国立アグリパークの中にあったコンポストです。が、展示用ではなくよって説明もなにもありません。これそのものをコンポストツリーと呼ぶ人と、おそらくここで使われている木の種類をコンポストツリーと称している人がいて、おそらくどちらも正しいのかもしらん。
この写真のものでいえば、主に家庭ごみをためていくもので、土をサンドイッチしていく。
堆肥化が進み、嵩も高くなってくると、野菜等の種をそのまま植え込んでしまうのだという。
森林の教授に観ていただいたところ「これはいい」と。ひとつには「見える」こと。もうひとつには好気性発酵がすすみやすいこと。ほかにもあって、おそらく乾燥した気候には適合しているのだと思われる。
日本の夏でどうか。試してみようではないか。
報告★春がきた♪野山の手入れ@奥出雲岩地の谷〜sec.1
竹の焼き畑2017準備編としての活動、その記録です。今回を第1回=sec.1として続けていきます。
3月5日(日)、参加者は1名、12:00〜16:00の4時間です。
天候は曇り、気温は14℃〜16℃、風はほとんどありませんでした。
作業内容は以下の3つ。
・春の作付けを地面の状態などみながら検討してみるの時間
・積み上げてある竹の始末をどうしましょう
・ちょっくら竹を伐ってみて作業時間の目安づくり
……といったところ。(のちほど加筆しつつ、プランをどこかにアップします)
※確か25本ほど切ったと思う。枯れた竹を片付けたり、引っかかった竹を引きずり出したりというのが、場所もせまく、手間がかかります。本数でいえば、あと150本は切らないといかんと思われる。
さて、来週もやります。3月11日(土)の予定。
参加者募集中♪
春のタケノコ掘り放題券&パーティー参加券がもれなくついてきます。いかがでしょう。
お申し込み・お問合せはは山村塾のサイトにあるフォームからどうぞ。件名を「春がきたよと竹をきる日」としてお名前・メールアドレスを入れて送信ください。
お待ちしてます。
モチアワの精白作業〜詳細写真
3月1日(水)、曇時々晴。13時〜16時までみっちり脱穀精白作業に取り組みました。
脱穀は洗濯板で擦って落とす方法を採用しています。素手だと量をこなすにはきつい。軍手の着用も考えましたが、繊維がまじるとあとが面倒だなと思い躊躇してしまいます。
選別は篩で粒単位にした後、手箕で3〜5回ふるい、唐箕にかけます。
そこまででこの状態(写真1)
量としては1.7リットルくらい。1キロ弱でしょうか。
これだけの量の脱穀作業時間ですが、およそ2〜3時間かなあ(アバウト推量)。
ミキサーに3回にわけてかけ精白(脱ぷ)します。機械とは違い、むいた皮などと一緒なので、再び唐箕にかけて分別します。(写真2)
するとこうなる。(写真3) 七分づき的状態です。
これ以上精白度をあげていくと、くだけるものが多くなっていまします。
唐箕の2番口から出てきているものをみるとこのように少ない。
精米機に雑穀スクリーンをつけてやったときには、もっとたくさん粉と破片が出てしまったものですが、そこまでやれば、こういう剥け方にはなります。
さて、この日はタカキビも初脱穀。
もともと収獲量が少なかったものですが、ぜんぶあわせても1.5リットルくらいじゃないかな。
半分強を試食に供し、残りを種として今年また蒔きます。
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ひとりで黙々とやっているように見えるかもしれませんし、いや、実際そうなのですが、元来もう少し人が多くてもよいのですし、そうあるべきであるのです。
はい。奥出雲山村塾、焼畑倶楽部の会員を募集中です。
国内の焼畑地への研修、海外(東南アジア&スリランカ)もあります。なんとなく興味があるという程度からでOKですよ、お問い合わせください。
アワの精白はミキサーで
2月28日(火)。雲ひとつない快晴となり、気温は9℃まであがったようだ。風もおだやかで風速1〜2mほど。日の出は6時40分、日の入は18時といったところで、ずいぶんと日が長くなったものだ。
そんな日和、久しぶりに脱穀作業に三所へ。2時間弱ではあったが、モチアワをそうだなあ、500〜700gほどはやったろうか。いまだに試し試しというところはあるが、ちゃっちゃと手際はよくなってきたように思う。
そして、現段階での結論として、アワの精白はミキサーがよいということに、決めてしまった。感覚・フィーリングで。あきらかに、精米機よりはよい。粒がつぶれてないのだ。精米機だと、糠というか剥けた殻といっしょに潰れた子実?の白い粉がまじった色だが、ミキサーだとほぼ茶色にとどまっており、ひいたものをひろげてみても、子実が割れたようなものは見つからなかった。
剥けてないものもあり、およそ7分づきといったところか。
