名とは、失われゆくものをかろうじて結び止める仮の場であり、同時にその結び止めによって失わせてしまう形式である。
名は指し示す対象の不在を暗示する。名が呼ばれることによって、対象は、「そこにあった」「これからくる」と立ち上がる。よって名は「いま」「ここ」では必要とされない。
名は実体を欠いているのではなく、実体を欠いているからこそ名となる。名が実体を欠くためには、離れていなければならない。
名は非定常なものを定常化する。しかし名がなければ、非定常は記録されずに消える。
名によって見えるものと、名によって見えなくなるものとがある。
名づけられる前の、名を拒むような『場』や『動き』そのもの、を、よむことができるだろうか。それは名が挙げられるその時に現われるものだろう。名があがる前、名があがった後。
三平について、それをみてみよう。名があがる前、それはひとりの老人の記憶のなかにあった。
大分県津久見市長泉寺門前に立つ「日本特殊産椎茸栽培業者発祥地」と刻まれた碑の隣には、由来を記した銘文碑があり、次のように記されている。
《往昔、天保の頃、津久見の先覚者彦之内区三平、西之内区徳蔵、嘉吉、平九郎、久吉等の椎茸作業に端を発し、三平・徳蔵は石見へ出向し椎茸作を営む。これ中国地方における専門的栽培者の始祖なり》
昭和三〇年当時、椎茸栽培の起源を寛永年間に遡らせ、豊後国の源兵衛を創始者とする説が広く流布していたが、実証的な根拠はなかった。この碑は、むしろ椎茸栽培を事業として担った人々を、一人ひとり確認し、二七三名を顕彰したものである。
その際に刊行された『日本特殊産業椎茸栽培業沿革史』(17)には、「降雪に埋没した三平」の実話が収録されている。顕彰碑の発起人・西郷武十が、三平・徳蔵とともに肥後国の御物山(官山)で椎茸作業に従事した嘉吉から直接聞き取ったとされるものである。嘉吉は文化十三年生まれで、明治三十二年一月、八二歳のときに西郷に語り、それが記録された。
