出雲の山墾りsec.4雑感

昨日の活動(1名)。その雑感をつれづれなるままに。

1週間ほど山に行かないと「なまる」ものだと思う。鈍る。わざの冴えがにぶる、技量が落ちるの意をもって用いる言葉だが、刀剣の切れ味を一義としながらその刀剣の実際の使用が頻ならざる時代において用例が増えてきたものではなかろうか。すなわち武士の本態からすれば「なまる」ことなど考えられないことであるのだから。

よって、山に行かない日が続いたからといって「なまる」ということはおかしいのである。小学館の国語大辞典の「鈍る」、その第四義には「決心がにぶる。貫徹しようとする意志が弱まる」とあり、歌舞伎・早苗鳥伊達聞書(実録先代萩)二幕にある用例をあげている。

「拙者が心はなまらねど左言ふ貴殿の御胸中まことに以て心許なし」

決心とは何か。心が決断するとはどういうことなのか。今日のところで、3つのアプローチをあげておこう。

1. 決心より先に身体は動いている。私たちが「決心」したと意識しているものは「決心」ではない。……下條信輔『サブリミナル・マインド』(中公新書)を参照。

2. 決心とは閉じた個の作用ではなく、集合的集団的かつ公共的な現前である。……C.S.パースについての著作のいくつかを参照のこと。

パースは心についてこう述べている。「われわれはその表面に浮いているものであり、心がわれわれに属するというよりも、われわれが心に属しているのである」

Thus, all knowledge comes to us by observation, part of it forced upon us from without from Nature’s mind and part coming from the depths of that inward aspect of mind, which we egotistically call ours; though in truth it is we who float upon its surface and belong to it more than it belongs to us.

※The collected papers of Charles Sanders Peirce PDF へのリンク

《思考は、世界の残りのすべてから隠された自分だけの何かではなく、本質的に公共的である。思考はいわゆる個人の心の中に所在するのではなく、それを通してわれわれががコミュニケートする公的な記号構造の中に所在する》:コーネリス・ドヴァール,2013『パースの哲学について本当のことを知りたい人のために』(大沢秀介訳,勁草書房,2017)

3. 初心にかえるという語句がある。初めに思いたった心、最初の決心。あるいは、学問・芸能の道にはいったばかりであること。また、その人。というのが辞書的意味である。が、その解し方でいいのか、初心にかえるということは。安田登が、それは衣を切る、後戻りのできないその決断のことだと風姿花伝を参照しながら述べている。……『あわいの心』等を参照のこと。

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竹を切って倒す。

そこに宿る心とは。

心にとめおき、しばしこたえを待とう。

竹水の発酵

木を切った後のカブに蟻が群がっているのを見ることは珍しくはない。昨秋、コナラの大きな木を切ったあとにも、群れとはいえないが、数匹の蟻がチョロチョロと集まってきていた。

荒廃竹林を伐開して火を入れ、畑を数年そこでする。焼畑をはじめて5年目になるが、どうだろう。竹に蟻が集まってくるのを、そういえば見たことがない。いや、気がするというくらいにしておこうか。

一方で、竹水、竹が吸い上げて稈の中にたまるような水分が、ほのかに甘いことは、飲んだこともあるので、そうだようまいよと人に吹聴もする。なにより、切り株のそこここにこの写真のように、発酵がみられることからも、かなりの糖分を含んでいるだろうことは想像がつく。

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ここ数年はつくっていないのだが、竹のチップは、ある程度の量を積み上げておくと、発酵がはじまり、その山に手を突っ込むと、「あっちっち」とかなりの高温にまで達することがわかる。ほかになにも加えてはいない。竹の葉も混じった稈を主体としたチップだけで、1日2日もすればそんな反応が進行するのだ。

これまで、「そういうものだ」という認識でしかなかった。しかし、これらを引き起こす菌やら酵母やらについては、まったく考慮の対象外であったのだ。「ぼーっと生きてんじゃねえよ」と言われそうだ。

