていなかった。リョウブと同様、飢饉に備えた糧でもあり、ハレの日の振る舞いにも用いられたことは確かだろう(野本寛一『採集民俗論』昭和堂,2020など)。なぜに救荒食であり御馳走でもあるという存在になりうるのか。それはこの香り(への嗜好)にあるのではないかという閃きが、石鎚黒茶の香りに導かれてあった。単なる浮いて消えゆく思いつきとは違う証をたてるためにも、茶とはなにか、茶粥とはなにか。たどりなおしてみようと思う。この香りを標として。

■クサギ、その香りの魅力

クサギノ葉ハ、少シ苦味ノアル、甚香ノ高キモノデアル」と書き残した田中梅治は、島根県邑南町鱒渕の人であった。

葉が臭いから臭木というのだ、という記述をあちらこちらで見る。copy&pasteの容易なウェブ上であれ書誌であれ。思うに、実際さわったことも嗅いだこともない人が記しているのが大半ではなかろうか。なかには、生葉はアーモンドのような香りがして好きだ、などという言説も散見されはするが、少数にとどまる。

そのクサギ、出雲の山墾りをしているところでは、意図的に残していることと、放牧乳牛がまったく口をつけないために、ここ3〜4年来、大いに繁殖している。訪ね来る人にその臭いについて聞いてみるのだが、確かに臭いですね、などと言った人は皆無である、いまのところ。

臭いそのものは強い部類であるが、誰もがよい香りとする山椒ほどではない。そして、生えているその場で、あるいは触れたりして漂う悪臭ではない。車の中で強く臭って捨てたという人の話を読んだことがあるが、おそらくクサギカメムシがついていた可能性もある。クサギによくつくカメムシの臭いとの混同が起こりがちである。

異臭とされる強い臭いは、腺毛から分泌されているらしいので、採取してしばらく放置するだけで消えるだろうし、これまで嫌な臭いとして感じたことはない。クサギのよい香りは、悪臭が薄まったものとはまた違うのである。

■名の由来、別称

クサギという名の由来についてはよくわからない。俳句では常山木と書いてクサギと発するが、漢名の海州常山からか。

地方名(方言)では、単にナを語尾につけたクサギナが中四国・近畿では多い。九州・沖縄地方でどうだったか。トーバイではなかったか。静岡、富山の山間部ではトイッパと称されるようだ。

生薬にもなる。葉・茎・根が利用され、臭梧桐の名で知られるものだ。桐とつくのは葉の形状というより同じくパイオニアプランツであることからか。ヤマギリの名があることを辞書的なものではみるが、いまだ聞くことはない。

広島北部ではいまでも道の駅で販売されている。私が見たのは高野であったが、説明も何もなく、乾燥したものが、ただクサギナとして袋に入って販売されていた。以前クサギ雑録で記載したとおり。

茶として用いる場合には、生薬のそれと利用法が近いと思われる。すると、採取時期も異なるようだ。菜として用いる場合、先の田中翁が記している採取時期は5月の下旬。生薬なら7月上旬で茎も用いるようだ。

このあたりいまだ不詳。だが、菜として用いる場合にも、多少の異同がある。煮たあと、流水で数日さらすとしているのは日原町史にある記載。

■発酵と保存

これはますます不詳。発酵といっても、微発酵と思われる。後日加筆することとしたいが、保存という観点から、少しあげておく。

山口県玖珂郡における保存料としてのクサギ

「玖珂郡の山間部では、山に自生するクサギナという木の若芽を四月に刈り取って陰干しにしかぼちゃや馬鈴薯に入れて煮こむと、朝炊いたものが晩まで腐らないといって利用している。このクサギナをジョロウノヘ(女郎の屁)という地方もある」

宮本常一,財前司一『日本の民俗 山口』昭和49年,第一法規

 

