おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.~11月13日

作業日報。

11月13日(日)。

参加者1名+軽トラ1台。晴れ。気温?℃(14時)。

疲労がたまってきており、脱穀作業は1時間ほど。

畑などで使う竹切をはじめました。

来年の焼畑2年めの地にはつる性の豆を多播しようかと思って、です。理由はかんたん、雑草にまけないから。場合によっては、雑草にからみついてもよろしい。

◉経過

11時00分~11時50分 三沢内でススキ地探しと産業祭を覗き見

11時50分~12時20分 竹伐採運搬

12時30分~13時00分 昼食

13時00分~14時20分 アマランサス脱穀

14時20分~14時30分 片付け、撤収

おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.~11月12日

作業日報。

11月12日(土)。

参加者1名+軽トラ1台。晴れ。気温?℃(14時)。

アマランサスが終わらず、アワは軒下に吊るしたままでした。

雀たちに随分とあげてしまったようで、試しに少しほぐしてみることに。

まずアマランサスと同じように厚い板の上におき、延棒で叩いてみたのですが、そっと叩いても飛び散る飛び散る。動画などでもよく見る光景です。ブルーシートの上でやりあとで集める方式でもよいのすが、なにぶん、ひとりで作業することが大半なので、それも難しい。

採用したのは洗濯板に擦り付ける方式。これが意外によいです。アマランサスとは比べ物にならないほどあっというまに解けます。

こりゃあ楽ちんだわ〜。いやもう来年は全部アワでもいいわと思うほどに気持よいです。ただ少し冷静になってみれば、アワは皮むきの工程がこの後あるのです。精米機をつかってやることも検討していますが、約8万円。法人をたちあげた後に機械を購入し、山村塾に貸し出す形をとるか。それはともかく、後工程もあるので、手間は変わらないのかもしらんです。

そして、裏庭で来年種取りように植えた小麦の芽が出ました。まずはひと安心。来年の常畑と小屋掛け計画へむけて。がんばるおー。

◉経過

12時30分~16時00分 アワ脱穀作業、アマランサス脱穀作業

16時00分~16時10分 片付け・撤収

おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.~11月7日

作業日報。

11月7日(月)。

参加者1名+軽トラ1台。晴れ。気温17℃(14時)。

2時間ほどでしたが、やりました。

裏の畑の土用豆をすべて収穫し、つるを始末しました。

ならして、うねたてして、さやえんどうを植えるかいなかを思案中です。

◉経過

14時30分~16時10分 アマランサス選別作業

16時10分~16時30分 蕎麦の結束、干し場さし

16時30分~16時40分 片付け・撤収

おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.~11月5日

作業日報。

11月5日(土)。島根大学里山理研究会との協同活動日です。

参加者6名+軽トラ1台。晴れ。気温17℃(12時)。

蕎麦は収獲遅れでした、やっちまいました。

あと10日前だったらなあと後悔。

◉経過

10時00分~11時30分 芋掘り

11時30分~12時10分 マーキングなど

12時10分~13時00分 昼食休憩

13時00分~14時30分 蕎麦収獲

14時30分~15時00分 カブ地間引き

▲芋掘りの後で。

▲蕎麦地。

おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.~11月4日

作業日報。

11月4日(金)。久しぶりの「晴れ」の日。肌寒くなってきましたし、そろそろ霜が降りそうですよ、蕎麦を収穫せねば〜。そして、今日は、まだまだかかるよアマランサスの選別作業でした。

参加者1名+軽トラ1台。晴れ時々曇り。気温17℃(12時)。

◉経過

14時00分~16時15分 アマランサス選別

16時15分~16時30分 片付け、撤収

畑と茅と森と近況報告〜2016年10月17日

つれづれなるままに、奥出雲山村塾の近況報告です。
アワ、ヒエ、タカキビ、アマランサス。この4つの乾燥は十分。脱穀調製に入っています。あぁ、もちろんすべて手作業でして、気が遠くなりつつありますが、その度に気を取り直しつつ試行錯誤が続いています。
ここ数日は根を詰めてやりましたので、指や手の平の痛みがかなり来ており、揉むよりは叩くほうにシフト中です。まな板状のものにアマランサスを載せて棒で叩く。これが基本ですが、殻が取れずに残ったものは、手箕をなんどもふり、篩に幾度とかけ、団扇であおぐ、息を吹く、と何をやってもうまくいかず、最終手段として指で揉んで実を取り出した後、また同じことの繰り返しとなります。 半日やると指先がヒリヒリしてきますので、何か別な方法を編み出さねば。。。。この調子だと一冬以上かかってしまいかねない。


