と、思うのですね。やはり。
竹紙ワークショップは、「つくり手」の集いであろうと。はっと気づいたわけです。
たとえば3回、4回のシリーズを通して「作品」ができあがり、最後はプレゼン、できれば「販売」という形式。最後は一般参加(観客)もはいってやると。
第二回・我流、三日間写本作りワークショップ
http://reminders-project.org/rps/bookzinewp02/
話はそれるのだけれど、木村肇氏の焼き畑を撮った一枚(マタギ)について、書きたいのだけど、それはまた、次回。
http://www.hajimekimura.net/MATAGI/i-83QZ2jN/A
http://www.hajimekimura.net/MATAGI/i-7pnvTxn/A
「塩の道」でバリ島の塩田を思い出し……
つれづれなるままに。
民映研のフィルム紹介のページ。
「奥会津の木地師」の木地小屋づくりを観ていた。小屋組をたてる。現場仕立てでつくる。水を引くのもそう。水を引いてくる、木桶に入るようにする。
そう。小屋があって、水がある安心は、他をもってかえがたいものだ。小屋は2日がかりでつくったと言っていただろうか。早い。
さて、水が生きるのに欠かせない、大切なものであることは、少しの想像力をもって喚起できる。だが、塩となると、どうだろう。そうして、宮本常一の「塩の道」を読み返してみて、また新たな見方ができた。できそうである。生業、暮らしが成り立っていく、その精妙さ、とでも言えるだろうか。そこらをよりきちんととらえるためには、「成長」や「発展」というものへの理解を深める必要がある。
……と思った。
塩づくりで思い出すのは、バリ島の塩田。静かな波の音と、強烈な太陽と、塩の香りと。ページがあったので、ひいておこう。
25年ばかり前と変わらない風景である。
http://www.bright-ocean.net/cgi-bin/shop/goods_detail.cgi?CategoryID=000044&GoodsID=00000464
安藤邦廣「古民家の価値とそれを活用した地域づくり」
去る日曜日。邑南町の日貫にある旧山崎家住宅で行われた講演会、安藤邦廣「古民家の価値とそれを活用した地域づくり」のメモです。
会場の古民家は、安永8(1780)年9月27日に棟梁大工・銀山領・川登兵七によって建てられたものだと、町のウェブサイトには記載されています。
昭和58(1983)年の大雨災害に伴う裏山及び河川護岸の崩落により、木橋、蔵1棟、土塀が流 出しています。そのため、河川改修の護岸嵩上げ、ブロック塀に改修されており往時の様子を伺うことは難しくなっています。
ともありますが、昭和3年当時の写真が残されています。これです。
現在のブロック塀は残念ですが、かつての姿を「復元」する機会を与えてくれていると考えれば、気持ちが盛り上がってきます。そう考えるようにしましょう。他のあらゆる「がっかり」することについても。
さて、講演の要旨を記しておきたいのですが、まず、前段として、演題について。
◉古民家の価値→文化財は”守る”だけでは守りきれない時代。使う・利用するの” 攻め”が必須。そのために、古民家の”価値をとらえなおす”こと。
◉活用→古民家を現住宅としてみると捉え損なう。とりわけ大きな古民家はもともと人が集まり、経済、文化の核の役割を果たしてきた
、、、ということです。
えーっと、続きはまた明日。なかなかに奥深いのです。
メモとして箇条書きを残しておきます。
・枠組みと事業に必要な3者について
行政(県)が3年に1度の芸術祭に約1億円
ベネッセという存在(これはあとで質問したところでこたえていただいた)
http://www.echigo-tsumari.jp/artwork/ubusuna_house
◉事例2 松代町の古民家〜カールベンクス&アソシエイト