ヘミツルアズキとアリとカメムシ

数日前のこと。ヘミツルアズキの鞘に群がる黒いものが目に入った。
クロオオアリか。いいぞ、こいつがいるとカメムシが寄ってこないというし、よしよし。
その3日後、すなわち今日。
ん、アリにしては、じっとしてる(しすぎ)。大きさもまちまちすぎる。…これ、吸ってるんじゃないか!豆を!
カメムシじゃないか!なんてこった。
どうやらホソヘリカメムシの幼虫である。成虫がそばにたくさんいた。
アリに擬態するカメムシ。偽アリだった。天敵をあざむくためというが、私だって騙された。本物のクロオオアリもうろついているので、まぎらわしい。
えーいこのっと邪魔者扱いだが、こうなると俄然かわいく見えてくる。にっくきはカメムシ、これだけまとまっていると、この鞘どころか群落全滅かもしれない。
気になって、離れたほかの地点をみてみると、とりつかれてはいない。発生地点はちょうどアワを育てている場所に隣接しているし、隣では晩春まで小麦を育てていた。少しずつカメムシがふえる環境にしていたのかもしれない、私自身が。ある必然の中での発生か。にくむとすれば、手前勝手なヒトの無思慮だろうと、頭を冷やした。
冷静になると思い当たる節はあれこれある。この場所は春先に真砂土を入れたところだ。砂は庭の松周辺。かつて池があったところらしく、松の衰弱(病気)の一因となっているのではと、かねて疑っていた。とくにある一角に植えるものことごとく虫がついて枯れていく。庭師(樹木医)との協議で、まず掘ってみたところ、池の残骸と思しき瓦礫がいくつか出てきたのみで、土質全体は水はけのよい真砂土であった。念のため、点穴を打ってもらったが、それらを施す際に出た真砂土である。
その土が豆にはあったのか、他の条件もあったのか、ハタササゲはおどろくほどよく育ち、たくさんの花と実をつけつづけていたものであった。なにかカメムシ大量とりつきの一因かもしれない。
さて、下の写真がカメムシに吸われてしまった鞘。
10mほど離れた別の場所(庭)にあるものは、カメムシもついているのを見たことがないし、アリさえいない。収量はかなり落ちるが、こういうときに「強い」のだと考える。

ヘミツルアズキ雑想

「これ、おいしいね」と妻が言った。暑い暑い8月のことであった。白米にまぜて炊いた豆、ヘミツルアズキを指して言ったのだが、過去幾度かは食しているものだ。5〜6年ほどにはなるだろうか。玄米おにぎりに雑穀を入れておにぎりにするときもある。ただ、「おいしいね」と口にしたのは初めてのことであった。機会は多かったとはいえ、7月終わりから9月頭にかけて収穫し、食するのは冬から春にかけてということが多い。今回のものがとれたてであったことが要因のひとつかもしれない。そこでいえることがある。収穫のあとすみやかに脱穀し、冷蔵保管しておくことが、美味の秘訣だろうということ。従来、夏の暑いさかりに、暑い場所に放置したままであることが多かったのだ。豆であるから大丈夫とタカをくくりすぎていたのだ。数日もあれば乾燥には十分なのだから、1〜2週間を単位として冷蔵保管へ移行することを次年からの慣例としたい。

ヘミツルアズキでgoogle他のウェブ検索、国会図書館検索をかけてみても、前者で私自身が書いたウェブ記事がヒットするのみ。あらためて出自を記しておこう。東北の焼畑残存地帯で、焼畑の最終年、すなわち耕作放棄へとすすむ年に作つけするという。8年前であろうか、わけていただいた。草の繁殖が強くなるが、このヘミツルアズキはそれらを凌駕するのだという。幾度か試しているが、ふつうにそうはならない。育てているのは山陰地方の300mほどの標高の場所ゆえ、諸条件が異なるのだろうから、最適なところをさぐっている。

アズキと名乗っているが、つる性のハタササゲである。鞘は褐色。花は朝早くに咲いて、昼までには閉じる一日花。日本では九州・沖縄地方はじめ各地で自生種として残っていますが、黒鞘が多いよう。日本での栽培種はあまり聞きませんが、タイ・ミャンマーあたりの焼畑少数民の間ではメジャーな存在で、写真や報告ではよく目にする。

 

