「熊子(くまご)」とは何かで、いろいろ調べておりましたが、あぁ意外な見落とし忘れ。
かつて調べてメモしておりました。
「竹の焼畑メモ」(http://on.fb.me/1ZWpXlD)
白石昭臣『竹の民俗誌』p26に飯南町の志津見の話として、竹の焼畑の作物として以下の記述あり。
「焼いたあとまだ灰の冷めやらぬうちにソバやカブを播く。2年目にクマゴ(アワ)、三年目にナタネなどを作る。そのあと放置し牛を放牧する。クマゴは1反(約10r)あたり6俵(約430リットル)の収穫をみたという。」
改めて『竹の民族誌』を読み返してみたものの、クマゴという名称が出てくるのはこの箇所のみでした。
そして、もうひとつ『聞き書島根の食事』。
くまご飯が口絵に登場しております。
邑智郡都賀村での聞き書きであって、基本食の成り立ちの項の中で、日常のごはんを3つあげている。「麦飯」「くまご飯」「茶がゆ」。
都賀村は広島県境に近い江の川両岸にせまる急傾斜地にある。水田、畑ともに少なく、米を食いのばすのに、麦、くまご(あわ)、豆、いも、山菜や野草を年間米にまぜて食べているとある。
以下、いくつかを抜粋引用してみる。
p169〜(雑穀の項)
米には税がかかるが、雑穀にはかからないので助かる。
山すその畑とか焼き畑につくり、自給自足でできただけを食べている。くまご、きび、そばなどを植える。なかでも一番利用するのが「くまご」と呼んでいるうるちあわで、くまご飯にして食べる。きびは、おもにきびもちにし、そばは粉にひいてつもごりそば(年越しそば)などにする。
(くまご飯)
くまごは秋に収穫し、麦を食べ終えるころから春まで食べる。
くまご七にただ米三を入れて炊く。くまごの割合が多いので、子どもが食べた膳のまわりは、ほうきで掃き寄せなければならにほどぽろぽろごはんがこぼれている。