年取りのタカキビ餅

タカキビ餅の仕込み~平成30年12月のその後。
タカキビは最終的に4合ほどを調製し、昨年のもの半合ほどを材料に。
うち今年のもの2合ほどはミキサーにかけてひき割りに。4分の3ほどが割れたと思う。粉状になったものは今回は使わず。半合弱ほどか。
よって、というか、つまりというか、材料は以下となった。製法とあわせて記す。

【材料】
・モチ米…一升6合。仁多のモチ米。無肥料減農薬栽培と聞く縁故米的なもの。
・タカキビ…計4合。2合が今年の粒。3合半が今年の挽き割りと粒のミックス(割合は5:1か)。半合ほどが昨年の粒。
・水…700cc弱
【製法】
●下準備
・タカキビは2日半ほど水につけておいた。1日おきに水かえ。早めに腐敗っぽい膜が浮いてきた。昨年はこうではなかった。成育不十分なまま収穫したため、表面が白っぽい。もっと紅茶のような色に染まっている状態ならばこうはならないのではと思われた。ただそれがゆえに水につけるのが3日弱でもよかったのだろう。通常7日つけると、参考にした匹見の聞き書きにはあった。昨年は5日つけている。
・モチ米は通常どおり前日に水につけておき、朝方ざるにあけたもの
・昨年はモチアワも含めていた。今年は不作のため混入せず。
●搗き
タイガーの餅つき機を使用。「蒸す→搗く&こねる」。
雑穀を搗くときには上に軽いものをおいてこねてから搗くというが、餅つき機の場合は関係ないだろう……とはいえ、下にモチ米、上にタカキビをおいて蒸し始めた。より強く蒸されるのが鍋の下部であるならば、逆あるいはタカキビを挟むほうがよいのかもしれない。来年はそうしてみよう。
蒸し終わりまでは2升で40分〜50分ほどだろうか。蒸しきったところで機械が教えてくれる。それから搗き、捏ねに入る。10分ほど。
●丸餅に
打ち粉として売られている米粉と片栗粉を8対2くらいに混ぜたものを打ち粉として使用。2升分でおよそ80ほどをつくった。
【味見】
昨年よりもタカキビの割合が多く、より美味しくなった、つまりタカキビ餅らしくなったと思う。搗きたてをほおばってみたときの、つぶつぶを噛む食感とねばりと香ばしさのバランスがなんともよい。自画自賛。
そして、お配りした方からの感想で「思ったよりねばりがあっておいしかった」と。そういえばつきたてのモチを取り出すときにも、「のびるね〜」という声があった。なぜモチ米だけのものよりのびがあるのかといえば、質の異なるタカキビのモチ性が影響しているのでは。次回食べて気づくことがあれば、追記することとしよう。

三年仕込み、孟宗竹の漬け樽

 三所の家を片づけている。年内にはきれいにして鍵を返すのだ。昨日からの雪で気になっていた山側の庇屋根の応急処置だが、この程度の雪なら問題ないということは確認できた。大雪でも積もれば落ちるかもしらんが、素人大工仕事を重ねるよりは気になったら様子を見にくればいいと思い切ることにした。
 それにしても雪がここまで積もるとは。30センチほどはある。四駆の軽トラでも下の写真の少し手前まできてとまった。雪をかきさえすれば家の前までつけれなくはないが、雪をあまくみてはいけない。土はぐずぐず、坂ですべって川にドボンあるいは横転という図がありえるのできっぱり断念。今日で終えるつもりだったことを、明日明後日と2回にわけてやればよい。

 今日は部屋の掃き掃除を少々と、一番重い荷物である竹を漬け込んだ樽の整理を終えた。竹は平成27(2015)年の6月に漬けたもので全部で9樽ほどか。孟宗竹が7樽、真竹が2樽。竹林においた4樽は雪の中、運ぶかどうか迷ったが、水をバケツに汲み出しなどして片付けた。冬だからこそできること。夏にやったら虫がついてしまうだろう。空気にふれることは避けたいが、昼でも道路の温度計は0℃をさしており、水を汲み出しても、蓋をしておけば問題ない。移動する場所は某所へ4つ、某所へ5つといったところか。水がそばにないと困る。春になったら洗い出して日干し、繊維の束になってしまえば、どこにでもおいておける。

