増田昭子『雑穀の社会史』2001を拾い読みしながら、つらつらと考えたり、思ったり、している。
アワ、ヒエ、キビ、雑穀はなぜつくられなくなっていったのか。
山村の主食として米にかわられていったのか。
こたえは容易ではなく単純ではない。
まずい、貧しい、みじめ……雑穀はそう見られてきたのだと、思い込んでいるだけで、本当にそうだったのか。私も、実際、つい最近でも米が食べられずアワを食べていた時代の話を聞かされてもいる。
集落の中でも貧しい家があった。年に一度、正月の前にはその家でも米が炊かれた。
「ご飯が炊けたよ〜」
外で遊んでいる子どもを呼ぶその家の母の声の、晴れがましさ、うれしさが、子ども心に染みて、とても可哀想であったと、ある古老から聞かされた。
戦後間もない頃の木次(現雲南市)の話である。
それは真実であったろうが、時代をもう少しさかのぼれたどうであったか。明治の終わり。幕末。江戸中期。安土桃山。
というのも、この本には雑穀のよさを伝える口伝が数多く記されているのである。
米と比較しての優位性すらある。
もう少し丁寧に見てみたい。そこには何かがある。その何かをもう少し確かなものにするために「思想」という観点を持ち込んでみたい。
……つづく。
左が野口の種で買った岩手のタカキビ。右が島根県仁多郡奥出雲町林原で種取りされてきたタカキビ。