林原の焼畑でつくられていたカブとは

 昨年、年取りカブの存在を語ってくれたのは三沢の山田さんであった。『尾原の民俗』の中に「年取りカブ」「正月カブ」という名称はみられないが、「地カブ」という名で幾度か出てくる。地カブがあるからには地でない(地元のものでない)カブもあるはずだが、それがなんだったのかはわからない。江戸中期に名称採集された諸国産物帳をみると、出雲地内の《一菜類 蕪》の項目には14ほどがある。

・近江蕪

・白かぶ

・空穂蕪(うつぼかぶ)

・壺蕪(つぼかぶ)

夏菜

・平田蕪

・地蕪

京菜

・三月菜

・高菜

・青蕪

・水蕪

・芥菜(からしな)

・赤蕪

 はて、林原でつくられていたのは、どんな蕪だったのか。白石昭臣氏が担当した『尾原の民俗』の項よりひいておく。

《この林原ではトシトリの晩(大晦日)のオセチは女性がつくるが、この中にサイナマスという大根を小さく切って煮たものと、大根なますは欠かせない。また、正月には二又大根と地カブをするめやジンバ(海藻)などともにぶらさげて床マエの上に飾る(稲穂はない)。》

《この地区ではカリヤマという焼畑が近年までみられ、そこでは1年目に大根、2年目に小豆などをつくり、山の畑には小麦などの麦類も多く栽培していた》

《山方、前布施や下布施地区でもカリヤマで大根やかぶをつくり、床マエには林原と同じ様に大根やカブを下げる》

 林原の正月に二又大根やジンバとともに床前に供えたのは「地カブ」である。これを年とりカブと呼んだのかどうかはわからないが、地カブが年とりの行事になくてはならないものであったのは確かだろう。

 大根が二又であるのは、収獲儀礼豊穣儀礼の断片なのか。

 なぜカブかということについては、次年度の夏焼で大根を試してみればなにかわかるかもしれない。焼畑でなくとも、春植えの大根を竹の根が残る場所に植えてみたい。

 どこまでなにができるのか。自問をつづけながら冬が深まる霜月の日。

 そうそう。平田蕪の取材、おそらく篠竹の薮を焼いてつくっていたそれについて、また聞きにいかねば。旧平田村にひとり住むその方は蕪香煎にして食べていたという。香煎という言葉が生きた人の口から発せられてるのをはじめて聞いたそのお宅へ。

 

阿井のホウコはいまどこに

阿井の山野に自生している草木での中でとりあげた「ホウコ」のこと。今日、阿井の方からお電話があり、いくつか教えてもらって、どうやらホグチである可能性がぐぐっと高まりました。ご自身は餅のことしかご存じなかったのですが、知っていそうな方に聞いて頂いたのです。ありがたいことです。

要点は4つ。
・草餅にして食べた。おいしかった。自分はつくり方を知らない。
・葉は粘りがある。
・春はやわらかいがだんだん硬くなる。秋になると丸い玉のようになる(花の部分が)。
・山の中でも道ばたでも、どこということはないが、いろんなところにあった(あるかも)。

知っている人が多そうですし、身近な場所にあったということですね。

さて、『広島の食事』S.62(農文協)をみますと、神石郡油木町(現神石高原町)では「ほうこうもち」のほうこうは、やまぼくちのことだとしています。

●よもぎもち、ほうこうもち

よもぎの若芽を摘んで、あく汁でゆでて水にさらす。これを固くしぼり、もち米の上にのせ、一緒に蒸して搗く。

よもぎと同じように、ほうこう(やまぼくち)でもつくる。

よもぎもほうこうも、ゆでて乾燥しておいて年中使う。

ちなみに、このほうこうもち、『島根の食事』の中には一カ所も出てきません。都賀か横田にはあってもよさそうなのですが。阿井(仁多)にはあったが、鳥上村大呂(横田)にはなかった可能性が高いです。*1「冬の間はもちをきらさない」「麦はほとんど食べない」「主食は白米」という大呂(昭和初期の頃の食生活)ですが、そこに草餅を食べない理由があるのかもしれません。追究中です。

さて、油木町は広島県東部の高原地帯であり、中央にあたる備北の双三郡君島村(ふたみぐんきみしまむら)ですと、見出しとして草餅はありませんが、「もちは夏以外きらさない」として出てきます。