・ドイツの建築家が、貴重な古民家が次々と失われていくことに”義憤”を感じて、最初に手がけたはのは自費で1棟。3800万?近くかかったという。それを気に入った人に売却。その資金でさらに1棟を手がけ、、、というようにして、20年がかりで8棟が再生。高級別荘地となっている。
・安藤氏をして、最初は「これを古民家”再生”といってよいのか」と思わしめたほどに、様式は変わっている。屋根が典型なのだろうが北欧・ドイツのそれ。
・もっとも価値があるのは松梁の小屋組なのだ。もう2度と再現できないものとして。世界でもここ日本のこの雪深い地域で人類の文化として高みをきわめた遺産として。資産価値としても上がることはあっても落ちることは決してないものは、松梁の小屋組、その構造である、という思想。
◉事例3 つばめの家
・デイサービスと学童保育
※論文いくつかPDFでひっぱってあります
◉事例5 ゲストハウス
◉事例6 筑波
共通していえることは
交流
だとみました。
松について、ですが、興味ふかいことがいくつか。
・地下水の涵養力が高いということ……根が深くまでいくのだと。あまり知られていないことだとききましたが、ちょっとした検索くらいではでてきません。
・腐葉土にしていちばんいいのは松の葉である
そんなこんないろいろあります。少しずつ加筆していきましょう。
変若水
和田萃の「出雲国造と変若水」をやっと入手しました。 これから読みますが、その前に、問題を整理しておきます。
変若水はヲチミズと訓み、石田英一郎の見解を次にひきましょう。
万葉集に見える変若水は渡来の神仙思想より古く列島に伝えられていた月の変若水の思想によるもので、次の中に水を汲む人間の形や菟の形をみることから生じたが、その根底には月の満ち欠けを人間の復活、若返りに結びつける考え方があった
そして、主題たる「出雲国造神賀詞」の一文がこれです。
彼方の古川岸、此方の古川岸に生い立つ若水沼間の、いや若えに御若えまし、すすぎ振るをどみの水の、いやをちに御をちまし
和田萃氏は要旨のなかで「この部分の詞章を変若水の事例とする解釈はほとんどないが、出雲国造が天皇に変若水を奉献したと理解しうる」と述べています。 「解釈がほとんどない」のは、出雲国造の奉献のことであって、変若水とする訓みは本居宣長、そして折口信夫の功績によるのでは?と素人は思っておりました。どうなんでしょ。当該本文を読んでみるに氷解。そのとおりでした。他に脱字(旧河道とすべきところが旧道)も見つけておりますので、校閲校正ミスでしょう。 ・をちは万葉集では変若なる字があてられていて、変若水の字もある。沖縄の古いシデ水の伝説に触発されて、おちみずと訓じたのは折口。 ・宣長は『出雲国造神寿後釈』の中で、ここに仁多郡三澤郷条にみえる変若水が含まれているとしている。→県立図書館の開架所蔵を確認したので、またの折にみてみます ・神仙思想が夢見るのは「不老不死」、そして変若水が夢見るのは「若返り」です。 ・変若水は月にあるもの、常世にあるもの、……遠くにあるものであったのですが、どこかで「この世」のとある場所に実在するものとして、語られはじめます。そのひとつが、三澤の水でだったと。 ……和田氏の論考中、「おろちの水を探せ」として気になるところの結論を抜き出しておきましょう。
「斐伊川旧河道に残る自然堤防崖面の湧水を指す可能性があるだろう。出雲国造は神賀詞奏上に際して、三津池や刀研ぎ池ではなく、三澤郷内の斐伊川旧河道の三澤で禊したのである」
つづく。
温海カブの種を蒔く
火入れが、度重なる延期で、9月に入ってもできそうになく、蕎麦蒔きは今年は断念しました。カブでいきます。温海カブの種を入手しました。津田カブも少し予定していましたので、今回は種とりをおこなわず、両方まきます。津田カブの種は2aぶんということでしたので、10〜15aぶん???