 さて、驚いたのは、意外にもきれいだったこと。竹の中にいた発酵分解を行う微生物たちはうまく仕事をすると、3〜5ヶ月ほどで水を赤色に染める。3回ほどの春夏秋冬をくぐっているわけで、さまざまな腐朽菌も入り込んで、異臭を放っていることも想像されて気が重かったのだが、あれ、なんだというほどの拍子抜け。濁りの多寡はあるが、概ね黒や茶にはなっていない。水の中に浸かっており空気にふれていないことが大きいのかもしれない。
 黒ずみがあったのは下の写真のように横においたのではなく縦においた樽のもの。水の蒸発によって竹が水面から出てしまっていたのだ。竹の切口部分が黒ずんでいたし、他のものより臭くて濁っていた。他の樽ではワインかと思う透明な色のものもあったのだが、こいつはしいて言えば葡萄ネクター
 また、3年仕込みともいえるものにもかかわらず、半年経過した段階から竹の状態すなわち繊維束のほぐれ具合は変わっていないようだ。1年半前くらいにいくつかの樽は様子をみたり、水を追加したりしていたが、それ以降はまったく見ていない。ものによっては3年開かずにいたものもある。どれがどれだかは記憶にないが。
 さて、引っ越しがおわれば、春が来る前にもうひとつふたつみっつと準備をすすめていく。ほんとやることは盛りだくさんだが、漉いた竹紙で本をつくるという、3年前にはそこまで思ってもみなかったことが近づいてきた。零下の吹雪さえもが苦にはならないほどに愉快になるわけだ。

注記:ワインのような液体の中にあったのを水洗してこの状態。気温0℃で匂わないせいか美味しそうですらある。

タカキビ餅の仕込み〜平成30年12月

我が家の年取り餅に使うタカキビの仕込みは夜なべ仕事。トーミで選別すれば早いのだが、いかんせん雨が続いて出番待ちする間にせっぱつまってしまったのだ。ゆえに夜なべ。昼に小さな土間の勝手で脱穀をはじめた。先ごろ手に入れた足踏み脱穀機でやってみたかった。これも雨のせいにしておく。
風選は夜。勝手口のドアをあけ、ボウルに小分けしたキビを暗闇に向かってふーふー吹き、殻やゴミをとっていく。
最初のうち、脱ぷ(殻をとること)は、すりこぎでやっていた。これも先ごろ購入した循環式精米機の出番のはずなのだが、こちらはまだ一度も試運転していないので、せっぱつまった状況では使えない。で、1合ほどを進めたところで、家庭用精米機を使うことにした。以前使ったときには、粒がくだけてしまい、大変歩留まりが悪く、もったないことになった。すりこぎを使うのは「もったいない」からだが、もちに使うぶんにはよいのではと考え直した次第。
結果、コツのようなものを会得できた。
くだける手前でとめる。そんな当たり前のことなのだが、見ていて、荒かった殻の粒子がすーっと細かくなるポイントでとめる。忘れてしまいそう。だから、こうやって書き留めるのだ。
あの感じ、忘れぬよう。

さて、搗く日は30日の午前。1週間は水につけておかねばならぬと自分でも書いていたのだが(タカキビ餅のぜんざい)、はや4日しかない。ま、いろいろ考えてやる。  畑もちを搗く〜その2  では、出来上がったときにまた。

本の記録〜2018年12月24日

出雲市立中央図書館にて
◆借りた本
†.木村茂光編,2010『日本農業史』(吉川弘文館)
†.松山善之助,山下道弘,矢ヶ崎和弘,佐藤久泰,2003『新特産シリーズ・黒ダイズ』(農文協)
†.原田信男2006『コメを選んだ日本の歴史』(文春新書)

・黒大豆は来年の作付けのために。赤名黒姫丸を栽培する予定ゆえ。赤名黒姫丸は、丹波黒の変異から赤名地区で育種し固定種としたもの。
・木村茂光の『日本農業史』は貸出延長して要熟読のため。手元においておきたいくらい。
・原田信男の『コメを選んだ日本人』は他著との重複も多いが、まとまったものとして便がよいと思い。ずずっと通読したい。

三所の家を片付けながら

4年ほどになろうか、借りていた家を片付けている。片付けという「作業」は頭で考える限り、後ろ向きなものだ。生産性はない。後始末ともいうだろうし、撤退という意味ではやりたくない仕事の筆頭にあがってくるものだ。実際、軽トラで向かう道中、冬の寒さと空の暗さもあいまって気は重い。が、しかし、やりはじめると、これはこれでのってくるものでもある。掃除、整理、処分、廃棄。たたむ、はく、切る、水を汲む、捨てる。……などなど。
今日は、いちばん気が重かった屋根の補修(応急処置)をした。もう1〜2年早くやっていればと思う。ま、この冬をしのげればいいと思えばこその応急処置であって、だからできたのだとも考える。
というわけで教訓。まずはやりたくないことから手をつければいい。できそうになければ、できる範囲でけりをつけておくべし。このブログも、canpanにおいたまま、当面続けることにした。出版も、次の1年も、焼畑も、調査も、みんな、そんなものなのだろう。2017年(平成29年)1月6日の「三所の家」。あぁ、年明けても脱穀をしていたのだな2年前も。今年もこうなりそう。場所は変わるけど。
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下の写真は、2015年(平成27年)5月の「三所の家」。きれいに見えるのは気のせいか。トタン部分はここから3年でずいぶんと劣化した。この年に応急処置的にペンキを塗っていればよかったのかも、しらん。
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そう、木次の家もそうであって、少しへこんできたなあというときに応急処置的に手を打っておけばずいぶんと助かるものなのだ。春から手がけるべし。

