令和7年11月3日。文化の日は戦後の憲法制定を記念した祝日である。机上の書からいくつかをあげる。
猪瀬直樹『天皇の影法師』2012 ,中公文庫
1983年に朝日新聞社から刊行され、新潮、朝日、そして中公と文庫に収められてきた。猪瀬直樹の処女作であり、4編からなる。
天皇崩御の朝に—スクープの顛末
柩をかつぐ—八瀬童子の六百年
元号に賭ける—鴎外の執着と増蔵の死
恩赦のいたずら—最後のクーデター
「恩赦のいたずら」は日本ペンクラグのサイトで公開されている。舞台は島根県の松江・雲南・奥出雲である。〈松江騒擾事件と切腹〉参照。岡崎功という人物について、速水保孝と対比しながら書いてみたいと考えている。猪瀬は文献について明示していないが、突き詰めていけばある程度はわかる。そうすれば、どこまでが猪瀬の取材に基づくものであるか、が見えてくる。いまは、その途上にある。猪瀬が直に取材した人物の大半はもやや鬼籍に入っている。事件の中心人物のひとりであった長谷川文明だけが、あるいは存命かもしれない。
奇しくもというべきか、「元号に賭ける」も同じサイトで公開。森鴎外は島根県西端・津和野藩の出である。青空文庫の森鴎外遺言三種をもとに、改行と句点を補ったものを下に引いておく。
遺言
余ハ少年ノ時ヨリ老死ニ至ルマデ一切秘密無ク交際シタル友ハ賀古鶴所君ナリ。コヽニ死ニ臨ンテ賀古君ノ一筆ヲ煩ハス。
死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ。奈何ナル官憲威力ト雖此ニ反抗スル事ヲ得スト信ス。余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス。宮内省陸軍皆縁故アレドモ生死別ルヽ瞬間アラユル外形的取扱ヒヲ辞ス。森林太郎トシテ死セントス。
墓ハ森林太郎墓ノ外一字モホル可ラス。書ハ中村不折ニ依託シ宮内省陸軍ノ栄典ハ絶対ニ取リヤメヲ請フ。手続ハソレゾレアルベシ。コレ唯一ノ友人ニ云ヒ残スモノニシテ何人ノ容喙ヲモ許サス。
大正十一年七月六日
森林太郎言 拇印
賀古鶴所書
参照
榛原守一の小さな資料室〜資料25 森鷗外の遺言「余ハ少年ノ時ヨリ……」
門賀美央子「文豪の死に様」第4回 森鴎外―死の床で「馬鹿らしい」と叫んだ人
中公文庫で特筆すべきは、解説を網野善彦が書き、巻末に東浩紀と猪瀬直樹の対談が載っていることだ。本作の序文として読むのもよいだろうし、再読の際にもよき案内となるだろう。ふつうに楽しんで読めるものであるし、啓発されるところも大であろうが、それ以上に、昭和の終わりに臨んで提起されたこの「作品」が射抜いたものは、いまなお謎と未開の扉としてある。
森鴎外の最期の言葉、「馬鹿らしい」。それは鴎外を解放したであろうか。
東・猪瀬の対談は、「元号に賭ける」中、鴎外がお昼に芋を食べながら官僚たちと昼食をとる場面で語られる言葉、「僕は矢張り神は有るものにしておきたい」。そこから敷衍された『かのように』との重なりの中で締めくくられる。東浩紀はこの対談からおよそ十年後に、同じ問題を前にした対話を中島隆博との間で交わすことになる。中島の口調が鴎外の「かのように」と重なって私の中で響いた。
谷川健一,大和岩雄編『民衆史の遺産 第10巻 憑きもの』2016,大和書房
出雲市立図書館から貸出。後に加筆。
湯浅泰雄『和辻哲郎—近代日本哲学の運命』1995,ちくま学芸文庫/1981,ミネルヴァ書房刊
次の11章からなる。
序 回想の和辻哲郎
一 村の子の孤独
二 あれかこれか―美と倫理の間に
三 日本回帰の道
四 アカデミズムの異端
五 ヨーロッパの旅
六 マルクス主義とナショナリズム
七 戦争と文化
八 天皇制論争
九 太平洋戦争とは何か
十 和辻倫理学
十一 日本思想史における近代
結び 晩年
前期二書からの流れを引き継ぎ、「天皇制論争」から少しひく。(つづく)