なので、ちょいと調べたり実験をしてみようと思う。まずは開始宣言のようなものとして、今日、ここに記しておく。

年取りのタカキビ餅

タカキビ餅の仕込み~平成30年12月のその後。
タカキビは最終的に4合ほどを調製し、昨年のもの半合ほどを材料に。
うち今年のもの2合ほどはミキサーにかけてひき割りに。4分の3ほどが割れたと思う。粉状になったものは今回は使わず。半合弱ほどか。
よって、というか、つまりというか、材料は以下となった。製法とあわせて記す。

【材料】
・モチ米…一升6合。仁多のモチ米。無肥料減農薬栽培と聞く縁故米的なもの。
・タカキビ…計4合。2合が今年の粒。3合半が今年の挽き割りと粒のミックス(割合は5:1か)。半合ほどが昨年の粒。
・水…700cc弱
【製法】
●下準備
・タカキビは2日半ほど水につけておいた。1日おきに水かえ。早めに腐敗っぽい膜が浮いてきた。昨年はこうではなかった。成育不十分なまま収穫したため、表面が白っぽい。もっと紅茶のような色に染まっている状態ならばこうはならないのではと思われた。ただそれがゆえに水につけるのが3日弱でもよかったのだろう。通常7日つけると、参考にした匹見の聞き書きにはあった。昨年は5日つけている。
・モチ米は通常どおり前日に水につけておき、朝方ざるにあけたもの
・昨年はモチアワも含めていた。今年は不作のため混入せず。
●搗き
タイガーの餅つき機を使用。「蒸す→搗く&こねる」。
雑穀を搗くときには上に軽いものをおいてこねてから搗くというが、餅つき機の場合は関係ないだろう……とはいえ、下にモチ米、上にタカキビをおいて蒸し始めた。より強く蒸されるのが鍋の下部であるならば、逆あるいはタカキビを挟むほうがよいのかもしれない。来年はそうしてみよう。
蒸し終わりまでは2升で40分〜50分ほどだろうか。蒸しきったところで機械が教えてくれる。それから搗き、捏ねに入る。10分ほど。
●丸餅に
打ち粉として売られている米粉と片栗粉を8対2くらいに混ぜたものを打ち粉として使用。2升分でおよそ80ほどをつくった。
【味見】
昨年よりもタカキビの割合が多く、より美味しくなった、つまりタカキビ餅らしくなったと思う。搗きたてをほおばってみたときの、つぶつぶを噛む食感とねばりと香ばしさのバランスがなんともよい。自画自賛。
そして、お配りした方からの感想で「思ったよりねばりがあっておいしかった」と。そういえばつきたてのモチを取り出すときにも、「のびるね〜」という声があった。なぜモチ米だけのものよりのびがあるのかといえば、質の異なるタカキビのモチ性が影響しているのでは。次回食べて気づくことがあれば、追記することとしよう。

タカキビ餅の仕込み〜平成30年12月

我が家の年取り餅に使うタカキビの仕込みは夜なべ仕事。トーミで選別すれば早いのだが、いかんせん雨が続いて出番待ちする間にせっぱつまってしまったのだ。ゆえに夜なべ。昼に小さな土間の勝手で脱穀をはじめた。先ごろ手に入れた足踏み脱穀機でやってみたかった。これも雨のせいにしておく。
風選は夜。勝手口のドアをあけ、ボウルに小分けしたキビを暗闇に向かってふーふー吹き、殻やゴミをとっていく。
最初のうち、脱ぷ(殻をとること)は、すりこぎでやっていた。これも先ごろ購入した循環式精米機の出番のはずなのだが、こちらはまだ一度も試運転していないので、せっぱつまった状況では使えない。で、1合ほどを進めたところで、家庭用精米機を使うことにした。以前使ったときには、粒がくだけてしまい、大変歩留まりが悪く、もったないことになった。すりこぎを使うのは「もったいない」からだが、もちに使うぶんにはよいのではと考え直した次第。
結果、コツのようなものを会得できた。
くだける手前でとめる。そんな当たり前のことなのだが、見ていて、荒かった殻の粒子がすーっと細かくなるポイントでとめる。忘れてしまいそう。だから、こうやって書き留めるのだ。
あの感じ、忘れぬよう。

