わが家の前にオオサンショウウオがいたころ

自治会の草刈りの日。昔の話がいろいろ聞けておもしろいのですが、三面張の用水路となってしまった杉谷川にもオオサンショウウオがいたという話がありました。かれこれ50年も昔のことでしょうか。いまでもその水は美しく、面影をかすかにたたえているような。


斐伊川本流からの遡上、あるいは久野川から遡上したものでしょう。してみると、堤がいまほどに高くなる以前のことなのか。あるいは近接する案内川から移動したものか。町となり工場ができ、鉄道の駅ができる前には田圃が広がっていた地であり、また奈良時代の僧院、しかも山陰でも屈指の規模のものがここにあり、その「庵」の中を川が流れ、オオサンショウウオが歩いている。そんな光景を想像してみるのは楽しいことです。
福田幸広さんが撮るGiant Salamanderを木次にかさねてみます。
River Dragon _Japanese Giant Salamander
こうした場所、森、川、自然と人との関係は、もはや県東部には残っておらんです。福田さんがオオサンショウウオを撮影したお隣は鳥取県と岡山の県境地帯でも危機的状況にあることを昨年耳にしました。しかし、しかし、です。人口減少下の山間地にはもう一度この自然を取り戻すチャンスもあるのです。人がいなくなり「山にかえる」とはいいますが、ほおっておいても戻りません。せめてそう仕向けることを人の側がはたらきかけないと、「山にかえ」りはしないのです。
現況下にあっては、むしろ自然の循環は人が少なくなることで悪化します。
「そのうち草刈りができなくなると、みんな薬まいてしまうけんのお」
とは草刈りのときにも何度か口にする人がいました。そうです。「農地」でなくなれば、農地には使えない強い除草剤だって使えてしまう。それも一度きりであれば、自然が勝っていくのでしょうが、繰り返し継続的に使用された場合、土を入れ替えるか持ち込む以外に再生する手立てがなくなりかねません。
ま、そういう場所に森を取り戻すことに挑戦しようとしているのですが(森と畑と牛と)。お前はアホかとほんとに思います。
さて、今年の日本オオサンショウウオの会総会は鳥取県西伯郡南部町で開催されます。いけるかな?

ツキノワグマが島根から消えるとき〜田中幾太郎『いのちの森 西中国山地』#001

 「あの爺さんらも、もうおらんようになった」

 田中幾太郎さんがそうつぶやいたときに感じた、いいようのない戦慄の正体に、もうすこし近づいてみたく、著書を再読することとした。『いのちの森 西中国山地』は平成7年に光陽出版社よりおそらく自費出版されたもので、古書も少ない。1000部も刷っていないのではなかろうか。県立図書館で借りてきているものから少しずつ、抜粋と注釈を重ねてみたい。

 今回はその1回目、#001である。

 田中さんとは数回しかお会いしていないのだが、つかれたようにクマのことを話されていた。5年ほど前のことだから、2010年の全国的な大量出没の後である。この著作と同様、言葉数はきわめて少ない方だ。

 ニホンツキノワグマ、そして西中国山地タイプの遺伝子を伝えるものが絶滅危惧種であり、その生息動向が世界的にも注目されている種であることを、島根県民はもっと知ってよい。そして、クマとの共存をはかる活動については頭の下がる思いである。そう島根、とりわけ西中国山地にはその素地が古くは確かにあったのだ。クマを聖獣として敬ってきた「あの爺さんら」。ヘビやタカやオオカミとも交わることのできた自然の博士たち。

『いのちの森 西中国山地』は18章。章ごとに森と川の生き物が語られる。1章のヤマネからはじまり、ゴギやオオカミをへて、最終の第18章がクマなのだ。

p156

《ニホンツキノワグマと、前に書いたホンシュウジカは、はるかな地質時代の昔から日本列島の深山にすみつき、「ブナ帯文化」の狩猟生活を支え、縄文や弥生時代を経て興る稲作文化の基調な随伴種であった意味を顧みる人は少ない。先人たちがたゆまぬ努力で豊かに築いてきた民俗とともに生きてきた”日本人の心の動物”を見失ってもよいものだろうか。金太郎の「足柄山」に代表される、数多くの民話に登場してきたかれらに打ち込まれた生命の意味は、厳しく生きてきた先人たちが伝授した、きわめて科学的な”環境観”であったように思う。》

