横田の焼畑といえば蕎麦だという人

 そうそう。ダムの見える牧場での一昨日の活動のこと。

 搾乳したミルク(原乳?)をタンクでピックアップしにきたおじさんが尋ねてきた。この間焼いたところは蕎麦をまいたんかい?と。

 いえいえ、アワやキビですよ。これから夏に焼くところを伐りますけれど、そこにはカブと蕎麦を播く予定です。

 対しておじさん曰く。

 横田の焼畑といえば、蕎麦だと思っとった。焼いた後の一杯がたまらんのだろうな〜とうれしそうな笑顔で。

 そうだろうなああ。苦労して準備して無事に火入れが終わって種を蒔いて、そして乾杯するという中での「宴」がね、落ちているのですよ。まず場所がない。なにより泊まるところがない。煎じ詰めればお金がない。どうしたもんじゃろなあ。

竹の焼き畑2016-sec.7 が終了

5月29日(日)。島根大から4名、木次町から1名、計5名で取り組みました。
朝方曇りで11時過ぎから雨が落ち始めたため、大豆の種蒔きは次回へ持ち越しです。
温海カブの種取りと地ごしらえ(大豆播きのための)、匍匐性トマト10苗を春焼き地へ定植、同地へアマランサスとタカキビの播種、といったところです。
火入れ後にまいたアワもアマランサスも芽は確認できず。雨も降ったことですし、来週水曜日あたりに見にこようかと。焼けた杉も倒さねばなりませんし。
さて、種取りはシートにめぼしいものを取り込んで、奥出雲ラボでちょぼちょぼやりました。
次週はいよいよ夏山へ向けての初伐りです!!!




 気がついたことを書き留めておきます。
†.三沢の年取りカブの種を取らせてもらったときに、山田さんから「鳥にずいぶん食われてしまったんだけど」と言われて、へええ、カブの種を鳥が食べるんだ〜と思っておりました、人ごとのように。そして、まあ、里ではなく山だから、鳥もそんなにいないし、食わんでしょ、食われていないみたいだね〜と言っていた矢先のこと。4〜8羽くらいの小鳥がカブの種の枝をつついておりました。あ〜れ〜。
†.大豆は芽が出て双葉のときに、鳩や鳥に食われるのだといいます。さて、どうしましょう。食われない場合も多いといいますし、ネットをかぶせようにもネットを買ってこなければないし。ポット苗で育てて定植というのも手間といえば手間です。この日は半分ほどを植えてみようということになって、そのままです。来週のどこかでやりますか。
【資料編】
●予定していた内容
◆カブの種取りと豆播き作業を5月29日(日)に実施します。
9:30 ダムの見える牧場牛舎前集合
作業手順確認。チーム分け。スタート。
9:40 スタート
・春焼き火入れ地検証
・カブの種取り
10:50 小休憩
11:00 再スタート
・カブの種取り
・地ごしらえ
12:15 午前の部終了。昼食休憩&今後の打合せ。
13:15 午後の部スタート。
・大豆播き、ツルアズキ播き
・その他
15:00 解散
●参考サイト
☆まとめ 自家採種をしてみよう-命をつなぐこと-|ゼロからの60坪自然菜園
自家採種 みやま小かぶ|ゼロからの60坪自然菜園
生育状況 あわ|健康雑穀
http://www.marusun.com/sab50-13-3.html
●告知ページ等
facebookイベント
しまねいきいき広場
奥出雲山村塾活動掲示版

雑穀断章その1

 増田昭子『雑穀の社会史』2001を拾い読みしながら、つらつらと考えたり、思ったり、している。

 アワ、ヒエ、キビ、雑穀はなぜつくられなくなっていったのか。

 山村の主食として米にかわられていったのか。

 こたえは容易ではなく単純ではない。

 まずい、貧しい、みじめ……雑穀はそう見られてきたのだと、思い込んでいるだけで、本当にそうだったのか。私も、実際、つい最近でも米が食べられずアワを食べていた時代の話を聞かされてもいる。