 もちは秋、冬、春ときらすことなく搗き、ごはんとともに食事の中心となる食べものになっている。毎回、一臼三升を二臼は搗く。白いもちは「おひら」といい、味噌汁に入れたり、きな粉もちなどにして食べる。小豆あんを包み、搗いてから三日ばかり食べるのは「あんびん」といい、節句、彼岸、正月などにつくる。もちによもぎをつきいれることもある。

ほかに大根おろしで食べる「からみもち」、きびもち、豆もちのことが出てきます。なかでも彼岸のもちは見出しとなっていて、これが草餅です。よもぎの新芽を摘み、水にさらしてから、蒸したもち米と一緒に搗き、小豆あんを入れて包むという。

ところが、です。『広島の食事』に出てくる奥山県(おくやまがた)の村・中野村では、ほうこをははこぐさのこととしています。

 ほうこは、ははこぐさのことをいう。ほうこもちのつくりかたはよもぎもちと同じである。

そして、ぼくちのことは「うらじろ」と呼び、うらじろもちをつくるのです。しかも、西日本に多く分布するキクバヤマボクチではなくオヤマボクチのことだとも。

これまたおもしろいことであります。

それにそれに、なんといってももちの種類の多いことといったら!

とりあえずあげておきます(追記用備忘に)。

・てんこもち

・よもぎもち

・うらじろもち

・ほうこもち

・うのはなもち

・あらかねもち

・あわもち

・そばのはごもち

・だんごもち

・こうぼうもち

・とちもち

この中での注目は「こうぼうもち」。こうぼうびえ、すなわちしこくびえのもちです。

さらに加えて、焼畑が明確に位置づけられているのです。

そこらはまた。

◉2017/04/20追記

阿井の福原で、なんとホウコモチをいただきました。ほんのちょっとしたお手伝いのお礼に。

売られてます。ふつうにモチとして。

ヨモギとホウコのブレンドとのこと。ホウコをまぜると粘りがますということでした。

「ホウコ」はそこらじゅうにたくさんあるとのこと。

*1)追記(令和6年10月22日)…鳥上にはあったであろう。横田町史など参照。

阿井の山野に自生している草木で

 手帳のメモを整理してみます。  駒原邦一郎『村のはなし(下)』昭和35.1の中に、「阿井の山野に自生している草木で昔から食糧としてつかわれたもの」として出てくる草木に以下のものが名称のみですが、あげられています。
 ひとつひとつ注をつけていきます。なお、この記事は適宜追加・更新予定です。

・フキ クサギ  比婆郷土料理『クサギナと豆の炒り煮』に記載があります。山菜でもなんでもそうですが、奥出雲よりもその周辺に昔のものは、まだよくノコされています。つまり奥出雲を知るには、県境を越えた比婆や髙野、あるいは頓原や大和を調べてみる必要があるのだと私は考えています。

・タキナ ウワバミソウをさすようです。雲南市大東町では「あるところにはたくさんある。水が流れる山の中」と聞きました。出雲、伯耆因幡あたりの地方名か。(2017/11/19追記)

・ゴクナ 横田の山菜料理から 「紫の器の中はゴクナという地元の山菜を塩漬けにしておいたものです。この苦味が絶妙で、ご飯にもお酒にも合うんだな」だとか。 どうやら奥出雲の地方名のようですが、これは調べてみましょう。阿井に出向いたときにでも。
→ウコギをさすようです。『聞き書き島根の食事』p.147参照(2017/12/14追記)
ただし、ウコギ科全般(タラの芽、ウド、ハリギリ、コシアブラなど)をさすのか、ヤマウコギ、ヒメウコギをさすのかは不明です。

・ハシギウド →不明。ウドと類縁か形質が似ているものか?

・ワラビ →ありふれたもののように思いますが、そしてその通りなのですが、寺領のTさん曰く。「昔はほんとにどこにでもたくさんあったのに。いまはどこに消えたのでしょうね」と。(2017/12/14追記)

・ゼンマイ ・セリ ・カケゼリ →標準和名が山ゼリ。 「広島の山村でカケゼリとかカキゼリとか呼んでいる」

・ミツバ ・ショボナ →リョウブのこと。横田のほうではそう呼ぶようだ。 《リョウブは「救荒食料として採取と貯蔵を命じた令法が発せられたことから。リョウブは令法(リョウボウ)の転」(『花と樹の事典』・木村陽二郎監修)と言われている。この名が生まれたのは律令制の時代であろう。当時にあっては、それほど価値のある人々にはありがたい木だった。全国的に分布していることもあって、ハタツモリ、ショボナ、ビョウバなど別名、地方名の実に多い木であることも言える》 大和だより~写詩 写歌 写俳~小筥集

