竹の樽あけ
ドキドキしながらふたをそーとあけると、赤く染まった液体。臭いはきついですが、いやではないかなあ。なれると平気。悪臭とは違うと思います。さてさて、7月初旬ごろにつけた真竹ですが、取り出してみました。水にさらすまえからさらさらとほぐれています。まだ若すぎかなあというものだったので、これは想定内。
そして、こちら孟宗竹です。トラックの荷台に積んで運び出し、民家裏の小さな竹林に、樽をおいて漬け込んだのは約100日前。今日、樽をあけて、軽く水で洗いました。よくほどけます。流水だけでバラバラになります。よしよし。合格。(鍋に入っていると、ほんと素麺にみえてしょうがない) さて、これから、網に入れて、山水にさらしておきたいのですが、いまに至るも、そんな奇特な場所は見つからず。なくはないのですが、小屋でもいいので、作業ができる屋根のあるところがベター。探しています。
◎水について……今回つくづく思うのは、竹などの材料はいささか遠くにあってもよいが、水(流れる水、きれいな山水)はそばにないと無理。
◎漬けた樽の置き場について……匂いはそれほどじゃありませんので、柿の木でもなんでも日陰ができる木、もしくは庇の下でもOK。
ワークショップの締めくくりは参加者のプレゼンで
と、思うのですね。やはり。
竹紙ワークショップは、「つくり手」の集いであろうと。はっと気づいたわけです。
たとえば3回、4回のシリーズを通して「作品」ができあがり、最後はプレゼン、できれば「販売」という形式。最後は一般参加(観客)もはいってやると。
第二回・我流、三日間写本作りワークショップ
http://reminders-project.org/rps/bookzinewp02/
話はそれるのだけれど、木村肇氏の焼き畑を撮った一枚(マタギ)について、書きたいのだけど、それはまた、次回。
http://www.hajimekimura.net/MATAGI/i-83QZ2jN/A
http://www.hajimekimura.net/MATAGI/i-7pnvTxn/A
「塩の道」でバリ島の塩田を思い出し……
つれづれなるままに。
民映研のフィルム紹介のページ。
「奥会津の木地師」の木地小屋づくりを観ていた。小屋組をたてる。現場仕立てでつくる。水を引くのもそう。水を引いてくる、木桶に入るようにする。
そう。小屋があって、水がある安心は、他をもってかえがたいものだ。小屋は2日がかりでつくったと言っていただろうか。早い。
さて、水が生きるのに欠かせない、大切なものであることは、少しの想像力をもって喚起できる。だが、塩となると、どうだろう。そうして、宮本常一の「塩の道」を読み返してみて、また新たな見方ができた。できそうである。生業、暮らしが成り立っていく、その精妙さ、とでも言えるだろうか。そこらをよりきちんととらえるためには、「成長」や「発展」というものへの理解を深める必要がある。
……と思った。
塩づくりで思い出すのは、バリ島の塩田。静かな波の音と、強烈な太陽と、塩の香りと。ページがあったので、ひいておこう。
25年ばかり前と変わらない風景である。
http://www.bright-ocean.net/cgi-bin/shop/goods_detail.cgi?CategoryID=000044&GoodsID=00000464
安藤邦廣「古民家の価値とそれを活用した地域づくり」
去る日曜日。邑南町の日貫にある旧山崎家住宅で行われた講演会、安藤邦廣「古民家の価値とそれを活用した地域づくり」のメモです。
会場の古民家は、安永8(1780)年9月27日に棟梁大工・銀山領・川登兵七によって建てられたものだと、町のウェブサイトには記載されています。
昭和58(1983)年の大雨災害に伴う裏山及び河川護岸の崩落により、木橋、蔵1棟、土塀が流 出しています。そのため、河川改修の護岸嵩上げ、ブロック塀に改修されており往時の様子を伺うことは難しくなっています。
ともありますが、昭和3年当時の写真が残されています。これです。
現在のブロック塀は残念ですが、かつての姿を「復元」する機会を与えてくれていると考えれば、気持ちが盛り上がってきます。そう考えるようにしましょう。他のあらゆる「がっかり」することについても。
さて、講演の要旨を記しておきたいのですが、まず、前段として、演題について。
◉古民家の価値→文化財は”守る”だけでは守りきれない時代。使う・利用するの” 攻め”が必須。そのために、古民家の”価値をとらえなおす”こと。