p158

《西中国山地のクマ猟の”今昔物語”を親子二代で語ってくれたのは、美濃郡匹見町三葛に住む古老、大谷滝治郎氏(九十六歳)と息子の定氏である》

《滝治郎さんが話す昔の熊猟は「奥山ちゅうたり深山ちゅうて、木地師でなけにゃあ寄り付きゃあせんところじゃった。クマちゅうもなあ、深山にしかすまん獣で、里山の方へ下りてくるこたあ滅多にあるもんじゃあなあし、ましてや今のように里の屋敷の周りい出てくるようなもんはおりゃあせんかった。そいからシカのようにゃあ田や畑を荒らさんけえ、退治ることもなあし、わしら親らあからこんなもなあ、深山の守護神じゃちゅうて傷めんように言われよった。この辺の猟師ゃあシカあ捕ってもクマあ滅多に捕るようなこたあなかったでや。そいじゃがシカがあんまりおらんようになってきたりして、たまに捕るようなこともありよった。そがあなときゃあほかの獣たあ違うて、大事に祭りごろをしたもんじゃ。クマあ、熊野権現様が深山に遣あされた使者じゃけえ、こんなあ捕っつりゃあ、必ず罰が当たって、天気が荒れてくるんじゃ。猟師ゃあそりょう恐れて、捕ったクマの白い月の輪を天の神さまに見られんようにせにゃあちゅうて、うつ伏せに寝かあとく。そがあしてその周りにもってって、槍や火縄銃を必ず七本立てかけるんじゃ。そろわんときにゃあ木の枝でもええ。そがあしといて『天の神さま、竜宮のおと姫さまに酒菜を差し上げんと思うて、天の犬を誤って捕りました。どうかこらえて下さいませ。アブラウンケンソウ、アブラウンケンソウ』と呪文を唱えて、かしわ手を打ったもんじゃ』》 

 ニホンツキノワグマの今日的な意味とはなんだろうか。

 「日本は美しい生命の森の山国である」
 田中氏の言葉の後ろには、猟師の爺さんらの声なき姿がある。届かぬ手をのばして、一滴なりともすくい取ってみたい。いのちの水を。

 島根県は2012年からWWFと共同でプロジェクトを推進している。
 いくつかの参考サイトをあげておきたい。

◉WWF:クマの保護管理についての情報

◉日本クマネットワーク

 

 

 

 

雲州一国の者他国へ出る事甚禁じてあり

 温泉津の蔵元、若林酒造の開春、これ美酒なり。日日楽しむ。

 ほの暗い樽中の発酵を垣間見、肌寒い蔵中で糀の香りに慰撫されてより、またその味わいもひとしおというもの。さするに数日前のこと、佐賀錦から生酛づくりでものされた無濾過生原酒をちびりちびりと飲みながら、そういえば種村季弘氏が温泉津のことで筆を走らせておられたはずで、あの本はどこにあるのだろうと、思い起こしていた。

 あっけなくも昨日発見。実家の棚にあるのを持ち帰ってきた。

 ふむふむ。これであったか。

 書名は『種村季弘のネオ・ラビリントス7巻 温泉徘徊記』。河出書房新社から全8巻で刊行され、手元にある第7巻は1999年の初版。現在、需要は満たしての絶版である。種村季弘の古書はそもそも市場に出ること少なくして、値崩れしないことで知られる。しかるに6巻の食物読本がほしいなあと思いアマゾンでみるに、2000円の根づけが!? どれどれと思ってクリックしてみれば、タバコ臭ありますと。なるほど。他の出品をみれば9000円〜12000円となっている。

