ヌルデの紅葉は、ハゼノキやヤマウルシの鮮やかな真紅とはちがって、遠目には目立たない。緑色を残しながら、黄、赤、茶がまじったような風合いだが、近寄ってみれば存在感もあって美しい。塩木とも呼ばれる(た)所以たる、リンゴ酸カルシウムをふく実は、その塩をふいたような粉もすっかり洗い流されているようだ。今年もなめることはかなわず。
なめるには10月初旬だろうか。まだ葉が色づく前に見つけねばならぬようだ。その頃には他の木々の緑に囲まれてわかりにくいものだろう。だから、今年目星をつけておくのだという意識というか意地もあって、ヌルデが毎日のように目に飛び込んでくる。車で山の端を通るたび、中から、あ、あそこにも、ここにも、と、こんなにたくさんあったんだと驚くほどだ。
火入れフィールドで目にすることはほぼなかったと記憶しているが勘違いだろうか。見逃していただけだったのかもしれない。タラノキ、クサギ、アカメガシワなど他の先駆樹に比して成長が早くないのではないか。少なくとも奥出雲町佐白近辺ではそう見える。ただ、近隣の林縁ではしばしば3mを超えるような大きなものを目にする。
粥杖、幸い木、負い木……。民俗学からの関心から注目するようになった木ではある。見分けのつきやすいこの時節、できるだけ見ておこう。
フシノキという名のもとでもある五倍子(附子ふし)も多くはないが目にした気がする。竹紙が漉けるようになったら、染めてみるのもよしか。
追記1
ヌルデが辞典等で記載されているよりも大きくならないことについて。何日か前にも引いていた岡山理大植物生態研究室のサイトにも記述があった。中国地方の気候、土質によるのか?
†. ヌルデ Rhus javanica L. var. roxburghii (DC.) Rehder et Wils.…岡山理科大学植物生態研究室
追記2
負い木としてヌルデを用いたことは、菅江真澄が記している。そのことをのちほど追記しようと思う。
この写真は3年前か、静岡の焼畑フォーラムで井川に宿泊したときに撮ったもの。正月のつくりもののひとつといえようが、井川ではヌルデを使うようだ。他の地方ではヤナギ、クルミノキなども。加工がしやすい、手に入りやすいといった便や理の向きから我々は考えてしまうのだが、”魔除け”に限らず、この世界を形づくるものは斯様なことだけではすまぬものである。