出雲の山墾り〜sec.1-4

令和6年2月4日(日)

私事につき休みが続いた。この日は、1月14日以来となる山仕事を2時間ほど。雪はほとんど残っていない。竹の伐倒15本程度と、運搬少々。伐倒は杉が密集しているところで2〜3本。かかり木となる。わずかでも杉の枝にかかると手こずることを思い知る。どれだけ手間がかかっても、ロープでの牽引を試してみるべきか。幾度となく懸案として持ち上がっては消えていったが、一度試してみたい、今年は。
雪に埋もれた竹を引き起こすときに、手袋を突き抜けて枝が指に刺さる。少し苛立っていたのかもしれない。ゆっくりいきましょうという警告である。

春の火入れは小面積でもやったほうがいいし、できるなという手応え。伐倒を2月下旬には終えて、運び出しを2ヶ月かけてできれば。北側斜面にとりかかるのは3月からでもよい。夏以降の火入れにまわすものだから。

夕刻前の短時間、暖かく静かな日であった。鳥の声がまったくなかった。チェーンソーの音で、逃げて近寄らなかったからだろう。

 

出雲の山墾り〜2024sec.1

令和5年も続けることができた。感謝する。もろもろすべてに。妻に。そして令和6年のはじまりである。よろしくお願いします。

1月4日と1月5日、2日続けてそれぞれ2時間ほど竹の伐採と運搬整理をしている。1月はとにかく伐る時期である。5日にはちょっとあぶない場面もあった。はじめと終わりにみられる雑になる場面。ゆっくりゆっくり進めていくべし。

この時期、残っている赤い実は少ない。カメンガラ(ガマズミ)は残っているが、もう食べても美味しくはない。そして枯れた草木の間にあって蔓性のヒヨドリジョウゴが目立つ。これは食えないが。いや食えるのではないかとも思うが、加熱しても毒成分は変化しないのだったなあ。さて、そんな中、まだ、冬いちごが思いの他多く実をつけているのが見られる。合間につまむ、はじめにつまむ、最後にもつまむ。つまりは旨いのだ。

12月は、例年より冷え込むときもあったが、それ以上に驚くほど暖かい、むしろ暑いともいえるような日がいくつかった。冬いちごの多さは、その影響だろうか。日陰にあってさほど実をつけずに終わっているだろう場所のそれが、まとまって実をつけている。12月上旬に食べられるような甘さはない。が、酸味が勝ちつつも野のものらしい甘さとあいまって、美味なり!と頷けるものができている。

実にはふたつの形態がみられる。オレンジ系でつぶが小さいものと、赤系でつぶが大きいもの。葉の形が違うような気もする。どうだっけ。オレンジ系のものが9割を占めて優勢ではある。いくつか種があるはずで、確かめておきたい。

 

令和5年のタカキビ餅

今年のタカキビ餅は、日と場所をわけて2回搗いた。28日にカフェオリゼで2升、30日にしろうさぎで2升である。もち米は都加賀のものが2kg。木次の道の駅「たんびにきてや」で購ったもの。あとはSさんに例年お願いしているJA雲南からのものである。

タカキビの配合割合は例年と同じく2割だが、今年はひき割りを忘れて水につけたものがあり、怪我の功名とでもいおうか、搗く前にすり鉢で適度につぶしたものを使ったが、これがよかった。

まず、ひき割りにする比率が確認しやすい。次に挽き割って選別するより、手間が少ない。水につけやすいのもいいし、歩留まりもよさそうだ。次回からは直前にすり鉢でくだくという方法一択でいこう。

カフェオリゼでやったときには、タカキビをまぜない白餅も5合強ほど搗いた。来年は1升ほどついて確かめてみてもよいのが、「搗きたてのタカキビ餅は白餅よりも熱い」ということ。今回、量が違っていたこともあるが、たしかにそうかも。というのも、しろうさぎで同じ2升ずつ搗くときにも、タカキビ餅のほうが熱い気がするので。
もうひとつ、確かめたいことがある。今年のタカキビ餅は腰が弱かったのでは?搗きすぎだったのでは?ということ。煮餅にしたときにも、白よりも崩れるのが早いようだ。どれも、形・大きさ・保存状態などで比較しないとなんともいえん。これ、タカキビをすり鉢でつぶしたことの影響もあるのかもしらん。

よりうまいタカキビ餅を目指して、来年の火入れと栽培へ向かうのだ。

 