さて、搗く日は30日の午前。1週間は水につけておかねばならぬと自分でも書いていたのだが(タカキビ餅のぜんざい)、はや4日しかない。ま、いろいろ考えてやる。  畑もちを搗く〜その2  では、出来上がったときにまた。

9月26日の焼畑〜カブの状況とタカキビ、アマランサス取り込み

9月26日。明日から雨が降るようなので、焼畑の雑穀を取り込めるものは収穫した。また、カブの状況と追い蒔きについて。
◉カブの状況
†. 中山裾の火入れ地
前回(1週間前か)よりも、発芽がみられる。ただ、ところどころに虫食いあり。
発芽が見られないところに追い蒔きする。5ml×5程度。
なんとなくよくない感じがする。なんだろう。この感じは。
虫食いについては、面積が少ないことで、周囲の草むらに生息する虫たちの生息数が多いことが影響しているのではないか。過去2年とくらべて、裾の最下部であることからも虫の害は多かろう。面積も最小である。(※正確な面積:のちほど記入のこと)
†. 蕎麦栽培地の下部と上部
前回(1週間前か)追い蒔きしたものは発芽していないようだ。時期からして播く時期の限界として最期の追い蒔きを行った。15ml×10。
発芽しているところも虫食いがひどい状態である。前述の中山裾よりは虫の影響は少ないはず。これは時期の問題か。コオロギの姿は相変わらず目立つ。黒炭の地面がひろがっていていることで、目視しやすいこともあるにしろ。
†. 今後の追い蒔き
日曜日に発芽の確認と、春焼地のアワを刈り取った後に、草を取り去って撒いてみようと思った。
1. 牛が食うかもしれないので、アワが立ち並ぶその中心部にまず種蒔き。→アワ畑の外側は2週間後にはすべて刈り取り柵をもうける。
2. 蕎麦地については、牛がまだ入っていないことから、これから冬にかけても登りきらないのではと思われる。蕎麦地のさらに竹に近い箇所については、ソバも含め発芽が見られない。ここに鍬を入れてから蒔いてみることをためそう。
◉中山のアマランサス、大豆の状況
大豆はあらかた花の段階で牛にぱっくり全部平らげられていた、、、はずだったが、多少は残っていたのか、小さなさやに豆ができはじめている。種として残そうか食べてしまおうか、経過観察。
中山東のアマランサスは倒伏が多い。茎が細いのは中山西裾もそうだが、東の方が日照はより悪い。日照が得られていないことが原因だろう。茎が細ければ実のふさも小さく、倒伏の度合いは太いものとさほどは変わらないかと思っていたが、さにあらず。9月に入ってからの雨は次々と倒すのだなあ。倒れた状態からでも上に上にと穂を出し続けている。
今年の収穫は小なりといえども、小さな穂をひろいあつめていこう。
この日は大きなものを集めた。
種取り用のものをどうしようか。来年どうしようかと紙の上と頭の中で思案を重ねている。
◉春焼地のタカキビ、アワ、ヒエの状況

タカキビが今年は一定の収穫を得られたというのは救いである。昨年、カブの跡地斜面で育てたものよりはずっと状態がよい。一度は牛にがぶりと食われたあとからの再生であるのにね。
アワは、ほんとにどうしたものか。
下の写真は9月21日、すなわち1週間ほど前のものだが、状態はあまり変わりはない。
優先順位を後にまわしつつ、とれるだけでもとっておこうと心を落ち着かせる。


それにしても。
牧場のエノコロ草がすごい。一面の”エノコログサ”の草原。
これ、全部とって干して、取り出したら、そこそこの量にはなる。
やってみようか。
夕陽を受けてきらめきながら、風にゆれる穂の群れをみながら、夢想がかすかにうごめくのであった。

