蛇口をひねれば水が出る。ありがたいことだ。感謝の気持ちを忘れようが粗末にしようがそのことの価値は変わらない。水を汲むという大仕事にかかわる時間をほかのことに振り向けることで、いまのわたしたちは、生と社会を営んでいるのだから。
だが、どうだろう。「蛇口から注ぎ出る水、その水はどこからくるのか」という問いに、はっと立ち止まり、いずまいをたださねばと思う大人の数のへりようは、見えないだけに、そらおろしいものがある。
ことは水にかぎらない。みずからを、家族を、地域を、国を、飢餓や差別や汚職やありとあらゆる不合理で理不尽なものにまみれながらも、成り立たせているものごとに対する「理解」が、徹底的にかけている人たちがまとめて出現するようになっていると、感じるのである。
どこかのステージで、それが常識であり正当であるとなったときに、戻ったり、修正したりはできない。。。。わけではない。それができる、ほとんど唯一の手段が活字メディア、「本」であり「雑誌」であるところの「出版」なのである。
さて、そうした抽象の水ではなく、具象の水たる、この水路の水。島根県雲南市木次町にある尾原農村公園の水路の水である。ときは天平の時代。この水を汲み、なにがしかの容れ物に大事にかかえて、この地から都におわす天皇のもとに、行かんとする男がいた。
その姿をどう想像したものか。そのときの風景はいかなものであったか。思い描くために、もう少し、書をめぐってみる。