10月26日、邑南町の旧羽須美村へ。
昭和32年に、口羽村と阿須那村の合併により成った行政区であるが、素性を知るには明治22年の合併に遡らねばならない。この日まわった土地は旧口羽村にあたる。出羽川が江の川に注ぐ位置(口)にあり、口羽村と称するようになったようだ。古くは神稲郷(くましろごう)の一角※1。上田村、上口羽村、下口羽村、上田村からなった区域である。
口羽・羽須美双方とも、広島県の三次市(作木町)・安芸高田市(高宮町)と接し、島根県では辺境と目されている。昨年そちらに暮らすひとり住まいの父を亡くされた、近所の知る人は「島根のチベットだから」とおっしゃられる。古い、良いものが、残っているのになあ、とも。中国山地脊梁にあって、峠ではなく江の川を通じて山陽側に通じる土地であることが、地図からもみてとれる。
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未踏の地でもあったので、町立図書館の羽須美分館で開架資料をみてたずねごとのあと、上田を歩き、下口羽で何人かに話を伺った。以下、簡単なメモを先に記し、のちに、聞き取りの概要を加筆することとする。
◆大上田(上田)、平佐、藤社、谷河内、松木を、ところどころ車をとめ、歩き見。地カブは見当たらずも、道端にツルマメ、ツルアズキあり。
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◆藤社集落石碑(昭和57年建立)のそばにツリフネソウ。このあたりの集落全般に新しい墓石が(一方古いものは奥に隠れているのか整理されたのか)目に入り、暮らしの変貌を物語る。
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◆一帯は名だたる鉄穴場だったところで、砂鉄神=竜尾神をまつった堂宇も残る。平佐、大上田、谷河内、それぞれ石積の石材、積み方が異なるところは年代等にもよるのだろうが、大変興味深い。多くが真砂を流した跡に残る岩塊(花崗閃緑岩?)を砕いたものだと伝わる。先の石碑はおそらく、亡き集落中にあって砕きがたく残っていたものではなかったかと想像する。
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◆旧上田村の上田(大上田)の集落をまわってみたが、家族住まいが多いように感じられた。ひとり暮らしらしき家は小さく畑をしておられる風が軒先に垣間見える。蔵の多くはおそらく灰屋のあとに建てられているのだろう。礎石の上にたつ柱材がなんであるかが気になった。同様の柱は他の地区でもところどころに見られる。(下の写真左端、下部にそりの見られる柱)
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◆熊子を知る人が、ふつうにまだあちこちにいらっしゃる稀有な地である。「日本中どこにでもある(あった)ものだと思ってた」という言葉が聞けるとは。。とはいえ、食べた記憶のある人も80代から90代で、記憶も戦前から戦後間もないころまでというのは動かない。
◆帰路、熊子を育てた記憶のある方のところへ行くと、刈払機のチップソーを研いでおられた。刃物の手入れが万端であるところ、身をただして習うべし。道端にヤマボクチらしいものを見かけたがアザミだろう。隣には鮮やかな花房を垂れるアザミに、マルハナバチが出入りしていた。
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※1)神稲についてはまた別に。平凡社「歴史地名体系」でひけば、和名抄でここ口羽を含む邑南町域の地名として記載。比定地は島根県史によって「現瑞穂町上田所・下田所・上亀谷・下亀谷・鱒淵・出羽・三日市・山田・淀原・和田・原村・高見・上原・久喜・大林、現羽須美村雪田・阿須那・上口羽・下口羽・上田・戸河内」としている。和名抄が神稲として記載するのはほかに兵庫県は淡路の三原郷。