令和5年畑の備忘録・其之二

■大豆について

10月31日、山の大豆から4株ほどを収穫した。まだ少し早いが、獣に取られる前にと。この日はくにびき学園からの見学もあって、終了後、大石さん大津さんとの雑談のなかで、「タヌキはよく来ている」と聞いたことも影響。干す場所がないなあと少し悩んだが、斐川に多少スペースがあるので、そちらに持っていくことにした。

令和5年畑の備忘録其の壱

■夏焼地の現状

10月28日のことを簡単に。

夏焼き地に久しぶりに行ってみる。カブは温海カブのみ10ほどもあったろうか。天王寺カブは皆無だった。カブの成長もかんばしくはないので、焼いた土はじめ窒素分もすべて流れてしまって発芽生育かなわなかっとみる。種子の状態もよくなかった可能性があるが、購入した天王寺カブも壊滅となれば、土と考えるのが妥当。コオロギの食害も今年の異常な発生を何度も目にしているので、影響hあったと思われる。大根は4つばかりできていたが、これも成長はよくない。

昨年2022年(令和4年)夏に焼いた崖のような急斜面かつ北東に面した日陰の場所でも、カブはよく育った。そこは黒ボク土で土もさほど流れなかった。水もちがよいからではないか。今夏の斜面は表数センチは腐葉土のような土だが、そこから下は砂っぽい。

来年以降どうするか、一冬こす間に考えてみよう。

■タカキビ、アマランサスについて

収穫量でいえば、ざっくり昨年比6〜7割。これもたぶん土なのだ。発芽がよくなかったのと、全体に茎が細く小さい段階から分蘖が進んだ。発芽不良の要因で大きなものは土だろう。ちょっと掘ると土になっていない腐食物が表土最上部に多かった。伐開から4年経過しており、根の分解が進んでいるものの、どスカスカの状態だ。火の熱が入りにくかったのと、竹の積み方も浅かった。どうだろう、深さ5センチいやところによっては10センチくらいまで水もちが悪かったのではないか。

かたやもともと土壌が貧弱だったところへ火が入り、発芽・生育も悪かっところもある。アマランサスをだいぶ後に播種した区画の北の端、崖の手前部分である。地這いキュウリやかぼちゃの苗を定植もしたが、その後育たかなった。

伐開後、あまり長い期間をおくのはいかんのだと思う。せいぜい2年までか。そうしてよいところはもともと土壌がよいところ。

■トマトについて

ブラックチェリーのみの栽培とした。ほぼ完全な放任栽培にしては出来はよかった。昨年と比べての印象であって、日当たりが前年とは違う。夏野菜に分類されるものであれば、どれもそうであろうが、日当たり重要。種子をとりそこねた。

■カボチャ

不作。要因は少雨か。枯れてしまった苗が多い。カボチャはもともと定植には気をつかうべき種。焼畑への定植には工夫が必要ということだ。

 

冬来る、畑と山の備忘録#3

斐川の畑の土を掘る

12月7日の作業より。
落ち葉など有機物を落とし込むために穴を掘っている。実家のある斐川の畑である。40〜50センチほどの深さに30センチほどの有機物+20〜30センチほどの覆土となる。幅は70センチほど、長さは投下資材の量に左右され、成り行きであるが、5〜6mほどか。深さ10〜20センチほどの土が0.7×5=3.5平米ぶんあまるが、今回掘らない畝に移す予定。

面積は17平米ほど、畑のごく一部を借りている。ここは50センチも掘れば砂質となる。3000年前は確実に海底だったところであり、斐伊川の堆積作用により沖積平野となるのに2000年ほど。実家の位置は奈良時代には、入江となった湖岸線に位置し、周囲よりほんの少し高い土地となっている。それら屋号である”高西”の由縁を物語る。

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借りているこの写真の位置より北に10mほどいけば砂質は消えて黒土となるというが、これも掘ってみなければわからない。その西には、斐川地域の例にもれず屋敷墓があるが、その墓のまわりと豚小屋のあたりは赤土だという。豚小屋といってもすでにないが、実家ではいまでもそれで通用する符牒である。およそ80年ほども前のこと、豚を飼っていた小屋があった位置をさしていて、墓の北側にあたる。