下の写真は2017年秋に撮影したもの。

そして、下のものは同じく2017年の9月27日。まだ花が咲いていたのか。春焼地で撒いたものか、どうかが不明。

出雲の山墾り〜 R6.sec.23

令和6年8月18日。火入れは無事終了。よく燃えた。火―燃焼は天然自然の現象に属するものと通常理解もされ、常識とも齟齬のないものである。しかるに、目下この世の生物では、人だけがその操作を行える。このことに異議を唱える論を想像するのは難しい。この事がまた不思議な気にさせる。「火」はヒトが数万年をへて築き上げてきた文明の象徴ともなっている。火を操ることが、いわば、ヒトと自然とを分かつものでもあるからだ。

野でも山でも、火を放ち、燃やすことはそこにある生命圏(生態系)に大きな撹乱をもたらす。それはあくまで撹乱であり、破壊ではない、と、私は自覚意識しているのだが、今世に生きるヒトの大部分はそれを破壊とみるし考えるだろう。自然の撹乱なるものが何を指し示しているのかが、常識的な理解想像の範疇にないのだから、当然である。自然の撹乱は、自らがそこによってたつ生態系に火を放つということの経験あっての理解得心となる。

「野山に火を放つ」と、ここまでのところ述べてきた。焼畑と呼ばれる行為がそこには含まれる。焼くだけでなく畑をつくるということを示している熟語であるのだが、今世のヒトにとって理解想像を超えるがゆえに破壊としかとれない「焼」と、十分に理解想像の範疇に入る「畑」との組み合わせであることが、誤解の温床であろう。私もかつては「畑」の方に引っ張られていた。特殊で乏しい経験であるにもかかわらず、10シーズンをへていくにつれ、焼畑は畑という概念でくくられる行為とはずいぶん違うと感じ考えるし、それは他の地域、人、文化の焼畑でも同じようなことではないかと思われるのだ。

さて、このつづきは次回へ持ち越し、火入れの様子をあげていく。

まずは動画と写真をいくつかあげつつ、加筆をしていきたい。

 

 

出雲の山墾り〜 R6.sec.18-2

7月21日。大豆、なにものかに食われる。畑には2日前の7月19日に入って以来であるから、20日の夕暮れから晩にかけての出来事であったろうか。
タカキビは小ぶりな一株のみ根本から10センチのところまで食われている。いちばん大きなタカキビは踏み倒され、茎が一箇所折られるのみで、口をつけたあとはなかった。踏み散らかしたようなあとはみられず、牛、猪でないことはほぼ確実。消去法的に可能性のある獣は以下。鹿、狸、狐、穴熊、ヌートリア、猿。

わからない。仮に狸としておこう。刈払機で草刈りに入るのがあと2日早ければとは悔やんだ、正直。外周に竹の枝を差し込みつつ続きは次回。

*追記:この4日〜6日後、再度食われているのだ。

出雲の山墾り〜 R6.sec.18-1

7月18日の山墾り。夏がきたのだと知った。山に入ったのは夕方遅く。空と空気にはオレンジの色味がかかっていた。日陰の斜面でもあった。なのに。動けば汗が滝のように流れ出てくる。目に染みいって視界をさえぎるほど。2年畑のまわりでは、草がここ2週間ばかりで30センチはのびたのではなかろうか。
大豆のあるところだけ、黒い土がのぞいている。草たちが取り囲み、今にも押しいってやろうかという勢いである。周囲30センチほどを根の成長点からノコ鎌で刈り取る。その背後というか向こう側も軽く刈っておく。次回は刈払機でいっせいに始末しておかねば、獣が入ってこようぞ。
あぁ、それにしても単子葉植物の驚くべき成長力の凄まじさかな。美しさといってもいい。畑のこぼれダネから大きくなったタカキビも単子葉植物である。春先にダメ元でばら撒いていたタカキビの種子のうち、木綿のところのものがいくつか大きくなっていた。ちょうど牛が入った道で、踏耕ともいうべき土の掘り返しがあったところだ。草もそこだけ繁殖を控えているようで、5m先からも土の色が見えていた。イネ科雑草に取り囲まれたところにも何株かは負けじと成長していたが、茎が細く、踏耕の場所のそれと比べると弱々しい。周囲の草を刈って様子をみることにする。

