出雲の山墾りsec.2-3

午後の3時前から小一時間ほど入って、竹を5本ほどであろうか、整理した。青竹は2、3であったと思う。孟宗竹の密集地であり、伐ればどこかに引っかかる。よって、かかった稈を幾度か元伐りしながら伏せ込むことになる。立ったものを寝かせていく作業ともいえる。木を伐り倒すことを伐倒とはいうが、この場合、倒れはせずにかかるのだ。開放面があれば、倒れる方向をそこへ向けて「伐れ」ば、地面に「倒れる」。当たり前のことを難しく書いている。しかたがない。その場でこそ当たり前のことが、離れてしまうとまるでわからない。山とはそういう場なのである。

元に戻ろう。方向をずらす牽引力と管理できる器具があれば、開放面に接した場所から作業をはじめ、順に「倒す」のがよいのかもしれない。

そうしないのは、器具が手元にないということもあるのだが、山ではできる限り身軽でいたいという心持ちが大きく働いているからだろう。それを今日、思った。ただでさえ、チェーンソーという動力機械で山と接することは、「学び」としての損失を大きくみたほうがよい。かといって、ノコとナタでひとり山に挑むのは、趣味に過ぎる。それに、ちょっと筋とは逆のことを言うようだが、チェーンソーは、粗暴なようでいて繊細を人に求める機械である。

先ほど、繊細という言葉を使った。使ったのは、単純で強いものに対置する語として呼び出したのだが、それだけにとどまらないことに、気付いたのだ。

パスカルが『パンセ』の冒頭で用いた繊細の精神(esprit de finesse)、幾何学の精神(esprit de géométrie)。

「幾何学の精神」は、定義が明瞭で原理が日常から離れているため、力強いが適応できる世界は(実は)狭い。対して「繊細の精神」は、原理が日常のなかにあり、誰もが目にしているが、あまりに微細であるため、全人格的ともいえるな「よい目」を持たなければ捉えられない、あるいは原理が多すぎることで遺漏なく捉えることが、極めて困難だという。ひとつでも見過ごせば誤るとも。

チェーンソーによる「作業」を、「繊細を人に求める」としたのは、繊細の精神(esprit de finesse)を求めると言い換えられる。パスカルとの接続が可能だということである。

チェーンソーという機械は、外見上は力まかせの道具に見える。しかし実際には、その機械の動力学、慣性、刃が対象—木質への入り方にそった操作者の応答を要求する。それは機械が「場」を持っているということでもある。操作者が意図を押しつけるのではなく、機械と場の動きに応じて、操作者は判断に基づいた動きをなすことで意図—目的を達成しようとする。

ここで誤解を生みやすい概念として、繊細(finesse)を捉え直しておこう。finesseを繊細と訳したのは前田が最初であったろうか。それはともかく。finesseについてふれている次のテキストを参照されたい。Firadis WINE CLUBが掲載しているコラム、「ワインボキャブラ天国【第48回】「フィネス」英:finesse 仏:finesse」より。

ということで今回ご紹介する言葉は…… 「フィネス」 英:finesse 仏:finesse(女性名詞:発音は「フィネッス」)

「エレガンス」などと同様に、使い方がなかなか厄介な言葉です。
プロのテイスターだと例えば「このワインにはフィネスがある、フィネスを感じる」なんていう風に使う訳なのですが、「分かりにくい言葉でなんとなく煙に巻いている」といううさん臭さが漂ってしまいがち。
だから僕自身は殆どこの言葉は使いませんが、海外のワイン専門誌・評論等では非常に頻繁に出て来る用語です。 英語仏語共に同じスペルで使う言葉「finesse=フィネス」。 辞書で調べるとその意味には「技巧」「腕のさえ」「精妙さ」等の言葉が並びます。 そこから考えればフィネスのあるワインとはつまり、職人的な造り手の「技」や「腕」を感じさせる非常によく出来た高品質なワイン、と考えて良いのだと思います。
「技」「腕」を感じさせるワイン、なんて言っても、曖昧にしか感じられないかもしれません。 ですが「技」を感じさせるワインと言うのは概して絶妙な香り・味わいのバランスを実現しているもの。
物凄くパワフルなのに、又は非常に酸が強いのに全く飲み疲れない、飲み飽きない。 様々の要素が理想の調和を見せてくれて、そこに造り手の精緻な目論見を見つけた時に「フィネスがある」と感じます(口には出しませんが)。 ワインの「フィネス」には明確な定義はありません。
だ飲み手が自分なりの評価基準を持ち、自発的に感じ取りにいけば良いもの、なのかもしれません。 ボンヤリした結論で申し訳ないのですが…でもそのくらい曖昧な言葉なんです、実際。

