スリランカにおける混ぜる料理と多様性、そして焼畑

 スリランカのカリー料理をつくっていく中でふと気がづいた。

 あぁ、そういうことなのかと。

 文にはなりにくい。

 まとまりがつかず、何を書いているのか、わからなくなってしまうことをおそれる。

 が、まずはあげてみよう、10カ条にて。おいおい整理すればよい。

スリランカ家庭では都市にあっても薪で火を炊く場所をつくろうとする。いくつかの理由があるが、アーユルヴァーダに昇華されている家庭医学でガスの火でなく燃やす木で煮るようにという指示がなされる調理がある。思うに。それは焚きムラを要するからではないか。成分が抽出されるその過程において。

②とあるレンズ豆のカレーのレシピにおいて、材料を「まぜずに」煮込むこと、それがコツだというものがある。豆料理において比較的よくあるのではないか。これも①と同様、均一でなくすることが味とともになんらかの多様性をもたらす効果がある。熱が通って焦げるくらいの箇所からやや生煮えに近いもの、など。

③同じカリーを食べるにしても、混ぜ方、口への運び方、咀嚼から飲み込み方によって、味わいが異なることは理屈でもわかろう。手で食べるのか、スプーンで食べるのかによっても、それは大きく異る。

④日本のカレー、それはスリランカ(インド)から英国にもたらされたものからの独自進化でもあろうが、最大の違いは、すでに混ざりきっているものが日本式カレーであることだろう。

⑤多様性に価値を見出すことのできる文化は、死を単なる無とはとらえていないだろう。死こそが豊穣=多様性をもたらす。

⑥聖人にも悪人にも等しくもたらされるのが「死」である。なんと素晴らしいこと。すなわち人の世の価値とは異なるもの。

⑦秩序と混沌。この対比を「光と闇」というイメージに集約させようとするものは何か。

⑧夜は闇ではなく無秩序ではなおさらない。むしろ昼の太陽よりははるかに「秩序」に近い側にあるものが夜(の時間)である。月は規則正しく満ち欠けを繰り返し、星座とその位置の変化は季節とともに方位を導き、遠い航海を可能にするものだった。

⑨食べることは、土を知ることと深いつながりをもっている。

焼畑の本質は、土に多様性をもたらすこと、すなわち「死」をそこに生じせしめることにあるのではないか。焼畑を単なる生産手段としてとらえているのではわからない、そこは。そしてスリランカ焼畑の伝統にはその智慧が残されている。

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