学者になってはいけないよ

「学者になってはいけないよ」

 民俗調査にフィールドに出ようとするとき、よくこう諭されたという思い出話をきいたのは誰からだったろうか。学者になってはいけないと繰り返し口にしていた民俗学者のその話し方を真似た口調とその深い温かさと厳しさは、私の耳にいまでも再生できる。

 農山村に生きてきた取材先の老人たちから話をきく、昔の暮らしを尋ねてみるそのとき、学者になってはいけない、ということだ。二重三重の意味があると思うのだが、それは今日はおく。

 とあるおばあさんから電話がかかってきた。妻が尋ねてくれたのだが、その場ではわからず、ほかの人にも聞いてみるというその回答であった。「お役に立てずに」と何度もおっしゃる。いや十分に役に立つしありがたいことなのだが。うまく伝えられないのは私の至らないところだ。修練修行を積みたい。

 たとえば「葉は春はやわらかいけれど、だんだん硬くなって」という言葉には、山の奥ではなく里にあったものだろうと推測される。情景や背景をその人と土地と歴史をふまえて想像してみること。できるだけ正確に。間違える度にただしながら、間違いをおそれず、たちどまらず。

 ふたつの言葉を思い出す。

 田中幾太郎さんのお宅で聞いた一言。

「あの爺さんらも、もうおらんようになった」。田中氏だとて80歳前の老人である。その田中氏が若い頃に聞き感じた古老の存在感とその語りがどんなものだったのか。知る由もないが、その嘆きとも憧憬ともつかぬ「もう二度と現前することはないもの」への強い、とても強い念がその場に、古老の存在の空気感を漂わせて身震いするかのような戦慄を覚えたものだ。

 木次のH.Tさんから聞いた、あの声。

「ごはんができたよ〜」。年に一度しか白米を食べられない家から、子どもたちを呼ぶあの誇らしげな母親の声が、いまでも忘れられないという。「ごはんができたよ〜」の意味・記号ではない。その声を通して伝わるものこそが、大事なのだと私は思う。

 だから。

 私がどこまでできるかは自身心許なくはあるが、語ることをはじめてみようと思った次第である。30年後に幾ばくかのものを伝えられるだろうか。これからくるだれかに。

 

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