阿井の山野に自生している草木で

 手帳のメモを整理してみます。  駒原邦一郎『村のはなし(下)』昭和35.1の中に、「阿井の山野に自生している草木で昔から食糧としてつかわれたもの」として出てくる草木に以下のものが名称のみですが、あげられています。
 ひとつひとつ注をつけていきます。なお、この記事は適宜追加・更新予定です。

・フキ クサギ  比婆郷土料理『クサギナと豆の炒り煮』に記載があります。山菜でもなんでもそうですが、奥出雲よりもその周辺に昔のものは、まだよくノコされています。つまり奥出雲を知るには、県境を越えた比婆や髙野、あるいは頓原や大和を調べてみる必要があるのだと私は考えています。

・タキナ ウワバミソウをさすようです。雲南市大東町では「あるところにはたくさんある。水が流れる山の中」と聞きました。出雲、伯耆因幡あたりの地方名か。(2017/11/19追記)

・ゴクナ 横田の山菜料理から 「紫の器の中はゴクナという地元の山菜を塩漬けにしておいたものです。この苦味が絶妙で、ご飯にもお酒にも合うんだな」だとか。 どうやら奥出雲の地方名のようですが、これは調べてみましょう。阿井に出向いたときにでも。
→ウコギをさすようです。『聞き書き島根の食事』p.147参照(2017/12/14追記)
ただし、ウコギ科全般(タラの芽、ウド、ハリギリ、コシアブラなど)をさすのか、ヤマウコギ、ヒメウコギをさすのかは不明です。

・ハシギウド →不明。ウドと類縁か形質が似ているものか?

・ワラビ →ありふれたもののように思いますが、そしてその通りなのですが、寺領のTさん曰く。「昔はほんとにどこにでもたくさんあったのに。いまはどこに消えたのでしょうね」と。(2017/12/14追記)

・ゼンマイ ・セリ ・カケゼリ →標準和名が山ゼリ。 「広島の山村でカケゼリとかカキゼリとか呼んでいる」

・ミツバ ・ショボナ →リョウブのこと。横田のほうではそう呼ぶようだ。 《リョウブは「救荒食料として採取と貯蔵を命じた令法が発せられたことから。リョウブは令法(リョウボウ)の転」(『花と樹の事典』・木村陽二郎監修)と言われている。この名が生まれたのは律令制の時代であろう。当時にあっては、それほど価値のある人々にはありがたい木だった。全国的に分布していることもあって、ハタツモリ、ショボナ、ビョウバなど別名、地方名の実に多い木であることも言える》 大和だより~写詩 写歌 写俳~小筥集

・メライラクサのことか? http://www.qkamura.or.jp/azuma/news/detail.asp?nId=561 ・サンショウ ・オオバコ ミョウガ ・クズバカズラ ・タラ ・ゴロビナ →不明。なんだろう。気になる。日本国語大辞典には島根の一部の方言ころぶ」がアブラギリのことだと出ている。農林省統計調査部による1951年刊の「農作物の地方名」による記述である。農商務省山林局の1916年刊「日本樹木名方言集」には出雲の方言名として「ころび」で出てくる。
 ころびの「な」=菜、すなわちアブラギリの葉のことだろうか。ただし、地方名というよりほぼ一般名として用いられたようでもある。近江、丹波、山陰で奨励栽培されたことも一因か。