・メライラクサのことか? http://www.qkamura.or.jp/azuma/news/detail.asp?nId=561 ・サンショウ ・オオバコ ミョウガ ・クズバカズラ ・タラ ・ゴロビナ →不明。なんだろう。気になる。日本国語大辞典には島根の一部の方言ころぶ」がアブラギリのことだと出ている。農林省統計調査部による1951年刊の「農作物の地方名」による記述である。農商務省山林局の1916年刊「日本樹木名方言集」には出雲の方言名として「ころび」で出てくる。
 ころびの「な」=菜、すなわちアブラギリの葉のことだろうか。ただし、地方名というよりほぼ一般名として用いられたようでもある。近江、丹波、山陰で奨励栽培されたことも一因か。

・ホウコ →キクバヤマボクチでしょう。 産経新聞「出雲の市民グループが自生のホウコで、そば開発 幻のうどんに続き発表会」2015.2.16

 そばなどの名物料理開発に取り組む市民グループらによる「幻の蕎麦(そば)・うどん&佐田のふるさと料理」の発表会が25日、島根県出雲市佐田町の出雲須佐温泉ゆかり館であり、地域の山間地に自生するホウコ(キクバヤマボクチ)をつなぎに使った緑の「ほうこ蕎麦」がデビューした。  地域食材を掘り起こす活動を続ける食材店経営、森山太史さん(48)が、同町の朝原振興協議会と協力し、ホウコのうどんに続いて開発。発表会では、ほうこ蕎麦のほか、山菜おこわ稲荷(いなり)、イノシシソーセージ、アユの甘露煮などが並び、約30人が舌鼓を打った。  ホウコはヤマゴボウの一種。ゆがいてあくをだし、乾燥させて製粉し、そばのつなぎに使う。森山さんは「弾力が生まれ、素材の味を引き立てる」とPR。  ホウコを使ったうどんとそばは、旧JR大社駅(同市)近くの食材店「山太」で味わえる

 あえて全文引用したのは、この記事ダメでしょうというためです。「ホウコはヤマゴボウの一種」のところ。ウェブに書く素人記事ならともかく、全国紙の新聞記事なのですから。辞書を引いてないのだと思います。 「ヤマゴボウ」を辞書でひいてみますと、、 国語大辞典はこう。

根に有毒成分を含むが、漢方では商陸(しょうりく)といい利尿薬に使う。漢名、商陸。いぬごぼう。とうごぼう。学名はPhytolacca esculenta

世界大百科事典はこう。

根に多量の硝酸カリとアルカロイドのキナンコトキシンchynanchotoxinを含み,有毒植物であるが,漢方では商陸(しようりく)と呼び,利尿薬として使われる。葉は食用にされ,辛味があって美味であるが,多量に食べるのはよくない。和名は山牛蒡の意味であるが,ヤマゴボウとよんで食用にされているアザミの根とは別物である。  日本にはマルミノヤマゴボウP.japonicaMakinoが野生する。全体はヤマゴボウに似るが,花が淡紅白色で,果実は分果を作らず球形の1個の液果となる。

 さてはて記事では「ホウコ(キクバヤマボクチ)」と言っているのだから、ホウコはキク科ヤマボクチ科の一種とすれば、誤解も字数も少なくてすむですよ。
 キクバヤマボクチの写真はNature Logの植物記で確認できます。比婆山で撮影されたものですから、奥出雲に分布していてもよいものです。先の記事中にあるように蕎麦のつなぎに使うのは、根のほうではなく葉です。
 キクバヤマボクチの類縁であるオヤマボクチの葉は草餅の材料にも使うようで、ごんぼっぱと呼ぶ地域もあります。(つぶやき小道)  オヤマボクチの写真も、Nature Logの植物記で見てみましょう。素人には見分けがつきませんね。こちらの葉も蕎麦のつなぎに使うようです。自生の分布域はキクバヤマボクチが西日本、オヤマボクチが東日本だと、おおまかにはいえましょう。そして、おもしろいのが、ボクチの語義です。
 キクバヤマボクチは菊葉山火口、オヤマボクチは雄山火口、ほかにハバヤマホグチもあります。「火口」なのです。この植物を分類したときに人が見出した特徴は。
 さぁ、ここで問題。火口にしたのはどの部位なのか。 日本大百科事典

