
1. 去る3月末、新潟は山北地方へと赴いた。第5回焼畑フォーラムへ出席するためである。
2. 当日、3月28日。会場がおかれた府屋は、新潟の最北端、山形県境の山河を目前に控えた小さな町である。そんな辺境の地に、どういうわけか百名余もの人々が集結してしまった。
3. こうなると、密度も熱も勝手に上がるのは必然。不佞の身ながら、奥出雲のパネル前で3時間、寄せては返す問いの波を捌き続け、喉は枯れ、意識は朦朧。疲れる暇さえなかったが、あぁ、おもしろかったなあ。
4. この集いは焼畑実践者たちのフォーラムである。今回は8つの地域が名を連ねた。西から順に、宮崎県椎葉、島根県奥出雲、滋賀県余呉、福井県味見河内、石川県白山、山梨県奈良田、新潟県山北、山形県温海。奥出雲が、この連なりに座すのは不思議なことだなあとも思う。
5. さて、私の報告は、「環境変動下における作物との関わり方―〈カブ集団〉の観察から」と題した短いものである。昨秋、奥出雲の焼畑で目撃した「奇事」の一端をまとめた。火入れの遅れ、播種後の豪雨、そして秋の異常高温。あらゆる悪条件が畳みかけるようにカブを襲った。希望は持ちつつも、ダメかなあなんとかイケるかなあと、3か月が経過したあと、栽培者は、種子を採るための数個体を選抜採取して、残りを「失敗」として山に2週間放置したのだった。そして、久しぶりにおそるおそる入った12月の中旬、見放されたカブたちが「復活」を遂げていたその事件を報告した。
信じがたい生命の現前を前にしたとき、人の思考主体も感受性も、分裂してしまう。その実感は、ここに備忘として留めておく。正直に、なかなか思い出すことができない出来事であるとだけ。記憶も曖昧だが、泣いていたような気もする。
6. 頭を整理し、提示した観点は、次のものだ。すなわち、「多様性」とは、あらかじめカタログ化された固定的な「違い」ではない。それは、未知の環境の揺さぶりに対する「応答の幅(Response diversity)」そのものではないか。そして、古より焼畑を繋いできた人々は、この「応答の幅」を、知性で御するのではなく、身体的な感覚―あるいは堆積した民俗事象の集積―として静かに捉えていたのではないか。そんな作業仮説を、予察という名の放言として、放り込んでみた。
7. パスカルの説く「幾何学の精神(L’esprit de géométrie)」、すなわち定義と論理による管理の世界からすれば、こうしたカブの振る舞いは計算違いの「あり得ない」現象に映るだろう。しかし、同じく彼が説く「繊細の精神(L’esprit de finesse)」に立てば、それは何ら奇を衒うものではない。原理は常に我々の眼前にあり、日常のなかに脈打ち、無理なく自然に理解できるものなのだ。ただ、その機微を捉える「曇りのない澄んだよい目」を持たなければ見過ごし、それを受容する「よい精神」を持たなければ、推論を誤ってしまう。
8. 質疑応答のなかで、ある方から、この「応答の幅」にこたえるような事例をご教示いただいた。管理の手を逃れた固定種が、時として見せる驚くべき生命の表出。それを「私は横着なものだから、よく起こることでして」と、悪戯っぽく言われた。私は、「横着」という言葉に、救われるような思いがした。それは単なる怠慢ではない。人知による「管理」という、時に傲慢となる枠組みを、ふわりと脱ぎ捨てるための作法なのだ。
9. そもそも焼畑は、移動性と循環性を本質とする「非定常」な圃場であり、環境変動の幅は、通常の農地とは地平を異にする。そこで作物を育てることの特異性やおもしろさは、単なる技術論に留まらない。そこに価値や意味の次元を持ち込むとき、私たちは「焼畑の価値とは、現代において何なのか」という、いささか厄介で、しかし避けては通れぬ問いの前に立たされることになる。
10. 生命現象が本質的に複雑で、多様で、そして繊細なものであることは、いまや広く了解されていよう。一方で、私たちの知性の力―幾何学の精神―は、ここ二百年あまり、生命の深淵にまでそのメスを入れ続けてきた。分子生物学がそうであるように、複雑で繊細なものを、単純で操作可能なものへと「還元」することで、支配下に置こうとしてきたのだ。人知の営みとして。
11. だが、この話はここまで。ともあれ、私にとっては「横着」もまた重要な作法である。あるいは、横着を許容すること。管理を逃れさせること。システムに「あそび」をもたせること。無理せずとも、生命が生命として在れる場所を確保すること。そして、それを見守るための澄んだ目と、正しい心を養うこと。そんな、地に足をつけ、手で土をつかみつづける智恵を、山北の地で授かったように思う。
12. こうしたことを考えながら、列車を待つ小一時間ほど、府屋の町を歩いた。そして、今も「コド漁」が行われているという大川の河口付近へ行ってみることにした。漁期を外れた今は、その特異な仕掛けを拝むことは叶わなかったが、漁期ではない今、その仕掛けを見ることはできなかったが、あぁ、ここなのかあと感慨を深めた。13. コド漁とは、全国で唯一この場所に残存した、極めて古い鮭漁の仕掛けである。かつては現村上市一帯に広く見られたものらしいが、今はただ府屋の河口にだけその命脈を保っている。
14. 以下、多くを菅豊の論考より得たものとして、ごく簡単に記す。コド漁は、河口近くの川岸に暗い囲いをつくり、遡上してきた鮭が物陰で休む習性を利用して捕る漁である。鮭の動き、流れ、川底の石の配置まで読む経験知を要する。きわめて効率の悪い漁ではあるが、その非効率さゆえに、むしろ共同体の秩序と結びついて残ったともいえる。
15. つまりそこには、野性知を駆使する技術だけでなく、商業的な乱獲を許さぬ共同的領域秩序があった。加えて、大川流域は近世以降も統治形態の入れ替わりがあり、府屋は村上藩領から幕府領へと変遷した、越後最北の境界地帯でもあった。このため大規模で統一的な河川管理や資本による独占が進みにくく、しかも消費地から遠かったことが、コド漁を「残した」のではなく、「残らせた」のだ。
16. その漁地を見下ろす丘に、縁の墓石が、崩れきらず、しかし本来の並びでもない仕方で集められたような場所があった。不思議なところだ。町に残る、これまた特異な建築意匠もあわせて、再訪かなうことを期しつつ、春風の府屋を後にした。

「応答の幅(Response diversity)」について
生態学が扱うレジリエンス(回復力)理論においては標準的な用語と思われるが、一般的な「生物多様性」の議論には浸透していないようである。
2003年にトーマス・エルムクヴィストらが提唱したこの概念は、それまでの「多様性=種の数」という量的な議論に対する修正案だった。「応答の幅」は「種のカタログ」としての多様性ではなく、「動的な適応力としての多様性」を指す概念である。
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種多様性: 「どのような種が、いくつ存在するか」という状態の記録。
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応答の幅: 「未知の攪乱に対し、集団がどう振る舞い得るか」という機能の可能性。
焼畑という「非定常(攪乱が前提)」の場において、この概念はさまざまに機能しうる。近代農法が「応答の幅」をノイズとして排除し、「幾何学的」な収穫予測を優先するのに対し、焼畑の実践は「繊細」にその幅を許容することで、数百年という時間軸でのレジリエンスを保ってきたともいえる。
また、生態学会、環境省では「応答の幅」ではなく「応答多様性」を訳語としていることを断っておく。



































