山吹の咲くころ、藪払い少々と筍掘りと

山へ通う道の途中、ヤマブキの花がこぼれ落ちるように咲き乱れているカーブがある。見とれすぎないように気をつけているのだが、あぁ、車をとめてみてみようと、何度も思いつつ、いつも通り過ぎてしまう、今日も。

さて、今朝方は少しばかりの雨模様。予報ではすぐにあがり晴れとなるはずだったが、雨は断続的に降り続き、曇り空は昼前まで続いた。今日の山仕事は中止にしようかという思いがほんの少しかすめたものの、早めの昼食をとった頃からは、陽が射しはじめ、風も強くなった。春らしい、そう、たしかに春らしいお天気だ。

なにせ2週間ぶりくらいではなかろうか。なにをやるか、どこから手をつけるか。こういうときは慣らし運転から。淡竹の小さな林となっているところの藪払いから手をつけた。数年放置してあったから、蔓もからんでいてひどいものだ。1時間ちょっとで半分弱ほどを片付けた。次回、それは再来週までのところだと思うが、残りを片付けられたら、この場所がもう少し気持ちよい場所となるだろう。

そう。藪を片付けているところへ、「筍をとらせてもらいにきました」と老夫婦おふたりが。めったに「お客さん」はこないところではあるし、ほとんどひとりでやっているところへ誰かがやってくるというのは、うれしいものだ。きけば、ここに四軒ほどあったうちの方だという。「ここはよう筍が出るのを知っとるから」と。そうでしょう。岩内山の水がおりてくる土地ですし。ご主人は森林組合で仕事をしておられたそうで、チェーンソーがない時代からやっていたというから、あぁ、機会があれば、そのお話を聞きたいと思う。

さて、続きは春焼き予定地での竹の移動。ざっと見てまわり、北西の端から積んである箇所からの移動に手をつけた。どれくらいかかるのか、どこまでやるのか、いつまでに仕上がるのか、早くても6月の第一週かな、どうだろう、考えながら投げたり、運んだり、切ったりを続ける。手脚が動きづらくなったところで、あがることにした。引き上げる途上、ポツポツと筍が土から顔をのぞかせているのを目にして、ひとつふたつ掘っていくか思い立ち、米袋に半分ほど大小あわせて6〜7本ほどを掘り上げた。

畑においたきりの消炭も袋にいれて持ち帰る。裏の畑、そして庭の改良資材とするもの。

ミツバチの待ち箱は来年の設置だろうなあと、山を降りるときに思う。準備はすすめる。きてみれば、あれもこれもと、山のようにすることしたいことはあるものだ。

出雲の山墾り〜2020sec.14;菜園で竹を焼く

竹を積み、焼き、消炭をつくる。竹は3年前の火入れのときからの燃え残りがほんの少々。竹は少々では燃えない。強く乾燥した状態であればよいのだが、そうした時分には延焼が心配だ。よって、いまの時分に、大量に集めて燃やし、消炭を得るのがよいのである。

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天気予報は曇りであったが、11時過ぎまで雨が降り続いた。SCWの予測画面では雨雲は12時くらいまでかかっていたので意外ではなく、ただときに豪雨となったのには驚いた。そうした雨は車中でしのぎつつ、準備にかかる。積みかけてあった竹をさらに積みましていく。

場所は今春火入予定の区画の端っこ。この消炭づくりは広義の防火帯形成でもあるわけだ。燃えやすい区画は燃材をできるだけとりのぞいておくこと。これで、いちばん厄介だとみていた東端の区画の整理が3分の1ほどは終わっただろうか。

13時30分ごろから点火して、14時半くらいからは2人のボランティアも入り、4名で燃やし方と消炭づくりを進めていく。エンジンポンプがあれば噴射してあっという間にできるのだが、水をバケツに汲んできては炭をスコップですくって中に入れ、また取り出しということの繰り返し。まあ、これくらいにしとこうという体力と時間で区切ってしまった。あとは灰を利用するということにして。火曜日あたりにはとっておかねば風で飛び散ってしまう。あぁ、そういえば、この区画は南側が山手であって日照はよくないのだが、風あたりは少ないのだった。