世界火口は火をおこすときに使うものの名であり、ボクチとあるのは葉裏の白綿毛を火口に利用したことに由来する。[小山博滋]

国語大辞典

冠毛は褐色で火口(ほくち)に使う。葉を乾燥してもぐさを作り、また、タバコの代用にする。若葉と根は食べられる。きくばやまぼくち。やまごぼう。くまとりぼくち。

 葉裏の白綿毛なのか、冠毛なのか。それとも両方なのか。冠毛はいかにも火がつきそうですが、実は白綿毛のほうが火付きがよかったりするとおもしろいですね。確かめてみたい。。。実物で。

 さて、ここまできてようやく「ホウコ」の糸口が見えてきました。
「ホウコ=火口」
 これが私の仮説です。なぜ出雲地方にこの名で伝わっているのか(方言辞典などをあたっていますが、現在まったく見当たりませんよ、ホウコ)。少し掘ってみたらおもしろそうですね。

 ちなみにヤマゴボウのほうですが。日本に自生しているのは3種類。わかりやすくまとめている「四季折々に:夏の花めぐり②~ヤマゴボウ三種」を参照ください。

 閑話休題、続きです。

ヨモギ ・カエデ 「等のほかに」につづけて以下。

・山芋 ・ムカゴ ・イチゴ アケビ ・山ブドウ ・スズノコ →スズタケ(篠竹)の子だからスズノコ。スズコ、ススコとも呼ばれる全国区名。高さ1〜3m。阿井にあるんだあ。奥の方だよね。奥出雲にはないとみてました。吉賀の昭和初期の地図には篠竹記号がかなり広範囲に出てくるのです。焼畑地だったりもします。平田村の竹の焼畑はこれだったんじゃないかな。ん!? 取材、取材、、。 そして。 このリスト、最後に「など」で終わります。 「など」です、「など」! そのなどの中身を知りたい! ———–

★追記1)妻に阿井のとあるお宅で聞いてきてもらいました。(2016/10/31)
 ホウコは「ホウコ餅」というのをお嫁にきたときにお母さん(姑さん)につくってもらった。草餅みたいなもの。つくりかたなどはわからない。
 ころびな→わからない。
 スズノコ→Hのおじいちゃんだったらわかるかも。 参照 阿井のホウコはいまどこに

おいしい雑穀づくりと小屋づくりと山畑の手入れetc.~10月24日

作業日報です。 10月24日(月)。三所の古民家で作業。トーミを本格使用し「成功」。 参加者1名+軽トラ1台。曇り時々雨。気温18℃(12時)。
◉経過
10時40分~11時00分 ダムの見える牧場のカブ地を路上から確認。牛柵の倒壊などなし。ブラウンスイスの新入りが引っ越してきており、しばし見学。
11時00分〜11時20分 古老取材:蕎麦、地カブ、柿渋のことなど
11時20分~12時40分 三所の古民家へ移動。アマランサス調製作業
12時40分~13時10分
昼食休憩
13時10分~16時15分 片付け、撤収


◉取材
 久しぶりに師匠の顔が庭先に見えたので、立ち寄ったら、これをなめて見ろと。どうだ?と。近頃はなんでもインスタントになったからなあ、と。何をおっしゃりたいのか、そしてこれはなんなのか。

 ……整理しましょう。ブルーシートに蕎麦を干されておられました。今年はできが悪いと、長雨でダメだったと。いやこちらもダメでした、焼畑に播いた種が発芽しなかったんです。なんででしょう? うーん、覆土せんとだなとの答え。 ここからがまた長いのですが、大幅に省略しますね。 液体は柿渋です。しかも匂わない。なめてもOK。2年〜3年かかるとか。そしてその柿渋を障子紙の古いのに塗る。その柿渋紙を敷いて蕎麦の種を干せば、通気性もあって乾燥がうまくいくのだということでした。つまりは試作段階なのか。 以下は断片備忘録です。