令和5年畑の備忘録・其之二

■大豆について

10月31日、山の大豆から4株ほどを収穫した。まだ少し早いが、獣に取られる前にと。この日はくにびき学園からの見学もあって、終了後、大石さん大津さんとの雑談のなかで、「タヌキはよく来ている」と聞いたことも影響。干す場所がないなあと少し悩んだが、斐川に多少スペースがあるので、そちらに持っていくことにした。

令和5年畑の備忘録其の壱

■夏焼地の現状

10月28日のことを簡単に。

夏焼き地に久しぶりに行ってみる。カブは温海カブのみ10ほどもあったろうか。天王寺カブは皆無だった。カブの成長もかんばしくはないので、焼いた土はじめ窒素分もすべて流れてしまって発芽生育かなわなかっとみる。種子の状態もよくなかった可能性があるが、購入した天王寺カブも壊滅となれば、土と考えるのが妥当。コオロギの食害も今年の異常な発生を何度も目にしているので、影響hあったと思われる。大根は4つばかりできていたが、これも成長はよくない。

昨年2022年(令和4年)夏に焼いた崖のような急斜面かつ北東に面した日陰の場所でも、カブはよく育った。そこは黒ボク土で土もさほど流れなかった。水もちがよいからではないか。今夏の斜面は表数センチは腐葉土のような土だが、そこから下は砂っぽい。

来年以降どうするか、一冬こす間に考えてみよう。

■タカキビ、アマランサスについて

収穫量でいえば、ざっくり昨年比6〜7割。これもたぶん土なのだ。発芽がよくなかったのと、全体に茎が細く小さい段階から分蘖が進んだ。発芽不良の要因で大きなものは土だろう。ちょっと掘ると土になっていない腐食物が表土最上部に多かった。伐開から4年経過しており、根の分解が進んでいるものの、どスカスカの状態だ。火の熱が入りにくかったのと、竹の積み方も浅かった。どうだろう、深さ5センチいやところによっては10センチくらいまで水もちが悪かったのではないか。

かたやもともと土壌が貧弱だったところへ火が入り、発芽・生育も悪かっところもある。アマランサスをだいぶ後に播種した区画の北の端、崖の手前部分である。地這いキュウリやかぼちゃの苗を定植もしたが、その後育たかなった。

伐開後、あまり長い期間をおくのはいかんのだと思う。せいぜい2年までか。そうしてよいところはもともと土壌がよいところ。

■トマトについて

ブラックチェリーのみの栽培とした。ほぼ完全な放任栽培にしては出来はよかった。昨年と比べての印象であって、日当たりが前年とは違う。夏野菜に分類されるものであれば、どれもそうであろうが、日当たり重要。種子をとりそこねた。

■カボチャ

不作。要因は少雨か。枯れてしまった苗が多い。カボチャはもともと定植には気をつかうべき種。焼畑への定植には工夫が必要ということだ。

 

出雲の山墾り〜2023sec.21

10月30日(日)

■レクチャー

数日前までの天気予報は「晴れ」。まさか降雨はあるまいと見ていたが、前日夜の激しい雷雨から、不安定な大気の状態が続くおそれはあった。朝、軽トラックで家をたったその時からポツポツと雨の雫がフロントガラスに落ち始め、十数分後にはワイパーを動かすようになり、やがて雨具が必要になるほどの本格的な雨模様となった。

この日は大学生のボランティア希望者が1名参加。雨を1時間ばかりしのぐ間、牧場の事務所をお借りして、レクチャーを少々。よく覚えていはいないが、この際、箇条書きにでもしておく。のちに、この日見たものなどを記すのと同様である。

・ダムの見える牧場について…面積、できた経緯、特徴、放牧と教育酪農ファーム
・焼畑…人類学的アプローチ、半栽培(semi-domestication)と生態系保全技術、半栽培という技術の特徴、人口減少下の中山間地、人類にとって野山に火を入れることの普遍性

