『スローカーブをもう1球』。山際淳司の短編ノンフィクション集のタイトルである。私は文庫で読んだ。何度も繰り返し読んだ。いま大学生に聞いたら、どうこたえるのだろうか。知らないと言われそうな気がする。
先週、さくらおろち湖で開催された全日本マスターズレガッタ。この記事を書こうとして「シングルスカル、ダブルスカル、クォドプル」の確認をしたのだが、「あぁ!」と思い出したのだ。
文庫『スローカーブをもう一球』の所収されている「たったひとりのオリンピック」を。シングルスカルの津田真夫選手を。大学生活を麻雀に明け暮れる中、オリンピックに出れば人生が変わると思いたち、誰からも相手にされずひとりでボートをつくり(メーカーは相手にしてくれなかった)、ひとりで本やビデオをみて研究し(既存のチームはどこも相手にしてくれなかった)、ひとりでチームを立ち上げ(団体をつくらないと競技会に出れない)、国内トップに立ちながら、モントリオールでは方針により選出されず、モスクワではじめて出場が決まりながら、例のボイコットにより、オリンピック出場はかなわなかった。
「たったひとりのオリンピック」はこうはじまる。
使い古しの、すっかり薄く丸くなってしまった石鹸を見て、ちょっと待ってくれという気分になってみたりすることが、多分、だれにでもあるはずだ。日々、こすられ削られていくうちに、新しくフレッシュであった時の姿はみるみる失われていく。まるで――と、そこで思ってもいい。これじゃまるで自分のようではないか、と。日常的に、あまりに日常的に日々を生きすぎてしまうなかで、ぼくらはおどろくほど丸くなり、うすっぺらくなっている。そのことのおぞましいまでの恐ろしさにふと気づき、地球の自転を止めるようにして自らの人生を逆回転させてみようと思うのはナンセンスなのだろうか。周囲の人たちは昨日までと同じように歩いていく。それに逆らうように立ち止まってみる。それだけで、人は一匹狼だろう。
一人のアマチュア・スポーツマンがいた。
みんなで一緒に。
ワークショップ。
なんたら会議。
……風潮・流れへの違和をいま少し掘り下げてみるために、この続きをもう一度読み返してみようと思う。