年取りカブの種取り

 明後日に迫った焼き畑の火入れ。予定外の事案が複数発生するなどして、もともとタイトだったスケジュールは押せ押せになってしまいました。暑さに唸る軽トラが奥出雲町三沢に滑り込んだのは午後4時をまわった頃。峠を越えたところにあるYさんの家に駆け込むと、用件をばたたみかけました。
◆正月カブの種について
・もういい頃合いだと思う。自家用にも少し採った(※種取りされているのか? それとも他の用途? 次回尋ねること)。
・鳥がけっこう食べていってしまった(アオドリ?)。
・それで、その後評判はどうでした?ときかれる→ほかとは違う。サラダのように食べられる。など。(あぁ、気にしておられたのだ〜と思う。作物としての評価を)
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◆持参した正月カブの飾り付けについてのコメント
※2後述
 その後みざわの館にも寄りました。倒伏したものをかき寄せてばらばらと。ふぅ。んで、苧が伸びてきているのに気がつきました。当番のOさんに聞くと名前と用途はご存じないものの、大きく伸びるやっかいな雑草という認識。
 地カブ(正月カブ)と一緒にあるところが、土地の履歴を妄想させるなあ。道ばたにも何カ所か見つけましたよ、苧。
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 かぼちゃが斜面でよく育つ話※3もそうですが、斜面利用のあり方という視点で、火入れとともに考えてみたいものです。
※1)からむし焼き… http://bit.ly/1Tjcpxl
※3)どてかぼちゃについての岡本よりたか氏の一文
http://bit.ly/1TKKW1R

「どてかぼちゃ」(閑話休題)
若い人は知らないかもしれないが、「どてかぼちゃ」というのは悪口らしい。普通は役立たずと解する。だけど僕の経験では、土手で作るかぼちゃほど美味しいかぼちゃは無いと思う。
土手のかぼちゃは、肥料分が少ないから美味しくならないとか、日が当たり過ぎて割れてしまい、食用に適さないとからしいが、僕の常識から言えばあり得ない。
肥料分が少ないと確かに雌花が咲きにくく、実成りが悪いが、窒素分が少ない分、糖度は上がる。この糖度はでんぷん質が元になるが、これは日がよく当たれば当たるほど、光合成が加速して、沢山生成されるはずだ。
だから、肥料分が少なく日が当たり過ぎる土手は、実は少ないが美味しいカボチャが出来てしかるべきなのである。実が少ないなら、このように沢山植えつけておけばいい。
物事というのには常識というものがあり、その常識が邪魔になる事がある。昔からの言い伝えとか、慣用語とか、ことわざの現代の解釈は全て正しいと思い込んでしまうが、その中でも本来の意味を離脱してしまったものも結構あるのだ。
昔の人は、人を貶める表現というのは慣用的には使わなかった。大概、隠語としてコッソリ使われるものだったという。そのぐらい日本人というのは真っ当な倫理観を持ち合わせていたものだ。
だから、「どてかぼちゃ」は畑に植えられなくても、より美味しく育つ立派なカボチャの事だし、「おたんこなす」(普通、間抜けな奴と解する)は小さな野菜の方が実が締まって栄養価の高いナスの事だし、「とうへんぼく」(普通、偏屈な奴と解する)は個性豊かな樹木の事なのである。
何事にもそういう思考を持つと、世の中に起きることなど、多くの場合、許容できるし腹も立たない。全てを許容できれば、幸福に生きることができる。昨日起こった腹立たしいことなど、今思えば、大した事ではないはずだ。
まぁ、平和に生きようよ(笑)。

クマゴ、地カブ、キビ

 三成で所用をすませ、馬馳を通って、平田へ戻る道中のこと。うっすらと青い色が雲にすけてみえなくはないが、風は冷たい。なのに、納屋の前で、赤名さんが何かつくっているではないですか。こりゃ懸案のあれとこれを聞いてみなくてはと、軽トラを引き返して声をかけた。