◉活用→古民家を現住宅としてみると捉え損なう。とりわけ大きな古民家はもともと人が集まり、経済、文化の核の役割を果たしてきた
、、、ということです。
えーっと、続きはまた明日。なかなかに奥深いのです。
メモとして箇条書きを残しておきます。
・枠組みと事業に必要な3者について
行政(県)が3年に1度の芸術祭に約1億円
ベネッセという存在(これはあとで質問したところでこたえていただいた)
http://www.echigo-tsumari.jp/artwork/ubusuna_house
◉事例2 松代町の古民家〜カールベンクス&アソシエイト
・ドイツの建築家が、貴重な古民家が次々と失われていくことに”義憤”を感じて、最初に手がけたはのは自費で1棟。3800万?近くかかったという。それを気に入った人に売却。その資金でさらに1棟を手がけ、、、というようにして、20年がかりで8棟が再生。高級別荘地となっている。
・安藤氏をして、最初は「これを古民家”再生”といってよいのか」と思わしめたほどに、様式は変わっている。屋根が典型なのだろうが北欧・ドイツのそれ。
・もっとも価値があるのは松梁の小屋組なのだ。もう2度と再現できないものとして。世界でもここ日本のこの雪深い地域で人類の文化として高みをきわめた遺産として。資産価値としても上がることはあっても落ちることは決してないものは、松梁の小屋組、その構造である、という思想。
◉事例3 つばめの家
・デイサービスと学童保育
※論文いくつかPDFでひっぱってあります
◉事例5 ゲストハウス
◉事例6 筑波
共通していえることは
交流
だとみました。
松について、ですが、興味ふかいことがいくつか。
・地下水の涵養力が高いということ……根が深くまでいくのだと。あまり知られていないことだとききましたが、ちょっとした検索くらいではでてきません。
・腐葉土にしていちばんいいのは松の葉である
そんなこんないろいろあります。少しずつ加筆していきましょう。
変若水
和田萃の「出雲国造と変若水」をやっと入手しました。 これから読みますが、その前に、問題を整理しておきます。
変若水はヲチミズと訓み、石田英一郎の見解を次にひきましょう。
万葉集に見える変若水は渡来の神仙思想より古く列島に伝えられていた月の変若水の思想によるもので、次の中に水を汲む人間の形や菟の形をみることから生じたが、その根底には月の満ち欠けを人間の復活、若返りに結びつける考え方があった
そして、主題たる「出雲国造神賀詞」の一文がこれです。
彼方の古川岸、此方の古川岸に生い立つ若水沼間の、いや若えに御若えまし、すすぎ振るをどみの水の、いやをちに御をちまし
和田萃氏は要旨のなかで「この部分の詞章を変若水の事例とする解釈はほとんどないが、出雲国造が天皇に変若水を奉献したと理解しうる」と述べています。 「解釈がほとんどない」のは、出雲国造の奉献のことであって、変若水とする訓みは本居宣長、そして折口信夫の功績によるのでは?と素人は思っておりました。どうなんでしょ。当該本文を読んでみるに氷解。そのとおりでした。他に脱字(旧河道とすべきところが旧道)も見つけておりますので、校閲校正ミスでしょう。 ・をちは万葉集では変若なる字があてられていて、変若水の字もある。沖縄の古いシデ水の伝説に触発されて、おちみずと訓じたのは折口。 ・宣長は『出雲国造神寿後釈』の中で、ここに仁多郡三澤郷条にみえる変若水が含まれているとしている。→県立図書館の開架所蔵を確認したので、またの折にみてみます ・神仙思想が夢見るのは「不老不死」、そして変若水が夢見るのは「若返り」です。 ・変若水は月にあるもの、常世にあるもの、……遠くにあるものであったのですが、どこかで「この世」のとある場所に実在するものとして、語られはじめます。そのひとつが、三澤の水でだったと。 ……和田氏の論考中、「おろちの水を探せ」として気になるところの結論を抜き出しておきましょう。
「斐伊川旧河道に残る自然堤防崖面の湧水を指す可能性があるだろう。出雲国造は神賀詞奏上に際して、三津池や刀研ぎ池ではなく、三澤郷内の斐伊川旧河道の三澤で禊したのである」
つづく。
温海カブの種を蒔く
火入れが、度重なる延期で、9月に入ってもできそうになく、蕎麦蒔きは今年は断念しました。カブでいきます。温海カブの種を入手しました。津田カブも少し予定していましたので、今回は種とりをおこなわず、両方まきます。津田カブの種は2aぶんということでしたので、10〜15aぶん???