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三刀屋在来の里芋、その畑を見に行く

12月6日、ようやく訪ねることができた。カフェ・オリゼで晩秋から冬のはじめにかけてメニューにあがる里芋の里。おじいさんといっしょにつくってきたという方から毎年いただく。他の里芋と違って、形が細長いので、いまの市場では扱いにくいのだろう。が、しかし、味は格別。ホクホクとしてあまく美味しい。
山の水が染み込んでくる谷の畑である。里芋にはよい環境だ。

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出雲の山墾り、年の瀬へ向けて

12月12日、久しぶりの山仕事。出雲の山墾りも年内は残すところ数日となった。今年の秋は雨が多い。火入れは年内はできず。1月に積んだ竹で消炭をつくったりしながら整備は続けて、春の早い時期に火入れとしたい。
ドングリの様子をみに、この日はブラウンスイスが放牧されている山を尾根伝いにざっと歩いた。気温は平年より高かったのだが、風が強く、体が冷える。コナラはここにはほとんどなく、多いのは山栗だ。次に点々とシラカシ。わずかではあるが、アベマキとアラカシ。
アベマキは2本ほどだろうか。確認できる実も少ない。アベマキはドングリ族のなかでもいちはやく、9月下旬から実を落としはじめるという。
アベマキの実が少ないのは、イノシシやネズミたちに食べられてしまったのかもしれない。栗の実は栽培品種についてはイノシシが食べていたようだ。その場所に近い。シバグリの実が大量に落ちているところへはイノシシがやってきている形跡が少ない。じっさいたくさんあまっていたし、数ヶ月たったいまでも点々と残っている。いくつか拾ってきて、芽が出るのをまとうかと思ったくらい。シバグリがたくさんあるところは子牛たちの縄張りでもあるので、イノシシもそうそう近寄らないのだと、仮説としてたてておこう、令和3年初冬の時点として。

さて。アベマキのどんぐりは、地温が5℃以下になるまでは根を大地の下へ下へと伸ばしつづける。親木からもらった栄養だけを使って。春が来たら、葉を伸ばし、今度は自分のちからで、太陽と水と空気と土のなかのたくさんの生物とともに、生きていくのだ。
それでも根を伸ばしたまま春になったら死んでる子も多い。この子に春は来るのかな。

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夕陽に向かって脱穀三昧

令和3年は畑に出る時間が少なく、気候も不順で、大麦は鳥にも食べられて、ともかく作物がうまくできなかった年。安定しているアマランサスとタカキビでさえ、である。そのアマランサスの脱穀をしながら、少しずつ振り返ってみようと思う。

焼畑での初栽培は、2016年。今年で6年目となるアマランサス。収穫が少ないので、脱穀は計3〜4時間で終わると思う。斐川で脱穀し佐白で唐箕にかける。斐川(の実家車庫の軒先)は、西に向かって遮るもののない平野である。西からの風は強いが、西に見える地平の空は山がちな島根にあっては奇特なものだ。その西の空に向かってコンコン・カンカンと棒をアマランサスの穂に向かって打ち続けるのだ。1時間強なら、どうってことない。少し腕がだるくなる程度だ。もし来年、予定どおりの作付と収穫ができたなら、今年の5倍〜10倍となろう。ざっと20〜40時間か。一日5時間として4日〜8日。5日が限度かもなんて皮算用は無用なり。そううまくはいかんだろうから。

そもそも今年はもっとたくさんとれる予定だったのだし。斐川の畑で今年はじめてつくったタカキビもアマランサスも下方予想をぐっと下まわる不調であった。土は肥沃なはずなのだが、天候不順で土の生態バランスの悪さが加重されたためか。
アマランサスは葉の虫くいがひどかった。茎が太くならず、実入りも悪いままで秋を迎えた。タカキビは茎が部分的に腐敗するほどになってしまった。実もほとんどつかず、茎が細いからバタバタ倒れた。一方で黒大豆・赤名黒姫丸はその斐川のタカキビのすぐとなりの畝だが、悪くないのだ。木次のオリゼ畑の黒大豆はどうやら実の入りが極端に悪そうなのに。オリゼ畑のもうひとつの豆、さくら豆もよくない。タカキビとアマランサスもよくないとはいえ、斐川ほどではない。この違いはなんなのか。