 あれです。年取りカブと熊子とアワのこと。

●年取りカブ(正月カブ)

・聞かんなあ(何かひっかかる感じ)

・年取りという言葉は、年に3回だか4回だか使っていた。節分の前の日、旧正月の前の日、大晦日の日か。

・地カブなら、いまでもそこらにあるが、交配が進んでいて、どうだか。根は食べない。春先に茎たちしたものを食べる。苦みがあるが春はそれがいい。

●熊子

・聞かんなあ(まったくわからないニュアンス。年取りカブとは違ってまったくという感じ)

・カブとアワは一緒に汁にして食べた。

・アワもキビもたぶん、種はあるが、発芽しないだろう。最近はつくらんから。

・いやあ、そのへんのことを知っとるばあさんらがいなくなった。一世代前だ。

●そば

・今年つくるかどうかはわからんなあ。

・粉にすると劣化が早い

・うまいつくりかたいわれてもわからん(私たちの「わからない」というレベルよる数段上の「わからない」である。この人のつくる蕎麦より上手いものにはなかなか出会えない。挽き方・打ち方・ゆで方などあれど、「体験」などで素人がうっても旨み・香りが違う。あきらかに蕎麦そのものがいいのだ)

みざわの館前の「地カブ」

 雪かきのお手伝いと竹林整備研修の下見のために、奥出雲町の「みざわの館」までのぼってきた。「地カブ」のことを話題にあげたらば、Uさんは即座に「地カブなら、そこにあるがね」と。そう、「年取りカブ」ならぬ「地カブ」ならば、ずいぶんととおりがよいのだ。  「根」よりも春先に茎立ちしたものをよく食した(食す)ものらしい。調理法については、聞き損ねた。
 「くまご」「熊子」のこともきいてみたが、こちらはてんで聞いたこともないようだ。土間に腰掛けてお茶をしていた60〜70代男性3人が3人とも首をかしげておられた。Yさんもご存じなかったのだが、Uさんのお母さんはどうなんだろう。まあ、すぐには出てこないだろうが、丹念に丁寧に少しずつ、暇をみつけては聞き取りを続けていこうと思う。

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 上の写真は、10日ばかり前に撮影した、みざわの館前の「地カブ」の生息?地点。

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 そして、こちらはそこから抜き取った2つのものの写真。根の部分の大きさや形、それに葉の姿形ともに、Yさんのところのものとはちょーっと違うような。どこを見たらよいのかが、まだわからないのだが。さて、それより日曜日の竹林整備研修はいまだ参加者2名。せめてもう2人いるとなにかとやりやすいのだが。はてさて。

蕪コーセンのこうせんは香煎である

 野本寛一氏が、焼畑の蕪料理の中でも「蕪コーセン」はもっとも古いものを残している、と書かれている(「焼畑民俗文化論」)ので、蕪コーセンを調べてみるも、手がかりがなかった。
 しかし、1月19日の平田蕪の取材の折、門地区の吉川氏より、蕪の食し方として、「汁にするのだ。屑米を焼いて粉にして汁にまぜたものに蕪を入れた汁で、冬は毎日のようにそれだった」とおっしゃった。それは蕪コーセンですよ、まさに。その後再取材が出来ていないのだが、「こうせん」が『聞き書島根の食事』の中にあった。斐川の食の中である。
「こうせん」で辞書をひけば、これ、ふつうにある。 日本国語大辞典には、こうある。

1)麦や米をいって挽いて粉にしたこがしに、紫蘇(しそ)や蜜柑(みかん)の皮などの粉末を加えた香味を賞する香煎湯の原料をいう。こがし。

そうこうしてウェブをみていると、このようなページに遭遇。 香り高き香煎・郷愁のスローフード http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-783.html