炭は山の水脈改善に使っていく。もっと大量に確保したいので、消炭のつくりかたは次回は大きな水桶を用意してのぞむことに。あるいは小型のエンジンポンプを導入か。鳥の捕獲小屋脇は4月に入っての仕事になると思う。

菜園に樹を植える

この日、オリゼ畑の金木犀の下で大きくなっていたおそらく金木犀の実生ーとはいえ2m近くまで背をのばしたものーを移植した。えいやと乱暴に扱ったので、うまく根付くかどうか。ほか、大津氏が持ち込んで植えているものを列記しおこう。

・ツバキ
・ビワ
ブラックベリー
・(失念)

菜園、今年の野菜と穀物

この日のこととして、パープルサルシファイの移植と、キクイモの掘り上げのことを少々。キクイモは思ったよりなかった。斜面に近い場所だったので、日照とぼしいことで、さほどできていなかったのかもしれない。5つくらいを北の端、裸麦のそばにおいて、残りはケタ地のところなりにもっていこうと思う。パープルサルシファイは花が咲いたらいいなあという程度のもので、種がとれれば上等、期待はせずに待つ。問題は掘り上げた際に根をいためているので、これから根をはれるかどうかで、春の草がどんなかをみながらの経過を見ていこう。
タマネギも裸麦も古代小麦もオリゼ畑とくらべると弱々しい。標高が200mほどあがっていること、土のこと、日照のこと、それらを考えると、こんなところかとも思うが、どうなのだろう。
トマト、カボチャを主として雑穀の保険地として位置づけるのがよいかなと考えている。

出雲の山墾り〜sec.13

3月7日の記録。
・キクイモほり……看板をたてたほうがいいかもしれない。
・火入れ越冬地のスペルと小麦確認……だめかあ。食われてる。食い散らかし程度だが何回もきてかじっているようだ。糞、足跡などの痕跡は確認できず。イノシシではない。タヌキだろうか。
・同じく越冬地のさまざま……大きな伐倒コナラははキノコの子実体が切り口にできていた。ここから自然に腐朽していくのだろう。カブはひとつだけもう花をつけていた。引き抜いて下へ投げる。ただ、全体に茎立ちはどれも弱い。日照不足よりは違う要因だろう。もともと葉も実も虫害がひどかった。よくもちこたえたともいえようが、どれをとっても甘みは極度に少なく苦味がつよい。すべて引き抜いて、バランスを欠いた土の菌ごと焼却するのがいいだろう。土に残ってもいるだろうから、経過は要注意とする。ただ、焼くのは冬季でないと無理。
・午後からボランティア初参加の2名とともに春の火入れのための竹の運搬。竹林内の古竹の運び出しをした後、予定地西端の積載部を取り崩して、引き出し、投げ落としなど。3人いると、1人のときと比べてみるみる片づくので気持ちがいい。
「まだまだこれ大変ですね」と言われても、ピンとこないのはそのせいもある。
けれど、なにより、やったぶんだけは毎回かたづいていくのだからいい。身体を使ってものを動かす。この単純さがよいのだ。単純であることは確かであること。確かであることが貴重な世の中だ。ひたすら竹を持って運ぶ。
「機械でががっとできるではないか。ポンプとタンクを十分に準備して人を雇って、そのまま火をつければいいではないか」
いや、そうではない。そうではないというのは、それができればそうしている、かもしれないのだが、できないからというだけの理由でもない。
・道の整備…水切予定箇所にかんたんなマーキングをした。前回から1週間、牛が通ったようで、さらにぬかるんでいた。とりあえずでも丸太をおいておけば沈んで埋もれていくかもしれない。次回、竹林内の杉倒木からいくつか運んでみようと思う。
・来週の消炭づくりは、畑地でやろうかと思う。
・杉の小さな実生をいくつもみる。注意を向ければあるものだ。つぶしてしまいそうなものはいくつか掘り出して、竹ポットにでも入れておこうか、実験的に。杉と苔と
・キハダ…倒れたまま竹のところに積んであった木。チェーンソーを入れてみた。キハダ。腐ってない部分もあるかもしれないが、のぞみ薄か。皮はとっくに使えないだろう、たぶん。染料としては使えるかもしらん。一緒に燃やすかどうか。それにしても臭いがきつかった。
・ヒバリの地鳴きが竹林の中から。空高く舞い上がりさえずる日も近い。春です。

