都賀村の地カブについて

『聞き書島根の食事』の中で、くまご飯、くまご、が出ているのは、都賀村のみであった。『聞き書広島の食事』にもない。その都賀村には「地カブ」の話がある。年とりカブと呼ばれていたかはわからない。

いくつかの抜粋を以下に。

p174(野菜〜利用のしくみ)

菜園畑(さえんばたけ;奥出雲ではさえもんばた)は、家のまわりにわずかしかない。山すその草原を焼いて焼畑もつくり、そこには地カブの種をばら播きにする。

春は、秋にとり残した地かぶが焼畑からとれ、菜園畑には、ひらぐきの茎立ちがまず元気に姿をみせる。ひらぐきは、冬の間青いものが不足した生活に活気を与えてくれる。人々は「青いものを食うと、いっぺんにまめになる(元気が出る)」と喜ぶ。つづいて、かきば(高菜)、ちちゃ(ちしゃ)が暖かな春の日差しをあびて見る間に伸びてくる。青菜の茎立ちの味噌あえ、ごまあえはたまらなくおいしい。

p181(漬物〜地かぶの切り漬)

菜園畑が少ないので、山すその草原を焼いて地かぶをつくる。地かぶの根は大きくならないので葉のみを利用する。葉を細かくきざんで、そうけいっぱい用意し、二合塩で漬ける。かぶと塩を交互に重ねるとき、とうがらしのきざんだものもふりかけ、二斗樽で二本漬けこむ。

家を離れて他地へ行った者が、村に帰ってきて一番おいしいと好んで食べのが、この切り漬である。

熊子(クマゴ)のこと〜その1

「熊子(くまご)」とは何かで、いろいろ調べておりましたが、あぁ意外な見落とし忘れ。

かつて調べてメモしておりました。

「竹の焼畑メモ」http://on.fb.me/1ZWpXlD

白石昭臣『竹の民俗誌』p26に飯南町の志津見の話として、竹の焼畑の作物として以下の記述あり。

「焼いたあとまだ灰の冷めやらぬうちにソバやカブを播く。2年目にクマゴ(アワ)、三年目にナタネなどを作る。そのあと放置し牛を放牧する。クマゴは1反(約10r)あたり6俵(約430リットル)の収穫をみたという。」

改めて『竹の民族誌』を読み返してみたものの、クマゴという名称が出てくるのはこの箇所のみでした。

そして、もうひとつ『聞き書島根の食事』。

くまご飯が口絵に登場しております。

kumagomesi

邑智郡都賀村での聞き書きであって、基本食の成り立ちの項の中で、日常のごはんを3つあげている。「麦飯」「くまご飯」「茶がゆ」。

都賀村は広島県境に近い江の川両岸にせまる急傾斜地にある。水田、畑ともに少なく、米を食いのばすのに、麦、くまご(あわ)、豆、いも、山菜や野草を年間米にまぜて食べているとある。

以下、いくつかを抜粋引用してみる。

p169〜(雑穀の項)

米には税がかかるが、雑穀にはかからないので助かる。

山すその畑とか焼き畑につくり、自給自足でできただけを食べている。くまご、きび、そばなどを植える。なかでも一番利用するのが「くまご」と呼んでいるうるちあわで、くまご飯にして食べる。きびは、おもにきびもちにし、そばは粉にひいてつもごりそば(年越しそば)などにする。

(くまご飯)

くまごは秋に収穫し、麦を食べ終えるころから春まで食べる。

くまご七にただ米三を入れて炊く。くまごの割合が多いので、子どもが食べた膳のまわりは、ほうきで掃き寄せなければならにほどぽろぽろごはんがこぼれている。