稲扱ぎ箸

民具の写真の中に稲扱ぎ箸を見つけて驚いたことがある。現在の島根県邑南町、川本町、美郷町のどこかである。

国内ではおよそ元禄時代前後から脱穀の方法が変化する。直接的には千歯扱きの発明と普及による効率向上によるが、都市への人口流入(人口増加)、新田開発の進展、等々の複合的変化。社会構造の転換がある。荻生徂徠『政談』参照。

その転換以前の社会の姿を端的に表しているのが、稲扱ぎ箸だと考えるのだ。

宮崎安貞『農業全書』にある図を掲げておく。元禄10年刊行。

6月19日は晴れ。最高気温30℃。斐川の実家の工場の屋根を補修。雨漏りするとおぼしき箇所をラバー塗料で処理。うまくいくかは豪雨を待って確かめることに。また、畑に黒大豆を播種。

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