現在も玄米香煎を製造しているのが、和菓子原料を製造する畠山製粉所。数十年前に需要が途絶えたため製造を中止するつもりだったが、県内に長年これを主食としているという人物がいて、それならば止めるわけにはいかないと、細々と造りつづけて現在に到ったとのこと。

秋田県であるが、「県内に長年これを主食としているという人物」に会ってみたい。

都賀村の地カブについて

『聞き書島根の食事』の中で、くまご飯、くまご、が出ているのは、都賀村のみであった。『聞き書広島の食事』にもない。その都賀村には「地カブ」の話がある。年とりカブと呼ばれていたかはわからない。

いくつかの抜粋を以下に。

p174(野菜〜利用のしくみ)

菜園畑(さえんばたけ;奥出雲ではさえもんばた)は、家のまわりにわずかしかない。山すその草原を焼いて焼畑もつくり、そこには地カブの種をばら播きにする。

春は、秋にとり残した地かぶが焼畑からとれ、菜園畑には、ひらぐきの茎立ちがまず元気に姿をみせる。ひらぐきは、冬の間青いものが不足した生活に活気を与えてくれる。人々は「青いものを食うと、いっぺんにまめになる(元気が出る)」と喜ぶ。つづいて、かきば(高菜)、ちちゃ(ちしゃ)が暖かな春の日差しをあびて見る間に伸びてくる。青菜の茎立ちの味噌あえ、ごまあえはたまらなくおいしい。

p181(漬物〜地かぶの切り漬)

菜園畑が少ないので、山すその草原を焼いて地かぶをつくる。地かぶの根は大きくならないので葉のみを利用する。葉を細かくきざんで、そうけいっぱい用意し、二合塩で漬ける。かぶと塩を交互に重ねるとき、とうがらしのきざんだものもふりかけ、二斗樽で二本漬けこむ。

家を離れて他地へ行った者が、村に帰ってきて一番おいしいと好んで食べのが、この切り漬である。

熊子(クマゴ)のこと〜その1

「熊子(くまご)」とは何かで、いろいろ調べておりましたが、あぁ意外な見落とし忘れ。

かつて調べてメモしておりました。

「竹の焼畑メモ」http://on.fb.me/1ZWpXlD

白石昭臣『竹の民俗誌』p26に飯南町の志津見の話として、竹の焼畑の作物として以下の記述あり。

「焼いたあとまだ灰の冷めやらぬうちにソバやカブを播く。2年目にクマゴ(アワ)、三年目にナタネなどを作る。そのあと放置し牛を放牧する。クマゴは1反(約10r)あたり6俵(約430リットル)の収穫をみたという。」

改めて『竹の民族誌』を読み返してみたものの、クマゴという名称が出てくるのはこの箇所のみでした。

そして、もうひとつが『聞き書島根の食事』(農文協)。

くまご飯が口絵に登場しております。

kumagomesi

邑智郡都賀村での聞き書きであって、基本食の成り立ちの項の中で、日常のごはんを3つあげています。「麦飯」「くまご飯」「茶がゆ」。

都賀村は広島県境に近い江の川両岸にせまる急傾斜地にある。水田、畑ともに少なく、米を食いのばすのに、麦、くまご(あわ)、豆、いも、山菜や野草を年間米にまぜて食べているとある。

以下、いくつかを抜粋引用してみる。

p169〜(雑穀の項)

米には税がかかるが、雑穀にはかからないので助かる。

山すその畑とか焼き畑につくり、自給自足でできただけを食べている。くまご、きび、そばなどを植える。なかでも一番利用するのが「くまご」と呼んでいるうるちあわで、くまご飯にして食べる。きびは、おもにきびもちにし、そばは粉にひいてつもごりそば(年越しそば)などにする。

(くまご飯)

くまごは秋に収穫し、麦を食べ終えるころから春まで食べる。

くまご七にただ米三を入れて炊く。くまごの割合が多いので、子どもが食べた膳のまわりは、ほうきで掃き寄せなければならにほどぽろぽろごはんがこぼれている。