本の記録〜2018年12月15日

島根県立図書館にて。半月ほど前に借りたものなども含めて。

◆借りた本
†.現代思想臨時増刊,2016.6『微生物の世界』(青土社)
†.D.モンゴメリー,A.ビクレー『土と内臓―微生物がつくる世界』(築地書館)
†.小泉武夫,1984『灰の文化誌』(リブロポート)
†.小泉武夫,1989『発酵―ミクロの巨人たちの神秘』(中公新書)
†.美篶堂,2009『はじめての手製本―製本屋さんが教える本のつくりかた』(美術出版社)
†.美篶堂著・本づくり協会監修,2017『美篶堂とはじめる本の修理と仕立て直し』(河出書房新社)
†.マイケル・ポーラン『人間は料理をする・下』(Michael Pollan 2013,Penguin Press,Cooked: A  Natural History of Transformation/2014,NTT出版)
†.金子信博,2007『土壌生態学入門』(東海大学出版局)
†.保立道久,2012『歴史のなかの大地動乱―奈良・平安の地震と天皇』 (岩波新書)

【釈】
◉マイケル・ポーラン『人間は料理をする・下』
マイケル・ポーランはジャーナリストのようでありそうではない。そうとらえないほうがいいという意味で。大学教授、料理研究家、園芸家…複数の顔をもつ? それもこれも、彼が「食」に対してラディカルな問をもって向かうからだ。工業化された製品としての食が大量に市場に供給され、私たちはそれを「選択」し「消費」する。料理をする時間をけずり、また料理をしないのに、わたしたちは料理をつくる番組に釘付けになる。それはなぜか?ーーそれはこの書籍の邦題にあらわれている。人間は料理をする動物だから。
また、この本はわたしたちに「出会い」を用意するものでもある。食べ物のことで、世間の流れに違和感を抱いている人にとって、とびきりの出会いが。

「第4部 土〜発酵の冷たい火」はこうはじまる。
《死が身近に迫っていることについて、しばし考えてほしい。いや、対向車がハンドルを切り損ねるとか、ベビーカーに爆弾が仕掛けられているといったことではない。熟した果実の皮の上にいる大量の酵母菌のことだ。彼らはその皮が破れたら甘い果実に侵入して腐らせようと待ち構えている。あるいは同様の目的を持ってキャベツの上で待機している乳酸菌や、さらには、わたしたちが連れ歩いている目に見えない微生物のことを》
発酵の力とは分解する力であり、そのゴール(目的)は有機体の死である。有機物を無機物へと変えていくこと。そしてその死をもたらすものは目に見えない小さな無数の存在として、世界の中に偏在しているし、私たち自身の内部にも皮膚の上にもあって、いまかいまかと待ち構えているのだと。
この想像力と抽象力でもって、発酵というテーマが語りはじめられる。

※2019/01/05訂正加筆

本の記録〜2018年10月24日

島根県立図書館にて。
◆借りた本
◉佐藤洋一郎,加藤鎌司,2010『麦の自然史ー人と自然が育んだムギ農耕』(北海道大学出版局)… ムギ栽培について、とりわけ日本でのムギ栽培について知りたいのだが、あるようでないのだよねあと日頃思っていたところ、開架で見つけた。とりわけ、第13章 大田正次「日常の生活が育んだ在来コムギの品種多様性〜難脱穀性コムギの遺存的栽培と伝統的利用をめぐって」は、脱穀・籾摺り・製粉をどうしようかと思案しているスペルト小麦の利用について、資するものである。大田氏によるイラン北部、スペイン北部、中央ヨーロッパでの調査が簡潔に触れられている。20年ばかり前の調査の再録であるようだが、栽培が途絶えていない地域では、「手間だけれど」自家用につくる、主となったパン小麦よりも美味しいから、親がつくってきたから、という動機の表明があることが興味深い。日本の焼畑における在来蕎麦やカブなどと共通する。しかしあるいは、これは調査者特有の認識フレームがそういう言説を誘導するのかもしれない。
特殊な石臼で「籾」をとるというのは、この調査で出てくるどの地域でもそうだ。脱穀はイラン北部の場合は、手摘みで穂だけをとり、スペイン北部だと千歯こぎに似た刃物でとる方式。粉にしてパンにすることのほか、粒食の文化もあるというのは初見であって、ここを端緒として小麦の粒食についてもう少し掘り下げてみれそうだ。
またトリビアルではあるが、知らなったこと。欧米圏ではムギにあたる単語が存在しないということ。中国・日本独自ということなのか!? JKナレッジで簡単にあたってみるに、確かにそう。ウェブリオの翻訳では麦の英訳は、wheat, barley, oats,rye, etc.。小麦はwheat、大麦はbarley、ryeはライ麦であって、これらを総称する「麦」なる概念はないということだ。平凡社世界大百科は「〈麦〉は,日本や中国などで使用されてきた多面的な内容をもつ独特な用語で,これに相当することばは欧米にはない」としている。

