まだ見ぬ森へ導くは、幼子であり、女である

ふだん、神なる存在からは、見離されているかのように思える。

「あぁ、そうだよねー」「いやいや、それは」

私の表明へ諾否の異はあろうが、諸氏思いあたる節を浮かべることに変わりはなかろう。

ただ、なにゆえ、昨日ばかりは、護られているかのように、木次と安芸高田の間を無事往復できたのか。豪雪吹雪のなか、通行止め、渋滞が多発していたことは後に知った。吹雪のなかホワイトアウトもあったが、うまく切り抜けられた。道中知るは私ひとりであり共有はできず、映像にも残っておらぬ。いくつもの峠をこえるなか、景と光をみた。書き記そうとは試みたが断念し、特異な一日であったとして、陽光さしこむ安芸高田市の旧郷田小学校の景をここにおく。

この日おもむいたのは、

†. あきたかたの森 構想プロジェクト主催 森の交流会

発表団体は主催者のほかにはふたつ。

・ほしはら山のがっこう
・芸北せどやまコモンズ(西中国山地自然史研究会)

すべてが(とはいわないまでも8割方)、いまいる場とは対照的でおもしろかったなあ。備忘的に記せば、それは社会契約論の外に出る場であった。子ども、年寄り、女性が導いてくれる。森はこの人たちのそばにある、と直覚した。その場に近づけるよう日々修養を重ねたい。

さらに備忘を少しばかり記しておこう。(つづく)

 

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