・ホウコ →キクバヤマボクチでしょう。 産経新聞「出雲の市民グループが自生のホウコで、そば開発 幻のうどんに続き発表会」2015.2.16

 そばなどの名物料理開発に取り組む市民グループらによる「幻の蕎麦(そば)・うどん&佐田のふるさと料理」の発表会が25日、島根県出雲市佐田町の出雲須佐温泉ゆかり館であり、地域の山間地に自生するホウコ(キクバヤマボクチ)をつなぎに使った緑の「ほうこ蕎麦」がデビューした。  地域食材を掘り起こす活動を続ける食材店経営、森山太史さん(48)が、同町の朝原振興協議会と協力し、ホウコのうどんに続いて開発。発表会では、ほうこ蕎麦のほか、山菜おこわ稲荷(いなり)、イノシシソーセージ、アユの甘露煮などが並び、約30人が舌鼓を打った。  ホウコはヤマゴボウの一種。ゆがいてあくをだし、乾燥させて製粉し、そばのつなぎに使う。森山さんは「弾力が生まれ、素材の味を引き立てる」とPR。  ホウコを使ったうどんとそばは、旧JR大社駅(同市)近くの食材店「山太」で味わえる

 あえて全文引用したのは、この記事ダメでしょうというためです。「ホウコはヤマゴボウの一種」のところ。ウェブに書く素人記事ならともかく、全国紙の新聞記事なのですから。辞書を引いてないのだと思います。 「ヤマゴボウ」を辞書でひいてみますと、、 国語大辞典はこう。

根に有毒成分を含むが、漢方では商陸(しょうりく)といい利尿薬に使う。漢名、商陸。いぬごぼう。とうごぼう。学名はPhytolacca esculenta

世界大百科事典はこう。

根に多量の硝酸カリとアルカロイドのキナンコトキシンchynanchotoxinを含み,有毒植物であるが,漢方では商陸(しようりく)と呼び,利尿薬として使われる。葉は食用にされ,辛味があって美味であるが,多量に食べるのはよくない。和名は山牛蒡の意味であるが,ヤマゴボウとよんで食用にされているアザミの根とは別物である。  日本にはマルミノヤマゴボウP.japonicaMakinoが野生する。全体はヤマゴボウに似るが,花が淡紅白色で,果実は分果を作らず球形の1個の液果となる。

 さてはて記事では「ホウコ(キクバヤマボクチ)」と言っているのだから、ホウコはキク科ヤマボクチ科の一種とすれば、誤解も字数も少なくてすむですよ。
 キクバヤマボクチの写真はNature Logの植物記で確認できます。比婆山で撮影されたものですから、奥出雲に分布していてもよいものです。先の記事中にあるように蕎麦のつなぎに使うのは、根のほうではなく葉です。
 キクバヤマボクチの類縁であるオヤマボクチの葉は草餅の材料にも使うようで、ごんぼっぱと呼ぶ地域もあります。(つぶやき小道)  オヤマボクチの写真も、Nature Logの植物記で見てみましょう。素人には見分けがつきませんね。こちらの葉も蕎麦のつなぎに使うようです。自生の分布域はキクバヤマボクチが西日本、オヤマボクチが東日本だと、おおまかにはいえましょう。そして、おもしろいのが、ボクチの語義です。
 キクバヤマボクチは菊葉山火口、オヤマボクチは雄山火口、ほかにハバヤマホグチもあります。「火口」なのです。この植物を分類したときに人が見出した特徴は。
 さぁ、ここで問題。火口にしたのはどの部位なのか。 日本大百科事典

世界火口は火をおこすときに使うものの名であり、ボクチとあるのは葉裏の白綿毛を火口に利用したことに由来する。[小山博滋]

国語大辞典

冠毛は褐色で火口(ほくち)に使う。葉を乾燥してもぐさを作り、また、タバコの代用にする。若葉と根は食べられる。きくばやまぼくち。やまごぼう。くまとりぼくち。

 葉裏の白綿毛なのか、冠毛なのか。それとも両方なのか。冠毛はいかにも火がつきそうですが、実は白綿毛のほうが火付きがよかったりするとおもしろいですね。確かめてみたい。。。実物で。

 さて、ここまできてようやく「ホウコ」の糸口が見えてきました。
「ホウコ=火口」
 これが私の仮説です。なぜ出雲地方にこの名で伝わっているのか(方言辞典などをあたっていますが、現在まったく見当たりませんよ、ホウコ)。少し掘ってみたらおもしろそうですね。