・地カブ……まぁ、自給自足の中でつくってきたというか、とってきたものだ。カブは雪にも寒さにも強い。冬、青物がない時にもとれる。春、とうだちした時のものもよい。そういうものは、とっておくものだ。桑園の中でそういう場所をとっていたものだ。(桑園の端というより桑園のなかだと)。
・タカキビ……脱穀したらもってきてくれ。箒の1本くらい土産にあげるから。これはとにかく長持ちするからいいんだ。

◉アマランサスはトーミでしっかり分別できることが判明 詳細はまた改めて写真解説をば。底なしに思えた脱穀調整作業にかなり明るい兆し。

 

温海カブの状況〜2016年10月16日

 温海カブは生育はまあまあ順調。しかーし。10月16日に間引きに行ったところ、牛の侵入痕跡があ。5分の1程度(?)食われていました。味をしめてしまったのかも、というかそうでしょう。雨が降り始めましたが、急遽、竹柵を増強。来週の間引きで再度増強します。
 関係各位にお詫び申し上げます。管理不行き届きでありました。申し訳ありません。
●10月16日
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●10月11日
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●9月25日
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●9月9日
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●9月3日
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土用豆の花が咲いた

 播くのが遅れてどうなることかと思っていた土用豆です。やっと花が咲きました。なんとか豆ができるまではいけそうです。
 三沢でわけてもらった土用豆。文化祭(産業祭)に出品されているのを見つけ、在来の豆があったのかと驚き喜び、、、放棄地に囲まれながらも元気に一人暮らしする婆ちゃんの家を訪ね、「持っていきんさい」とわけてもらい、それから在来の蕪菁(地カブ、正月カブ)に出会い、、、と。
 いろいろありました。まだいろいろあるでしょうが、ともかく、花をつけたのがうれしかった。

大根は縁起ものか?

 出雲民芸館で藍染め木綿を見ていたら。あれ、これは大根? 蕪じゃないの?

 というものを見つけた。

 他の図柄は鶴、松、海老、など縁起のよいものばかり。しかるに大根って縁起ものなの? 蕪なら年取りカブのこともあるし、とその場では勝手に思っていた。

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 いや、大根も縁起ものらしい。大黒との音の類似によってという記述がある。

 それから大和野菜には、祝い大根なるものも。

http://www.pref.nara.jp/8041.htm

※もうちょい調べて加筆しましょ。

備前國備中國にも熊子はあった

 昨日は島根県立図書館へ。諸国産物帳のなかの熊子探しです。索引をみながら、中もめくりながらしていたら時のたつのは早い早い。『備前國備中國之内領内産物帳』のなかに熊子を見つけて、〆切定刻ジャストに複写申請。備中にあったのは意外でした。ここまで、石見・伯耆因幡・播磨とあたってきて、残るは備後・安芸のみ。広島に行ったときにと思ったら、なんと島根大学図書館にあるではないですか。金曜日にGO。

 秋あわかあ。しかも「ただあわ」との並置です。ただあわ=熊子あわってことでしょうか。ただ米=うるち米という用法ですから、ただあわ=うるちあわでしょう。

 そして、熊子あわという名辞は出雲國では見られないものでした。《熊子=餅ではない/うるち》なのか? 粟の部のいちばん最後にもってきたということは、粟のなかでも特殊な部類にあるとの認識なのだろうか。出雲國の粟、あるいは他の穀類との名称や並べ方の異同をあたってみるべし。

 それから春焼きで播いた粟の状況も予断を許しませんね。日曜日に試しに少し間引いてみたのですが、いや、もっと大量に発芽していればざくざくと大胆にいけるのですが、なにせ少ないので気が引ける。

 逆にヒエなんて出過ぎているから、はさみで切らんとダメかも。そしたら、粟も鋏で切る〜?