今年の不作は豆について特に耳にする。稲は平年並のようだ。これらをどう捉えたらよかろうか。机の上に出しておこう。

ともあれ、冬に土を育ててみようと思う。来年も天候が不順であっても作物たちが踏ん張れるように。春にモチアワを蒔くために。作付は、これまでのなんでもとにかくやってみるのから少し絞り込み、雑穀は3種としよう。アマランサス、モチアワ、タカキビ。これにとうもろこしをいれるかどうか。モチアワは鳥に食べられてしまうのを網でしか防ぐことができないから中断してしまったのだが、斐川の畑なら柱もたてやすくはれるのではということ。そして、アワはつづけていきたいという希望による。交雑しなければウルチアワもやってみたいのだが、それは春焼き地で。

土を育てるためのあれこれを整理。
手元になく、買うものとしてまず、籾殻くん炭。高価ゆえあるぶんで。頓原の道の駅で出ているものが量もあってよかったと思う。
籾殻は大きな袋に入ったものが数十円と聞いたので2〜3袋か。
手間をかけてかき集めるのが落ち葉。そうこれから。

こちらは今年のオリゼ畑でいちばんのアマランサス。かなり実が細いのは毎年のものと比べてみればわかる。

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畑の柿を食す

裏の畑にある柿。もう枯れてもかまわないとばかり、強剪定してきたものだから、ここ数年実をつけはしなかった。今年、数年ぶりに数個の実をつけている。渋柿と甘柿、それぞれに。渋柿は3つ、甘柿は4つ。今日、甘柿のひとつを食した。渋みはなかった。固く、本当に固く、うまかった。甘みはさほどないがそれがいいのだ私には。むしろかすかなその香りとカリッとした食感を楽しみたい。
そして、柿は小さいほうがいい。大きく甘い柿はもはや好まれないのではないかとさえ思うのだが、どうだろう。市場に並んでいるものをみると、えぇ!というほど大きいものが多い。我がオリゼ畑にあって数年ぶりに実をつけた甘柿たちは小さい。柿の実はいつごろから大きくなってきたのか、それを確かめる術は多くなさそうだが、いつか詳しく知る人がいればたずねてみたい。

渋柿はもう少し熟したら干し柿にしようと思っている。葉の陰にかくれたひとつは完熟しゼリー状になっているのを確認した。干し柿といえば、高開でよばれたあの白い粉をふいた固く美味い干し柿が忘れられない。死ぬまでにあれをもう一度食べてみたい。つくってみたい。

2017年11月18日撮影。いちばん左がわからないが、真ん中と右は半自生の野柿。

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徒然なるままに、ダーウィンと土と小麦

小麦の種子をまかんとして、畑を整えるところまで。今日のところは。つづきは明日。
畝を整えんとして、畝間の土を掘り起こした。その際、ミミズを何匹かやってしまったと思う。小さなものが多かった。大きなやつ一匹については、頭をのぞかせたくらいだったので生きていると思う。深いところの土はネバマサ?ってやつか。深く掘り下げていけばマサが出てくるはずなのだが……いつかやってみたい。

種の起源』で知られるチャールズ・ダーウィンは地質学者を名乗っていた。借りてきた本を読みながら、どこか千葉徳爾を連想させるものがあって、あぁ、そうかもしれないとも思う。「方法」というものに意識的であったという点。大きくは科学と呼ばれるもの、であるだろうけれど。

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ユクスキュルの『生物から見た世界』、ダーウィンの『ミミズと土』、伊澤加恵の『おすそわけ』。ここに戻って、また思考を編んでいくのだ。小麦の種子をまきながら。

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『土中環境』の著者、高田宏臣氏はウェブの日記中で、こう記しておられる。
《無理な手入れを施せば、このモミジたちも暴れ出し、そしてあっという間に健康も美観も損なってしまうのです。無理をせずにコントロールすること、木々との対話が手入れの極意です。》