ここでは、finesseを繊細などの単一の語句であらわすことが、できないものであるとだけ認識しておけばよい。まずパスカルだ。

重要なのは、パスカルが問題にしているesprit de géométrieとesprit de finesseに共通するesprit (精神)とは、能力の区分ではないということ。それは原理(principes)への到達の仕方の違いだ。

パスカルこう述べている(ラフュマ版断章512前後、ブランシュヴィック版1–4付近):

幾何学の精神は、原理がはっきりしており、しかもそれが感覚から遠い場合に、うまく働く。
繊細の精神は、原理が数多く、微妙で、ほとんど感じられるが定義できない場合に働く。

ここでの対置は「論理 vs 直観」ではない。むしろ、

  • 幾何学の精神:原理が明確で、数が少なく、抽象的で、遠くにある。→ それらを定義し、順序立て、演繹できる。
  • 繊細の精神:原理が多数あり、日常のただ中にあり、あまりに近すぎて定義できない。→ それらを「一目で」把握する。

違いは認識能力の優劣ではなく、対象領域の構造の違いに応じた精神の働き方の違いなのだ。

「繊細」は感覚主義ではない

多くの要約では「感覚」「直観」と説明されているのだが、おかしい。パスカルの finesse は、感情的理解ではない。

  • 無数の微細な前提
  • 暗黙の了解
  • 言語化不能な原理

これらを瞬時に総合する能力である。

それはむしろ社会的・道徳的・政治的判断のための知性である。恋愛や名誉、礼儀、権威、信仰といった領域では、原理は数式のように提示できない。しかしそれでも判断は必要だ。

つまり、finesse は「論理以前」ではなく、論理を適用できないほど複雑な原理の場における理性の形式なのだ。

対立ではなく、互いに盲目

パスカルは「両立が必要」と穏当に調停しているわけではない。むしろこう言っている。

  • 幾何学者は繊細さに鈍い。
  • 繊細な人は幾何学に耐えられない。

これは単なる性格論ではなく、精神の構えが変わらない限り、互いの領域は理解不能であるという断絶の指摘だ。幾何学者はすべてを定義しようとする。しかし finesse の領域では、定義しようとした瞬間に本質が逃げる。だからパスカルにとって問題なのは「バランス」ではなく、「人間精神は、なぜそのように分裂しているのか」という問いである。

神学的文脈

パスカルの「パンセ」は全体を通じて、近代的知性が神とどう向き合うかという問題に挑んだものだともいえる。つまり、繊細/幾何学の区別は単なる認識論にとどまらない。それはパスカルの人間論・罪の教義・恩寵論と結びついているものだ。

人間は理性を持つが、堕落している。理性は真理を証明できるが、救いには至らない。幾何学の精神は証明を求める。しかし信仰の原理は「証明」できない。だからこそ彼は言う:

心には、理性の知らない理由がある。(Le cœur a ses raisons que la raison ne connaît point)

この有名な断章は finesse の文脈に属する。しかしそれは反理性ではない。むしろ理性の限界の内部での理性批判である。

(つづく)

カブの抽苔

畑田カブの抽苔がはじまった。7日ほど前からだと思う。もう花芽が膨らむほどだ。

カフェオリゼ(自宅)の裏庭である。
母数が少ないが、肥大できたのは、20あるなかで2割程度だと思う。
極端に小さいものは除外するとしたら、10ほどになるだろう。
そこからすべて採種する方向で考えている。
生殖量が多いのは肥大したものであるから、今年の栽培で肥大率が増えるようであれば方針が間違いないとわかる。