◉藤原俊六郎,2013『新版・図解土壌の基礎知識』(農文協)……一度しっかり学びたいものであるものの、手につかず、借りるのは2回め。今回はとりわけグライ土について確かめるべく。

◉畠山剛,『新版縄文人の末裔たちーヒエと木の実の生活史』(彩流社)……これを手に岩手県岩泉を訪れたいと思うほどの書。畠山氏、ご存命であれば、85歳(1933年、昭和8年生まれ)。

◉1994『岩波講座日本通史別巻2ー地域史研究の現状と課題』(岩波書店)……宮本常一が東北農村における土間住まいについて著している文献を参照したく検索したものだが、あきらかに違う。とはいえ、さらっとでも読んでおきたい事項が満載ゆえ借りてきた。香月洋一郎の「民俗学と地域研究」については、少々思うところもあり、改めて加筆の予定。

◆参照図書

◉『柿木村史 第2巻』……1.吉賀記について、ここまで詳述されているものをはじめてみた。資料として後日改めて複写するか、貸出されているものがあれば、そちらを。

 

アマランサスの脱穀

2018年10月9日。

アマランサスの脱穀を、午後も遅い時間からひとり、牧場の資材置き場でカンカン、ヒュンヒュンやった。15時10分頃から16時45分頃までの1時間半ほどで、570gほどの出来だ。試行錯誤の3年前よりはずいぶんと手慣れてきたものだと自分でも思う。

もっとよい方法もあるのだろう。岩手なり長野なりに取材にいけば、よい方法が得られるやもしれない。来年こそはと意をあらたにしつつも、今年はどうするのだと、オークションサイトをひらいて、精米機、籾すり機、足踏み脱穀機をチラチラと見る。

小麦と米の脱穀をどうするか、なのだが、量が少ないうちは、もう手でやるしかないだろうが、脱ぷについては、カンを頼りにミキサーやすりこぎでやるのは、そろそろやめにしたいし、失敗が多すぎるのは気持ちの問題ではなく、持続性の問題として。

あぁ、そして、小麦をまく準備をはじめなければ。手をかけない菜園畑でも、いまの時期は鍬を持ち出して畑をする方おおし。

大豆をつくればいいじゃないかと、オーナーからも言われているので、その作付けについても一考だ。小麦→大豆のローテーションをまわすためには、いつもより早く種をまいたほうがよいのかもしらん。

本の記録〜2018年10月8日

松江市立図書館にて。
記録を忘れていたので改めて。

◉奥野克巳,2018『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』(亜紀書房)
◉ダニエル・L.エヴェレット『ピダハンー「言語本能」を超える文化と世界観』(屋代通子・2012訳;みすず書房)
◉栗栖健,2004『日本人とオオカミ 世界でも特異なその関係と歴史』(雄山閣)

ウバユリ備忘

ウバユリのことをまとめておこうと書き記すもの。
記憶が散逸する前に、下書き段階からアップしはじめる。

◉宮本巌『摘み草手帖』
《早春、山野の藪や暗い谷間をのぞくと、色つやのよい放射状をした数枚の葉があちこちで顔を出している。この威勢のよい葉を見る限り、ウバユリの名は当たらない》
この名文ともいえる描写と簡潔なイラストが素晴らしい。なにが名文かって、植物の種類がとんとわからない私でさえ、この一文だけ読んでいた記憶が山の中でよみがえって、「これ、ウバユリじゃないか」と発見することが容易にできたこと。
そして、この記事があったからこそ、食べてみることを躊躇なく試みたわけだ。
油で揚げて、ほくほくのものを食した。

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◉日原町史の記述
のちほど。
地域名が記されていた。牛が食べたとも。人間は根を葛根と同様食用にしたと。

○今年になってからの観察(写真)
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○奥出雲町阿井の山中にてみたもの

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○椎葉クニ子
オスとメスが年によって交互にでる。
オスは茎をのばして花を咲かせるが、メスは茎を伸ばさない。根を食べるのはメスのみだと。これはどこにもそう書かれていたのをみたことがない。

○牧野富太郎の著述
のちほど。