 納得。

 いい値段である。ほいほいとは買えぬ。諦念の向こうにあって手の届かぬものでもない。まっとうな本の適正価格というのはこのあたりなのだろうなと思う。

 さて標題に記した本題のこと。

 野田泉光院の『日本九峰修行日記』から、種村がひいたものである。

 泉光院野田成亮(しげすけ)は日向国佐土原の安宮寺の住職をつとめた修験宗の山伏であり、多くの行を積んだ大先達であった。文化9年(1812)9月から文政元年(1816)11月までの6年2ヶ月を諸国修行にまわり「西の芭蕉」とも呼ばれた。宮本常一『野田泉光院ー旅人たちの歴史1』として、石川英輔が『大江戸泉光院旅日記』として一冊にまとめている。

 つまりはたいへん著名であり、文化・文政年間の旅の記録とあれば、”観光資源”として”活用”されていそうであるが、これが島根県内では一切みたことがない。理由はあれこれ思いつくのだが。

 件の一文は、山伏の野田泉光院が出雲国に入ると、泊まるところがなく大変苦慮したすえにでてくるものらしい。今の時代も変わってないなあと思った次第。

 さっそくその記を県立図書館の地下書庫より出してきてもらい閲覧。『日本庶民生活史料集成』の第2集におさめられている。

《雲州一国の者他国へ出る事甚禁じてあり、因って旅ということを知らざる者多き故、人の情も慈悲も知らざる者多し》

 もっとも平田ではよくしてもらった人もいて、出雲に格段に悪い印象をもったわけでもなさそうだ。長州から芸州そして石州をへて出雲に入るその日記をつらつらと眺め読むに、他国に比して神仏をのことを語り合うことがきわめて少なかったように思える。それがゆえか、出雲路をしめくくるに痛切なひとことを残している。

《且又雲州は神国と他国よりは称すれども、雲州の人は神威も知らず、神国にして神国に非ず、人気宜しからざる国なり》

竹の焼畑2017~sec.12,13

活動状況です。
7月1日(土)には1名で14時〜16時に草刈り。2日(日)には10時〜15時30分まで10人が火入れ地観察と打合せを行いました。
以下は7月1日(土)の状況です。
◉発芽成育状況その1(2017春焼地)
ホンリーはぐんぐんとのびています。

モチアワもようやく出揃った感あり。ここから追い込めるか。間引きはほとんど施していませ。再生竹の除去のみ。目下のところ他の草の発生もないです。風の強さに倒伏気味ですね、栽培種ならではか。

ヒエとタカキビですが、牛にくわれながらも、総体としては生長中。共存共生の道をいかに築くかの試金石でもあります。まず入ってくる牛の個体数が少ないという状況下なので、あくまで試金石ですが。

モチアワのこぼれ種がおのればえしています。草を刈ると他の草の下から出てきます。大変興味深い。(雑草には負けているが、発芽して生長もできている)。

ルリシジミと虫と

 からっつゆでダム湖も干上がらんばかりであったのが、ここ数日降雨も続き、みながほっとしているところでしょうか。庭も畑も、草がぐんぐんのび、虫の姿もふえました。
 畑のズッキーニ(ステラ)はウリハムシに食われ気味。今年は庭の草木が、さほど虫に食われないなあと思っていましたが、ここにきて大発生の予兆が……。様子見です。
 下の写真は、ルリシジミヤマトシジミか、判別できませんが、この日は飛んでいるのをよく目にしました。

 そして、なんだろう、この子。あまり見かけませんが、アゲハかなにかでしょうか。

 そういえば、数日前、裏の畑に猿がやってきたらしい。そうか。ついに……。

チョウもバッタもイカだって

 一昨日のこと、庭の草むしりをしていたら、小さなバッタと出くわした。久しぶりのことだった。1年前に山で見た記憶があるようなないような、そんなものだ。「あれ?いたのか」がそのときの感であるのなら、今回は「おぉ、いたのか」という、わかりやすくいえば「うれしさ」があった。

 バッタなぞ、子どもの頃はあふれるほど草むらにはいたものだ。

 感傷ではない。実利にもとづくうれしさでもある。

 裏の畑の土がそこそこよくなってきたので、キャベツを植えてみようかと思い、そういえば3年前に苗をおいたらぜんぶ食われていたなあと。あれはモンシロチョウだったのだろうか。モンシロチョウの幼虫はバッタがいればけっこう食べてくれるということを聞いた。わかりやすくいえばバッタは益虫だと知ったわけだ。益虫だから認識を変えたわけではない。バッタについての知識がひとつ加わったこと。それもある。あるのだが、そのバッタ一般と目の前に現れたバッタとはまた違うものであるように感じた。それがなんなのか。いま、いろいろと考えている。

