気仙大工とは〜「先祖になる」断章

映画「先祖になる」の中には複数の多様な線が走っている。忘れぬよう、思い出しながら、ひとつひとつをメモしていこう。30以上はあるはずである。

「これが気仙大工の技術だ」

仮設住宅には行かず、被災した家に住み続ける77歳の老人、佐藤直志が、水平器を持ち出して柱にあてる。映画の冒頭、ロングインタビューのひとこまである。

さて、その気仙大工とは?

岩手県気仙地方(藩政期は伊達領)の大工の呼称で、江戸時代から集団での出稼ぎで名を知られていったようだ。民家はもちろん神社仏閣、建具、細工もこなしたという。

NHK「美の壺」での紹介は”気仙大工は豪快で骨太”として、以下のように紹介された。

 気仙大工と呼ばれる人々の仕事です。腕の良い大工集団として、江戸時代から記録に残り、岩手県南部(陸前高田市、大船渡市など)を拠点とします。

元大工で、気仙大工の歴史を研究する平山憲治さん

平山「気仙地方(岩手県南部の沿岸)は海と山に囲まれた耕地の少ないところで、仕事がありませんでした。そのため、大工になって高収入を得ようという人たちが多かったんです」。

岩手県大船渡市にある長安寺の山門(江戸時代中期築)をはじめ、気仙大工は、お寺や神社も手がけました。全国各地に出稼ぎに行き、寺社建築に携わり、高度な技を持ち帰りました。その同じ技を、民家でも惜しげなく発揮したのです。細部まで凝りに凝った仕事が気仙大工の特徴です。

これは江戸時代中期に作られた欄間。空間を斜めに区切った大胆なデザインです。一枚板に、繊細な透かし彫りで弓矢の模様を表しています。

平山「けっして同じものを作らず、必ずそれ以上のデザインを考える。それがどんどんエスカレートしたことで、気仙大工のブランドが高まったのだと思います」。

派手な装飾が目を引く気仙大工の仕事ですが、その真骨頂は丈夫な家造りにあります。一般的なものより太い柱を使い、何世代にも渡って住み続けられる家を建てました。

平山「柱が太くなれば、高さも高くしなければならないし、ケタや梁も寸法が大きくなります。それによって耐久性も強くなります。丈夫な家造りも一つの特徴なんです」。

美しさと頑丈さを備えた家造り。それが気仙大工の理想でした。

また、Makiko Tsukada Architectsのブログでは、気仙大工による建築として、その特徴が写真とともに紹介されています。

気仙大工……、折をみて掘り下げてみたいものです。

そこから、伝統工法の秘密と魅力に近づいていけたらよいのですが。

さくらおろちの花の下

 ねがはくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃

 竹薮の暗闇の前に浮かび上がる姿に西行の歌がかぶります。

 そうそう、お役所では「桜の下に首ひとつ」という句があると聞きました。老いた桜(ソメイヨシノ)は切りたくても切れなくて、切ろうとした管理官の首のほうが切られるのだというお話。

 ソメイヨシノは自家不和合性が強い品種であって、ソメイヨシノを両親とする種は稔ることはあっても発芽には至らないという。よって子孫を残せない1代限りの種。ほとんどすべてが接ぎ木、挿し木による繁殖である。ある意味、日本のソメイヨシノはすべてクローン。

 江戸の花見文化から生まれ、戦後またたく間に全国に広まったこの花の栄枯盛衰を思ってみれば、「おごれるものもひさしからず」。

 ソメイヨシノにおごりもなにもないのだろうが、少々行きすぎたもてはやされぶりだなあと思うのだった。

さくらおろち湖のサンクチュアリ

 人の波に洗われる桜並木もあれば、人が足を踏み入れることのない場所にあって、春の風に、薫る大地に祝福されるかのように、淡い花を咲かせる桜もある。

 しかし、この場所は人の手が入りかねていて、植樹された楓が葛に埋もれてしまっている。からまった葛のかたまりをみると、何かを思い出す。そう宮崎駿風の谷のナウシカ」(書籍のほうね)で描かれるところの「闇」のイメージ。いやなもの、きたないもの、からみあったもの、要すれば人が嫌悪感をもつもの、である。

 「闇」との対話については、宿題とするとして、ここで、その手前にあるもの、腐海や蟲といった「攻撃してくるもの、おそってくるもの」への理解である。

 「怯えていただけなんだよね。こわかっただけなんだよね」

 とナウシカはいう。

 攻撃してくるものは、怯えているものである。

 怒っているものは、傷ついているものである。

 そして、人は傷つき怯えているものを理解し、共感することができる。

 ”自然はさびしい。しかし人の手が加わるとあたたかくなる。 そのあたたかなものを求めてあるいてみよう”

 そう言って、日本の村を歩いた宮本常一なら、この山野をみて、どう思うだろうか。

 理屈はともかく、まず、目の前に落ちているゴミを拾うことから始めるべきだとは思っているし、これまでそうしてきたのですが、いま少し立ち止まって考え続けてみたいと思います。

