出雲の山墾り〜sec.8

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春よ、ちょっと待って。
それは2月15日のこと。気温は昼過ぎには18℃。ここから100mくだった木次の日当たりのよい斜面では、オオイヌノフグリが小さな青い花を一面に咲かせていました。
山仕事の日。うごきはじめれば、シャツ一枚でも汗がとまりませんが、1本でも多く竹をきっていきたいところ。竹の伐採は3月上旬までの予定ゆえ、どこを優先するかを、つねに入れ替えながら進めます。とはいえ、そうかっちりきっちり進まないのが山のこと。この日も、気になったところを処置しながら、ざっと林縁部をまわるつもりが、この場所を集中的にかたづけることとなりました。
写真の中央からやや左にホオノキが竹に囲まれながらすっくとのびているのがわかりますでしょうか。やや人間本位というか自分本位の身勝手願望ながら、ホオノキは食材を包んだりなんだりと使い勝手もよく、これは息を吹き返してもらって、葉っぱを取りたいなあと、前から思っていたのでした。
モクレン科らしく春先の白い花も鮮やかで美しいものです。
だから、「この子」のまわりだけでも、新芽が春とともにのびだす前に、きれいな状態にしておきたかったのです。
なにせ、太い孟宗竹が密集しており、上部でからみあっている。竹だけならまだしも、このホオノキやノグルミ、コナラなどが混在していて、伐倒の際に掛かってしまうのです。樹皮を傷つけますし、なにより、引っかかったらそうかんたんには抜けない。
難儀でしたが、目処がたつところまでは整理できたかなあと思います。
あと2日とりかかったら開けるかなあ。

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s-orochi.org

そうそう。追記。

タヌキの糞溜まりがありました。イノシシかもしれんなあとは思いつつ。けっこうな量。去年までのものかなあ。これまでいくつかを、この山のなかでみていますが、こういうところにつくるのかなと考えられるようになってきました。
・太い竹が密集しているところ。
・林縁からちょっとだけ入ったところ
・ひとやまの中では中くらいの高さのところ。裾でもなく尾根でもなく。
・風はとおるが、陽はささない
・竹葉の堆積がそれなりにある。
だいたいこんなところ。

タヌキでしょうが、イノシシかもしれない。あぁ、あるなあ程度でしたので、次回からはしっかり観察してみましょう。

畑や庭や山のこと

雨の降らない週末は本当に久しぶりだと思う。山へ行く予定でいたのだけれど、所用がたてこんだこともあり、明日にする。しばらく何も手をつけていないので、昨日今日のことなど、断片的に。

ずっと干したままだった稗を雀らがみつけた

種取り用にとってあった稗のひと束。少量でもあったので相手にされなかったのだろうが、一週間ばかり前のこと、スズメたちが騒ぐ声をきいて、裏に出てみれば、3〜5羽だろうか、軒下から飛び立っていった。いっせいに稗をつついていたようだ。幸いとまるところもなくホバリングしてツンツンやった程度らしく、稗はほとんど無傷であった。大事な稗は家の中に。吊るしておけばネズミもかじるまいて。

循環式精米機を動かして

土間に静置したままだった循環式精米機を動かした。壊してはいかんし、動かすコツなどいくつかおさえてからと思っていたから遅くなった。もうやろうと。初回なのでなんともいえんのだが、いくつか気づいたことを。

●玄米の精米について……ムラが多くなってしまった。調整の仕方がわるかったのだろう。次回、開口は全開にすること。抵抗は玄米の場合、レバー1〜2くらい。そして研米を忘れていた。1斗ぶんで5分。このとき、抵抗は0。
●籾の精米について……うまくいかんね。家庭用の回転式?のほうが歩留まりもよいのではと思う。
●ある程度の量がないとうまくまわらない。2升は必要ではなかろうか。1斗ということは10升か。