 ちなみにヤマゴボウのほうですが。日本に自生しているのは3種類。わかりやすくまとめている「四季折々に:夏の花めぐり②~ヤマゴボウ三種」を参照ください。

 閑話休題、続きです。

ヨモギ ・カエデ 「等のほかに」につづけて以下。

・山芋 ・ムカゴ ・イチゴ アケビ ・山ブドウ ・スズノコ →スズタケ(篠竹)の子だからスズノコ。スズコ、ススコとも呼ばれる全国区名。高さ1〜3m。阿井にあるんだあ。奥の方だよね。奥出雲にはないとみてました。吉賀の昭和初期の地図には篠竹記号がかなり広範囲に出てくるのです。焼畑地だったりもします。平田村の竹の焼畑はこれだったんじゃないかな。ん!? 取材、取材、、。 そして。 このリスト、最後に「など」で終わります。 「など」です、「など」! そのなどの中身を知りたい! ———–

★追記1)妻に阿井のとあるお宅で聞いてきてもらいました。(2016/10/31)
 ホウコは「ホウコ餅」というのをお嫁にきたときにお母さん(姑さん)につくってもらった。草餅みたいなもの。つくりかたなどはわからない。
 ころびな→わからない。
 スズノコ→Hのおじいちゃんだったらわかるかも。 参照 阿井のホウコはいまどこに

おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.~10月24日

作業日報です。 10月24日(月)。三所の古民家で作業。トーミを本格使用し「成功」。 参加者1名+軽トラ1台。曇り時々雨。気温18℃(12時)。
◉経過
10時40分~11時00分 ダムの見える牧場のカブ地を路上から確認。牛柵の倒壊などなし。ブラウンスイスの新入りが引っ越してきており、しばし見学。
11時00分〜11時20分 古老取材:蕎麦、地カブ、柿渋のことなど
11時20分~12時40分 三所の古民家へ移動。アマランサス調製作業
12時40分~13時10分
昼食休憩
13時10分~16時15分 片付け、撤収


◉取材
 久しぶりに師匠の顔が庭先に見えたので、立ち寄ったら、これをなめて見ろと。どうだ?と。近頃はなんでもインスタントになったからなあ、と。何をおっしゃりたいのか、そしてこれはなんなのか。

 ……整理しましょう。ブルーシートに蕎麦を干されておられました。今年はできが悪いと、長雨でダメだったと。いやこちらもダメでした、焼畑に播いた種が発芽しなかったんです。なんででしょう? うーん、覆土せんとだなとの答え。 ここからがまた長いのですが、大幅に省略しますね。 液体は柿渋です。しかも匂わない。なめてもOK。2年〜3年かかるとか。そしてその柿渋を障子紙の古いのに塗る。その柿渋紙を敷いて蕎麦の種を干せば、通気性もあって乾燥がうまくいくのだということでした。つまりは試作段階なのか。 以下は断片備忘録です。

・地カブ……まぁ、自給自足の中でつくってきたというか、とってきたものだ。カブは雪にも寒さにも強い。冬、青物がない時にもとれる。春、とうだちした時のものもよい。そういうものは、とっておくものだ。桑園の中でそういう場所をとっていたものだ。(桑園の端というより桑園のなかだと)。
・タカキビ……脱穀したらもってきてくれ。箒の1本くらい土産にあげるから。これはとにかく長持ちするからいいんだ。

◉アマランサスはトーミでしっかり分別できることが判明 詳細はまた改めて写真解説をば。底なしに思えた脱穀調整作業にかなり明るい兆し。

 

おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.~10月23日

作業日報です。

10月23日(日)。今日は昨日つくったカブ地の柵の点検と間引き整理。

参加者1名+軽トラ1台。曇り時々雨。気温18℃(12時)。

◉経過

11時00分~11時40分 ダムの見える牧場:降雨のため車中にて焼畑地を眺るなど様子見。

11時40分~13時50分 カブ地の整理(間引きと踏まれる食べられるなどしたカブの片付け)