出雲の山墾り〜sec.8

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春よ、ちょっと待って。
それは2月15日のこと。気温は昼過ぎには18℃。ここから100mくだった木次の日当たりのよい斜面では、オオイヌノフグリが小さな青い花を一面に咲かせていました。
山仕事の日。うごきはじめれば、シャツ一枚でも汗がとまりませんが、1本でも多く竹をきっていきたいところ。竹の伐採は3月上旬までの予定ゆえ、どこを優先するかを、つねに入れ替えながら進めます。とはいえ、そうかっちりきっちり進まないのが山のこと。この日も、気になったところを処置しながら、ざっと林縁部をまわるつもりが、この場所を集中的にかたづけることとなりました。
写真の中央からやや左にホオノキが竹に囲まれながらすっくとのびているのがわかりますでしょうか。やや人間本位というか自分本位の身勝手願望ながら、ホオノキは食材を包んだりなんだりと使い勝手もよく、これは息を吹き返してもらって、葉っぱを取りたいなあと、前から思っていたのでした。
モクレン科らしく春先の白い花も鮮やかで美しいものです。
だから、「この子」のまわりだけでも、新芽が春とともにのびだす前に、きれいな状態にしておきたかったのです。
なにせ、太い孟宗竹が密集しており、上部でからみあっている。竹だけならまだしも、このホオノキやノグルミ、コナラなどが混在していて、伐倒の際に掛かってしまうのです。樹皮を傷つけますし、なにより、引っかかったらそうかんたんには抜けない。
難儀でしたが、目処がたつところまでは整理できたかなあと思います。
あと2日とりかかったら開けるかなあ。

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s-orochi.org

そうそう。追記。

タヌキの糞溜まりがありました。イノシシかもしれんなあとは思いつつ。けっこうな量。去年までのものかなあ。これまでいくつかを、この山のなかでみていますが、こういうところにつくるのかなと考えられるようになってきました。
・太い竹が密集しているところ。
・林縁からちょっとだけ入ったところ
・ひとやまの中では中くらいの高さのところ。裾でもなく尾根でもなく。
・風はとおるが、陽はささない
・竹葉の堆積がそれなりにある。
だいたいこんなところ。

タヌキでしょうが、イノシシかもしれない。あぁ、あるなあ程度でしたので、次回からはしっかり観察してみましょう。

ケタへの播種開始

ケタ焼きしたところへ、今日は午後から種まきに行ってきた。昨日やるはずだったのだが、ナラ山整備でいっぱいいっぱいで、できなくなったゆえ。

陸稲もここに植えることにしたので、その場所をまず決めた。陸稲はネリカ。水稲のように浸水してからがよいのかどうか。そこは迷うところだれど、というより、ようわからんのだけど、そのまままいてみようかと思う。なにせ雨が降らないので気を使うのだ。大事な種だもの。