そうそう。仕事のあとは、掃除はていねいにしとかんと。鼠らが集うてしまうので。精米機が鼠の巣になっていたということをときおり聞きます。

2012年、山の暮らしを取材していた

2011年(平成23)の秋から2012年(平成24)の春にかけて、写真や記録をサルベージしていたところ。

映画「森聞き」上映について、いくつかをひろう。現在作成中の「森と畑と牛と」1号にも「記録」としてアップしていく予定。

 「森聞き」上映会

●Kさんの山にて〜2012年1月3日、facebookへの投稿

1月7日、映画「森聞き」益田上映会では、「森の縁側」というスペースをホワイエにつくります。今日はその下準備のために、小雪舞う柿木の山へ入りました。

写真に見える斜面の上の方では、約50年ほど前まで焼き畑を行っていたそうです。
白菜、大根、など葉物が中心で、「そりゃあ、ようとれた」と語る73歳のKさん。
高校生の頃、父を手伝っていたのだとか。
Kさんには今回の上映にもご協力いただいていて、試写会にも来ていただいています。
「あの、焼き畑のばあさんはなんちゅったっけ。ああ、椎葉さんか。あそこの焼き畑は1町歩もあろうが、うちらのは1反ほどのちいちゃい焼き畑じゃ。それでも火はこわいけん、防火帯は10メートルほどもつくっておった。あぶないときは土をかぶせるのがいちばんええ。すぐ消える」。
などなど、興味深いお話をいくつも聞くことができました。

いま、桧が植林されている石垣の箇所はかつては棚田。
水稲と焼き畑農耕が混在していたというのも、ここ柿木ならではという気もします。
この石垣がいつ頃つくられたのかはまったく不明。
里からは、どうだろう200メートルばかりは急斜面をあがった山中です。
ほかにも沢水の流れにそって数軒の家が昭和40年頃まであったといいいます。
三八豪雪を機に、皆、里へ下りたのでしょうか。
聞けば、山中には由来も縁もわからぬ墓石が点在しているとか。碑銘があるものも転がっていると聞いて、ちょいと調べてみたい気をそそられてしまいました。
まあ、そういう意味でも春は待ち遠しい。

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●補遺

この場所へは車であがるのだが、林道含め公道はなく私道=作業道であって、数箇所ほどの難所がある。自分の車であがったのか誰かの軽トラに乗せてもらってあがったのかは記憶が不確かである。新聞記者がどなたか小さな軽乗用車であがってこられて、みなで歓心と笑いで迎えたような記憶が残っている。

小さな小屋があって、寝泊まりできる。囲炉裏を囲んで4人ほどで脚を縮めながら冬の一夜を過ごしたこともかすかに覚えている。翌日は私をのぞく3人が激しい悪寒に襲われ寝込んだのだ。

Kさんから学んだひとつの教えは、いまもときどき思い出し、はじめて山の仕事をする学生らに必ず話す。「自分はずっと林業の仕事をやってきた。怪我で腕をなくしたもの、車椅子生活になったもの、そして亡くなったもの、たくさんの同僚友人知人をみてきた。自分はひとつの怪我もなくこうやって元気にやり続けている。気をつけるのはひとつだけ。山は平地とは違う。山では(わざと)ゆっくり動くこと。

足の指を骨折したくらいの怪我ですんでいるのも、この教えのおかげかもしれない。ゆっくり動けない質ゆえに、ゆっくり動くことの意味がよくわかる。ゆっくり動くと物の見え方や感じ方が違ってくるのだ。山が平地と違うことは理屈でなく身体でわかる、もっともよいやり方が「ゆっくり動くこと」なのだ。

 ●上映会当日、会場の様子などをかんたんに残してあるブログ。

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冬の晴れ間に思うこと

出雲地方の冬。それは晴天日数の極度の減少をもって特徴づけられる。…と言ってみたものの、気象庁など実際のデータにあたったわけではなく、あくまで印象と経験によるものだ。他の地方もおおよそそうであろうが、少なくとも太平洋側とは明らかに違うことに異議を唱える向きは、一般にも専門にもいないと言えるだろう。

雲が全天を覆うだけならまだしも、今年は雪が少ない。ただ、雨は多いのではなかろうか。降水量くらいは平年と比較してみたいものだ。そして気温も高い。不安を募らせるそうした状況のなかで、今日のような晴れ間が訪れ、青空と太陽が湿った雪のない土、地を這うロゼッタ状の草類を中心とした緑がみずみずしく輝く光景は、安堵の空気をきびしさの中に注ぎこむかのようだ。かすかなのぞみというものを具現化するとしたら、この光と匂いなのだろうなと思う。

しかしかような感傷にひたるのはほんの十数秒のことであって、あぁ、野良仕事ができる、という段取り思考である。せめて日曜日も天気がもってくれれば山仕事に行けるのにと。豆の脱穀もすませたいし、あれこれ片付けねばならぬことはいつも満載である。

