令和4年12月30日の山

昨日の山。雪はまだ20〜30センチほどの深さで残っていて、歩けるけれど、というより、けっこうみんな歩いてる。
狐、狸、その他……。斜面をのぼりきったあたりに、大量の鳥の羽が雪の上に散らばっていた。狩られてしまったのか、逃げおおせたのかはわからない。雪の上でさえぎるものもなく、どんな生き物であれ目立つだろうに、なぜここで? 藪までは15mほどはあるが、そのあたりで捕まえられ、ここで激しく抵抗したのか。いまの私には手がかりとぼしく、妄想とさして変わらぬ想像を巡らせてみるが、これという確かさはつかまえられず。

そして、雪の上でしばし考えたこと―その1。
足跡はおおむね、いつも人=私が通っているルートを通っている。ふだんから同じ道を歩いているのだろうか。道とはいえないような箇所も同様。足跡は伐開作業中の竹藪の中へ向かっていた。他に入るルートはあるのだが、頻繁には利用していない。そうしたところには足跡はないのである。人であろうが、なんであろうが、通ったあとをたどるのは生物の生存上、最適解に近いのかもしれない。

雪の上でしばし考えたこと―その2。
ただ、同じ道でも微妙に何かがずれる。この写真でも足跡の系統はふたつある。右手の山側と左手の崖側。実はこの崖側だけを人が通った場合、ある箇所で足をとられて滑落する羽目に陥る。私は積雪前のそれを知っているから避けるのだが、そのトラップありの崖側にも重め・大きめの足跡がある。猪だろうか。数日はたっている古いものなので足跡からは確定できないが、みんな何を頼りに雪の上をたどっているのだろうか。ルートそのものは「通った記憶」だと思う、私もそうであるように。だが、足取りはどうか……。我が身に照らして省みるに、それも記憶が主である気はするのだが。どうだろう。ふだん、歩くときに、なにを頼りに歩いているのかということにかかわる。山の中を人が通うとき、古来、いくつかの標(しめ)が言われたり、伝えられたりしてきた。ちらちらと見え続けることで、いまいる位置がわかるというものだ。遠くかすかであれ視認できる高い山の姿であったり、老大木であったり。あるいは、響きか。響きの記憶である。歌をうたう。その響き方。

焼畑の蕪を掘り出す。積雪前にけっこう気温が高い日が続いたためか、8割方はすが入ってしまっているようだ。とれるものはとって、漬物にしてしまうのだ。

冬いちごもまだ雪の下に残っていて、つまむことができる。うまし。

 

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