予祝とは願いではなく感謝である 投稿日: 2020年1月13日2022年1月1日by omojiro すべてはうまくいっている。なんの問題もない。満ち足りた日々。 このような気持ちになることが、予祝というものの本質なのだと、ここ数日で思うようになった。めでたいことなのだ。だから、新年は「おめでとう」なのだ。 新しさ、門出、そうしたものへのめでたさ、あるいは祈りや願いではない。 通説とはまったく異なる解釈であるが、そうなのだ。民俗学では俗信的呪術という言い方をすることが多い予祝。正月に、秋の豊作を模擬的に実演するなど、農耕儀礼としてみられるものが多い。 関連記事: 味噌をつくる前に〜#1 小麦はいつ種をまき、カメンガラの実はいつとるか 一月四日、そういえば稗を食べていない 村尾行一の焼畑論