近頃はどうでもよいと、なるようにしかならんと、そういう気持ちの占める割合がふえて、気は楽になった。そのぶん、少しは前に進めるのではないか。そう希望しておこう。

 さて、そうした思いの中で、焼畑のこと。ふと思ったのだ。焼かない焼畑を試すのはどうだろうかと。焼かずに山に畑をつくる、しかも数年間という短期間での移動耕作的な仕方で。焼かない焼畑。文字の意味通りにはおかしいのだが、世界的にみれば、slash and burnであるよりは、shifting cultivationの耕作法であることにその特徴があるとみたほうが対象を捉えるのにはよさそうだ。そうした見解もいくつかの論文等でみるし、shifting cultivation を焼畑と訳すことも多い。
林田農業の見直しでもある。聞き慣れない用語であるが、日本史の中では焼畑からの発展形態として論じられることもあった。畑井弘曰く。

《林田農法というのは、簡単にいうと、伐採したあとの火入れをしないで、切株を徐々に取りのぞきながら畑地とし、一〇年ぐらい作物を栽培し、また林にもどす農法である。林地と畑地の切り替え輪作という点では、焼畑農業と同じであるが、火入れをしないという点と、およそ一〇年閲ほど畑地として用益できるという点で、大きな違いがある。宮本常一によれば、この農法は、関東地方ではつい二〇年ほど前まで、たくさん残っていたということである》
(八〜一〇世紀の林田農業と家地経営 : 中世的土地 所有成立の一前提:史林1976,59(3)

畑井はこの農法の特徴を地力回復力が通常の焼畑よりも高いことみている。ハンノキを用いることで、大豆小豆よりも地力の回復と持続が長いことをもってのことだが、それだけではないだろう。アグロフォレストリーの特徴として、林影が生じる場と期間など考慮にいれるべきことが多々ある。何を栽培したのかも。

散見したいくつかの例が浮かぶ。バリ島の高原地帯におけるシコクビエは林間の栽培だった。

もうひとつはインドネシア・ジャワ島の竹林を利用したそれ。なんといっただろうか。のちほど資料を追記しよう(★)。ひとつは奥出雲でもそれらは多かったのではなかろうかと。佐白で焼畑を実験しはじめて5年がたつが、向き不向きが地形、土質、元の植生等々によって大きく異る。栽培する作物にもよるだろうし、時期にもよる。そうした背景に加えて、昨年春の桁焼きによる雑穀栽培がみごとなまでに失敗であったことは、そこから何を学んで活かすかを考えざるをえない。桁焼きをやっている自然栽培農家のブログ等にもある通り、桁焼きのいくつかの効用はあるが、下手にやると「焼畑効果によって」雑草の勢いがますというものがある。種子は死滅し、地下茎、株が弱るのであればともかく、温存してしまえば他の植生を受け入れる余地はかえって減るものだ。それは草原の火入れ効果を考えれば必然でもある。

ことは単純な話だ。燃やすのに適さない「荒地」があるのなら、燃やさずにやってみようと。そういうこと。チラチラと土壌の化学や微生物やの知識を漁ってはみるものの、まずはやってみるところからだろう。春の失敗もよくやったといえよう。下手に作物が育っていたら、この道を選ぼうともしなかっただろう、まあよしとして次の「頁」をめくる。もともと昨年から活動名も「焼畑」ではなく「山墾り」としたのだから。

どうでもよいことがふえたと、それはトシをとったということで、いよいよもってやるべきことをやるとしになったということだ。死ぬまで自分のできることをやらねばと自分を鼓舞してくれるのが現代の年取りであってほしい。

中秋節に火を入れて

今日は仲秋節。月に願いを。地には平和を。…というわけで焼畑の近況をば。
・今日のお昼すぎに、昨年春に残った竹積み箇所を焼きました。カブを蒔く予定。
・春焼き地のホンリー、アワ、ツル小豆等混植区はそれぞれ色づいてきました。収穫準備。鳥たちも虎視眈々と狙っているようですが、ホンリーのカラフルな色が迷彩のように効果を発揮しますかどうか。
・大豆はまあまあの出来具合。枝豆が楽しみです。
陸稲はようやく出穂。実が入ってくれるかな。
・ナスはわずかですが、ぼちぼちとっています。
・トマトは収穫に入ってます(加工食向きですが、生でも甘み酸味ともにいい感じ)。量は少ないですが、美味。
・サツマイモは茎とって喰うべし。猪に先を越される前に、と思っていますがどうなりますか。

