令和3年11月19日。今宵は満月であったか。ニュースで月食のことを知る。昨日、大社町からの帰路、車のフロントガラスを通して、東からのぼる大きな明るい月を観ていたのだった。明日が満月ねとiphoneを手にしながら妻は言った。そう、それは昨日のこと。
今日は午後から奥出雲の山へ。伊賀平山、羽内谷(はないだん)。撮影取材で山々が遠望できるところをと要望したところ、ふだん行けないようなところまで案内いただいた。羽内谷はかんな流しの史跡があるということをはじめて知った。昭和50年代まで砂鉄採取が続いていたとのことだ。驚いたのは、その史跡の奥にぽつんと一軒の民家があって、水田が開けていたことだ。集落があって、次第に移転していって残った一軒なのではないようだがどうなのだろう。
楓の紅葉が盛りの頃であるが、車中からみえた、道端の大きな楓にはっとさせられる。あきらかに人が育てたものだろうからだ。山のそれとはあきらかに違う、やさしさがあって、その特有の匂いというか空気に包み込まれるような感覚があった。なんなのだろう。不思議でおもしろい。
仕事を終えたのが、午後3時半ごろだった。懸案となっている作業道の撮影に向かうには、もう陽が傾きすぎている。やや早いものの帰ることとしたが、そうだ、カメンガラ(ガマズミ)の実をとって帰ることを思い出した。
果たして、いつものところへ行き、一房を口の中に入れてみると、うん、この甘酸っぱさだよと。とりごろである。実はまだ鮮やかな色をしているものが半分強くらい。ちょうどいい時期だろう。いつもより葉が落ちているようだが、実の熟し加減はこんなもの。
あらためて気がついたことがある。小枝がじつによくしなる。ためしにひとつ折って持ち帰った。柴をまとめて結わえるのに使ったという言い伝えは理にかなったものだと認識できた。すべての枝がそうではない。やや若い枝なら紐のように使える。山へ”芝刈り”に入る際、ガマズミのあるところを頭に入れておき、集めた柴木が束になるタイミングとガマズミがある場所とが一致するように動くこと。当たり前すぎることだったのだろうが、世代としても個としても山から遠ざかった身には、技能訓練を要することとなる。
まこと、赤子が這うような動き方ではあろうが、糸の先くらいのものがつかめればいいし、なんら得るものなく、無に帰すことになろうが、それもまたよし。そう思いながら、持ち帰った小枝がしなる感触を何度も動かしながら確かめる夜。月食のときは過ぎ、望月の光を想像しつつ。