温海カブはまだ、形をあらわしていないが、反応はすでに起きているはず。

出雲の大社の節分会

3月3日、節分の日。午後から出雲の大社へ。
オリゼの麹づくりが仕上げとなり、数箱を発酵器に残すが、新しく仕込むものはない。妻はほっとした気持ちになったことが顔の表情にわかりやすく出ている。出来上がった麹をもって大社方面へ配達に出る。
ついでというと失敬なのだが、その足で大社に参拝するつもりで。
車のなかでいろいろ話をする。
3月3日は妻の父(義父)の命日である。

冬に閉じ込められて暗い空が続いていたが、この日、久しぶりに太陽の光が地上に届く、よい日和だった。

大社に着くと、昼もだいぶ過ぎていたので、人はまばらだったが、地面に落ちた豆の量が人出のあったこと教えてくれる。だれか食べにくるだろうか。

帰る頃になって、人形をおさめにきたこともあったかと思い出す。家族で参るものであった気もする。

 

思う所いろいろあり。また加筆しようと思うが、このあたりで。

 

令和8年1月、東京

以下、加筆していくための下書きとして。

1.
◆令和8年1月26日、東京駅丸の内南改札口にて。大正10年11月4日の記憶を探す。
原敬首相暗殺の現場である。
その4年前、大正6年には、ロシア革命、帝政ドイツ崩壊、そして富山県に発した米騒動は全国に波及していた。フロイトが『精神分析入門』を著し、折口信夫は『身毒丸』を発表している。宮沢賢治が『注文の多い料理店』を出版するのは2年後の大正12年である。

 

◆この時代の手触りを確かめ、空気を吸ってみたいと思う、そのヒントのひとつとして、この場所はある。
そして、原敬は日記を残している。『原敬日記』は、近年の復刻も含めていくつかの版があり、古い全10巻ものは揃いでも古書で1万円以下である。原本も有形文化財として岩手県盛岡市が原敬記念館に蔵している。島根県立図書館には福村書店版と乾元社版が変則的に揃っていたと思う。

2.
◆高円寺のyanyanが移転する。その直前に訪れた。もし『原敬日記』が揃いであれば買っておこうと思っていたが、そうはいかない。狭い階段は本屋の扉としては至上のものであろう。惜しくあるが、移転先も決まっているとのことで、また訪れたい。この階段と狭い空間の記憶を持ちながら。
「頭ぶつけるよ、気をつけて」と登りきったところで声をかけた瞬間、ゴツンと音をたてた同行者(妻)は、それを覚えているだろうか。
 「売り物ではないが、ある個人の日記を古書といっしょに買い取った。希望あればお見せします」と、いつか書かれていて、今度行くときはと、そう思っていたことは、階段を降りた後で思い出した。

3.
◆印刷博物館のギャラリーで、世界のブックデザイン展。「世界で最も美しい本2025」受賞作と、各国のコンクール受賞図書180点を展示。ほぼすべてが手にとれる。そうでなくては意味がないだろう。本は触ってこそ、開くとき、めくるとき、閉じるとき、そのとき、手と耳とかすかな匂いと、音と、そうしたものと重なり絡まりながら生成してくるものに「価値」がある。
あぁ、そうなのか。やはり。うむ。むむぅ。思い感じ考えること多々あり。
妻から、来年は出しなさいと言われた。それはともかく、同じようなものをつくろうとはしている。どの出品も50部から200部の少部数であるこは、励ましと受け取った。
文庫本をハードカバーにWSは、4時間弱。造本作業そのもの以上に、講師や補助者の態度というか姿勢というか、本当に「勉強」になった。

4.
◆東京は変わる町である。行くたびに、廃業、立ち退き、が相次いでいて、つい嘆きを口にしてしまう。irodoriyamaも渋谷からなくなるとあの坂を登ることももうないのかなと妻と話す。「今」が節目、潮目なのかもしれない。とはいえ、瓦解から160年はたとうかという時代にあっても、江戸の香りも路地裏の片隅に残ってはいるようで、それを探して中野の夜を飲み歩いた。
◆遠い昔に訪れた「川二郎」は健在であった。娘さんが跡を継いでおられ、味そのものは変わった気もするが絶品であることに変わりはなくよい時を過ごした。

