水神

朝の散歩の途中で見つけた水神さま。裏山から引いてきた水を貯めている場所に祀られています。おそらくはここのお宅のものであろう。家や小さな集落の単位でしか、こういうものは残っていかないだろうし、小さな営みのなかで確かに継いでいかれるものが希望なのだ。そう思うと、このコンクリートの塊がとても大事なものに見えてくる。構造体としては何年もつのだろうか。これから長くて40年だろうか。
50年後にこの場所を確かめることは、私にはできない(可能性がなくはないが)だろうが、行く末を信じられるくらいには、この世の中を生きて進んでいきたいものだ。

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