アワは来年の春蒔き用の種とするものを優先する予定です。が、予定は未定でもあり、料理用にまわして、タネは再度入手でも悪くはない。在来で手に入ればそれがよいでしょう。今年播いたのは岩手のモチアワでしたので、西日本のモチアワで入手できるものがあればそれを優先したい。
そうそう、東北のアワは島根にもかなり入ってきているようです。少量とはいえ、県産の雑穀栽培は需要があるのではないでしょうか。少し調べて、、というより、こういうときに、さくっと聞けるとよいのですが。基本メールでしか質問は受け付けていないようで、アワの発芽についての質問メールを送ったのが6月だったか。いまだ返信なしです。
閑話休題。来年のアワはかなりの量の播種を目ざし、面積拡大するぞ。圃場確保にこれから走らなければ!! もちろん普通の畑では無理です。誰も手をつけない遊休地か放棄地。世間の外れをひたすら歩むのみ。


上の写真は右からモチアワ(岩手の種から)、タカキビ(これも岩手種だったかな。ただし林原在来も収穫しています)、アマランサス(脱穀したもの、岩手産の種と長野の種が混じっているはず)。ちなみに、アワは見たことのない老人も多いほど、出雲地方では早くから姿を消しているようです。出雲地域で、アワ、ヒエ、キビなどの雑穀で最後まで栽培が続き、今でもまれにつくっておられるのはタカキビです。なぜなのか。聞き取りを進めたい。
さて、道具や物置の場所をつくるために、小屋をつくります。場所は提供いただけます。感謝。骨格は使ってない建設資材など。壁はこれも板などを拾ってくる。屋根は竹を組み、茅で葺きます。仮設でトタンを縛れるとよいのですが、これも拾えるかなあ。
雨がたまらぬよう排水もとらねばなりません。あくまで小屋なので、仮設性も担保せねばならぬし、なかなか頭も手も足も使いますが、修行ですなあ。
山あがり取材調査は遅々としていますが進行中ではあります。牛だよねえ。牛。志津見の村々には猿の頭を厩に祀った話も調査記録に残っています。

中野の豆腐とこんにゃく

木次線開通100周年。式典はこっそりと一瞬除いて、写真だけじっくりと眺めていました。そうそう、別な機会に阿井村から中野村に嫁にきて、木次線を使って里帰りしていた90歳のお婆ちゃんに話を聞くことがありました。中野は新しく普請した家が多く、古いものは残っていないのだと。しょーけ小屋(塩気小屋)は、小さい頃に見た。姑さんがつくっていたが自分はやっていないのだと。今でも豆腐とこんにゃくは年に何度か、朝4時からつくるのだと。
また、同じ婆さんと近所の茶飲み友達とのお話の中で土用豆のこと。ここら(中野)では、土用豆ではなく七夕豆と呼ばれているようです。だらず豆とも呼ぶそう。青い時分には塩ゆでにもして食べるというのは初耳でした。阿井のご出身ならば、ホトホトのことをたずねればよかったなあ。次回。
あ、中野での麻づくり、共同作業(蒸したりといった)の体験を語れる人と出会いました。79歳。戦前のことです。忘れておられるでしょうから今度写真と手土産持参で行ってきます。茅葺きの軒はに麻を使ったそうですが、首をかしげながらだったので、そこらは再度確かめましょう。

奥出雲の蕎麦栽培はたたら製鉄の興隆とともにひろまった?(わけではない)

焼畑の蕎麦の様子は明日確認してくるとして、作業用メモ。

16/09/10の山陰中央新報の記事にひっかかった。

http://www.sanin-chuo.co.jp/health/modules/news/article.php?storyid=561119179

→リンク切れ(2019/08/28確認)

問題の箇所を引用する。

”同町のソバは、たたら製鉄の原料となる砂鉄を採った跡を田畑に変えたり、木炭生産のために切り出した山林の跡を焼き畑にしたりしながら栽培が広がった。”

新聞記事にしては大胆な書き方であって、通常は「○○によれば」という上で書かれそうなものであるが、大丈夫なのだろうか。

「木炭生産のために切り出した山林の跡を焼畑にする」。可能性はあるにしても、いつの時代のことなのだろう。そもそも奥出雲での蕎麦栽培が「広がった」のは、そこではないだろう。

………

†. 焼畑・切替畑とたたら山内・製鉄の関係については未見未聞。断片的な史料しかないのだろうが、まずは史料と文献をそろえてみよう。そもそも蕎麦についても出雲蕎麦について流布しているものがかなり怪しいのだから。