■山林踏査と草木瞥見

ルートは、春焼地から林地に入り、尾根筋を岩内山へ向かうもの。まずは春焼地にて

†. 白膠木(ヌルデ)…春にはいちばん大きなものでも胸の高さほどであった。火が近く、部分が焦げ枯れてしまった株も命脈を保ち、いまや背の高さ超えて幹も枝もしっかりとしてきた。雌雄異株だが、花は今年は未だ咲いておらずどちらかは不明。民俗学界隈では著名な樹で、地方名は優に百を超すと聞くが、この出雲地方での呼称は未詳。成熟した雌株であれば、この時期からつけた実にリンゴ酸カルシウムが粉をふいたようにつき、なめるとしょっぱい。塩の代わりに使ったとは、椎葉クニ子さんの言。斉藤政美がクニ子さんの語りを収録した『おばあさんの植物図鑑』1995,葦書房.を読むと、「シオデ」とおっしゃっている。この本での見出しは「フシノキ」。フシとは五倍子をそう呼ぶ。五倍子はヌルデにできる虫こぶ。虫はヌルデシロアブラムシで、冬はチョウチンゴケに、春から秋をヌルデに、世代交代をかさねがら寄生する。五倍子の読みとしてのフシは節に由来する(中田祝夫編・新選古語辞典.小学館.S49による)。五倍子をゴバイシと読むのは生薬としての利用を主とした読みである
五倍子は乾燥させて糸の染料に使う。お歯黒にも使われた(鉄を煮た液と五倍子の粉であるフシコとを交互に歯に塗ると黒く染まる。虫歯予防にもなる)。祈祷の護摩木に使うのもヌルデである。
そんなあれこれの説明は今回はなし。微量のウルシオール、すなわちかぶれる成分はあるが、ヤマウルシやハゼと比較すればまったく問題ない程度であるからまず安心して(極度にかぶれやすい体質などはありうるが)触ってよいこと、見分けるのは葉軸に翼があることであるとのみ。ヌルデはできるだけ伐らないように、という意図の伝達にで。

†. 山漆(ヤマウルシ)幼木はキハダに似ていなくもない。葉は互生。キハダは対生。

†. クサギ…保全しよう、なるべく伐らないように―と意識してから3年ほどになるかと思う。増えすぎたかもしれない。今年から群落を形成しているところなどで積極的に伐っていく。まずは大きくなったものを活かし続ける方向で。実を食べる鳥はメジロなど限られるということだが、このあたりにメジロは見かけない。種子を拡散させているのはどの鳥だろうか。
岩井淳治さんが、「月刊杉web版」の連載で、クサギの地方名をあげておられる。

《クサギリ、ヤマギリ、クサッキ、クゼノキ、クサギナ、クサナギ、クサイナ、ツチクサギ、クジュ、クジュウ、クジュナ、コクサギ、トリバ、トヨバ、トゥバイ、トゥバエ、トゥノキ、トンノキ、トゥゴロノキ、トノスギ、トノキ、ツゥノキ、トンノコムシノキ、ムシッコノキ、ミソブタ、ヤマウツギ、キノメ。》

静岡の井川では「トイッパ」と呼ばれていたと記憶する。上記引用の中では、トリバ、トヨバの系統であろう。トリバは「採り葉」、そのバリエーションのひとつがトイッパ。そう作業仮説をたてていたが、どうだろうね、違うかもしらん。また、ツチクサギは面白い。

《『紀南六郡志』という書物によると、柴を刈ったあと、来春にその根から直接出てきた新芽をツチクサギと言って、普通の新芽と違い上等のものとしていたようです。》

やってみようかな。
漢方薬としては、海州常山(かいしゅうじょうざん)。漢語名で臭梧桐(しゅうごとう)。

†. キハダ…大木がかつて1本だけあった。山中に小木を稀にみる。ミカン科らしい香木でもある。林業研修に来ている人で、キハダが山にある樹のなかで一番好きだと言っていたことを思い出す。北海道ではかつて大径木が多く育っていたらしい。そんなことを思い出す。

†. 地這いキュウリ…種をまいたが、発芽しても育たなかった。火入れしてないところからのものが一株だけ生き残った。ふたつ実がなっていたのでとって昼に食べた。まずまずうまし。

†. ブラックチェリー…もう終わりかと思っていたが、まだいけそう。雨の影響もあって裂果がほとんど。20ほどとっただろうか、昼に食した残りは参加者のお土産に。

†. その他…タカキビ、里芋、大豆(そろそろ収穫)、木綿、アマランサス(すぐにでも収穫すべし、やや遅し)

●現在伐開中の隣接地にて――。

†. 山茱萸(サンシュユ)…生では苦味が強い。乾燥させたものが滋養強壮によいと聞く。

†. 冬いちご…食べ頃になってきた。甘い。

†. コシアブラ…まだ葉がついているので見分けやすい。冬の伐開時にできるだけ保全するために見分けをしっかりと。数本、テープをまいてもいいかもしれない。

●林内に入るが、のちに加筆するとして、今日のところは樹種のみあげておく。

†. ヒノキ

†. アベマキ

†. イヌシデ

†. リョウブ

†. フジ

†. コハウチワカエデ

†. クリ

ほか樹種不明のもの数種

†. ムラサキシメジ

 