畑と茅と森と近況報告〜2016年10月17日

つれづれなるままに、奥出雲山村塾の近況報告です。
アワ、ヒエ、タカキビ、アマランサス。この4つの乾燥は十分。脱穀調製に入っています。あぁ、もちろんすべて手作業でして、気が遠くなりつつありますが、その度に気を取り直しつつ試行錯誤が続いています。
ここ数日は根を詰めてやりましたので、指や手の平の痛みがかなり来ており、揉むよりは叩くほうにシフト中です。まな板状のものにアマランサスを載せて棒で叩く。これが基本ですが、殻が取れずに残ったものは、手箕をなんどもふり、篩に幾度とかけ、団扇であおぐ、息を吹く、と何をやってもうまくいかず、最終手段として指で揉んで実を取り出した後、また同じことの繰り返しとなります。 半日やると指先がヒリヒリしてきますので、何か別な方法を編み出さねば。。。。この調子だと一冬以上かかってしまいかねない。


アワは来年の春蒔き用の種とするものを優先する予定です。が、予定は未定でもあり、料理用にまわして、タネは再度入手でも悪くはない。在来で手に入ればそれがよいでしょう。今年播いたのは岩手のモチアワでしたので、西日本のモチアワで入手できるものがあればそれを優先したい。
そうそう、東北のアワは島根にもかなり入ってきているようです。少量とはいえ、県産の雑穀栽培は需要があるのではないでしょうか。少し調べて、、というより、こういうときに、さくっと聞けるとよいのですが。基本メールでしか質問は受け付けていないようで、アワの発芽についての質問メールを送ったのが6月だったか。いまだ返信なしです。
閑話休題。来年のアワはかなりの量の播種を目ざし、面積拡大するぞ。圃場確保にこれから走らなければ!! もちろん普通の畑では無理です。誰も手をつけない遊休地か放棄地。世間の外れをひたすら歩むのみ。


上の写真は右からモチアワ(岩手の種から)、タカキビ(これも岩手種だったかな。ただし林原在来も収穫しています)、アマランサス(脱穀したもの、岩手産の種と長野の種が混じっているはず)。ちなみに、アワは見たことのない老人も多いほど、出雲地方では早くから姿を消しているようです。出雲地域で、アワ、ヒエ、キビなどの雑穀で最後まで栽培が続き、今でもまれにつくっておられるのはタカキビです。なぜなのか。聞き取りを進めたい。
さて、道具や物置の場所をつくるために、小屋をつくります。場所は提供いただけます。感謝。骨格は使ってない建設資材など。壁はこれも板などを拾ってくる。屋根は竹を組み、茅で葺きます。仮設でトタンを縛れるとよいのですが、これも拾えるかなあ。
雨がたまらぬよう排水もとらねばなりません。あくまで小屋なので、仮設性も担保せねばならぬし、なかなか頭も手も足も使いますが、修行ですなあ。
山あがり取材調査は遅々としていますが進行中ではあります。牛だよねえ。牛。志津見の村々には猿の頭を厩に祀った話も調査記録に残っています。

中野の豆腐とこんにゃく

木次線開通100周年。式典はこっそりと一瞬除いて、写真だけじっくりと眺めていました。そうそう、別な機会に阿井村から中野村に嫁にきて、木次線を使って里帰りしていた90歳のお婆ちゃんに話を聞くことがありました。中野は新しく普請した家が多く、古いものは残っていないのだと。しょーけ小屋(塩気小屋)は、小さい頃に見た。姑さんがつくっていたが自分はやっていないのだと。今でも豆腐とこんにゃくは年に何度か、朝4時からつくるのだと。
また、同じ婆さんと近所の茶飲み友達とのお話の中で土用豆のこと。ここら(中野)では、土用豆ではなく七夕豆と呼ばれているようです。だらず豆とも呼ぶそう。青い時分には塩ゆでにもして食べるというのは初耳でした。阿井のご出身ならば、ホトホトのことをたずねればよかったなあ。次回。
あ、中野での麻づくり、共同作業(蒸したりといった)の体験を語れる人と出会いました。79歳。戦前のことです。忘れておられるでしょうから今度写真と手土産持参で行ってきます。茅葺きの軒はに麻を使ったそうですが、首をかしげながらだったので、そこらは再度確かめましょう。