13時50分~14時00分 撤収 片付け

14時00分~15時00分 移動・昼食

15時00分~17時50分 移動・資料探し(県立図書館、大東図書館)

◉カブ地整備

 柵は昨日の形を保持している。入ろうとした形跡もないが要注意の状況は続く。

 まずは踏み荒らされたところにあるカブを片付ける。見込みのないカブも引き抜き、間引きもしていく。こうしてみると、密植すぎてどちらにしてもダメだったのかもしれない。牛が間引きをしてくれたといってもいいくらいに。

 

 全体でみると、気が重くなるほどにダメダメなのだが、手を入れている地点地点ではまだ再生の余地ありと感じる。希望が見えたというのはこういうことなのだろう。

「掃除」をしてきれいにしてみると、1枚軽く囓られた跡があるだけで、虫食いもないきれいなカブがあらわれた。

 奇跡的ともいえるが、ほかの箇所でも大なり小なり「生き残り」を見つけている。希望の星だ。

 明日は柵の様子だけみて、明後日の雨の日に続きをやる。

◉調査活動

 図書館にて資料をあたる。大東図書館の『志津見の民俗』は禁帯出でした。カーリルはほんとにあてにならん、なんでだろう。県立図書館では閉館まで40分しかなく、慌てて作業。しかし時間があるとつい長居してしまうので、短時間で片付けるのを癖にしたい。

 『布施村誌』を見た。複写本。発行年がわからず、司書(窓口)に聞いてもわからないという。私ならもっと適切な回答をするのだけどね。さて、おそらく戦後間もない頃につくられたものだと思う。草稿なのだろうか。目次や奥付、前書き後書きもないのだから。

 「布勢村内栽培セル作物名」の中より。

 禾 穀類 

 いね むぎ あは とうきび たふもろこし

 ヒエはなくアワはある。タカキビではなくトウキビがある。ふむうむ。

 はんざき(さんせううを)の項には、「八代、馬馳ニ産す」と。馬馳に川あったっけ? と。斐伊川本流にあたるところなのかもね。

勘違いのブラウンスイス@ダムの見える牧場

 昨日のこと。焼畑地での柵をつくるための鋼管(追加分)を運んでいたのでした。育牛放牧されているブラウンスイスが移動中だったので、ちょっと車の速度を落としながら眺めていたところ、彼女らは方向転換して引き返してくるではありませんか。

 なんだろなあ、写真撮っておこうかというので撮影したのが、これです。

ブラウンスイス〜ダムの見える牧場〜2016年10月22日

 youtubeの解説にも書きましたが、いつも給餌にくる軽トラと勘違いされた模様です。

おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.~10月22日

作業日報:10月22日(土)。
 メンバー(1名)の疲労がたまってきたこともありメニューを変更した。カブ地とソバ地の整備、主に牛柵づくりに専念することに。
参加者1名+軽トラ1台。曇り。気温18℃(12時)。
◉経過
11時30分~12時40分 ダムの見える牧場にて小屋候補地草刈り
12時40分~13時10分 昼食休憩
13時10分~14時10分 蕎麦地の雑草とり、牛の歩行地チェック
14時10分~17時20分 カブ地の牛柵づくり、食われたカブの整理・間引き。
17時20分~17時30分 撤収 片付け
◉調査活動
ほぼゼロ。明日午後からと夜に持ち越し。
◉雑穀調製
ゼロ。
◉ソバ地整備
 ソバはほとんどが倒伏しており雑草(日陰となる防火帯部ではシソ系?が多い)にからんで背を伸ばしているものが多い。防火帯部は放置して、火入れ地では今年の新参勢力(名称等わからん、誰か教えてください。3番目の写真)の除去を中心に。


