Sunday Market CiBOの企画、「茶茶茶」。去る10月22日に出雲市役所前の芝生広場で催された。県内外から6つの製茶者がいらしたのだった。カフェ・オリゼの手伝いで出向き、隙間を抜ってのごく短い時ではあったが、よい機会であった。
一畑園(出雲市)
かみや園+(雲南市)
天の製茶園(熊本県)
石鎚黒茶さつき会(愛媛県西条市)
海田園黒坂製茶(岡山県美作市)
宝箱(松江市)
日頃、お茶はよく喫する。ドクダミやカキドオシは庭畑からとって茶にしたりもする。気にかかるのは「お茶ってなんだろう」ということ。思い出すのは、石田豊さんのこと。東京阿佐ヶ谷に住んでいた時にはご近所でもあったし、編集者として一冊の著書を編んだこともある。いまでも思い起こすのは、なんと楽しい人なのか、あぁいうふうに暮らせたら生きられたいいなあと、憧れともいえる気持ちを抱いていたことだ。だがしかし、ある日、癌を患ったのだと、まあしかし身体は治るように反応しているようだからなんとかなるだろうという元気な声をどこかのベンチに座りながら聞いた。その日からあまり会う機会がなく、なくなったという知らせを聞いたときも、驚きはしたものの妙に現実感がなかった。
その石田さんが最後に執心していたのが、お茶であった。チャノキを庭に植えたのだと。いつもの私なら、身を乗り出して、それでそれで、とのってくるものの、茶についてだけはピンとこなかった。そこで、これを読んでミイと貸していただいたのが、今も手元にある2冊だった。
守屋毅『お茶のきた道」1981,NHKブックス
松下智『日本茶の伝来』1978,淡交社
葬儀も終わりしばらくたった時分に自宅に伺った際、「それはあなたのところにあったほうが喜びますでしょう」と奥さまから申し出いただき、爾来、形見のようにあるものだ。
石田豊さんが、著書『もったいないのココロ』の序文でも述し、しばしば口にした言葉がある。原始人にように生きたい。縄文人に少しでも近づきたい。著書(じつはびっくりするほどまったく売れなかった。幸いにもamazon中古在庫は豊富)の序文にも記されている。
茶の話はこの本には出てこないが、栽培の起源はなにかということで、ひょうたんを栽培したことが出てくる。石田さんのおもしろいところは、文献を渉猟し徹底して調べながらも「まずやってみる」軽さをもっていることだ。私が現在、焼畑を「やっている」のは、多分に石田さんの影響であろう。しかるに「茶」について、本を受け取ってから20年あまり、その歩みは遅遅としている。
数日前、美作番茶、石鎚黒茶との出会いがあった。これからどこへ転がっていくのか。とまっていたものが動きだしそうだ。