 ともかくも、お前、がんばれよ、と声をかけておいた。

 

 さて。

 クロマグロニホンウナギもいつのまにやら希少な生物となりにけり。今年はスルメイカもぱったり店頭に出てこない。日本海側(山陰)にはまわってこないのだろうか。ざっとググってみれば、「スルメイカが採れない 漁獲6割減 価格は2倍に」との記事によると、もともと山陰では秋から冬が旬ということか。

《1~2月にかけて東シナ海で生まれるスルメイカは、春から夏にかけて太平洋側を北上、秋以降は産卵のために日本海を南下する。》

 大好きなウナギは、数年前から年に1〜2回食べるにとどめている。スルメイカもそうなってしまうのか、トホホ。自家製塩辛を楽しみに待つ妻のためにも、漁獲規制を望む。とりすぎなんよ。「妖精のためにとっておく」とは茸採りを終える決り文句であったか。そんな上品なものでなくても、「自分たちの利益のためにとっておく」ことすらできないのが、漁業という業界の難しさであるようだ。どうしたらいいのかという前に、消費者主権とやらを行使したつもりになりつつ、小さな記録をとることも、はじめてみようと思う。

 庭にやってくるものたちの記録として。

 今日はこのチョウ。

 ベニシジミだと思う。

 スイバやギシギシが食草。その手はたくさんはえてるし、ふえる傾向にもあるから当面は目にすることも多いでしょう。よろしくね。

IMGP6641

 

竹の焼畑2017~sec.11

雨が足りない日が続いています。灌水設備をもつ野菜農家からも悲鳴がきこえてくる今日このごろですが、われらが山畑はいかに。
どうしたもんじゃろのお。これでは「人口減少局面における中山間地の新たな土地管理手法開発」などと、言えた口ではありません。が、しょんぼりしてる場合ではないのです。いま、かんがえはじめているのは、「焼かなくてもいいじゃね」的方法。
「焼く」ことに注力するあまり、ちょっと他に目が向きずらいという面もあるしですね。混作。これを試してみたい。
草との共存、いっそ、牛との共存です。
牛にくわれてもいいような、そんな農ができたらおもしろいなあ。
さて、本題です。
6月23日(金)焼畑地状況
◉発芽成育状況その1(2017春焼地)
・ホンリー…前週の2倍ほどには成長しています。育ちざかり。

・タカキビ…牛に食われたところは、まちがって密になっていたところです。パラパラとばらけていると食べられにくいのだということですね。

・モチアワ…ようやく伸びてきました。発芽率は悪いです。計算してませんが、2〜5%くらいか。

20170623-P126009002

・ヒエ…半分くらいは牛に食われました。トホホ。回復してくれればよいのですが。
・サツマイモとツルアズキは草に覆われており、確認を断念(すみません、最後に見たので疲労でちら見くらいしかできず)。
◉発芽成育状況その2(2016夏焼跡地)
・アマランサス…やっと。やっと。遠くからでも視認できるほどに生長してきました。カブ跡地にまいたものは、牛に食われる覚悟で放置していたのですが、どうやらまだ食われてません。いつ味をおぼえるか、それが問題。そうなるまえに背丈を伸ばしてくれれればいいのですが。

・モチアワ……中山エリアには松本在来をまいてますが、発芽率わるし。覆土の問題なのか、土の問題なのか、種の問題なのか、旱の問題なのか。考えすぎるのもいかんので、思い切って昨年とった岩手在来の種を適当にえいやっと方方にまきちらしました。どうなりますか。
・タカキビ……林原在来を10m一列ぶんほどまいて、あとは50粒程度を、これまたえいやっとほうぼうに放り投げました。

