木次のカフェ・オリゼで月に一度もうけている「本の話」。今回は安間清『虹の話』をとりあげる。1978年に著された比較民俗学の論考であり、虹の民俗についての論文ではまず参照される基本的文献でもあり、虹の民俗学の嚆矢ともいえるだけの「何か」をもっている。これまで「読む」ということを会の中であまり話すことはなかったのだが、今回は課題としてみる。
そして、この日記をもって試金の石としたいのだ。
まずは、告知のための案内文を以下にのせて(1)とする。
ーーー
あなたは虹が空にかかるのをみて、どんな気持になりますか?
そわそわする。
わくわくする。
消えないで〜とあせる。
ラッキーな気持になる。
はかなさを感じる。
清々しい気持になる。
……人それぞれ、さまざまだと思います。
さて、時代を千年ばかりさかのぼって、平安時代の日本に行ってみましょう。この時代の人々、とりわけ庶民は、虹が立ったら、そこには市をたてねばらないと強く感じたらしいのです(貴族にはその感情はもはやなかった)。
長元三年(1030)七月六日に、関白家と東宮家に虹が立った。世俗の説にしたがって、売買のことが行われた。(日本紀略)
応安五年(1372)八月四日ならびに八月二四日、興福寺金堂の北東の角から虹が吹き上げ南西にかかった。これには満寺が驚嘆した。これにより二五日から三日間、市がたったそうだ。(後深心院関白記)
なぜ中世の日本人は虹が立ったら、そこに市をたてて売買を行わねばと感じたのでしょう。
民俗学、歴史学、経済学、人類学、国文学……、何人もの研究者たちが、そこに踏み込み、魅力的な解釈を提示してきました。
案内人・面代が『虹の話』とともにそれらの解釈を踏まえ、集まった皆さんとともに考えてみます。
自然とは。
人間とは。
時間とは。
今を生きる私たちと、千年前、この日本に生きた人たちとは、虹をめぐってまったく異なる感覚を抱いていました。その違いに着目することよりも、つなげるものに着目したい。それは、売買=買い物をするという行動とそれにまつわる感情、そして「水」に対する恐れと願いにある……、はずですが、はてそこまでたどりつけるやいなや。
乞うご期待。
虹と市と水と〜『虹の話』(本の話#0007)
◉主 催:ナレッジ・ロフト「本とスパイス」&カフェ・オリゼ
◉日 時:7月28日(金)
開 場…18:30
トーク…19:00〜20:20(20:30〜22:00 食事とカフェの時間)
◉場 所:カフェオリゼ(木次町里方)
◉参加費:2,500円(スリランカカレー/ドリンクセット含)
◉定 員:12名
◉申 込:「虹と市と水と」参加希望として、カフェオリゼ宛facebookメッセージか下記のメールアドレスまでお名前とご連絡先をお知らせください。返信のメールをもって受付終了とさせていただきます。メールはこちらまで anaomoshiro★gmail.com(★⇒@)
ーーーー
以上。