 火入れ地下部はもともと発芽が極端に乏しかったのだが、この新参者が群落形成している。一部をとってみたら、ソバが隠れてもいたが、結実もしていない。

 牛がついにこの段にあがってきた。歩行のみならず、糞を2カ所に残していた。ソバも2平米くらいが踏まれている。

場所が防火帯のところなのでショックは少ないけれど。困った半分、喜び半分か。9月にあがろうとしてあがれなかった痕跡があった。足跡の状態からしてここ数日以内のどこかであがったのだろう。

 けっこううろうろした後、タカキビのところまで足を延ばしている。いやあ人と同じか、人が通った跡を追ったのか。無論要因としては双方ありなのだが、こりゃ今後の参考になるなあ。2日以内にレポートにまとめよ!!
 

 ソバの結実はあまりよくないようだ。実も小さい。受粉がうまくいっていないのと、日照や降雨や気温やいろいろでしょう。発芽が悪かったのが最大の要因です。追い播きの種でなんとかできているので。

 発芽が悪かった場所に温海カブを追い播きしているが、こちらは播種密度もよく、一見9月火入れ地のカブよりも生育がよいようにも見える。土なのか日照なのかはよくわからん。ソバよりは発芽はよいと思う。様子を追って見ていく。
◉牛柵づくり
 昨日つくったバリケードは半日で突破された。草地として完全に認知されたようだ。ソバ地のカブも葉の部分のみが一部食されていた。ソバも含め、他の草には目もくれずに、だ。カブ地に入ったのと同じ牛ではないか。
 今回も仮設だが、鋼管も使ってやってみた。

 こちら側からの侵入が大半。崖のところが弱い。前日の突破もここから。2〜3本くい打ちだけでも追加するか。

 こちらからはなかなか入ってこないのだが、斜面上側がやはり弱く、入ろうという気が強ければ突破可能。
 一連の侵入で思うのは、最初は柵がそこにあるだけ、竹がつんであるだけでも抑止効果があるのだが、一度突破されてしまうと、竹は蹴散らし引きずりながらでも入るといういこと。
 成牛ですから、力は相当なものです。
 

ススキとセイタカアワダチソウの棲み分け?

 ススキが群落形成するころとセイタカアワダチソウのそれとは重なるようだ。後者はひところ盛んに目の敵にされていたが、最近ちょっとおとなしい気もする。見慣れたせいだろうか。建設残土を入れたところなどには相変わらず強い生命力ではびこっているようだが。
 群落を形成するものには、他の植物体を排除する物質を出すものが多い。蕎麦もそのひとつで、焼畑初年に蕎麦を播くのには、雑草の侵入をおさえる効果を期待してのものもある(椎葉村聞き書き記録で見聞した)。セイタカアワダチソウはやがて自らの出すその物質が自家中毒的に作用し弱っていくのだというニュースを見たのだが、どれほど信頼できるものかはその作用機序も含めて一度調べてみたい。
 茅葺きのまねごとだけでもしてみたいと、茅(ススキ)が生えているとつい見入ってしまうのだが、昨日こんな風景を見た。