そうそう、大豆・タカキビ畑の周囲を草刈りしているときに、トマトの匂いがした。もしやと丁寧にすすめていくと、果たしてトマトの株が3つほど。ブラックチェリーである。昨年はその種しか植えていないので間違いはない。うまくすれば9月の半ばに美味しい実が食べられるかもしれない。

さて、春焼畑。繰り返すがタカキビは単子葉。驚くべき成長である。前回7月12日のものと比べてみても。

出雲の山墾り〜 R6.sec.17-7

7月12日の山墾り。豪雨や東京行で、行けない日が続いた。この日は時間の隙間を縫い、様子見だけでもと春焼きの畑に入った。牛は入っておらず、ほっとしたが、そろそろ猪・狸らにも注意せねば。端的には周辺部の夏草を伸ばし放題にしないことである。柵の補修補強は次回でよしと。6月8日の火入れから一ヶ月が過ぎた。タカキビの成育はよろしくない。こんな状況。

場所によって生育にばらつきがかなりある。笹の地下茎が多いところはまあよくないのだが、そればかりが要因というほどでもない。もともと土壌がやせているがゆえに藪化していく傾向がみられた所なので首を傾げるほどではないのだが。ところで、藪を焼く焼畑については、「竹の焼畑」の名で白石昭臣氏が書籍にも残しておられる。ソバ・アワ・ヒエを初作とすること、夏焼きが多いこと、竹・笹を焼くこと、この3点が特徴ではなかったか(要確認)。だとすると、タカキビはやや不適であること、春焼きであること、竹・笹は混じっているが主な燃焼材ではないこと(もともとの植生には少なく、低灌木主体)、この3点が出雲・石見地方で見られた「竹の焼畑」の特徴からはややそれそうだ。民俗誌を再度参照して確かめること、タカキビの特性を確かめること、備忘としてここに記しおく。

さて、笹の新芽と葛の新生をよく取り除いた。ヨウシュヤマゴボウもよく育っていたので、除去。ヨウシュヤマゴボウが出ているところは黒ボク土である、この斜面では。昨年春に焼いたところほどではないものの。そこに、ハグラウリと地這キュウリを播種した。

斜面を一段さがったところには、大津くんたちが木綿を播種していたが、見当たらなかった(この日あとで、聞いたら、発芽はして育っているとのこと。踏まないように気を付けるべし)。斜面にまいたアマランサスは密にまきすぎたのだが、よく育っている。間引きしたほうがよいのかもしれないが、密植したことが笹の侵食と拮抗しうるとも思われる。いましばらく様子をみてみる。

 

みんな長生きしてほしいよね

「みんな長生きしてほしいよね」
と妻が言った。大雨の翌日であった。車で野菜を仕入れに隣町へ行く際、峠を越えるのだが、その降り道の急カーブが続くところで、唐突な、呟きというものよりははっきりとした口ぶりで。

ふたりは2日前、東京の高円寺にいた。暑い一日をほうぼう歩き回った夕方で、その日の最後の目的地まで百メートルもないところで、休みたいな休んでもいいのかもという気持ちに応えるように、目の前に現れた喫茶店。「喫茶 DENKEN」という店名と「OPEN」という看板だけがかかった、古い建物に蔦が絡まっていた。

妻の一言は、そこに入り受けた印象と感慨とを振り返ってもいたので、文脈としてはそこに連なるものであろう。
DENKENは創業が昭和30年ごろで、営業は70年におよぶ。創業以来その場所で働き続けている女性は90歳前後の白髪の老嬢であった。白いブラウスに黒のスカート、パンプスを履く姿もまた70年になんなんとしたものであろう。古典派ロマン派の曲が大きな良い音で鳴っていた。

あんなふうになりたい。なれたらいいな。どうしたらなれるのかな。どうするかな。
具体な話もあれこれする中で、自分自身のあり方である以上に、関わりあるみんなのあり方によるのだということが、ふと思われたのだろう。「みんな」とはそういうことだ。

