尾原ダムから松江へ向かう際には、忌部をいつも通るのですが、いかなる地なのかが気になっていました。松江の郊外にあたり、上水道の水源地でもあり、また一方で拡大した竹林や耕作放棄地が幹線道から垣間見えていてのこと。
そんな折、久多見神社のことを知りました。玄小子のHPによれば、「式内社調査報告」に次の記述があるのです。
「明治四十四年悲劇の合祀後、大正十二年平口部落民十五世帯は、山林を拓き、残っていた社殿を地引し、奉斎した」
悲劇の合祀です。
あぁ、いったい何があったのでしょう。明治44年から大正12年の間、15世帯という小さな集落が共有した物語を知りたくて、県立図書館で忌部村史(復刻)を閲覧しましたが、斯様な記載はありません。雪のふるある日にそばまで行ってみました。
春が来たら、参詣して、昔日を問うてみたいです。
文献については、U氏に一度きいてみましょうかな。
あわせて、概論としてこちらを閲読すべきかな。