When was the last time you made your own butter?
あなたが、最後に自分でバターをつくったのはいつのことですか?
大変興味深い台詞なのだ、これは。
”バターづくり体験”は、日本でもありふれたものになりつつあって、子供あるいは親子で体験するものとして、ひろく知られてもいる。そのルーツが知りたいと思い、調べてみたのだが、いまひとつわからないのだ。
どうしたもんじゃろのおー、と投げやり気分でぼんやりとウェブの画面をながめていたら、冒頭の英文が飛び込んできて、はたと何かがひらめいたのだ。
おそらくという括弧づきではあるが、いえるのはこういうことだろう。
◉バターづくり体験はどこからきたのか
1. ありがちな話であるが、欧米からの輸入。ウェブの検索に限るがアメリカ生まれかと思われる。冒頭の英文も、幼稚園の頃、先生からミルクをわけられて、みんなで瓶を振った記憶が……と続く。また、アメリカの民俗資料動画のなかに、チャーンでバターをつくっている子供の姿があった。
2. ヨーロッパにはない文化かもしらん。バターをホームメイドでつくるというのは。乳製品の代表はバターではなくチーズ。しかもアルプス以北に限られる。むしろバターをよく使うのはインドの食文化ではないか、と。
3. 牛乳をたくさん飲むというのはアメリカの食文化では(だと思う)? ガロン単位で売られていて、添加されるものも含めていくつもの種類があり、大きな冷蔵庫があり、という土台があってこそか。
そもそも。
こうしたことを考えてみたのは、去る半年ほど前に、サンデーマーケット・チーボで、このバターづくり体験をやったことに由来することだ。
そもそも。
参加者のひとりが言われた。
「クリームからつくるものだと思っていた。牛乳からとあるので変だなあとは思ったが」。
そう。ふつうは生クリームからつくる。理由は「それがふつう。工場でつくる場合の手順も、手作りの場合でもそう」ということと、「そのほうが早くてかんたん。牛乳からつくることに比べたら」という2点。
じゃあ、なぜ生クリームを使わなかったのか。その理由は3つだ。
理由1)ダムの見える牧場での活動をプレゼンする場でもあるのに、大山蒜山高原のクリームは使えないだろう。ただ自前の生クリームはない。集荷され他の牧場の乳も入ったものも可だろうとした場合には、木次乳業で販売されている生クリームが12月限定であることから、それは不可能。
理由2)以下にも記載するが、木次乳業のノンホモ牛乳から生クリームに近いものを取り出すことはそれほど難しくはない。しかし、気温もまだ高い9月の時期に、開封した牛乳をもとに原材料をつくり、それを持ち込むというのは、注意を払ったとしても少々こわい。マーケットという場ではなく、たとえばカフェ・オリゼでやるのなら、理由2がクリアーできて、やれただろう。
理由3)上記のふたつが消極的理由であるが、3つめは積極的理由だ。
牛乳からバターをつくるということ。それは手間のかかること。手間がかかるということはなんなのか。食べることに手間をかけないでどうするんだという、そういう主張を込めたかったのだ。
ホームメイドDIY方式で、牛乳からクリームを取り出すのに手間はいらない。冷蔵庫に1〜2日静置するのみ。なにが起こっているのかを時の経過とともに見て知って感じなければ、この意味はない。
まあ、それくらいはやろうよということでもある。さらに一歩進むのなら、牛の乳を搾って飲むというのもいいだろうし、その絞った乳を原料にバターをつくるのならさらにいい。
乳搾りは体験として実践するならば、一瞬でしかない。
そういうものは体験とはなりえない。
(つづく)