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9月8日の草刈り雑感

この日の最高気温は35℃ほど。日差しの強さは8月のそれと比べればやわらかで、また時折雲がさえぎることもあり、「やってできなくはないか」と、草刈りをはじめたのでした。
はじめて数十分で、汗の流れが尋常でないことに気づきます。なぜだろう。体調の問題なのか。いつもより休みの頻度も長さもとって、水分補給もこまめにしたものの、消耗ははげしく、2時間弱で切り上げることになりました。刈った場所はここと、2年畑を少々。

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写真中ほどに残っているクズのからんだ竹は、このあと、ばっさりと切り倒しています。
さて、作物の様子です。 ホンリーは穂が鮮やかに色づいてきました。

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オカボはいまだ出穂みられず。菜園畑ではではじめているので、来週にはみられると思います。出穂から収穫まで60日として、11月上旬の刈り入れかあと。

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トマトはようやく勢いづいてきました。実は小さくとも真っ赤になるほどに熟したものだと酸味がしっかりあって、加工食用として「使える」ものになってます。

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タカキビは10月初旬から収穫できるかなあと。柵を補修しておかねば。

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2018年8月31日、焼畑に猪

イノシシにモロコシを食われてしもうた。

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タカキビも数本倒されていたが、まったくといっていいほど食べてはいない。が、モロコシは口にあうのか、ガシガシとやっている。最初、牛がここまであがって、食べたのかと思ったが、いやイノシシだと。 まず、牛であれば、タカキビの茎や葉を倒すことなく上からがぶりと食べる。かじって放置ということはない。モロコシはわからないが、タカキビと同様だろう。
そして、もう実をつけているとはいえ、牛が大好きなヒエがまったく手つかずだったのだ。あわせて、サツマイモを掘ったあともある。

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焼畑でモロコシはつくれんということがわかった。こうも選好されてしまってはね。  イノシシは牛が苦手なのか、牛が入るところには入ってこない。

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今年焼いたここの急斜面は礫土が多くもあり、牛もとりつくことすらしていないようだ。
ここ(下写真)のアマランサス。いつか食われるだろうなあと思っているがまだ手つかずだった。
もっとも下方にみえる、ちょうど道の横にあるアマランサスは茎を残して葉をすべて食われてしまっていた。どちらも一週間前にヨウシュヤマゴボウに覆いかぶさるようにしてあったものを露呈させたものだ。

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その様子を、竹藪からのぞいていたウリ坊。「よし」と鼻息をあげたかどうかはわからないが、思い切って畑に踏み込んだのだろう。やり放題とわかれば、ほかのものにも手を出すだろう。 うむ。どうしたものか。 牛の糞をおいてみようか。

出雲の山墾り〜2019年の8月24日

8月の振り返りをと思い、記録をみたら、4日しか動いておらず、意外な感に打たれる。
やったことはほぼ草刈り、ひたすら草刈り。1日3時間までが活動限界なのは、ともかく暑かったことによる。どんなに水分を補給しても足りない。体重にして2kgほど毎回消耗する。そんなことを延々と毎週やっていたような感覚だったのだがと、記録を見直してみれば、あぁ、そうだったねと。今年は梅雨の時分も雨が少なく、7月初旬から結構うごいていて、草刈りロードともいえる、毎週草刈りをする状態に突入したのは7月7日からだった。そこから数をかぞえてみれば、今日で10回目である。納得。
なんでこんなに草を刈っているのだろうと思えば、そう、今年は収穫量をふやさんとして、ケタ地にも火を入れているし、2年目の畑にも手を入れているのだった。
さて、何はともあれ、畑の状況を。