再計算してみますわ。
そして、種の袋に記載されていることへの注釈メモをいれておきます。
◎温海カブの種蒔きメモ
播種期:山形県の温海町一霞地区では8月中下旬→奥出雲町では9月上旬かなあとみてます
播種法:山の上部から火を入れ、燃え尽きて1時間後、灰の上に播く。→→この通りやりましょう
覆 土:散播後、木の枝でたたき、タネを灰や土と混ぜる→この通りに
発芽適温:20〜30℃
生育適温:10〜25℃
栽培法:播種後、降雨があれば数日で発芽する。生育状況により間引きや除草を行い…(後略)
用途:煮て食べるには堅い。収穫したカブは葉と根の先を切り、酢と砂糖塩を混ぜあわせた「甘酢漬け」にする。1〜2週間漬け込むと、酢で果肉全体が赤く染まり美しい
発芽率:75%以上→山形の在来種旧仁多町では、この温海カブを焼き畑で栽培していましたので、気候・土壌は適しているはずです。
種子数→6万粒購入しています
◎温海カブについて
まずは概要。
名称となっている温海町は合併によっていまでは鶴岡市の一地区となっている。この赤カブは旧温海町一霞地区で栽培されてきたカブである。映像作品として私が知るものでは、「よみがえりのレシピ」。そして、未見ながら、NHK山形が1993年10月に放映した27分作品「東北発見:赤カブに生きるー山形県温海町一霞」がある。
つづく。
蕎麦を播く
横田地方の在来種、横田小蕎麦6キロを入手しました。
通常は1反ぶんだそうです。焼き畑の場合、どうなのか。
これから追記して、まとめていきます。
まずは、種を届けてくださったYさんから聞いた話のメモ。
大事なことだけでもメモ書き。
・刈るとき……手刈りするとき、根が浅いので、すぐ抜ける。鎌でおさえるようにして、手を動かしてすっと切る感じで。
・乾燥……晴れた日などときどきシートの上にひろげるなどしないとなかなか乾かない。
・刈りどき……次々に実をつけるが、待つより、最初につけた段階で刈ってしまうのがよい
・小蕎麦は背丈が信州などの一般品種よりものびないものである
・他の品種と交替で植えたりしても、交配がすすんでしまう。
つづく。
前布施の焼き畑
『尾原の民俗』に焼き畑の記述があると聞いたので、確かめておかねばと思いながら、のびのびになっていた。所在はわかっているものの行く暇がなかった。話ついでに他の書もあげておこう。
★「悠久のふる里尾原北原の年輪 : 木次町尾原北原民俗誌」内田稔 編著;1994.12
→県立図書館開架にあり、一度閲覧。複写のため要再訪。木次図書館での所在未確認。
★駒原邦一郎著:私の村のはなし
→県立図書館蔵。仁多の図書館にはないようだ
★『日本の焼畑』佐々木高明/著;1972
→県立図書館蔵。要再読
★「牛と農村の近代史」板垣 貴志/著
→県立図書館貸出可
★「三澤乃神々とおやしろ」陶山親敏
→県立図書館蔵
さて、『尾原の民俗』だが、島大の地理研究室でささっと見て複写した。
備忘すべきことを箇条書きしておく。
◉前布施の焼き畑
・昭和40年代まで行われていた
・共同でやるときは1反。個人でやるときは1、2畝
・8月のお盆までに火入れする
・朝4時から火入れ
・ヒミチは6尺(約2メートル)
・1年目に大根、2年目に小豆、3年目に植林(桧、杉)
・土がいいと3年目も作物を植えた
雨が降らず、湖底が干上がった地点から望む、現在の前布施。
奥出雲山村塾〜竹の焼き畑連絡掲示板
2017年度の掲示板はウェブに移転しています。
「奥出雲山村塾」のこちらのページを参照ください。
以下は2016年度の記事です。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
9月上旬へと延期している焼き畑の火入れ日です。
8月27日時点では、9月6日(日)に人が集まれそうだというので、めがけて準備を進めましたが、9月6日は雨によって流れました。もはや、なによりも天候をいちばんに考えねばにっちもさっちもいきませぬ。8月下旬から9月下旬にかけては秋雨の時季でありますよってに。
さて、9月8日時点です。
台風18号が通過したあとが次なる候補。で・き・る・か・な。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◉火入れ作業と見込み
1)前日までに最終整備
・消火ホース、ポンプの点検とシミュレーション……面代&大石&誰か
・風などで散らばった竹や落ち葉などの整備。ゆとりがあれば、草刈り、そして枯竹の追加投入。
2)種の仕分け。どこにどれだけまくか。
ーーー
3)火入れ当日は日の出とともに(6時前には着火)。5時半集合予定。
午後、鎮火したところへ種蒔き(たたいて、灰をかぶせる、まぜる)
◉収穫は11月上旬とみています
1月に収穫祭&発表講演でしょうか。
◉火入れ日候補&準備日
9月12日(土)…準備
9月13日(日)…準備
9月15日(火)…候補1
9月16日(水)…候補2
◆◆◆◆↓↓過去ログその2↓↓◆◆◆◆◆◆◆◆
火入れまでカウントダウンとなりました。あと数回の準備。
火入れは8月23日(日)、24日(月)を第1候補にし、天候等によって延期しながら29日(土)までに、実行できるようにしますよ!