◆碩学の畏友と杯を重ねながら、あれこれ茫漠たる話をした。メモっておけばというものもたくさんあったのだが、大事なことはいつか思い出すであろう。そうそう、浜田藩松平周防守家、天保七年竹島の一件に話題が及ぶや、切腹の作法について、教えを乞うたのであった。
切腹は儀礼でもあり、多くの人が関わることゆえ、作法があるが、書とし出回っているものはほぼない。
◆伊勢貞丈 による故実書・凶禮式があるではないかと言われるかもしれないが、沐浴、髪の結い方、装束、畳の敷き方から盃・肴の出し方まで詳細ではあるが、ここは「口伝」によるが連続して出るものでもある。概要は記すが、核心は口伝である。そして、口伝が実にしっかりと伝わっているようなのである。武家の礼法については、荻生徂徠がその退廃をなげいて久しいものだが、こと切腹については口伝が機能していた。そこには何があるのだろうか、というようなことを酔にまかせて有職故実を専とする方に吐いてしまったのである。その答えは。。。。

「私も親から、お前も知っておけと、教わりましたよ、弟とふたり座らされて」
角をまがれば江戸だったというのは夢にみるが、眼の前に江戸が顔を出したのだった。百年二百年などつい昨日のことだ。

5.
◆上野はいい。博物館、ホール、美術館、動物園それら近代の下には近世も中世も縄文の香りすら残る。本のようなものだ。ものがかたる場所である。物語りの力を信じて、いくつもの若者の骸と思い出がいまもこの台地の下に眠っていることを偲びつつ。

 

令和7年のタカキビ餅

12月28日。妻とふたりでタカキビ餅を2升搗きました。もち米8合に対してタカキビ2合です。
タカキビは24日の夜に4合ぶんをまとめて浸水させましたので、3日半ほどつかっていたことになります。保管は冷蔵庫で、水は毎日替えました。もう1〜2日あった方が良い気もします。今回は前回令和5年に始めたやり方で、浸水しておいたタカキビを直前にすりこぎで挽き割って入れるというのを全面採用。結果は良好。挽き割りの割合は適当です。結構擦リました。どれくらい潰れているか・砕けているかは、見た目ではなかなか分かりづらいのです。量にして半分強ができていれば良さそうですが、3分の1でも良いかもしれません。その程度の加減で十分とは言えましょう。

一升づきの餅つき機を使いましたが、蒸す工程で「ボイラー」と称されるところへ入れる水の量は前回より増やして500cc。これも問題なく良かったと思います。正確には490ccくらいかも。機器の容量限界に近いためです。

もちとり粉(うるち米粉)は、春に笹巻きで使ったものの残りでした。テーブルにシートを貼ってその上でもちを丸める作業をするのですが、40リットル袋を切り裂いたものを1枚ではなく、2枚がよいですね。粉が隙間から下に潜って入ることがほぼ完全に防げます。

久しぶりに食べたからもあったのでしょうが、味は格別に美味しいものでした。
一升で丸餅が33個取れました。来年は3升は搗くべし。そして、春焼きを少しでもやるかと、気持ちが入り増田。たくさん収穫したいものです。今年の収穫はゼロでしたから。

奥出雲きこり友の会・山仕事やろう会

令和7年12月13日の備忘である。晴れのち曇り、奥出雲町八川の山林内で、「山仕事やろう会」が開催された。奥出雲町オロチの深山きこりプロジェクトの主催である。元来、安全技術研修のうち、出張研修と呼ばれるものに位置付けられていた(いる)。
 私は裏方兼記録である
 道の行き止まりには滝岩から流れる清水が。いくつかの谷水を集めはじめるあたりにはわさびが自生していました。ずいぶん少なくなってしまったと言われますが、こうして間伐を進めることでいくぶんか戻ってくるのではないかと思います。
 
 冬の山を、しかも、こうした造林された山を歩いても、そこは森のワンダーランド。しみだしながら流れになっていく水、折れても曲がっても生きようする幹や根、あきらめよく死んで菌が侵食し、キノコや粘菌やらがとりついた有機物もろもろ、土は色も密度も違えば、人の感知を超えてすむ数千数兆の生物を宿している。
 
そんなところで。
 世代も経験も背景も異なる16人が同じ山の中で仕事をする。いいなあと感じました。研修ですので習う教えるという関係はありつつも、身体を一緒に動かすことで自然と習得できるものがあるのだなあと実感する日でありました。
 