 ススキとセイタカアワダチソウが共存共栄している。どんな関係なのだろう。現在拮抗しつつ、これからススキが黄色い花を駆逐していくのだろうか。

 そして、こちら。茅葺きをしようと目論んでいる小屋の周りをセイタカアワダチソウが取り囲んでいる。写真では見えないかも知れないが、ススキもすこーし混じっているのだ。

 両方とも刈ってしまった。さて、今後どうなるのやら。これまでの経験から、刈り取り後の勢力回復力が強いのはセイタカアワダチソウのほうである。開花時期はススキとほぼ同時期だが、地下茎に蓄えられる力はセイタカのほうが強いのではないか。また、ススキは株立ちだが、セイタカはバラ立ち(なんというのか)のように面積を広げやすい。ただ、環境変化に最終的に強いのは株立ちなのかもなあと思ったり。
 そして、この小屋周辺は種取りや実験的菜園として利用できればと思っているのだが、、、はてさて。
 その生き物がそこにいるのには何か理由があるはずで、それを知りたいのだ、ぼくは。
 竹が邪魔だというので、まず切り倒すというのではないやり方を試行してきたのだが、なかなか伝わりづらいものだなあ。
 この建設残土を入れた場所が牧場となっている。竹がはびこる理由は人間が管理しなくなったからというだけではないと思うのだ。なぜ竹がそこにふえたのか。そんなことを草刈り機をとめて、夕暮れの道をとぼとぼ歩く途中で考えている。わからない。わからないことだらけだ。
 余談。
 荒地に最初に進出するのはオオアレチノギクやヒメアレチノギクで、焼畑(夏焼)の跡地にもこの2つが入り込んでいる。開花は夏から初秋にかけて。一方、ススキもセイタカアワダチソウも晩秋である。ほかの花が咲き終わった後にくる。さて、このふたつともが外来種で明治以降に「来日」したものである。江戸以前の焼畑ではどういう遷移をたどったのだろうかという点が気になる。
 さてさて、建設残土の荒地といえば葛。こちらは在来で利用法も多様。繊維から糸をとったり、若葉を尻拭きにも使い、そして葛根は澱粉をいまでも利用する。葛の葉はまだ元気があるが、気温が10℃を下る日が増えてきて勢いが急速にしぼんでいる。
 荒地にふえる者たちと竹との共通項など、少し整理してみたい。次回!

おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.〜10月21日

作業日報。

10月21日(金)。天候は晴れの予報だったのに、終日曇りで肌寒かったです。昨日よりは風が強く箕をふるにはよかったかという程度。昨日に引き続き三所の古民家でアマランサスの調製。本日は実働1時間半かな。購入予定の軽トラ整備の打合せ(商談)などが入ったため。

参加者1名+軽トラ1台。曇り。気温19℃(12時)。

◉経過

12時15分〜12時40分 三所の古民家前にて昼食

12時40分~13時10分 草刈り

13時10分~14時40分 アマランサス調製、撤収 片付け

14時40分~15時30分 軽トラ商談・移動

15時30分~17時10分 ダムの見える牧場:カブ地の柵補強、小屋候補地草刈り

◉調査活動

午前の出発前に平田蕪取材のための地形図と1976年の航空写真を抜き出し印刷。佐白地区についても同様の作業。軽トラ商談中に大山さんのことを聞いてみたら、ほら、ここからその山を越えた上布施の山のあたり全体を大山さんと呼んでいるのだと。祠や石碑のようなものはあるかと聞くと、石はこのへんの山の中にはゴロゴロしていいるよと。上布施の城のまわりは合戦場であり、死んだ侍の碑が荒神さんやらなにやらでたくさんあるとか。おもしろい。

◉雑穀調製

もうひとつ違う目のものをホームセンターで探してみるも見つからず。

本日の改良点は、手で擦るよりもやはり叩くのが一番だと。板を大きな桶の中において叩くことはやっていたが、細かくなったものをさらに箕の上に板を置いて叩くとよいのだ。

明日は、そうしてつくったものの量を増やして、トーミにかけてみよう。

◉その他

明日はカブ地の柵づくりとアマランラス集中、そして平田蕪の取材を短時間でもとれればいれる。

夕方にはあがって、大東図書館で『志津見の民俗』を借り、松江へ向かう。県立図書館で本の返却と資料閲覧。19時までしか開いてないのが惜しい。閉架の閲覧だけでも開館してもらえないのかな。

大学の図書館が土日は17時30分閉館というのが信じられない。

脱穀と選別道具一式。これにトーミが加わる。

▲小屋候補地。草刈りしました。

 壁は廃材となった板とトタンなどを組み合わせてはりつける。この3分の1スペース(ドアがあるところを入れて)をとりあえず冬までに突貫で組むとしてです。屋根は波板と簡単な板材の組み合わせでその3分の1を処理。