桃源郷のような

 桃源郷の春。かと思うような地でありました。

 舗装道とはいえ急峻な山道を駆け上がったところに開けた4〜5軒ほどの小さな集落です。

 ここなら、挑戦してみたい、人生をかけてみたいと、思えるのではないでしょうか。私も30代前半であれば、ひとめぼれしたかも、です。

 実際、ここの土はよかったです。

 何がよかったのか。

 実は在来カブの再生栽培調査に同行させていただいたのですが、どれも特徴をよく発現していました。他の土地でははぶいたり、よせたりして、発現優位のもの同士での交配をしかけたのですが、ここでは、「じゃあこのへんで」ということで根付いたままの状態のある箇所を選んでネット(交雑防止)をかぶせました。

 マイクロクライメイト(超微小気候)を生かした栽培が、この地での新たな営みをつくれるかもしれません。

奥出雲竹取り通信1号まもなく発刊

 やっとこさ入稿をおえて、来週末にはあがってきます。

 

 巻末の「本棚」(参考文献)を抜き書きしておきます。

 ※のちほど、リンクを設定しなおしましょう。

 

本棚(主要参考文献)

どれでも興味のあるものから読まれるのが一番かと思うがあえての選書をしてみた。竹林を保有はしていないが、市民として興味があるのであれば、5)をおすすめしたい。島根県出身の著者が京都でNPOをたちあげての奮闘記である。所有者であれば、香川県環境森林部がつくった19)がよくまとまっている。竹の生態についてなら入門として2)は欠かせないのでは思う。一方で「竹林問題」を整理して考えるときに、12)を読んでおくと理解が進みやすい。

竹林の問題は里山の問題でもあり森の問題でもある。産業的視点と生態学的視点のバランスをうまくとっている森林ジャーナリスト田中淳夫氏の著作からは7)を。また、8)は生態学の最新の知見も盛り込み、森と里山についてのイメージを新たにしてくれる。

1)沖浦 和光(1991)竹の民族誌?日本文化の深層を探る,岩波書店

2)上田弘一郎(1979)竹と日本人,日本放送出版協会

3)野中重之(2010)タケノコ?栽培・加工から竹材活用まで,農山漁村文化協会

4)橋本清文,高木 康之(2009)竹肥料農法?バイケミ農業の実際,農山漁村文化協会

5)杉谷保憲(2010)京たけのこが教えてくれた,京都新聞出版センター.

6)岸本定吉,池嶋庸元(1999)竹炭・竹酢液のつくり方と使い方,農山漁村文化協会

7)田中淳夫(2007)森林からのニッポン再生,平凡社

8)清和研二(2013)多種共存の森,築地書館

9)徳川林政史研究所(2012)森林の江戸学,東京堂出版

10)内村悦三,中川重年,近藤博,松田直子,大石誠一,中西良孝,谷嘉丈,渋沢龍也,狩野香苗,濱田甫,杉谷保憲ほか(2009)現代に生かす竹資源,創森社

11)農山漁村文化協会(2012)竹徹底活用術?荒れた竹林を宝に変える!,農山漁村文化協会

12)山田辰美(2004)放任竹林の拡大から里山を守る,「農村自然環境の保全・復元」p.154-163

13)大野朋子,下村泰彦,前中久行,増田昇(2004)竹林の動態変化とその拡大予測に関する研究,「ランドスケープ研究」67(5)p.567-572

14)鈴木重雄(2008)竹林の拡大特性とそれに基づく持続可能な管理手法の開発,広島大学大学院国際協力研究科博士論文

15)鈴木重雄(2010)竹林は植物の多様性が低いのか?,「森林科学」58, p.11-14

16)柴田昌三(2004)竹は里山の邪魔者だって!?ー里山管理を放棄した人間のエゴ,「森と里と海のつながり」p.86-91

17)柴田昌三(2010)竹資源の新たな有効利用のための竹林施業,「森林科学」58, p.2-5

18)鳥居厚志,奥田史郎(2010)タケは里山の厄介者か?,「森林科学」58, p.2-5

19)香川県環境森林部(2005)竹林の整備と利用の手引き

20)千葉県森林研究センター(2008)里山活動によるちばの森づくりー竹林の拡大防止と竹材利用

以上。。。。

久多見神社のこと

 尾原ダムから松江へ向かう際には、忌部をいつも通るのですが、いかなる地なのかが気になっていました。松江の郊外にあたり、上水道の水源地でもあり、また一方で拡大した竹林や耕作放棄地が幹線道から垣間見えていてのこと。