 さて、少々概念的な言い回しをしてみれば。
 危険をともなう作業の連鎖に促されるようにして、身体—道具—地形—他者の結びつきが強まり、動きの最適化が環世界的に生成される。
「声をかける」「間合いを取る」といった規範は、風と香り、音と振動、諸感覚にひたされた身体に刻まれていく、それは外在的な原理から演繹されるよりはるかに、伐倒などの切迫の中で繰り返し達成され、事後的に規範として析出する。
 そんな感じ。おもしろいですよね。
 

神戸、あるいは菌臭の境界線にて

 122日から3日にかけて神戸の街へ妻とふたりで訪れた。神戸の街という表現に一般性があるかどうかはわからず言っているが、ここでは元町、三宮あたりから山手の新神戸駅のあたりまでをいうこととする。神戸という言い方であれば、神戸経済圏をも指すであろうが、私が気にとめながら確かめたいと思うのは、文化=風土としての「神戸」である。

 測ることはできないものを断りつつ、人口についてざっと見ておけば、現在の神戸市はおよそ150万人。京都もほぼ同じだが、神戸のほうがやや大きく、近畿では大阪市280万にに次ぐ第2位の巨大都市である。

千年以上の歴史を有する港ではあるが、慶応三年の鎖国を解いた開港からまもない明治初期の人口は2万人ほどであった。同じころの松江市が3万8000人。いずれも但し書きを要する数字ではある。確かめれば誤りもあろう。いまはこれで。

 もともとこの旅の第一の目的は、新神戸駅のそばにあるという竹中大工道具館。分類としては博物館に入るのだが、名乗りからしてそうではない。一時代を築いた「モノ」の墓場、ではない。そうしてなるものかという意思が宿っているかのようだ。その強度に陶然としてしまうような、夢の中にいるような、あるいは時間のエアポケットに入り込んだような場所だった。

大工道具の始原を石斧から起こし、石器から鉄器へという道具の「進化・発達」をもたらした要因が、実は「資源の枯渇」であったという見立て。自然と人との間にある媒体としての「道具」を見つめる、その視線のあまりの透徹さに心を打たれた。小さな館内が、言葉にしがたい膨大な熱量と密度で満たされている。一体なんなのだろう。

 そんな、道具館を出て街を歩くと、ふと奇妙な感覚に襲われる。決していやな空気ではなく、心地よいといってもよいのだが、なにか不自然な違和感あるいは落ち着きのなさを感じる。匂いに敏感なほうではない。ここでの匂いとは街の匂い、土地の匂いということだが、雰囲気とも空気ともいっていい。錯覚とも錯誤ともいえるものも混じってはいようが、そんな匂いは断固としてないと言い張れるものでもないだろう。誰しも心当たりはあるものとして言っているのだが、本格的に論じられてきてもいない。

多くはその街なり土地なりがたどってきた履歴・歴史に基づくものと、それによって形成される人の集団が醸すものとがあろう。そういう観点からすると、ここ神戸の街には、歴史があるはずなのに歴史がないとでも言いたくなる。ここからは飛躍となるが、神戸という街は、日本の都市の中でも例外的に、土地固有の「物語の重力」を持たないのではないか。

錯誤を恐れず言ってしまえば、多くの土地が持つはずの痕跡、沈殿、堆積といったものが、きれいに拭い去られている。なぜ神戸は語られなかったのか。いや、土地が決して自らを語ろうとしないのかもしれない。まるで、言葉によってその深部を照らし出されることを恐れているかのように。 本来、海と山がこれほど近く結ばれた場であるにもかかわらず、そのつながりは完璧なまでに絶たれている(ように感じる)。

 ただ、目を山の方へ向ければ、そこには異なる時間が流れている。神戸市北区にあたる山田庄には、いくつかの只ならぬ欠片が残存する。そのひとつが栗花落井(ツユイ/ツユザエモン)であろう。今回は訪れることが叶わなかったが、出雲地方になぜか濃厚に残り続け、今も信仰の対象となっている「ツイジンさん」の名称的遡源の地であると睨んでいる。乾いた街の背後に、湿り気を帯びた古層が眠っている。