 晩秋に茅を刈って春までどこかで保管(保管できなければ折れないように工夫して野外におく)。実験的茅葺きをやってみようか。軒下をつくって来年、雑穀を干す場としても利用したい。

 パイプは追加も含めて組み直す必要あり。

 まずは網をはずして簡単な実測図とひつような部品リストを作成のこと。

 ほんとにやることもりもりだねえ。

おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.〜10月20日

作業日報。

10月20日(木)の活動は三所の古民家でアマランサスの調製を中心にする予定。。だったのですが、実働2時間かな。参加者1名+軽トラ1台。曇り時々晴れ。気温23℃(12時)。

◉経過

11時00分〜 軽トラ修理(マフラーが外れるなど限界状態)

12時00分〜13時00分 布勢公民館図書室

13時00分〜13時10分 昼食休憩

13時10分〜14時00分 草刈り

14時00分〜15時30分 アマランサス調製

15時30分〜16時10分 トーミを借りに三沢のIさん宅へ

16時10分〜16時40分 アマランサス調製 片付け 撤収

◉調査活動

布勢公民館で「尾原の民俗」閲覧と書写。調べたかった布勢村誌は教育委員会が持っていっているので横田に行けば閲覧できると説明を受けての処置。それでいいのか奥出雲町教育委員会! しかし、収穫ありの「尾原の民俗」。見逃しているのではと思い見直してみたらば、でるわでるわ。

またIさんから鞍掛の大山さんの場所を教えてもらいました。幼少の頃でもあがって祭事をした記憶はないという。下にあるナワクリさんで祭りをやるだけだったというが、なんと祭日は4月3日! これまで大山さんの祭日は4月23日をはじめとして地蔵権現にまつわる日が大半で、秋葉さんの祭日と同化して8月や9月となる場合もありだったでした。そもそもナワクリさんが4月3日なのか。詳細は別途ブログなりで。

◉雑穀調製

日に日に効率はあがってきています。篩の目の大きさが鍵。もうひとつ違う目のものを明日早朝のホームセンターで探してみることにした。トーミを借りてきました。アマランサスは粒が小さすぎて選別はしにくいとはいえ、一定の役割は果たしてくれることを試運転で確認。

ともかく乾燥ありきであることをさらに痛感。乾燥してない鞘がまじるとそれだけでブレーキとなる。ミの数を増やして、ブレーキ起こしたものはそのまま放置して乾燥させるのがいいのかも。

最後のツメがうまくない。決め手を欠いたままである。どうしてもゴミや粒がより分けられない。ピンセットでひとつひとつやりたいくらいだ。

アワを試しにトーミ通してみようかと思いつつ思いとどまる。早くアマランサスをかたすべし。

◉その他

明日はカブの間引きと小屋候補まわりの草刈り。そしてできれば取材を1件いれたい。

畑と茅と森と近況報告〜2016年10月17日

つれづれなるままに、奥出雲山村塾の近況報告です。
アワ、ヒエ、タカキビ、アマランサス。この4つの乾燥は十分。脱穀調製に入っています。あぁ、もちろんすべて手作業でして、気が遠くなりつつありますが、その度に気を取り直しつつ試行錯誤が続いています。
ここ数日は根を詰めてやりましたので、指や手の平の痛みがかなり来ており、揉むよりは叩くほうにシフト中です。まな板状のものにアマランサスを載せて棒で叩く。これが基本ですが、殻が取れずに残ったものは、手箕をなんどもふり、篩に幾度とかけ、団扇であおぐ、息を吹く、と何をやってもうまくいかず、最終手段として指で揉んで実を取り出した後、また同じことの繰り返しとなります。 半日やると指先がヒリヒリしてきますので、何か別な方法を編み出さねば。。。。この調子だと一冬以上かかってしまいかねない。