出雲の山墾り〜 R5.sec.17-5

6/29の山墾り。明日から長雨となる予報が出ていて、積み残しは多々あれど、やれるところまではやって帰るつもりでいた。具体的には草刈り少々と柵の保守、それにアマランサスの播種。しかるに、着いてまず目にしたのが、柵がひとつ、牛に突破されている状況であった。優先順位を入れ替え、やれやれと補修作業に入る。動かしながら、運びながら、どうするかを考え考え、構えをつくっていく。陽射しがきつい。汗で目がしみる。なにぶん応急的処置であるから、今日はここまで!として終える。柵でなくバリケードである。塞ぐことを優先し使うことを考慮していない。つまり人が通れない、すなわち私も通れない。

人には迂回という知恵がある。別ルートで畑地に入ることにする。たぶん半年ぶりくらいに通るルートであって、なにが出てくるか少し不安でもあった。牛はここまできてるのかあ、でもここでさすがに行き止まりだよね、突破は無理というところの向こう側へ足を踏み入れる。人もなかなか入りにくい、ゆえにか新竹がまとまってあるのを発見した。では、切っていくかと手鋸と山ナタをふるい、4本目くらいのところだったろうか、新竹の柔らかい切り口に突き立てていた山ナタを喪失。カランカランと伐倒して足元に敷かれている竹の上を転がる音がした。地面は昨日の雨で湿っているし、6月も終わろうかという時期ゆえ、草の茂りも増している。竹をどかし、草木を整理しながら探し続けるもなかなかこれ見つけられない。

一旦チェーンソーの置いてあるところまで帰って、力技的にバシバシ太稈として地を覆っている竹を切っては外していくしかないと思い立ちつつも、もう少し、、と続けていたところ、足元にキラリと光る刃が目に入り、あれ、踏んでたのか?という発見であった。スパイクつきの長靴であたし、まったくわからなかった。おそらく何度も踏みつけるうちに土にめりこんでいったのだろう。よかった、ほっとした。

もうひとつの突破箇所に竹を持ち込みはじめたところ、下方に葛が樹冠を覆いつつある低木2〜3本を発見。とりのぞくべく降りていき、巻きついている蔓を処理していく。そして崖にくずれを見て驚く。ここを登ったのか牛、と。いやここもふさぐのは容易ではないな、どうしようかと思案しつつ、クサギナ数本を切ってふさぐように置いてみることにした。

日があがってくると小さな傾斜、短い登攀でも上り下りは体力消耗度が激しいものだ。気温は30℃には届いていないが、湿度が高い。

午前10時過ぎから午後1時過ぎまでの仕事であった。道具やヘルメットをクサギナがたつ木陰においていたので、そこで休みをしばしばとった。身体を休めると、小鳥の声がきこえてくる。身体を動かしているときも鳴いてはいるのだろうが、そして耳にも入っているのだろうが、意識がとらえてはいない、少なくとも記憶には残っていない。なんの鳥だろうかと、休んでいるときには思う。今日はじめて聞く鳴き声であった。数回聴くことがあれば、覚えて調べてもみれるだろう。伐開をはじめて10年ほどにもなるが、明らかに鳥の種類も数もふえている。もっと増えるだろうし、そうなってほしいと、そうしてまた身体を動かすのだ。動けと念じないと、まず動かないほどにはクタクタになってしまうものだ。

牛に入られたのは春焼き畑も、昨年焼いて今年大豆をつくる畑もだ。

大豆はまだ双葉から次の葉が出始めるくらいの段階だった。まったく口をつけていないのがおもしろいというか興味深い。同じような背丈のタカキビなどは根元近くまでかじられているのにだ。ほっと胸をなでおろしたい。また、おもしろいのは、よくかじられていたコナラの幼木はその後放置されていて、小さな若芽が育ちつつある。なんとか再生することを願う。そして、ヤマウルシは小さな葉ひとつ残らず、食されている。好みの問題なのかなんなのか、このあたりよくわからない。

梅雨に入って、作業しづらい日が続くだろうが、週に一度は柵を手入れしていきたい。