温泉津の蔵元、若林酒造の開春、これ美酒なり。日日楽しむ。
ほの暗い樽中の発酵を垣間見、肌寒い蔵中で糀の香りに慰撫されてより、またその味わいもひとしおというもの。さするに数日前のこと、佐賀錦から生酛づくりでものされた無濾過生原酒をちびりちびりと飲みながら、そういえば種村季弘氏が温泉津のことで筆を走らせておられたはずで、あの本はどこにあるのだろうと、思い起こしていた。
あっけなくも昨日発見。実家の棚にあるのを持ち帰ってきた。
ふむふむ。これであったか。
書名は『種村季弘のネオ・ラビリントス7巻 温泉徘徊記』。河出書房新社から全8巻で刊行され、手元にある第7巻は1999年の初版。現在、需要は満たしての絶版である。種村季弘の古書はそもそも市場に出ること少なくして、値崩れしないことで知られる。しかるに6巻の食物読本がほしいなあと思いアマゾンでみるに、2000円の根づけが!? どれどれと思ってクリックしてみれば、タバコ臭ありますと。なるほど。他の出品をみれば9000円〜12000円となっている。
納得。
いい値段である。ほいほいとは買えぬ。諦念の向こうにあって手の届かぬものでもない。まっとうな本の適正価格というのはこのあたりなのだろうなと思う。
さて標題に記した本題のこと。
野田泉光院の『日本九峰修行日記』から、種村がひいたものである。
泉光院野田成亮(しげすけ)は日向国佐土原の安宮寺の住職をつとめた修験宗の山伏であり、多くの行を積んだ大先達であった。文化9年(1812)9月から文政元年(1816)11月までの6年2ヶ月を諸国修行にまわり「西の芭蕉」とも呼ばれた。宮本常一が『野田泉光院ー旅人たちの歴史1』として、石川英輔が『大江戸泉光院旅日記』として一冊にまとめている。
つまりはたいへん著名であり、文化・文政年間の旅の記録とあれば、”観光資源”として”活用”されていそうであるが、これが島根県内では一切みたことがない。理由はあれこれ思いつくのだが。
件の一文は、山伏の野田泉光院が出雲国に入ると、泊まるところがなく大変苦慮したすえにでてくるものらしい。今の時代も変わってないなあと思った次第。
さっそくその記を県立図書館の地下書庫より出してきてもらい閲覧。『日本庶民生活史料集成』の第2集におさめられている。
《雲州一国の者他国へ出る事甚禁じてあり、因って旅ということを知らざる者多き故、人の情も慈悲も知らざる者多し》
もっとも平田ではよくしてもらった人もいて、出雲に格段に悪い印象をもったわけでもなさそうだ。長州から芸州そして石州をへて出雲に入るその日記をつらつらと眺め読むに、他国に比して神仏をのことを語り合うことがきわめて少なかったように思える。それがゆえか、出雲路をしめくくるに痛切なひとことを残している。
《且又雲州は神国と他国よりは称すれども、雲州の人は神威も知らず、神国にして神国に非ず、人気宜しからざる国なり》