公共事業のパラダイムシフトが起こった90年代とその後

新年早々、初詣客の統計を調べていた。
出雲大社の初詣客数を予測してみることを「ネタ」にしようと目論んだのだが、そこから「初詣」とは「儀礼」とはという問いの深淵をのぞくことになってしまった。
よって、このお話はもう少し調べねばならぬ。
今日は回り道の過程でひろったデータをひとつあげて、自身の備忘と課題をあげておく。
「公共事業の動向」「社会実情データ図録」から
解説の中で毎日新聞の記事が引用されている。とても重要な官僚の証言であるので、少々長いが、ここに孫引き。

 毎日新聞は「公共事業はどこへ」という連載記事の中で官僚から次のような当時への回顧談を引き出している(2010年3月4日)。
『「あるころから、お金を世の中に巡らせることが自分たちの役割となり、お金を公から民へ流す蛇口になってしまった」。道路官僚は説明を続けた。「あるころ」とは政府が公共投資基本計画をまとめた90年を指す。...「それまでの予算編成は、これをここに造らないといけないから、いくらかかるという考えだった。だが、これだけ世の中にカネを出さないといけないから、それに見合った仕事を作れというふうに、パラダイムシフト(枠組みの変化)が起きた」と指摘する。(※赤字強調は筆者)
...旧自治省景気対策にかかわった元官僚は「地方が『これ以上嫌だ』と言ってもやらせた。公共事業をしなければ、経済はもっとひどいことになっていた」と話す。
しかし、副作用が出る。道路官僚は「ゼネコンの金と票が政治家に行き、そこに官僚が金を付ける構造になってしまった」。89年度に50万9000社だった建設業者は、ピークの99年度には60万1000社に達した。
同じころ、日本経済の体質変化も進んでいた。高度成長時と異なり、公共事業投資が大きな経済効果を生まなくなったのだ。...だが、「新設中心」から「維持補修中心」へ変えるなど、時代の変化に合わせた政策転換はされなかった。』
少し、引用が長くなったが、当時の雰囲気はこんな感じであったかと思う。確かに、こうした公共事業の急拡大も異常であったが、実は、その後の急縮小も異常である。急縮小の方の異常さはなかなか記事にならない。

記事中、もうひとつの論点である「維持補修中心へ」の政策転換。この必要性は、方々で耳目に入ってくる。わかりやすくのは下の図。
しかるにこれをみても、「ピン」とくる人は少ない。現実にもトンネルのコンクリートが崩落する事故が起こり、全国のトンネルの総点検が緊急に実施されるような事態が起こっていてもだ。問題が整理されていないのではなく、まるで認知症にかかったかのような、想像力の欠如がひろく進行しているのを感じる。

この図は平成21年作成のものだ。25年度・26年度をふまえてどうなるのかをみてみたい。また、島根県の場合、公共建造物的インフラは比較的新しいものが多いのではないかと思うがどうだろう。そのあたり、中四国地域の数字をひろいながら、実感と数字をすりあわせてみようと思う。

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