今日のところは、北側から順にこんな具合だ。高知からやってきたモロコシ、赤穂のアマランサス、モチアワ、タカキビ。

モチアワは鍬で筋をかいて、斜面上部に3筋ほど撒いたところで終わり。あとはばらまいてみた。

アマランサスは最初からばらまき。

タカキビとモロコシだけは、ていねいに一粒ずつ間隔をあけてまいた。

小屋まわりと資材そばの草刈りも少々。茅が多いところの手刈りはしんどいなあ。手首がよう動かんようにまでなる。

明日はお休み(して家の畑と庭仕事を)、明後日はナラ山の整備と阿井へ。明々後日にまた播種かな。

出雲の山墾りsec.4雑感

昨日の活動(1名)。その雑感をつれづれなるままに。

1週間ほど山に行かないと「なまる」ものだと思う。鈍る。わざの冴えがにぶる、技量が落ちるの意をもって用いる言葉だが、刀剣の切れ味を一義としながらその刀剣の実際の使用が頻ならざる時代において用例が増えてきたものではなかろうか。すなわち武士の本態からすれば「なまる」ことなど考えられないことであるのだから。

よって、山に行かない日が続いたからといって「なまる」ということはおかしいのである。小学館の国語大辞典の「鈍る」、その第四義には「決心がにぶる。貫徹しようとする意志が弱まる」とあり、歌舞伎・早苗鳥伊達聞書(実録先代萩)二幕にある用例をあげている。

「拙者が心はなまらねど左言ふ貴殿の御胸中まことに以て心許なし」

決心とは何か。心が決断するとはどういうことなのか。今日のところで、3つのアプローチをあげておこう。

1. 決心より先に身体は動いている。私たちが「決心」したと意識しているものは「決心」ではない。……下條信輔『サブリミナル・マインド』(中公新書)を参照。

2. 決心とは閉じた個の作用ではなく、集合的集団的かつ公共的な現前である。……C.S.パースについての著作のいくつかを参照のこと。

パースは心についてこう述べている。「われわれはその表面に浮いているものであり、心がわれわれに属するというよりも、われわれが心に属しているのである」

Thus, all knowledge comes to us by observation, part of it forced upon us from without from Nature’s mind and part coming from the depths of that inward aspect of mind, which we egotistically call ours; though in truth it is we who float upon its surface and belong to it more than it belongs to us.

※The collected papers of Charles Sanders Peirce PDF へのリンク

《思考は、世界の残りのすべてから隠された自分だけの何かではなく、本質的に公共的である。思考はいわゆる個人の心の中に所在するのではなく、それを通してわれわれががコミュニケートする公的な記号構造の中に所在する》:コーネリス・ドヴァール,2013『パースの哲学について本当のことを知りたい人のために』(大沢秀介訳,勁草書房,2017)

3. 初心にかえるという語句がある。初めに思いたった心、最初の決心。あるいは、学問・芸能の道にはいったばかりであること。また、その人。というのが辞書的意味である。が、その解し方でいいのか、初心にかえるということは。安田登が、それは衣を切る、後戻りのできないその決断のことだと風姿花伝を参照しながら述べている。……『あわいの心』等を参照のこと。

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竹を切って倒す。

そこに宿る心とは。

心にとめおき、しばしこたえを待とう。

荒地に種をまく

「あぁ、あそこは○○さんが、なんとかしてやろうおもうて、刈って火いれたら火事になってのー。そーからなんもやっとられんけん、なんぼでもかりれーとおもうわ」

陸稲や雑穀をやる土地を探している。

今年は栽培しない管理地も含めて4〜6反ほどを手掛けるつもりでいる。実験的段階から本当の意味での実践的段階へと移行するのだ。ははは。

先のセリフはEちゃんのこたえ。

ここでやれたらなあという土地について、借りられるかとたずねたときのことだ。この後、もっと近いところがいいだろう、あそこはどうだなどと展開したあと、「好きにもっていっていいよー」と言われている柿園のあいている地面をつかわせてもらうことにした。「草刈りはやりますけん」ということで。