 集落の中でも貧しい家があった。年に一度、正月の前にはその家でも米が炊かれた。

 「ご飯が炊けたよ〜」

 外で遊んでいる子どもを呼ぶその家の母の声の、晴れがましさ、うれしさが、子ども心に染みて、とても可哀想であったと、ある古老から聞かされた。

 戦後間もない頃の木次(現雲南市)の話である。

 それは真実であったろうが、時代をもう少しさかのぼれたどうであったか。明治の終わり。幕末。江戸中期。安土桃山。

 というのも、この本には雑穀のよさを伝える口伝が数多く記されているのである。

 米と比較しての優位性すらある。

 もう少し丁寧に見てみたい。そこには何かがある。その何かをもう少し確かなものにするために「思想」という観点を持ち込んでみたい。

 ……つづく。

 左が野口の種で買った岩手のタカキビ。右が島根県仁多郡奥出雲町林原で種取りされてきたタカキビ。

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苧(からむし)と焼き畑とカブ

 苧が裏の畑の隅にあるのを知ったのはたしか半年前でした。妻のひとこと、「あれ、苧じゃないの?」。いやまさか。でも確かに。「柿の木にはどこにでもあったよ」。

 ありふれていそうで、どこにでもはないです。でも、意識しはじめてから、目にとまるようになりました。

 5月下旬の今時分、伸びた姿が目立ちはじめます。三沢のほうぼうで目にしたのですが、どうも意図的にそこに育てたような気がするのです。

 みざわの館の下にある地カブのところにもありました。苧は焼き畑にすることでよい繊維がとれる状態に育つものです。地カブは斜面というのか、畑のいちばん山よりの隅に。苧は斜面ではないですが、どうも「隅」の利用と関係が深いように思えます。

 

http://bit.ly/1Tjcpxl

 渡し舟 – わたしふね -のからむし焼きの写真をみて、しばし考えをめぐらせてみましたが、これという着想は得られません。

 考えるよりも、やってみよう。そう、苧で紙ができないか、ちょいと遊んでみようと思った次第です。

竹の焼畑2016-春焼き〜火入れ【速報版】

終了しました。
火入れ従事者15名、見学者7名。
10時15分に着火し、12時過ぎに延焼終了、15時に鎮火。
面積約7アール。
16時よりモチアワとアマランサスを3アールに播種。
残約4アールには後日タカキビ、トマト等を播種予定です。
●記録映像
竹の焼畑2016ー春焼pre4
次週より夏焼きに向けての活動開始です。

この記録は速報版ですので、詳細はまた後日!
皆さんおつかれさまでしたーーーーーー!!

竹の焼き畑2016-sec.6

タケヤブに覆われた中で生き残っていた杉の木。うち3本を倒したのですが、2本ほどは中が痛んでおりました。もう1本を切って終わりにしようとすると燃料切れ。明日にするかと道具をまとめていると、真っ白になったアマガエルがナタの柄にまとわりつきます。あぁ、鳴いておったのはお前か。
明日はここに火が入る。這って逃げるものは這って逃げよ。飛んで逃げるものは飛んで逃げよ。人には正しい行いを。命には慈しみを。地には平和を。

火入れ前の最後の調整日でした。6名でかかりました。
晴天がつづきよく乾いています。
よく焼けますように。無事焼けますように。

https://www.facebook.com/events/998548263569264/
(竹の焼畑2016-春焼きsono1)

竹の焼き畑2016-sec.5 が終了

 5月15日の日曜日。晴れ晴れ晴れ〜! 晴天でした。やや疲れも見え始めてた人もいますが、それはここまでがんばってきた証。取りかかった8名の皆さん、脚も腕もパンパンに張っていることでしょう。
 この日は防火帯の整備を中心に竹を移動し、落ち葉を掃き集めて取り除き、水タンクを運び上げ、といって作業を行いました。
 来週はいよいよ火入れです。

竹の焼き畑2016-sec.3が終了

 レポートです。

 5月7日のこの日は参加者5名。朝方に思わぬ降雨がありましたが、10時過ぎにはあがり、昼前からは快晴となりました。なんとか火入れが見えてきましたよ。連休の最中、いい汗をかいたみなさん、おつかれさまでした!

 以下、箇条書きにて御免。

《概要》

日 時…5月7日(土)9:30現地集合〜15:30現地解散

参加者…5名

主内容…春焼き確定地の整備。作業量の確認と山手側へ火入れ地を拡大することに決定し、竹の伐倒と玉切り。意見交換、課題確認。

《確定事項》

1●燃焼テスト2回目を実行。火つきも悪く、燃焼もきわめて悪かった。これを受けて、膝上の高さ以上に材を積むことを必須とする。

†.膝上以上、腰高以下の高さに材を積み上げる。あるいは崩すこと。

2●火入れ区画の拡張

3●粟の播種量の決定……200〜300g

 種の代金はカフェオリゼから出資。

《次回作業日までの調整事項》

1●火入れ予定日の参加人数の確保(最低10名)。

 里山理研究会の登録メンバーは28名。

2●播き方を調べて、確定する。

《その他》

1●焼き畑って何?を初参加・初心者メンバーに向けて映像を見せたりするなどの勉強会・上映会を開催する必要がある。→奥出雲ラボ・多根自然博物館研修室などを候補に準備していく。

†.上映材料と機材がそろえば発車。

 上映材料…椿山など。