再計算してみますわ。
そして、種の袋に記載されていることへの注釈メモをいれておきます。
◎温海カブの種蒔きメモ
播種期:山形県の温海町一霞地区では8月中下旬→奥出雲町では9月上旬かなあとみてます
播種法:山の上部から火を入れ、燃え尽きて1時間後、灰の上に播く。→→この通りやりましょう
覆 土:散播後、木の枝でたたき、タネを灰や土と混ぜる→この通りに
発芽適温:20〜30℃
生育適温:10〜25℃
栽培法:播種後、降雨があれば数日で発芽する。生育状況により間引きや除草を行い…(後略)
用途:煮て食べるには堅い。収穫したカブは葉と根の先を切り、酢と砂糖塩を混ぜあわせた「甘酢漬け」にする。1〜2週間漬け込むと、酢で果肉全体が赤く染まり美しい
発芽率:75%以上→山形の在来種旧仁多町では、この温海カブを焼き畑で栽培していましたので、気候・土壌は適しているはずです。
種子数→6万粒購入しています
◎温海カブについて
まずは概要。
名称となっている温海町は合併によっていまでは鶴岡市の一地区となっている。この赤カブは旧温海町一霞地区で栽培されてきたカブである。映像作品として私が知るものでは、「よみがえりのレシピ」。そして、未見ながら、NHK山形が1993年10月に放映した27分作品「東北発見:赤カブに生きるー山形県温海町一霞」がある。
つづく。
蕎麦を播く
横田地方の在来種、横田小蕎麦6キロを入手しました。
通常は1反ぶんだそうです。焼き畑の場合、どうなのか。
これから追記して、まとめていきます。
まずは、種を届けてくださったYさんから聞いた話のメモ。
大事なことだけでもメモ書き。
・刈るとき……手刈りするとき、根が浅いので、すぐ抜ける。鎌でおさえるようにして、手を動かしてすっと切る感じで。
・乾燥……晴れた日などときどきシートの上にひろげるなどしないとなかなか乾かない。
・刈りどき……次々に実をつけるが、待つより、最初につけた段階で刈ってしまうのがよい
・小蕎麦は背丈が信州などの一般品種よりものびないものである
・他の品種と交替で植えたりしても、交配がすすんでしまう。
つづく。
前布施の焼き畑
『尾原の民俗』に焼き畑の記述があると聞いたので、確かめておかねばと思いながら、のびのびになっていた。所在はわかっているものの行く暇がなかった。話ついでに他の書もあげておこう。
★「悠久のふる里尾原北原の年輪 : 木次町尾原北原民俗誌」内田稔 編著;1994.12
→県立図書館開架にあり、一度閲覧。複写のため要再訪。木次図書館での所在未確認。
★駒原邦一郎著:私の村のはなし
→県立図書館蔵。仁多の図書館にはないようだ
★『日本の焼畑』佐々木高明/著;1972
→県立図書館蔵。要再読
★「牛と農村の近代史」板垣 貴志/著
→県立図書館貸出可
★「三澤乃神々とおやしろ」陶山親敏
→県立図書館蔵
さて、『尾原の民俗』だが、島大の地理研究室でささっと見て複写した。
備忘すべきことを箇条書きしておく。
◉前布施の焼き畑
・昭和40年代まで行われていた
・共同でやるときは1反。個人でやるときは1、2畝
・8月のお盆までに火入れする
・朝4時から火入れ
・ヒミチは6尺(約2メートル)
・1年目に大根、2年目に小豆、3年目に植林(桧、杉)
・土がいいと3年目も作物を植えた
雨が降らず、湖底が干上がった地点から望む、現在の前布施。