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春に焼いた山。向かって右手から広がる緑、その大半はヨウシュヤマゴボウ。白い花を咲かせ始めていて、実になる前に刈り取ってしまおうかどうか、少々きめかねている。火入れ後のパイオアプランツとして優勢な種ではあったが、ここまで群生したのは今年の春焼きがはじめてだ。行く末を観てみたいという好奇心と、放牧牛の侵入防止に多少は寄与するのではないかという期待と、急斜面の礫質土壌にとって、被覆効果も一定あるだろうという効能、などなど。これら期待面に抗するのは、「ひろがるとやっかいだ」という先入観だろうか。その生態についてよく知っているわけではないが、実も葉も根も「食えない毒」で、強健な外来植物ということからも、つべこべ考えずに「駆除」というわけだ。
だからこそだろうか。問答無用で駆除されるものにシンパシーを抱きがちな心性をもつ我が身には、まあ、ちょっと様子をみてみようやという気持ちもそこそこある。宙ぶらりんでの状況放置なのだが、実際刈り取る時間がないということがそうさせているのだ。
また、毒だの食えないだのという言説が過剰に流布する昨今の事情に鑑みれば、ひょっとして食えるかもしれない、試してみようかというのもある。食えたらいいだろうなと。
岡山理科大波田善夫教授はこう書いている。

「有毒植物に分類されており、若葉をおひたしにして食べたりすると下痢・嘔吐・ジンマシンなどの軽度の中毒症状が出るという(硝酸カリやサポニン)。有毒であることは知っていたが、先般イタリアの植生学者が果実を食べたことがあるといって実を口にした。みんなで止めたが食べてしまった。調べてみると果実は毒ではないとのこと、納得である」

岡山理科大学・旧植物生態研究室(波田研)〜「植物学事典」   また、こういうのもある。 ざざむし_有毒なヨウシュヤマゴボウを上から下まで食べ尽くしてみる  ざざむし氏はこう書いている。

「毒がどうのこうの以前に、味見程度の5粒でもう結構です。ほんのり甘いが僅かな青臭い風味があり、喉越しからじわじわとエグ味を感じ後を引く。……中略……実10粒くらいは問題ないという話なので5粒くらいは平気だろうと噛み砕いて飲んでしまったが、とりあえず問題はなかった。 しかし度々比較に挙げるウナギのレクチンがO型の赤血球を特異的に凝集するように、特殊な成分は誰にでも同じ症状が出るとは限らない。人によっては少量でも酷い症状になる可能性があるから生食は避けたほうが無難だろう。逆に、ウナギを白焼きする程度で無毒化できるのと同レベルの植物レクチンなら加熱するだけで問題ないはずなのだが果たして?」

さて、当方はといえば……。 1週間ばかり前だったろうか、鳥が熟したヨウシュヤマゴボウの実をついばんでいるのを観た。「へえ、鳥は食べれるんだ」と。人は豆を生食できないが、鳥は食べるのと同じ理屈かとも思ったが、調べてはいない。人は体内にそうしたものの分解酵素や抵抗性をもたなくても、加熱という手段で無毒化をひろく行える。つくづく人間にとって火とは大きな存在だなあと思う。そんなことなどもこのヨウシュヤマゴボウ群落の行く末とともに考えてみよう。2年目からは他の種に圧倒され、小さく埋もれていくだろうことを予想しながら。
このへんで次へ。ヨウシュヤマゴボウについてはまた改めて。

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おわかりだろうか。アマランサスである。種を撒いた記憶はないが、牛が持ってきたとも思われない。鳥は食べないはずだが、何かをついばんだ拍子にここにこぼれていたのか。
斜面を登るために、ヨウシュヤマゴボウを倒した陰から出てきたのだ。本当に偶然。この後、ちょくちょくとのぞいてみたのだが、ここだけのようだ。
夏の終わりにこの伸長ぐあいだと、収穫できるほどの結実までいくかは微妙。赤穂と黄穂がまじっている。生育具合をみて間引きが必要であれば、赤穂を残すことにして要観察とする。

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タカキビは出穂。茎の直径も、高さも、例年より低いものだが、焼いているとはいえ、礫土の場所なので、むしろ上出来ともいえようか。いや、上出来というのは間違い。今年は栽培量をふやそうとして失敗している。ここにしても播いたもののうち1〜2割程度の発芽だったかと思う。発芽率がなぜに落ちているのか、2つ3つ考えられる。昨年の種子、未熟なものが多かった。牛に食われたものの再生茎からなんとか実をつけたものと、菜園畑で数本からとったものを播いている。
来年は苗からの移植もまじえて、種子を絶やさぬようなやり方をとることとする。3段構えくらいかな。実生、苗植え、古い種からの種子群と、栽培地を2ヶ所で。昨年の反省から、条件として日照を重視することを忘れずに。