そう。無理をしいれば、樹々は暴れ弱って死んでいく。ここ数年、あれこれと思い当たることを反芻しつつ、木と土に向かっていこう。
拾ってきたドングリは数個なのだが、もっと拾ってたくさん育ててみよう。籾殻をもらい、わらをもらい、落ち葉をひろい、と、いろいろすることはあるが、これは楽しく人を募ってやっていこう。まず、ひとりでできるところから。
高田氏がいうようにコナラの力は大きいと思う。

《なぜ、私がコナラを主木に用い続けてきたか、それは、一般的な庭で扱いやすい樹種の中でとびぬけて環境改善効果が高いことが、主木として扱い続けてきた大きな要因の一つです。
環境改善効果が高いということは、夏場の生命活動が盛んで、生育が早いということでもあります。
しかも、この木はモミジなどと違い、日陰で扱うことができないため、成長スピードのコントロールは常に人為的な手入れ作業に委ねるしかないのです。》

《最大9m程度の樹高を想定しなければならない》かあ。オリゼの庭では無理があるが、斐川の家なら可能だろう。まして牧場ならOK。
さて、コナラの生命感を彼は感じているのだが、それがどこからくるものなのか。もっと感じとっててみようと思う。まず、ドングリをひろうところから。

小麦の種子を撒くのに、小さな畑なので、もちろん手まきなのだが、岡本よりたか氏がおもしろいことをfacebookに記しておられた。

《皮膚常在菌、腸内細菌、土壌菌。この三つは密接に繋がってる。腸内細菌は土壌菌と似ていて、土壌で作り出される野菜や穀物を食べることで腸内細菌が増えていく。そして、その腸内細菌が増えていく人ほど皮膚常在菌も増えていく。だから、種に皮膚常在菌を纏(まと)わせてみようと思って。
種を健康に芽吹かせようとすると、この三つの菌の連携が必要になる。信じられないかもしれないけど、子供のように皮膚常在菌の多い人が蒔くと、野菜は健康に育つ。しかし、腸の調子が悪い人、基礎疾患のある人が蒔くと種が病気になることがある。これ、事実なんだよね。経験則として。》

そんな微細なものがほんとに? と思う人が大半だろうし私も一瞬そう思いかけた。あぁ、ただそれはあるか、と。たとえば、アマランサスのあの小さなごま粒のような種子は数ヶ月で人の背をこえるほどに成長するのだ。いま世界を席巻しているるcovid19だって、最初はひとりかふたりの人間からひろがったものだ。

ドングリをひろうときに、苗床をつくり、それをうえるときに、それを感じてみよう。

金木犀がようやく花を咲かせる頃に小麦の種をまく令和3年10月25日

金木犀の蕾がいまにも開かんとして微香を漂わせている日。例年ならば9月の半ばにその香りを開花とともに芬々とさせているものである。気温、降雨、日照、気象の種々が平年とは異なる年であるとともに、ここのところ毎年のようにそんな異常が続いている。それでも花が咲くことは嬉しいことだ。ことに自分の家の裏、勝手口を出た目の前にある木であるのだから。

そんな日、スペルト小麦の種子を温水につけ冷蔵庫にしまった。明日播種の予定である。アマランサスの脱穀も少々。明日は斐川の分も脱穀か。水曜日は松江、木曜日は頓原、金曜日からはスリランカカリーの3日間である。慌ただしい。

セイタカアワダチソウとアカメガシワとクサギは同じところにいる

昨日に引き続き今日も草刈り。2時間ほどだが、休憩なしだったのでそれなりに汗はかいた。肌寒い日だったが気温が摂氏10℃以上あれば、シャツで充分ということは改めてわかった。ほんとうにちょうどよい気候。これが冬になると脱いだり着たりする必要が出てくるのでね。