◉その他
春焼地の再生竹がいきおいをましております。畑地部分と周辺部で目立つものは刈り取りました。アマランサス、モチアワ、タカキビ、それぞれ最後の播種。数日以内で発芽すればなんとか収穫までいけるかもしらん。来週から大豆、ツルアズキ、土用豆をまきはじめます。
この日の実質作業時間3時間×1名。
おまけの1枚は100年(千年?)の森づくりをうたう山を削った斜面。どうなるんかハラハラしてしょうがない。昨年から地面の草類、落葉はすべて撤去する管理に移行したようで、はやくも急斜面の土壌流亡がめだってきた。芝の類でも植える計画なのだろうか。浅学ゆえ余計な心配が先にたつ。新たな自然管理手法と思われ、どなたがご教示いただければ幸い。

コンクリート護岸で失われていくもの

 ランドスケープデザイナー・廣瀬俊介の『風景資本論』を読んでいる。2011年(平成23年)の11月、すなわち3.11の年に刊行されたものだ。3〜5年ほど前に書店で手に取って贖ったような気がする。大阪だったか東京であったか。そしてしばらくは、カフェ・オリゼの書棚のしかも目立つところにありながら、じっくり時間と腰をすえて読んだことは、これまで、なかった。何度も噛みしめるように読んでいた白井隆,2004『庭の旅』(TOTO出版)の隣に並んでいたのだから、背の「風景資本論」という言葉とその存在だけの痕跡が記憶の中にとどまり続けていた。きょう、その書を手にとり机の横においたのは、いま進めている”ビレッジ”のプランで、いかに風土設計を取り入れるかに腐心しているからに他ならない。デザインを職とはしていない私がデザインをしなければならないところに追い込まれているからこその「腐心」、「苦心」であるのだが、それは理不尽なことではない。廣瀬が本書の中でいうように、デザインの本義は職能ではない。

《「design」は本来、日本で誤解されているようにあるもののかたちを作品的または商業的につくる仕事ではない。あるもののあり方を考えるところから、そのあり方に則したかたちを成すまでの仕事が、本当の「デザイン」にあたる。》

 別な言い方をすれば、デザインとは、コピー&ペーストができるものや参照するもの(今どきそれらを「アイデア」と呼ぶことが多いようである)ではないということだ。商業デザインのそれはむしろ「複製」できることがその本質であるかのように、今日の日本では、見える。みながそう感じ、とらえ、考えているように、思えるのだ。
 廣瀬の言からすれば、デザインは「あるもののあり方」を考えるところからはじまる。地域づくりやまちづくりにデザインの手法が多用されるようになってからは(山崎亮の功績は大きい、罪もあるにせよ)、馴染みあることだ。しかしながら、《資本の管理と充実は、資本の内容が確認できてはじめて行えます。しかし、日本各地で目ざされる「まちづくり」「地域おこし」には、自然科学、社会科学、人文学を基礎とした確かな「地域資源」の調査方法をもたず、当てずっぽうに行われている例が多い…。》
 心あたりのある方も多かろう。ワークショップと呼ばれる方法は「やらないよりまし」という言い方もされるし、ひょうたんからコマが出るように、当てずっぽうでも、当たるものは当たるし、当たらなくても、やること自体に意義はあるともいえる。だが、そうした「流れ」が何をもたらすかということに、もっと自覚が向いてもよい時期にきていると思わないか。
 それは「風景資本論」所収の一枚の写真とキャプションが語るものでもある。
 台風23号の災害写真で、治水を目的としたコンクリート地盤が後背地盤からの吐水の不十分さからはがれ落ち、隣接する石垣は崩れていない、その対照を映し出したものだ。とても象徴的な図絵であって、たくさんのことが思い起こされる。私的個人的な連想として。
 そのひとつが宮本常一著作集21巻「庶民の発見」に所収された、石工の話である。
 以下、引用しつつ、ひとまずとじたい。整理がつかないので。

《田舎をあるいていて何でもない田の岸などに見事な石のつみ方をしてあるのを見ると、心をうたれることがある。こんなところに、この石垣をついた石工は、どんなつもりでこんなに心をこめた仕事をしたのだろうと思って見る。村の人以外には見てくれる人もないのに……」と。》

