人工知能がもつ限りない愛

 朝食をちゃぶ台へ運びながら、NHK総合テレビの朝のニュースを観て驚いた。人工知能のフェア開催の模様を伝えていた一コマだった。感情をもつAIについて、そのブース担当者が発したコメントは、朝のおだやかな時間に聞くには衝撃が強すぎる。

「AIは疲れませんから、無限の愛を人に注ぐことができます」

 そう、それは恐らく正しい。ロボットは原理上疲れない。文句もいわずに24時間働き続ける。そして、AIが機械である以上、その本質は変わらない。

 生身の人間と人工知能をへだつ最大のもの。

 さすれば、別な定義が人間に関して持ち上がってくる。おぉ。

 人間とは何か。

ーーー疲れる存在。

 東浩紀デリダ解釈の中核に「Limited Inc.」をひきながら、醸していたあれを思い出した。

 それはそれとして。もうひとつ。

 人工知能をめぐる熱さは、現在求職活動中に私にとってもリアルに感じるものだった。求人に人工知能とあれば、破格の労働条件が提示されているのです。知らんかったわ。

wiredの特集号を買って読むことにします。

 https://www.amazon.co.jp/WIRED%EF%BC%88%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%89%EF%BC%89VOL-20-%E9%9B%91%E8%AA%8C-WIRED%E7%B7%A8%E9%9B%86%E9%83%A8-ebook/dp/B018QNPT5S/ref=sr_1_4?ie=UTF8&qid=1467248722&sr=8-4&keywords=wired

ローカル・ナレッジを読みながら

《社会的なるものほぼすべてについての「一般理論」を求めようとすることの虚しさは増し、そうした理論を手にしたとの主張は誇大妄想と聞こえるようになった。これが統一的科学を望むには早すぎるからか、それともそんなものを信じるには遅すぎるからかは、議論のあるところと思う。しかしそうした科学が、今ほど遠く、考えにくく、望むべくもないように思われる時はない》C.ギアーツ,1983『ローカルナレッジ』小泉潤二訳

そして、青木保は解説でこういう。

「私もこの学会で30年近くを過ごしてきたが、ギアーツの著作を理解する教養と知性を備えたものはまずほとんどこの学会にはいないといってよいかと思う。それに替わって学会を支配するのは、専門に名をかりた野蛮な無教養主義であり、小権力をちらつかせる小エゴイストの横暴である」

閉鎖空間の中でしか知は知たり得ないが、それでも知たるものへの誠実を貫こうとすれば、閉鎖空間=枠組み=地方の知を、こえていかねばならないのだと。

どんなものであれば、いまの時代にあって、読むという行為は、その困難に挑むことなのだと思います。

スターバト・マーテル

スターバト・マーテルに曲づけした作曲家は600人にのぼるとwikipediaに記載がある。 冒頭の一節である《Stabat mater dolorosa 悲しみの母は立っていた》から、そう呼ばれてきたのであるが、著名な10曲くらいであっても聞き比べてみると、わかることがありそうだ。  下に引っ張ってきたのは、イタリアのナポリ楽派オペラ作曲家・ペルゴレーシのもの。 Pergolesi: Stabat mater, for soprano & alto Les Talens Lyriques *上記リンクが切れていたため、ペルゴレーシのスターバト・マーテルはこちらで。

編成などオリジナルに近いのはこちらか。ただし、下にひいたブログが「オリジナルの演奏を再現したとはいえない」という女性ボーカルの二重唱。

J.S.Bachがモテットに編んだ「我が罪を拭い去りたまえ、いと高き神よ(Tilge, Höchster, meine Sünden)」(BWV1083)はこちらで。こちらは男声のボーイソプラノと女声。これから上記でいうところのオリジナルを脳内で奏でてみるか。

◆読んだ記事やブログ等 ・ペルゴレージの「スターバト・マーテル」をオリジナル編成で聴く (私的CD評) ・歌詞対訳講座〜スターバト・マーテル

蛍をめぐるいくつかの記憶について

 つれづれなるままに。以下、本当に駄文である。あるいはメモ書きとして残しつつ、読めるように改稿していきたい。

 つい先ほど、蛍が軒先に1匹やってきて、幾度か光をくれたあと、闇というには明るすぎる、街灯とは反対の庭先に飛んでいった。梅雨入りをメディアが知らせてくれてから幾日ほどたっているのだろうか、妻が梅ジュースを仕込んだのは1週間から10日前のような記憶があるのだが、スーパーの店頭から壜や氷砂糖の山が消えているのをこれもつい2日ほど前に見たような記憶もある。

 蛍、梅雨、梅、雨、、、記憶の連鎖をたどってみたところで、何がどうということはないのだが、蛍の光の明滅には、そうした心の動きを誘ってやまないものがあるということにしておこう。

 それにしても、昨年まではついぞ家の軒先でなど見ることもなかった蛍である。昨晩は裏の畑でも見た。今日見たのは、果たして昨日と同じ個体だろうか。

 そんなことを考えていると、そうそう、ちょうど1年前には、蛍の観察を機序とした環境学習会を企画していたものだった。想定内というか予想通りに却下されたのであるが、理由がおもしろかった。「他の地域でもやっている」というものである。おそらく企画書の内容は一行たりとも垣間見ることなく、一蹴されたのであろう。なぜなら、他の地域ではやっていないからである。近隣あるいは県内に限っても、蛍をふやして見学に訪れる人を殖やすという取り組みはやっていても、蛍がどうやったらふえるかを、親子と地元の老人たちといっしょになって、朝から晩まで連続して最低でものべ5日間にわたってやってみるなどという酔狂なことはやっていないし、そんなことの意味をみいだしたりはしないだろう。