 

お茶のきた道

Sunday Market CiBOの企画、「茶茶茶」。去る10月22日に出雲市役所前の芝生広場で催された。県内外から6つの製茶者がいらしたのだった。カフェ・オリゼの手伝いで出向き、隙間を抜ってのごく短い時ではあったが、よい機会であった。

一畑園(出雲市)
かみや園+(雲南市)
天の製茶園(熊本県)
石鎚黒茶さつき会(愛媛県西条市)
海田園黒坂製茶(岡山県美作市)
宝箱(松江市)

日頃、お茶はよく喫する。ドクダミやカキドオシは庭畑からとって茶にしたりもする。気にかかるのは「お茶ってなんだろう」ということ。思い出すのは、石田豊さんのこと。東京阿佐ヶ谷に住んでいた時にはご近所でもあったし、編集者として一冊の著書を編んだこともある。いまでも思い起こすのは、なんと楽しい人なのか、あぁいうふうに暮らせたら生きられたいいなあと、憧れともいえる気持ちを抱いていたことだ。だがしかし、ある日、癌を患ったのだと、まあしかし身体は治るように反応しているようだからなんとかなるだろうという元気な声をどこかのベンチに座りながら聞いた。その日からあまり会う機会がなく、なくなったという知らせを聞いたときも、驚きはしたものの妙に現実感がなかった。

その石田さんが最後に執心していたのが、お茶であった。チャノキを庭に植えたのだと。いつもの私なら、身を乗り出して、それでそれで、とのってくるものの、茶についてだけはピンとこなかった。そこで、これを読んでミイと貸していただいたのが、今も手元にある2冊だった。

守屋毅『お茶のきた道」1981,NHKブックス
松下智『日本茶の伝来』1978,淡交社

葬儀も終わりしばらくたった時分に自宅に伺った際、「それはあなたのところにあったほうが喜びますでしょう」と奥さまから申し出いただき、爾来、形見のようにあるものだ。

石田豊さんが、著書『もったいないのココロ』の序文でも述し、しばしば口にした言葉がある。原始人にように生きたい。縄文人に少しでも近づきたい。著書(じつはびっくりするほどまったく売れなかった。幸いにもamazon中古在庫は豊富)の序文にも記されている。

茶の話はこの本には出てこないが、栽培の起源はなにかということで、ひょうたんを栽培したことが出てくる。石田さんのおもしろいところは、文献を渉猟し徹底して調べながらも「まずやってみる」軽さをもっていることだ。私が現在、焼畑を「やっている」のは、多分に石田さんの影響であろう。しかるに「茶」について、本を受け取ってから20年あまり、その歩みは遅遅としている。

数日前、美作番茶、石鎚黒茶との出会いがあった。これからどこへ転がっていくのか。とまっていたものが動きだしそうだ。

出雲の山墾り〜2023sec.18

9月10日、晴れ

夏焼きの火入れが8月20日。播種が22日。最後の追い播きが9月10日となった。最後というのは、当初予定していたものという意味。

発芽がこれまででもっとも悪い。考えられることはおいおい改めて。

9月10日は、突棒をさし、土壌の状態を確かめながら、炭の量を調整したり土をかけて踏圧をかけたり……。わずかではあるが、そんな場所を斜面につくりながら撒いた。

この日、目についたのは葛である。ずいぶんとツルをのばしていた。焼いたところは少なく、小さく、細いものだが、たどっていくと、太い根とつながっている。時期をこえればみるみるのばしていくだろう。そしてなかなか消えることはなだろう。5年あるいは10年もつのではないか。蓄えは相当なものだ。掘り起こすとただでさえもろい斜面を傷つけてしまうのでためらわれる。

緑少ない斜面なだけにコオロギの姿をよく目にした。蒔いた蕪は芽を出したものがゼロではないが、5つもなかった。うち虫食いがないものはひとつ。もっとも麓にある芽だけだ。食べ尽くされた場所もいくつかあろう。

上部ではスズメバチがよく飛び回っている。これから10月いっぱい、藪に入るのはよそう。

タカキビの実は、色の濃度がさらにました。寄ってみると、全体としては未だ早い。昨年は9月19日に収穫した。今年は同様かもう10日ほど後ろか。雨や台風の様子を見ながら適期をとりたい。