六角棒レンチを忘れていたので、牧場で借りて刈払機の刃を交換。シュルシュルと音がしていたので、ゴミを飛ばしてグリースも打っておいた。次回はエアクリーナーもみておこう。都度借りているものだが、来年は買おうと思う。今年の計画にあげていたとおり、草刈りの頻度を増やして植生を管理していこうと思うことによる。ナイロンカッターを使うには自前のものでていねいにやる必要があるということと、斐川の実家の草刈りにも必要かと思われるので。

候補はゼノアのBCZ265L-DCでナイロンカッターや肩掛けハーネスがセットになっているもの(農機具通販店agris)。ループハンドルは山の急傾斜面や竹をはじめとした切株が多い場所が多いので。BCZシリーズはプロ用の位置づけだが、家庭用という位置づけがそもそもおかしいのである。チェーンソーのときもそうだったが、耐久性や使い回しなどなど考えると、購入時に多少高くてもしゃあない。

閑話休題

草刈りしていて、標題のことに気がついたのだが、はて、パイオニアプランツということで一致はするものの、もう少し何かありそうだ。それについてはまた改めて。

アカメガシワの若葉の食慣行があることを今回知る。茶の葉もある。見つけ次第、遠慮なく切っていたのは、かつてこの葉の裏にいた毛虫に刺され、手が腫れるという痛い目にあった復讐心からだと思う。あるいは、コンクリートの隙間をはじめどこにでも隙間さえあれば侵入してしぶといということにもよるのか。岡山理科大の植物雑学辞典中にみられるように、アカメガシワの特性からも少し見直す必要がありそうだ。平凡社・世界大百科事典には、《秋には黄葉し,古来,歌人に愛された楸(ひさぎ)は本種とみなされる》と。
食慣行もあり、和歌にも多くみられる※1ことから、人との付き合いは長く深い。地方名も多数あるようなので、調べておこう。
以下にいくつかリンクを貼っておく。

・樹木図鑑のアカメガシワ

・アカメガシワの生存戦略(岡山理科大・植物雑学辞典より)

※1 二、三の和歌をみたところでは、アカメガシワでないような気もする。もっとひろいあげてみようと思う。

ぬばたまの夜のふけゆけば久木おふる清き河原に千鳥しば鳴く  山部赤人

令和3年10月23日のあれこれ

扇風機を掃除して片付けた。木酢液400倍希釈を少しばかり畑に撒く。続きは翌日に。家の裏の金木犀、花がようやく咲きそうだ。香りはじめている。例年よりおよそ一月半ほども遅れているか。

blog,こどもと読むたくさんのふしぎ。なんと、ダーウィンのミミズのお話だ。木次図書館で借りてこよう。

buchicat.hatenablog.com

ヴィクター・W・ターナー 『儀礼の過程』冨倉光雄訳,ちくま学芸文庫。津和野町立図書館から取寄せたものの返却期限が来週火曜日まで。これを返すときにでも。

スズメたちは麦の食べ方を覚えた

一昨日のことだったか。うちの裏の畑で小さく育てていた裸麦。スズメたちに食われていた。つまみぐいなどではない、本気のどか食いである。裏で育てて3年目だろうか。こんなことは初めてだ。なにが「やつら」をそうさせたのか。

茎が折られている。どこでどうやって覚えたものか。妻も目撃して感心していた。
数羽でやってきて、一羽が穂につかまって倒す、倒れた穂をついばむ。その一連の動きが見事で、連携プレーのようなさわやかさすらある。やつらにその意識はなく、たまたまそうなっているだけなのかもしれないが。

もちろん、傍観するに甘んじていたわけではない。応急処置として網をかけておいた。かかったら焼き鳥にしてやると。2日が経過し、網がかかったところは無事だった。一定の効果はあったと、茫然自失の三歩手前から五十歩手前くらいまでは自信と安心を回復したのは、そう五分もあったかなかったか。畑をパトロールしてみれば、こぼれ種から小さな穂をつけていた同じ麦たちが、みるも無残な姿に……。網をかける前まではまったく無傷であり、ま、「やつら」もまだ未熟で青いこの小さな穂までは手を出すまいとたかをくくっていた己を恥じた。

スズメたちは麦の食べ方を覚えた。われわれは何も学んでいない。