雑穀半分、野菜半分にしようかと思う。週1回は通うことでやれるものを。

それにしても、ここも「火事」になってということがとても興味深い。偶然とは思えないくらいに、いいなあと思うところで「火事」をやっている。これだけではない。何度か、いや、思い起こせば何度も、こうしたセリフを耳にしているのだ。いずれも共通するのはカヤ・ススキ、あるいは竹・笹がのしてきている土地であること。

カヤ・ススキは、火の足が早く、飛び火もまわりやすい。草原の火入れを何度か経験せねばと改めて思うた。

三瓶の火入れは3月上旬か。

4月13日(土)…雲月山の山焼き2019|火を使った生態系管理

出雲の山墾り〜sec.3

山陰の冬には珍しい青空が広がる晴れの日。10時時点での気温8℃。竹藪を整理したり、柵を補修していると汗ばむほどであった。参加者は5名。10時〜13時。

穏やかな春ならぬ冬の一日。これもまた冬であることに思いを致そう。

春焼き地の畑、一の畑の柵が倒され牛が入ってきていた。ゆるんでいたのはわかっていたのだが、冬の枯草だけが見えるなか、無理して入ることもあるまいと油断していた。さして足跡も糞跡もなく、何も食べるものがないゆえ早々に引き上げたのかなと思いきや、真新しいかじった跡が少々。タカキビの茎。ガジガジとかんだ跡がいくつかある。タカキビには砂糖を採る品種もあるくらいだから、甘さがあるのかもしれない。

あとは大麦が少しばかり踏み潰され、真ん中に糞がひとつあるくらい。ヒトの糞便の75%は微生物であり、植物繊維は17%ほどだというが、牛の場合はどうなんだろう。そんなことをふと思った。(重量比。微生物は生死状態問わず。Allanna Collen,2015『あなたの体は9割が細菌』矢野真千子訳,2016,河出書房新社

踏み入った畑の中でいちばん青々としている小麦と大麦の若い芽。これこそうまいと思うのだが、まったく口をつけていないのは不思議である。周辺で食べた跡がよく見られるのは再生竹。笹は食べてないのにね、とこれも思いつつ、ハッと気がつく。あぁそうかもしれない。冬は茎がしっかりあるものが食べたいのかも。記憶にとどめておこう。ただし「かも」という半端な仮説部分はほどほどに。

気温8℃というのが牛にとってどうななのかはよくわからないが、もっぱら日向で寝そべっていることは確かだ。もう少し日が斜面にもさしてきたら、そっちに移動する個体もあるだろうが。

三所の家を片付けながら

4年ほどになろうか、借りていた家を片付けている。片付けという「作業」は頭で考える限り、後ろ向きなものだ。生産性はない。後始末ともいうだろうし、撤退という意味ではやりたくない仕事の筆頭にあがってくるものだ。実際、軽トラで向かう道中、冬の寒さと空の暗さもあいまって気は重い。が、しかし、やりはじめると、これはこれでのってくるものでもある。掃除、整理、処分、廃棄。たたむ、はく、切る、水を汲む、捨てる。……などなど。
今日は、いちばん気が重かった屋根の補修(応急処置)をした。もう1〜2年早くやっていればと思う。ま、この冬をしのげればいいと思えばこその応急処置であって、だからできたのだとも考える。
というわけで教訓。まずはやりたくないことから手をつければいい。できそうになければ、できる範囲でけりをつけておくべし。このブログも、canpanにおいたまま、当面続けることにした。出版も、次の1年も、焼畑も、調査も、みんな、そんなものなのだろう。2017年(平成29年)1月6日の「三所の家」。あぁ、年明けても脱穀をしていたのだな2年前も。今年もこうなりそう。場所は変わるけど。
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下の写真は、2015年(平成27年)5月の「三所の家」。きれいに見えるのは気のせいか。トタン部分はここから3年でずいぶんと劣化した。この年に応急処置的にペンキを塗っていればよかったのかも、しらん。
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そう、木次の家もそうであって、少しへこんできたなあというときに応急処置的に手を打っておけばずいぶんと助かるものなのだ。春から手がけるべし。