《「しかし石垣つみは仕事をやっていると、やはりいい仕事がしたくなる。二度とくずれないような……。そしてそのことだけ考える。つきあげてしまえばそれきりその土地とも縁はきれる。が、いい仕事をしておくとたのしい。あとから来たものが他の家の田の石垣をつくとき、やっぱり粗末なことはできないものである。まえに仕事に来たものがザツな仕事をしておくと、こちらもついザツな仕事をする。また親方どりの請負仕事なら経費の関係で手をぬくこともあるが、そんな工事をすると大雨の降ったときはくずれはせぬか夜もねむれぬことがある。やっぱりいい仕事をしておくのがいい。結局いい仕事をしておけば、それは自分ばかりでなく、あとから来るものもその気持をうけついでくれるものだ。」》

 「そのあり方に則したかたちを成すまでの仕事」を、かつての石工たちは「行為」としては、ひとりあるいは数人でなしてきた。彼らこそ真の意味でのデザイナーであった。
 

竹の焼畑2017~sec.10

6月18日(土)焼畑地状況(2017春焼)です。
この日、最高気温は28℃程度か。「梅雨入り」してからほとんど雨が降りません。梅雨の定義をよく知りませんが、もはや梅雨ではない、でしょう、これは。「作物栽培」にとってはシビアな日がつづきます。
◉発芽成育状況

・ホンリー…順調です。同じヒユ科である昨年のアマランサスと比較するに発芽が均一で、大きさが揃っています。
・タカキビ…発芽ステージは終了か。手がまわらずまけてないところ多数。蒔きたいところ。

・モチアワ…播種から1ヶ月以上たって多少出てきました。部分的にでも追い蒔きしつつ、少しでも追っかけ種をまいていきます。
・ヒエ…順調。この倍くらいは隣地にまきたかったのですが、今年は断念します。牛が少し食べてました。昨年は誰か(シカ?)にごそっと食べられたのですが、タカキビ、ホンリーには手を出していないところをみると、ヒエはうまいのかもしらんですね。
・サツマイモ…草にうもれつつありますが、まだ大丈夫でしょう。
・ツルアズキ…発芽は確認できず。
◉草刈り
東端裾が薮化しつつあったので刈払。
◉その他
モチアワ、アマランサスは6月播種でも収獲までいけるかもしらん。中山のほうが土がやわらかいので、そちらでまくのもよいのですが、この場所は土が粘土質&竹の根がまだガチガチのために、鍬の刃がたたず、耕起難。機械でとも思うのですが、大変危険ですね。刃の使えなくなった刈払機で浅くかいてまくかとか、思案中。です。

竹の焼畑2017~sec.8

晴れのち曇り、西の風、ときおり強く、気温は12時で26℃くらい。暑さは感じず、快適でした。久しぶりの山仕事で、筋肉が張り手には豆をつくってしまいました。
さて作業時間は11時〜14時半(うち休憩20分)。参加者は1名です。
6月10日(土)
焼畑地状況:2017春焼地》
◉発芽成育状況
・ヒエ…順調。

・ホンリー…大量発芽。密です。2週間後に間引きか。


・タカキビ…発芽率4割程度か。順調。

・モチアワ…播種1ヶ月を経過して発芽率は1%以下です。追い蒔きするつもりでしたが、非耕起エリアにいくつかちいさな芽がみられるので、あと5日程度様子をみることにしました。他のイネ科の雑草かもしらんのですが。
20170610-P126002102
◉草刈り
蕎麦等栽培予定地を草刈り。
◉その他
牛が山を越えて2〜3回程度入ってきています。
ホンリー、タカキビ、ヒエは食べられるかもしれません。柵をつくれればつくりたい。
《2016夏焼後蕎麦跡地》
◉発芽状況
・アマランサス…やっと発芽を確認。ただし数量わずか。

・モチアワ…いまだ発芽0。
◉播種
上記の下の段に鍬入れしてアレチノギクをとりのぞいた後に、モチアワ(松本在来)を、その北西部にアマランサス(種取した赤穂中心)をまきました。

◉その他
牧場で依頼しているきこりさんの草刈りが入りました。きれいに刈られましたねえ。3人役で0.7日くらいか。

《2016夏焼後カブ跡地》
◉発芽状況
モチアワ、アマランサスともに認められず。0。