……と書いていましたが、25日(火)を第1候補として調整重ねます。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◉今後の作業と見込み
1)火入れ地の範囲せばめ……伏せ込み量が足りないところを寄せていく。
2)斜面裾部分の処理>>5人☓2日
3)種の入手(そば、かぶ、だいこん)
4)東南部の竹の伐採>>5人☓1日
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
酷暑です。
ですので、朝7時半頃から10時頃まで作業。と考えています。
昼間は涼しい場所で読書・昼寝などして過ごし、16時頃から作業再開し、日が暮れるまで。
前回の伏せ焼きや整備時の様子はこちらなどをご覧あれ。
https://www.facebook.com/events/720227741422157/permalink/724751064303158/
https://www.facebook.com/events/940019806056981/permalink/943009075758054/
◉日程
1)8月5日(水)〜6日(木)……伏せ焼き→済
2)8月11日(火)……人数集まらず中止
3)8月12日(水)……人数集まらず中止
4)8月●日……未定。16日(土)か。
5)8月18日(火)\
6)8月20日(木)→実施済
8月21日(金)→実施済
7)8月22日(土)……最後の調整→実施済
8)8月23日(日)……予備日→お休み
9)8月24日(月)……火入れ準備予定日→実施済
10)8月25日(火)……火入れ予定日→台風接近のため中止、延期
11)8月26日(水)……播種→同上
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
①時間:天候による…基本7:30〜10:00 16:00〜18:30
②場所:奥出雲町布勢地区内竹林(問合せください)
③ 定員:15名を予定
④ 参加費:無料
⑤ 申込方法:お名前、ご住所、連絡先を明記の上、FAXかメッセージをいただくか、お電話でお申込ください。返信をもって受付完了と致します。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◉持ち物・服装
・水分補給用水筒やペットボトル等
・長袖と日除けの帽子等(肌が隠れる服装)
・斜面でも滑りにくく歩きやすい靴や長靴など
・虫刺され薬、携帯蚊取り線香、虫除け
◉できれば持ってくるとよいもの
・ナタ、ノコギリ(ヤブや倒木処理用)
・ヘルメット(15個ぶんはこちらで用意しています)
・軍手など手袋(こちらでも用意しています)
◎お申込・お問い合わせ
NPO法人さくらおろち 担当:面代(オモジロ)
TEL&FAX 0854-48-0729(平日9時〜5時)
◆◆↓↓過去ログ↓↓◆◆◆◆◆◆◆◆
13回まで終了!!しました。
火入れは8月23日(日)を第1候補にし、天候等によって延期しながら30日(水)までに、実行できるようにしますよ!
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◉今後の作業と見込み
1)防火帯づくり……山斜面の火入れ地に残っている竹や雑木を移動、火入れ地の中へ。>>5人☓3日
2)火道を切る……2〜3メートル部分にある枯れ葉・枝などを掃いてどかす。道具はてづくり箒か幅の狭い熊手。>>5人☓1日
3)斜面裾部分の処理>>5人☓3日
4)東南部の竹の伐採>>5人☓1日
5)エスケープルートの整備>>5人☓0.5日
◉調査と準備
1)燃やす部分のバイオマス量……竹の本数等を切り株、その稈径等から算出
2)土中温度の測定方法と機器など
3)ドローン撮影
4)定点カメラの準備
◉作物
1)蕎麦の種の準備……横田小蕎麦はきびしいかもしれないが、8月下旬に種を撒いて収穫できる品種で。
2)カブ……
3)大根……
4)トマト……
5)ブロッコリー……
◉収穫、試食発表会までのスケジュールと、準備
★蕎麦の収穫は大変です!!!よ、と
斜面での手刈り、乾燥、脱穀
★参加記録
0)5月30日(土)9:00〜15:00…フィールド調査→済(9名参加)
1)6月7日(日)9:00〜16:00…火入れ地整備→済(7名参加)
2)6月13日(土)9:00〜16:00…火入れ地整備→済(7名参加)
3)6月14日(日)9:00〜16:00…火入れ地整備→済(15名参加)
4)6月20日(土)9:00〜16:00…火入れ地整備→済(6名参加)
5)6月21日(日)9:00〜16:00…火入れ地整備→済(13名参加)
★)6月27日(土)午後:島根大にて「焼き畑講演会」
6)6月28日(日)10:00〜16:00…火入れ地整備(5名参加)