 そんな折、久多見神社のことを知りました。玄小子のHPによれば、「式内社調査報告」に次の記述があるのです。

「明治四十四年悲劇の合祀後、大正十二年平口部落民十五世帯は、山林を拓き、残っていた社殿を地引し、奉斎した」

 悲劇の合祀です。

 あぁ、いったい何があったのでしょう。明治44年から大正12年の間、15世帯という小さな集落が共有した物語を知りたくて、県立図書館で忌部村史(復刻)を閲覧しましたが、斯様な記載はありません。雪のふるある日にそばまで行ってみました。

 春が来たら、参詣して、昔日を問うてみたいです。

 文献については、U氏に一度きいてみましょうかな。

 あわせて、概論としてこちらを閲読すべきかな。

「神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈」安西水丸著 岩波新書 1971年

水神

朝の散歩の途中で見つけた水神さま。裏山から引いてきた水を貯めている場所に祀られています。おそらくはここのお宅のものであろう。家や小さな集落の単位でしか、こういうものは残っていかないだろうし、小さな営みのなかで確かに継いでいかれるものが希望なのだ。そう思うと、このコンクリートの塊がとても大事なものに見えてくる。構造体としては何年もつのだろうか。これから長くて40年だろうか。
50年後にこの場所を確かめることは、私にはできない(可能性がなくはないが)だろうが、行く末を信じられるくらいには、この世の中を生きて進んでいきたいものだ。

里山修復体験場?

1976年10月22日撮影の航空写真です。島根県の尾原ダム・さくらおろち湖の自転車競技施設上空。

ダム建設に伴う居住移転の後、この谷戸には建設残土が入れられ、芝生の広場ができました。

一段高くなった広場の横は、みるみる湿地と化し、いかんともしがたい状況に。

水路をきって、排水をよくしたところで、さといも、こんにゃく、くらいはつくれるのかなと思ってみたりしますが、基本的には「自然に戻す」場所。問題はそこに人の手がどのようにどのくらいかかわるべきなのかということ。

そして、なにより、ここは「人が集う」場所として創り出していくところなのだなあ。

ほかの練習問題をとくことから、と、とりあえずは位置づけました。

研修・体験レベルの者であれば、竹を刈るくらいは問題なしといわれていますし、「GI」、ビオトープへの布石としてよいのかなあ。しかし、これは難易度高そうです。

この周辺には民家が皆無なのですが、そのデメリットをメリットに変えるような何かが必要です。まったく新しいタイプの里山修復体験(実験)場??

竹チップ&パウダー覚え書き

 竹取り研修が終わって5日めだというのに、なかなか「まとめ」に着手できません。忘れないうちメモ風に備忘を。

 チップ・パウダー化は、おそらく時間にして約1時間半。最初は葉を落としていましたが、早々に「丸ごとぶちこみ」に変えました。

 枯れた竹はいれないことにしましたので、古竹は燃やすことに!(予定外:燃やしたいけど、この日にはできんでしょうと事前に講師(マスター)とは打ち合わせていたのですが、山主が「やろう」と言ったので)

 チップは袋づめ、6袋ぶんかな。後ほど写真で確認しましょう。

 袋につめるのであれば、やるそばからつめたほうがよいです。後で「山」からつめるのでは手間がかかります。

 チップ化ふくめての整備作業の人足勘定について、です。勘にもとづいて言います。

 2人いればやりやすいですが、3人〜4人が効率よく作業を進めるうえでの最低人数かもしれません。

 チップの組成はあとで書物で確認しますが、窒素が少ないことと、珪酸が多いこと、が特徴かな。乳酸菌を含有していますが、島根県中山間地研究センターからお越しいただいた指導員?によれば、土壌の菌と協働して土がよくなったという実例はないそうです。嫌気発酵させての効果は「実証はされてない」ということでした。

 ということで、使い方としては、主に3つ。

①竹林にそのまま敷く・まく……手間がかからないです、これ重要。土壌がふかふかとして(踏み固められなくて)タケノコがよくできるよう。しかし、おいしいタケノコめざしてイノシシが殺到するという事例が多数あるらしい。

②果樹の土壌に敷き詰める、しかも厚く(15センチくらい)……これ、再度確認です。

③落ち葉と同じく堆肥化する……山積みにして切り返し作業。

 あぁ、それからですね。竹灰の使い方として、田んぼにいれるのが常道として古くから行われてきたのです。これがいちばんかもね。

 また、今回は灰になるまで燃やしましたが、途中で消せば、ポーラス竹炭のできあがり。

 焼き物の釉薬として、こんにゃくづくりの材として、これは特産開発のひとつとして一考の価値ありですね。

 そして、竹を燃やすに際しては、杉のそばでやったんですが、おじちゃんたちは、とーっても慣れているというか、わきまえているというか。

 「そろそろ葉も乾いてきたけん、ちょっとあっちにずらさんと」

 「ちょっと雪かけて、勢いけさんと」

 うまく、火をコントロールしてました。

 「雪」がまわりに転がっているというのも大きいなあ。手でもってかければいいんですから。

 いやあ、来週中には「奥出雲竹取り通信」を発行せねば!です。