 神戸にゆかりの深い精神科医、中井久夫はエッセイの中でこの土地について幾度か触れている。彼は街や土地が持つ固有の「匂い」を嗅ぎ分ける人であった。ここでいう匂いとは単なる嗅覚刺激ではない。かつて統合失調症の診断基準として議論された「プレコックス感」にも通じるような、全感覚的な直観に近いものだろう。  中井は明示的に「神戸の匂い」を定義してはいない。だが、彼の視座を借りるならば、私には「神戸には匂いがない」と感じられるのだ。中井は、人が家に落ち着きや馴染みを感じる匂いの正体を、複合的なキノコやカビの匂い、すなわち「菌臭」として捉えた。それは森の匂いであり、分解の匂いであり、死と再生の匂いである。エヴァンゲリオンでいうところのLCLの匂いといえば、その羊水的な安らぎが伝わるだろうか。

 京都の街はこの菌臭が濃厚で、奈良になると少し薄くなり、そして神戸の市街地にはほとんど感じられない。この菌臭の発生源は、森であり山である。生命の安らぎとしての菌臭からもっとも遠い場所、それが神戸の都市部なのかもしれない。  しかし、山からは海風に抗うようにして、その匂いが微かに流れ出ているはずだ。かつてのアカマツ山が照葉樹と広葉樹の山に変貌しているという30年前の中井の指摘を信じるならば、山には濃密な気配がある。  そう考えると、あの竹中大工道具館が、街外れの山の端、新神戸のあの一角に位置していることに深く得心がいった。あそこは、乾いた都市と、菌臭漂う山との境界線なのだ。道具という「木(森)」の記憶を宿したあの場所だけが、山から降りてくる豊潤な匂いと共鳴していたのかもしれない。

杵築の弥山ヘあがる

12/8出雲大社の裏山ともいえる弥山に登頂。
◆中世には、陰きわまる月に異界(黄泉)の扉が開くとも、あるいは如来信仰においては西方浄土への入口とも信じられていた、その稲佐の浜を望む。
◆山頂の風衝木はアカガシのようだ。完全に落葉しているが島根半島北山の尾根付近ではそうなるのが普通らしい。麓からも視認できる象徴樹として、これから大社を通るたびに見上げてみよう。
◆標高100m付近では赤い実をつけていたヤブニッケイは400mにもなると黒い実となる。ソヨゴも多い。ヤブツバキがみられると思っていたが、目にはつかなかった。ふだん奥出雲の山に多く入っていると、まったく違った植生に驚く。冬の厳しさがあるとはいえ暖かい海の山なんだなあと思う。
◆途中、狭い道の中央に居座りつづけるニホンマムシの幼体あり。またいでいくかどうかを迷うが、この地の古称にハビ山もあったかと思い出し、またぐなど非礼であるからして、道なき斜面を迂回することとする。
◆麓にはイヌマキらしき老大木も点在していてこの地がたどってきた歴史を想う。コナラ、クヌギ、アベマキなどの落葉樹林も点在しているが、いずれ照葉樹系に変わっていくようでもある。とはいえ、あちらこちらに崩落もみられて、要因は複合的なものだろうが、人為によるものも否定はできない。
◆いろいろ見ながら、感じながら、考えながら、楽しく過ごせた数時間。もろもろ感謝。

奴可神社の夜神楽を来年には

数日前、今年のサントリー学芸賞が発表され、鈴木昂太『比婆荒神神楽の社会史―歴史のなかの神楽太夫』(法藏館)が 社会風俗部門で選ばれた。
選評の伊藤亜紗は

「従来、その歴史は「祖霊加入」や「神の託宣」といった、ややもすると本質主義に傾きかねない神楽の意味論によって説明されることが多かった。これに対し、本書が試みるのは神楽の社会史である。注目するのは「人の生きざま」だ。それぞれの時代の社会的状況のなかで、神楽に関わる人々が、神楽を通してどのようにサバイブしてきたか。神楽を伝える、ではなく、神楽が伝わる。伝承とは、そのときどきの現実的な制約条件に、ときに節操なく見えるほどの創造性で応答していく、その積み重ねのことを言うのだろう」

と。

https://pub.hozokan.co.jp/book/b658766.html

法蔵館のサイトでは目次と数ページの本文冒頭が立ち読みできる。

https://pub.hozokan.co.jp/book/b658766.html

今週末、16日土曜日夜から翌日未明にかけて、奴可神社の夜神楽がある。来年、妻とふたりで行ってみたいと思った。