 あぁ、今ここでは、そんなことを思い出したというだけのことだ。

 「蛍のすめるみんなの○×川をきれいに」

 看板に描かれた川も蛍もまったく美しくはなく、○か×か、△はなしよと問われれば迷わず×のカードをあげたくなる……。

伊勢と奈良への旅行計画

 6月19日(日)〜21日(火)に出かけることになりました。ついこの間決まったので、行くところなど決まっていません。もともとは毎年の伊勢参りにあわせて近隣をめぐるという趣旨なので、伊勢に行ければそれでよしといえばよしなのですが、今回奈良に2泊するのは、昨年訪れた「粟ならまち店」がとても刺激になったからです。

 今回は清澄の里の方へ行こうという話ではあったのですが、今日電話を入れてみたところ、20〜21日は休店で19日は予約で満席でした。

 「銀花」に載っていたのがかれこれ○年前。東京で編集者をしていた頃のことで、書籍のネタとして考えていただけであって、まさかそれから吉賀町へ移住し、奥出雲へ移住し、焼き畑をやりながら、幻の粟を探し求めることになっていようとは。です。

 

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 粟を立ち上げた三浦氏は、奈良の在来である「むこだまし」を再生しているといいますが、他の粟の品種があればちょいと見てみたいですよ、ヒエ、キビなどの雑穀があればそこも。ちゅうわけで、とりあえず明日「聞き書き奈良の食事」を閲覧してみようかと思います。

 井口先生に聞いてみようかな。

 そして、数少ない読者の皆様、たまたま通りかかった皆様へ。

 この伊勢行きは、奥出雲で新たな食をつくっていくためのヒントを求める旅でもあるのですが、ここぞというお店や農園などご紹介いただければ幸甚です。

※大阪ではスリランカカレーのお店「カラピンチャ」へ行きたかったのですが、こちらも休店日でした〜。

『聞き書き奈良の食事』1992,農文協

奈良盆地の食-茶がゆで明ける「国のまほろば」大和の朝

斑鳩の里の食-水田裏作のえんどうが潤す、塔のある柿の里

葛城山麓「竹内」の食-峠の清水がおいしい米を育む街道沿いの村

大和高原の食-秋きゅうり、トマトも育つ茶畑に、摘みこさんが散り茶の香が満ちる

奥宇陀の食-炭焼き、養蚕の力のもとは伊勢の魚と麦茶がゆ

吉野川流域の食-黒潮の香りを運ぶ塩さばが吉野の里の祭りの主役

十津川郷の食-熊野を結ぶ峡谷を筏が下り、つぼ切りさえれが遡る

古都奈良の宗教風土と味

人の一生と食べもの

奈良の食とその背景

東京から出雲へ

 羽田から出雲へ発つときに撮影。
 死ぬまであと何回、この景色を見ることができるのだろう。20歳の時に見るのと、50歳の時に見るのとでは、それは違うということには、誰も少なからず同意するであろう。
 いや、それは同じだとあえて言うのだとすれば、その視線の源はこの窓に対して座しているひとりの人間の存在を景色から取り去る必要がある。
 そう、この写真は、窓を通して、とりわけ航空機の窓であることをもって、夕暮れの街の光ではなく、それを観ている個の魂を映しているのだと、そう言いたくなってくる。
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今日の断片〜『焼畑及切替畑に関する調査』など

拾い読みの3冊。
小泉武夫『食と日本人の知恵』2002(岩波書店
小泉は、寿司は、江戸前由来の「早ずし」と「熟鮨(なれずし)」とに大別できるとしたうえで、熟鮨について語る。発酵について、納豆・鰹節・オリゼーなどについて語る章においてである。

安丸良夫安丸良夫集1』(岩波書店
繰り返し断片的に読み重ねている。民衆道徳=規範訓練が日本の近代化の根底部分を駆動していたと。
若者組のこと。明治30年代には青年団へと変わっていったこと。
農林省山林局『焼畑及切替畑に関する調査』
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農作の種類でもっとも多いのが蕎麦であるというのが意外であった。量的なものではなく何をつくっているかということへの回答数のカウントなのかな。面積でみると高知県が図抜けて多い。

斐伊川を結ぶ会の田植え

 お手伝いしました。手植え。お酒になります。

 昼食のあと、田中初恵さんに「茅葺きの家」の茅のことを尋ねました。夫の利夫さんがとても苦労されたとだけ、以前に聞いていたので。

 茅をどうやって集められたのか。その答えは、「見つける度に(車を)駆け下りては取る」ことでした。取った茅は上へあげていぶしておくと。あぁ、そうした積み重ねであるのだろう、ものごとというものは。

 北側(裏手)の屋根がかなり傷んできているので、差し茅をしたらどうかと、お手伝いしますよとお話しました。そう。そちらもつないでいくことに取り組むのです、ほんの少しでも、前へ。

 横路さんから聞いた小学校の話も気になる。こちらも近々にl。