 栽培法の教科書、ほしい、です。

温海カブと三沢のカブと料理教室

 梅雨に入ってからというもの、雑草の成長も早いが、芽が出るのも早い。畑に持ち帰っていた温海カブのこぼれ種からも芽が出ていた。サラダ菜として1ヶ月後くらいに出せたりするのかな。
 それはさておき、今年の焼き畑では温海カブをしっかりとっていきたい。とるということは、丁寧にまく(うまくまく)ということであり、間引きを適切に行うということであり、収穫と同時に美味しく食べるということ、そしていくばくかでも買ってもらうことで、次年度の活動資金としたいのです。
 そこを目指すことで、暑い日でも少々身体がだるい日でも、ちょっと頑張れるってもんです。
 お店で使ってもらうことや、オーガニックマーケットへの出店も考えていたのですが、料理教室で使ってもらうというナイスアイデアが妻から。おおお、それはよいぞなもし。
 いつ焼けるかにもよるのですが、昨年より1ヶ月早い種蒔きの予定であるから、11月には収穫がはじめられるはず、順調にいけば。昨年並みであれば、12月から1月か。雪が怖いけれど、イベントも少なくなる1月は狙い目ではある。
 11月〜1月の線で、企画をたてはじめてみようぞな、もし。
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 上の写真は温海カブ。種は昨年焼いた畑から取ったものを播く予定なので、奥出雲産温海カブということでいこうか。
 そして、三沢の年取りカブを試してみたいのですね。温海カブより甘みがあって、葉もアクが少なくサラダとしても使える味わいだったので。
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年取りカブの種取り

 明後日に迫った焼き畑の火入れ。予定外の事案が複数発生するなどして、もともとタイトだったスケジュールは押せ押せになってしまいました。暑さに唸る軽トラが奥出雲町三沢に滑り込んだのは午後4時をまわった頃。峠を越えたところにあるYさんの家に駆け込むと、用件をばたたみかけました。
◆正月カブの種について
・もういい頃合いだと思う。自家用にも少し採った(※種取りされているのか? それとも他の用途? 次回尋ねること)。
・鳥がけっこう食べていってしまった(アオドリ?)。
・それで、その後評判はどうでした?ときかれる→ほかとは違う。サラダのように食べられる。など。(あぁ、気にしておられたのだ〜と思う。作物としての評価を)
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◆持参した正月カブの飾り付けについてのコメント
※2後述
 その後みざわの館にも寄りました。倒伏したものをかき寄せてばらばらと。ふぅ。んで、苧が伸びてきているのに気がつきました。当番のOさんに聞くと名前と用途はご存じないものの、大きく伸びるやっかいな雑草という認識。
 地カブ(正月カブ)と一緒にあるところが、土地の履歴を妄想させるなあ。道ばたにも何カ所か見つけましたよ、苧。
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 かぼちゃが斜面でよく育つ話※3もそうですが、斜面利用のあり方という視点で、火入れとともに考えてみたいものです。
※1)からむし焼き… http://bit.ly/1Tjcpxl
※3)どてかぼちゃについての岡本よりたか氏の一文
http://bit.ly/1TKKW1R

「どてかぼちゃ」(閑話休題)
若い人は知らないかもしれないが、「どてかぼちゃ」というのは悪口らしい。普通は役立たずと解する。だけど僕の経験では、土手で作るかぼちゃほど美味しいかぼちゃは無いと思う。
土手のかぼちゃは、肥料分が少ないから美味しくならないとか、日が当たり過ぎて割れてしまい、食用に適さないとからしいが、僕の常識から言えばあり得ない。
肥料分が少ないと確かに雌花が咲きにくく、実成りが悪いが、窒素分が少ない分、糖度は上がる。この糖度はでんぷん質が元になるが、これは日がよく当たれば当たるほど、光合成が加速して、沢山生成されるはずだ。
だから、肥料分が少なく日が当たり過ぎる土手は、実は少ないが美味しいカボチャが出来てしかるべきなのである。実が少ないなら、このように沢山植えつけておけばいい。
物事というのには常識というものがあり、その常識が邪魔になる事がある。昔からの言い伝えとか、慣用語とか、ことわざの現代の解釈は全て正しいと思い込んでしまうが、その中でも本来の意味を離脱してしまったものも結構あるのだ。
昔の人は、人を貶める表現というのは慣用的には使わなかった。大概、隠語としてコッソリ使われるものだったという。そのぐらい日本人というのは真っ当な倫理観を持ち合わせていたものだ。
だから、「どてかぼちゃ」は畑に植えられなくても、より美味しく育つ立派なカボチャの事だし、「おたんこなす」(普通、間抜けな奴と解する)は小さな野菜の方が実が締まって栄養価の高いナスの事だし、「とうへんぼく」(普通、偏屈な奴と解する)は個性豊かな樹木の事なのである。
何事にもそういう思考を持つと、世の中に起きることなど、多くの場合、許容できるし腹も立たない。全てを許容できれば、幸福に生きることができる。昨日起こった腹立たしいことなど、今思えば、大した事ではないはずだ。
まぁ、平和に生きようよ(笑)。