いわきのじゃんがら念仏踊りのことを、思い出して、動画をあたってみるものの、、、ない。あるにはあるのだが、記憶とは異なるのものだ。
たとえば、これは比較的近いものであるのだが、それでも違和感をおぼえるほどには遠い。
なにかが変わったように思う。こんなに腰高かったけ? 膝が折れて地面をはうような姿勢だったはずなんだけど。青年男女の動画が多いからなのか。他の動画の中にはずいぶんパフォーマティブなものも多く、こりゃそう簡単に観ることもできんのだなと思った。
さて、本題。
じゃんがら念仏踊りにおいて、太鼓を叩く手の動きと、撥をもった手をくるくるとまわす所作は、技術的な連関をもっている。撥をもつその握りの遊びと運動(軌跡・リズム)でもって、太鼓を叩くことで生じる響きやリズムが、この踊りの要なのである(但不確かな記憶)。
想起ついでにもうひとつ。
撥が空をくるくると舞うその時、太鼓の音は片手が刻むかすかなものとなり、太鼓に伴奏していた鉦のリズムが時空を満たす。その中に再び、空を舞っていた撥が太鼓に到達するだが、体感的・身体的には、その繰り返しは上昇感なのである。シャーマニスティックなそれと言ってもいいのだが、むしろ弁証法的? ……とここまでいうと世迷い言だなあ。