『神谷美恵子の日記』(角川書店)を立ち読みして、「なんという人だろう」と。こんな人がいるのだろうか、いたのだ、確かに。そして、確かめるためにこれから読んでみようと思う。
一九三九年四月二日(日)より
《夕方バッハのカンタータをラジオできいて心のハイマート〔故郷〕に帰った心地がした。軽い調べ底に流れる深い悲哀、この世に関する限りこれが本当の調子であることを思う。よろこんでいる人よりははるかに数の多い人々の苦しみと悲しみと、人生そのものにまつわる悲哀とを思う。
私は自分一個のためにもう充分苦しんだ。今はもはや自分のために苦しんでいる時でも喜んでいる時でもない。》
「今はもはや自分のために苦しんでいる時でも喜んでいる時でもない」
神谷美恵子、25歳の言葉である。この年1939年に、反対していた父が医学に進むことを受入れ、それを「転回」と記している。
中井久夫はこう書いている。
《二十五歳の日に「病人が呼んでいる」!」と友人に語って医学校に入る決心をされたと記されている。このただごとでない召命感というべきものをバネとして医者になった人は、他にいるとしても例外中の例外である》
みすず書房の中井久夫集1に収められている「精神科医としての神谷美恵子さんについて」の一文である。この短いテキストには、幾度も読み返したくなる何かがある。間にあるものを捉えようとして寄せては返す波のように、動いている、その波が私を引き寄せる。また、中井のあらゆるテキストへつながる根がここにあるようにも思う。
《病いに呼びかけられ、病いを恐れ、憎しみつつ、偏愛し、憧憬し、病いに問いかけるという両義性が時に名医と呼ばれる人の中に発見されるように私は思う。たとえば脳外科の開拓者たちに。このような両義的な対象愛は職人に近縁であり、職人と同じく有能であることによってはじめて許容されるものである》
そして中井は、両義的な対象愛とそれを許容しうる有能を彼女は有していたであろうと述べつつ、《しかし、彼女は「病に呼ばれた」のでなく「病人に呼ばれた」のである》と断ずる。
「病に呼ばれた」のではなく「病人に呼ばれた」。この違いをしばらく考えてみたい。