†. 奥出雲で蕎麦栽培が”広がった”のはむしろ近年でしょう。農林水産統計をしらみつぶしにあたってみることに。他の産品にも注目。大根、柿、椎茸、などなど。耕地面積もわかれば。

……

原傳の著作など読み直すところからか、、、と思って検索かけたら、なんと。国会図書館アーカイブで公開されていた。原傳,1934『松江藩経済史の研究』(日本評論社)

 丹念に読んでみよう。

◆2019年8月28日追記

 「奥出雲で蕎麦栽培が”広がった”のはむしろ近年」の記事を追加する予定ゆえ、その下書き的に。

◉原傳の『松江藩経済史の研究』がわかりやすいのだが、管見の及ぶ限り、奥出雲地方における山野利用の歴史・地理分野の資料から推測されるのは、鉄山経営が保護されていた藩政期において、山林の焼畑で蕎麦を栽培するのは困難であったろうということ。

 少なくとも奥出雲の蕎麦栽培は、たたら製鉄とは別脈の流れからよってきたるものだろう。

1)原傳の『松江藩経済史の研究』からみてみる。

2)太田直行著,昭和13年刊『出雲新風土記 味覚の巻』から、八川におけるソバ栽培について。

3)統計資料、農水省等のデータから

4)矢富熊一郎 著,昭和40年刊『石見匹見町史』から第2編・歴史編〜江戸時代〜そばの栽培

9月27日の焼畑レポートより

9月27日焼畑レポート。 アマランサスの収穫を終えました。アワ、ヒエ、タカキビとともに、木次と三所にわけて干してます。

さて、アマランサスの運搬途中に布勢のポプラで三沢のIさんとばったり。雑穀を分別する手箕のふるい方を誰かに教わりたいんですけど〜という話のなかで、「うちのトーミを貸すよ」と申し出いただきました。ありがとうございます! 温海カブは順調なるも間引き必須。蕎麦は雨による倒伏もあってあまりかんばしくないです。もっと秋らしく晴れてくれ〜。

9月も終わります。おいしい雑穀スイーツ開発へ向けてダッシュです。

雨で倒れるアマランサス

 秋の長雨と台風は収獲前の穀物にとってはダメージなので、ほんとに毎日気をもみます。この三連休も稲刈りの予定だった田んぼも多かったろうに。昨年ほどではないですが、すでに倒伏した稲田もちょくちょく見かけて、やばいよなあ、芽がでちゃうだろうに〜と。いや人ごとではありません。  アマランサスはなんと、立ったままでも熟したのち雨にさらされれば芽が出てしまうというしろもの。そもそも9月は残暑が続く長期予報が8月下旬にあって期待していたのですが、見事にはずれており、収穫のタイミングは後ろにずれていってます。  雨がつづけば頭がもたくなり、地面がゆるみ、どさっと倒れる。少しの雨でも。こんなふうに。

20160913-P114066302

 さて、写真でみるとなかなかアマランサスの大きさがわからないようです。ものにもよりますが、およそ2m〜3mですね。

20160913-P114066202

 モデルさんが右手にもっているのはアワで、左手がアマランサス。これがほぼ平均的な高さのものです。

20160917-P114067902

 収穫後、どうやって干したらいいのかを思案してます。稲であれば濡れることで乾きがよくなったりするものですが、アマランサスの場合それより芽が出る可能性が高まる。よって完熟した後に、雨にあたらないところで乾燥させて脱穀するのがよいのです(確か)。  農家の軒先を借りるしかないのですが。果たして見つかるのか!?  

9月9日重陽の節句の山畑

 9月9日。久しぶりに晴れました。焼畑地の近況報告です。
 8月6日に火入れして播いた奥出雲在来蕎麦が花をつけはじめています。下の写真は防火帯に播いたものです。火入れ地のものも8月19日に追い播きしたものが育ってきました。
 
 咲いているのは小山の中腹でして、私、ゆっくりとあがっていきました。あぁ、咲いている、よかったな〜と感慨にふけろうかというその瞬間でした。
 ブフォ、ブフォ、フガフガ、フガ〜〜。
 うりぼう(うりぼう)が2匹、蕎麦向こうから竹藪のほうへ駆け上がっていきました。
 もう、びっくりしたなあ。あちらもでしょうが。
 生後半年?くらいなのか、子どもではないが、大人ではないくらいの大きさでした。
 兄弟なのか。


 そ、し、て。9月3日火入れの温海カブですが、6日たって発芽は順調。少々密に播きすぎたようで、間引きが大変ですね。それから土着菌?の菌糸が大量に出てきています。熱量が大きかったところに顕著です。培養したい。