アワは来年の春蒔き用の種とするものを優先する予定です。が、予定は未定でもあり、料理用にまわして、タネは再度入手でも悪くはない。在来で手に入ればそれがよいでしょう。今年播いたのは岩手のモチアワでしたので、西日本のモチアワで入手できるものがあればそれを優先したい。
そうそう、東北のアワは島根にもかなり入ってきているようです。少量とはいえ、県産の雑穀栽培は需要があるのではないでしょうか。少し調べて、、というより、こういうときに、さくっと聞けるとよいのですが。基本メールでしか質問は受け付けていないようで、アワの発芽についての質問メールを送ったのが6月だったか。いまだ返信なしです。
閑話休題。来年のアワはかなりの量の播種を目ざし、面積拡大するぞ。圃場確保にこれから走らなければ!! もちろん普通の畑では無理です。誰も手をつけない遊休地か放棄地。世間の外れをひたすら歩むのみ。


上の写真は右からモチアワ(岩手の種から)、タカキビ(これも岩手種だったかな。ただし林原在来も収穫しています)、アマランサス(脱穀したもの、岩手産の種と長野の種が混じっているはず)。ちなみに、アワは見たことのない老人も多いほど、出雲地方では早くから姿を消しているようです。出雲地域で、アワ、ヒエ、キビなどの雑穀で最後まで栽培が続き、今でもまれにつくっておられるのはタカキビです。なぜなのか。聞き取りを進めたい。
さて、道具や物置の場所をつくるために、小屋をつくります。場所は提供いただけます。感謝。骨格は使ってない建設資材など。壁はこれも板などを拾ってくる。屋根は竹を組み、茅で葺きます。仮設でトタンを縛れるとよいのですが、これも拾えるかなあ。
雨がたまらぬよう排水もとらねばなりません。あくまで小屋なので、仮設性も担保せねばならぬし、なかなか頭も手も足も使いますが、修行ですなあ。
山あがり取材調査は遅々としていますが進行中ではあります。牛だよねえ。牛。志津見の村々には猿の頭を厩に祀った話も調査記録に残っています。

中野の豆腐とこんにゃく

木次線開通100周年。式典はこっそりと一瞬除いて、写真だけじっくりと眺めていました。そうそう、別な機会に阿井村から中野村に嫁にきて、木次線を使って里帰りしていた90歳のお婆ちゃんに話を聞くことがありました。中野は新しく普請した家が多く、古いものは残っていないのだと。しょーけ小屋(塩気小屋)は、小さい頃に見た。姑さんがつくっていたが自分はやっていないのだと。今でも豆腐とこんにゃくは年に何度か、朝4時からつくるのだと。
また、同じ婆さんと近所の茶飲み友達とのお話の中で土用豆のこと。ここら(中野)では、土用豆ではなく七夕豆と呼ばれているようです。だらず豆とも呼ぶそう。青い時分には塩ゆでにもして食べるというのは初耳でした。阿井のご出身ならば、ホトホトのことをたずねればよかったなあ。次回。
あ、中野での麻づくり、共同作業(蒸したりといった)の体験を語れる人と出会いました。79歳。戦前のことです。忘れておられるでしょうから今度写真と手土産持参で行ってきます。茅葺きの軒はに麻を使ったそうですが、首をかしげながらだったので、そこらは再度確かめましょう。

温海カブの状況〜2016年10月16日

 温海カブは生育はまあまあ順調。しかーし。10月16日に間引きに行ったところ、牛の侵入痕跡があ。5分の1程度(?)食われていました。味をしめてしまったのかも、というかそうでしょう。雨が降り始めましたが、急遽、竹柵を増強。来週の間引きで再度増強します。
 関係各位にお詫び申し上げます。管理不行き届きでありました。申し訳ありません。
●10月16日
20161016-P114088602
●10月11日
20161011-P114082002
●9月25日
20160925-P114071602
●9月9日
20160909-P114061202
●9月3日
20160903-P114059002