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焼畑のトマト。種継ぎ三年目。加工食用のサンティオ。実のつきが少なく、果実も小さく、どうなんだろう。根がつきにくいのだろう。昨年(2018年)の火入れ地では藪を形成するように地を這って根をつかせがら大きくなっていったのだが、そうした状態にはほど遠い。1〜2週間前までは葉が枯れそうにやせ細っていた。
八月の終わりにしてこの茎の太さでは、よう実をつけんだろう。

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陸稲(ネリカ)。こちらも生育は遅い。がんばれよ。

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その横には茄子の黒小町。思ったよりもよくできている。

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もう一方の区画のヘミツルアズキ。

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アワが熟してきた。

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火入れ直後の同じアングル。

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上から。

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ヒエが悪条件(日陰)ながら、なんとか実をつけてきた。

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里芋。

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パープルサルシファイ。

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白大豆。

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キクイモ。

出雲の山墾り_2019_sec.21

7月13日、21回目の活動セクションです。
 去年より火入れは1週間ばかり早かったはずですが、気候のめぐりあわせが悪く(高温下で梅雨入り遅く降雨少なく、梅雨入りしてからは気温が低い)、播種したものたちの生育は、遅い=よくないと感じます。 こちらは昨年2017年7月15日の陸稲。これとてずいぶん定植が遅れ、やきもきしたことを覚えていますが、こんな具合。
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そして、昨日の陸稲の様子。

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次。上の写真よりおそらく7日ばかり前に定植したものがこちら。

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 ところかわって、ケタ地のアマランサス。ほとんどダメかと思っていたのですが、他の草をよりわけ「救出」したもの。

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 昨年、2018年7月28日のが下の写真。あと10日でここまではとうてい無理ですが、10日遅れとして、8月7日にはここまでいきたいものです。

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陸稲苗の定植

 6月29日の土曜日、陸稲苗・ネリカの定植をした。育苗箱2つぶんである。6月5日前後に播種した同じネリカの種の様子はといえば、かなり成育が悪い。裏の畑の隅の日陰に植えた種と比べても、高さにして半分以下である。荒れ地では根が張るまではこんなものなのかもしれない……というレベルを超えているようだ。今日、定植をその成育の悪い場所の上方でやり始めたところ、あぁ、と今更ながら気づいたことがあった。
 これまで、牧場地内の焼畑も春に夏にいくつかの場所でやっており、それぞれ土質が異なっていたものだが、今回はどことも一線を画するような違いがある。通称でナラヤマと称している場所の北東傾斜部は礫が目立つ。目立つどころが礫しかないようなところさえある。火入れの前は一面、孟宗竹だったはずなのだが、同じ北東傾斜部でも上部にはかなり多様な植生が竹林下層部にあり、伐開後に続々と再生していたものだ。それに比して、下層の礫が多いところについては、再生竹と葛が出始めているのみ。火入れ前もそうだったろうか。  そう、表面部だけみれば北東傾斜部はそうなのだが、冒頭にあげたネリカの成育が悪い場所も、今回、苗を定植しようと鍬をいれてみれば、真砂になる前のような砂粒が多かったのだ。植物の成育にはきびしいだろう、これは。
 てなことを考えつつ、定植予定の場所を変更して、東部の上方へ。こちらは赤っぽい、やや粘土質の土壌だ。陸稲にはいいかもしれない。ただ、この場所は9月をまわると日照が悪くなる。  あぁ、そうそう。この場所、もともとは半分やけになりながら稗を鍬入れして条蒔きし、モチアワをダメ元でバラマキしたところでもある。
 稗はいまだ発芽せず、モチアワも同様。  ダメ元はやはりダメであったことがわかったのだが、1本も芽が出ていないというのは、こたえる(た)なあ。
 雨が降り始めたので、13時40分できりあげた。

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▲直播のネリカ(陸稲)。なんとか生きてくれ。結実したとしても粃が多くなるだろうなあと思いながら。

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▲高知のモロコシもがんばれ〜。

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▲島大で播種したモチアワは、ホンリーよりも出芽がよいようだ。こちらの斜面はもともと土の条件もよい。ここはホンリー、モチアワ、ツルアズキ、ハタササゲ、サツマイモの混植。

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▲礫の多いナラヤマ北東部斜面