和田萃の「出雲国造と変若水」をやっと入手しました。 これから読みますが、その前に、問題を整理しておきます。
変若水はヲチミズと訓み、石田英一郎の見解を次にひきましょう。
万葉集に見える変若水は渡来の神仙思想より古く列島に伝えられていた月の変若水の思想によるもので、次の中に水を汲む人間の形や菟の形をみることから生じたが、その根底には月の満ち欠けを人間の復活、若返りに結びつける考え方があった
そして、主題たる「出雲国造神賀詞」の一文がこれです。
彼方の古川岸、此方の古川岸に生い立つ若水沼間の、いや若えに御若えまし、すすぎ振るをどみの水の、いやをちに御をちまし
和田萃氏は要旨のなかで「この部分の詞章を変若水の事例とする解釈はほとんどないが、出雲国造が天皇に変若水を奉献したと理解しうる」と述べています。 「解釈がほとんどない」のは、出雲国造の奉献のことであって、変若水とする訓みは本居宣長、そして折口信夫の功績によるのでは?と素人は思っておりました。どうなんでしょ。当該本文を読んでみるに氷解。そのとおりでした。他に脱字(旧河道とすべきところが旧道)も見つけておりますので、校閲校正ミスでしょう。 ・をちは万葉集では変若なる字があてられていて、変若水の字もある。沖縄の古いシデ水の伝説に触発されて、おちみずと訓じたのは折口。 ・宣長は『出雲国造神寿後釈』の中で、ここに仁多郡三澤郷条にみえる変若水が含まれているとしている。→県立図書館の開架所蔵を確認したので、またの折にみてみます ・神仙思想が夢見るのは「不老不死」、そして変若水が夢見るのは「若返り」です。 ・変若水は月にあるもの、常世にあるもの、……遠くにあるものであったのですが、どこかで「この世」のとある場所に実在するものとして、語られはじめます。そのひとつが、三澤の水でだったと。 ……和田氏の論考中、「おろちの水を探せ」として気になるところの結論を抜き出しておきましょう。
「斐伊川旧河道に残る自然堤防崖面の湧水を指す可能性があるだろう。出雲国造は神賀詞奏上に際して、三津池や刀研ぎ池ではなく、三澤郷内の斐伊川旧河道の三澤で禊したのである」
つづく。