正月とカブ

正月にカブを供する儀礼といえば、七草粥があるのだが、その起源をたどろうとすると、途端に錯綜した渦に翻弄されることになる。

まあ、いろいろとね、諸説あるんだけどね、と言いたく(まとめたく)なるのをこらえつつ、あらためてとらえてみようと思ったときに、『丹波の話』に出てくる「若菜迎え」が鍵になるのではと直感したことが、この書を取り寄せるきっかけである。

磯貝勇『丹波の話』、昭和31年刊行。

DSC_0127

読んだことはなかったが、その名は何度も見ていた。小学館の国語大辞典、そして方言大辞典の項に「若菜迎え」があるのだが、そこに典拠として、丹波・丹後のいくつかの文献、そして島根県方言辞典とが並びあげられている。「若菜迎え」自体は、丹後、山陰以外の地にもあったのだろうとは思う。が、もしかしたら、このふたつの地域にのみ、伝わってきたものなのかもしれない。
ともあれ、失われた習俗として、若菜迎えの姿をとらえていくための入口が、この『丹波の話』なのである。

さて、この書は6つの章からなるが、若菜迎えが出てくるのは「由良川風土記」においてのみであり、その記述もきわめて少ない。

地域は由良川上流部の何鹿郡(いかるがぐん)、船井郡天田郡といった郡部と綾部市であり、現在ほとんど綾部市内に入っている。

1950(昭和25)年の筆記である「正月の行事など」という一節は、「正月にまつられる神様は、由良川沿いの村里でもトシトクサン、あるいはオトシサンなどと呼ばれている」という一文からはじまる。穀物の霊、農耕神の性格をもつ神であることは一般に知られていることだがとして、その特徴がはっきりあらわれているものとして、まつる”場”について一見とりとめもなくあげている。私のほうで整理しなおした箇条書きを以下に記す。

1. 俵の上にまつる(綾部市和木)

2. 一升枡、斗升、升掛など枡を司る神様で枡にまつるものだといっている(綾部市星原)

3. 歳徳神の軸を床にかけ、その前に種モミの俵をおいて祭る(天田郡川合村)

4. 米俵の上に松をさし、ヘヤの中で祭る。松は三段五段のもので松かさの多いものを選ぶ(船井郡和知地方)

◆追記1

七草粥に供される七つの草とはなにか。現代においては、口承も習俗もほぼなくなりながら、買い求め食するものとしてむしろ根強く残る正月の行事として存在感をむしろましている感すらある。そのせいか依拠するところ、三次的孫引き的テキスト、単純複製されたテキストによって七草の種類が定まっているように思う。つまりは全国共通した種類となっているということ。そのルーツを求めていけば、『河海抄(かかいしょう)室町時代初期に成立した『源氏物語』の注釈書にたどりつく。

(せり) なづな 御行(おぎょう) はくべら 仏座ほとけのざ すずな すずしろ これぞ七種

まとめとして、以下が簡便ゆえ参照のこと。

ja.wikipedia.org

www.benricho.org

chusan.info

上記「七草の歌・作者はだれ?」にはこうある。

《和歌を中心とする文化も貴族階級のものになってしまって、萬葉集のころの庶民性は失われ、題材も花鳥風月や恋愛に型が決まり、野菜などの食べ物を描写するのは卑しめられたようです。そのせいか、このころに書かれた竹取物語伊勢物語には野菜はひとつも登場しません。

しかしこの時代でも、若菜だけはめでたいものとして歌に詠まれ物語に現われます。若菜はお正月だけではなく、四十歳からの長寿の祝などにも「若菜まゐる」という祝賀行事が行われました。

この行事の記述はいくつもの古典文学に見られます。源氏物語の「若菜」上下巻はその代表でしょう。でもこの大和物語のお話はそんなお祝い事ではありません》

若菜まゐるとは?

http://repo.kyoto-wu.ac.jp/dspace/bitstream/11173/2074/1/0050_014_001.pdf

コメントを残す