7)7月4日(土)9:00〜16:00…火入れ地整備(12名参加)
8)7月5日(日)9:00〜16:00…火入れ地整備(10名参加)
9)7月11日(土)10:00〜16:00…火入れ地整備(3名参加)
10)7月12日(日)10:00〜16:00…火入れ地整備(2名参加)
11)7月18日(土)9:00〜16:00………スカイプ会議
12)7月19日(日)9:00〜16:00………火入れ地整備・プラン二ング(8名参加)
13)7月20日(月)9:00〜16:00………火入れ地整備・プラン二ング(5名参加)
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
①時間:9:00〜16:00
②場所:奥出雲町布勢地区内竹林(問合せください)
ダムの見える牧場前9:00集合・開始
③ 定員:15名を予定
④ 参加費:600円程度(保険料・昼食材料費)
⑤ 申込方法:お名前、ご住所、連絡先を明記の上、FAXかメッセージをいただくか、お電話でお申込ください。返信をもって受付完了と致します。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◉主なメニュー
・竹林と藪整備(伐る、運ぶ)
・放牧された牛さんたちを眺めながら草原ランチ(メニュー思案中)
*雨風が激しいような天候の場合中止・順延します。少雨ならば実施。
チェーンソーを持参される方はお申し出ください。燃料とオイルは支給いたします。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◉持ち物・服装
・水分補給用水筒やペットボトル等
・長袖と日除けの帽子等(肌が隠れる服装)
・斜面でも滑りにくく歩きやすい靴や長靴など
・虫刺され薬、携帯蚊取り線香、虫除け
◉できれば持ってくるとよいもの
・ナタ、ノコギリ(ヤブや倒木処理用)
・ヘルメット(15個ぶんはこちらで用意しています)
・軍手など手袋(こちらでも用意しています)
◎お申込・お問い合わせ
NPO法人さくらおろち 担当:面代(オモジロ)
TEL&FAX 0854-48-0729(平日9時〜5時)
竹の焼き畑2015〜フィールド調査と体験者聞き取り等
これから書いてまとめることです。
◉フィールド調査…5月30日のまとめ
◉Y氏聞き取り…3時間の聞き取りでしたが、焼き畑部分はちょっとだけ。しかしながら有意義でした。
【奥出雲町役場との調整内容】
◉火入れ条例・許可のこと
火入れの許可を出す担当課は総務課ですが、地域振興課を通して「こういうことをやる予定」という下話をしておいてもらいます。NPOさくらおろちが事務局・統括する協働事業であるとして、趣旨・目的、現況図、計画日程(工程)、などを出しています。
◉消防のこと
消防団は役場からの要請ででる。その際の日当は役場から。たとえば花火の打ち上げの場合、放水による防火と、終了後の待機が主な任務。
消防が放水をしないのであれば、必要性が下がる。(待機が必須ということでもない)。
消防署に行く時に、綿密な計画をもってのぞむのがよい。
現場詳細図、人員配置、消化設備など。
→つまりは消防に頼らず実施するということ。万が一火災になれば連絡して出動ということである。 そういえば、経験者への取材では、「山火事になってサイレンを鳴らさないでくれ」と頼んでいて、実際山を焼くこともあったらしい。
◉消防体制
器具は山の火災で使うような背負うタンクがある→どこで借りられるか。借料は?
タンク1トンでは足りない(ひとつは牧場にもある)だろう。10トン以上?
昔ながらの道具であれば、飛び火は杉(竹?)ホウキで叩いて消していたが。
◉焼いた畑で何かをつくるのはいい
おそらくですが、「焼く」方に力点をおくのでなく「作物」に焦点をあてたほうが、理解を得やすいということです。→蕎麦の在来種検討。「ふなつ」で馬木在来蕎麦、横田小そばを扱っているので取材する。
竹紙と葛紙と……
なぜ竹紙なのか……。長くなるので詳細はいずれ。
あえて、ひとことでいえば、
「人はいつごろから、自然界から繊維を取り出し、人工物として再編することをはじめたのか」
を想像してみたい、みるべきだ、そこに価値と意味がある、ということですね。
竹の繊維を取り出すことをはじめているのですが、繊維を取り出すところまでの工程は、布づくりとほぼ同じです。
たまたま、柳田国男の「木綿以前のこと」の中に見つけたので、ひっぱってきておきます。
文化四年に成った『北遊記』には、今の福島県の平と湯本との中間でも、藤布を織って産業にしている者がいたとある。是は衣服の原料としてではなく、おもに畳の縁へりにするために供給していたものであった。春中の女の仕事で、その製法は藤の皮を剥はぎ、水に浸すこと四五日の後、堅木かたぎの灰を加えて暫しばらく煮て、川に出して晒さらし且つ扱こくことは、麻の通りであるとも述べてある。