ミキサーで精白するコツがつかめてきたので、記しておく。
1. 古い型がいい。パワーがないほうが。歯も摩耗しているほうがよさそうだ。使用しているはそう。
2. 1のタイプなら入れる量は半分程度か。モーター音がやや鈍くなり、中でゆっくりまわる感じが偉えるのがいい。
3. 白くなった子実が目立ちはじめて、もうちょいのところでストップ。
4. 量が少ないときや、ひき直しをするときには、唐箕で飛ばした糠・殻はとっておき、それを混ぜてミキサーにかける。
5. 精米機だと状態がわかりにくいが、ミキサーだとよく見えるので、モーターをとめるタイミングがつかみやすい。よく見ること。これに尽きる。
奥出雲ラボフォーラム〜絲原家の可能性〜雑感
facebookから転載しつつ、のちほど大幅に加筆する予定です。
絲原家居宅で開催されました奥出雲ラボフォーラムからは多大な示唆を受けました。主催の方々へ感謝する次第。
参照リンク
https://www.facebook.com/hirokazu.sakuno/posts/1387363777951862?pnref=story
https://www.facebook.com/kazuyoshi.udagawa.3/posts/1456554281044173?pnref=story
さて、「森と畑と牛と」の業務でしたので詳細はそちらの会で報告するとして、私的感想をふたつ。
◉写真は会場のふすまの引手です。七宝焼が美しい大正年間のものと思いますが状態がよかったです。いいものが生きているなあと。
◉これからの観光はパッケージで買う時代になるのだという予感をひしひしと感じる内容でした。個人で旅程を組み立てること、端的にいえばサービス選択の難易化がどどっと進行するのではと。旅行業法の緩和なり特区ではじまれば、チャンスかもしれませんが、よい流れではありませんね。
そして蛇足。
◉宮本常一が、農村への観光に希望を見出し、絶望していったコラムを読んだときの記憶が蘇ります。だからこその希望でもあるのですが。
◉バリ島のアマンダリがアマンマジックとしてリゾート業界を震撼させてから十年あまりが経過し「魔法は消えた」というコメントを寄せる人もいます。が、そうでしょうか。バリ島「観光」は、1930年代から始まる長い蓄積・紆余曲折が土壌です。
たたら山内がそうした道を歩むのだとしたら、百年の計でのぞむことが条件でもあり、それは絲原家をはじめとした旧家ならばこそできることなのだと思います。
文字を見る脳と自然を見る脳は同じことをしている
興味ある人がおられると思うので、ウェブに転がっていた論文(有名ですが)を共有。
マイクロな生態系管理の智慧=民俗知を、どう記録・継承していくか、その手法開発の参考資料として。
”The Structures of Letters and Symbols throughout Human History Are Selected to Match Those Found
in Objects in Natural Scenes” Mark A. Changizi,Qiong Zhang,Hao Ye, and Shinsuke Shimojo
http://www.journals.uchicago.edu/doi/pdf/10.1086/502806
これから郵便局へ寄った後、アワの脱穀と精白作業です。
Morito Hataketo Ushito
立ち上げたばかりの団体のアウトラインを英文にする必要があり、google翻訳をもとに修正中です。こなれてない感満載とはいえ、通じなくはないと思うので、まずはこれにてご勘弁。
「森と畑と牛と」です。
Group Outline
Representative secretary – Kouta Ohishi
Secretary- Masaki Omojiro
●Office location
529-1,Sajiro,Okuizumo-cho, Shimane-ken, 〒699-1434, Japan
●Activity philosophy and purpose
A small mountain village in Okuzumo has accumulated water, nurtured resources, and played a role of feeding food and energy to the town. As such a series of mountain villages and towns nurture the city or connect with the world, there is a life economic and cultural sphere today. However, in recent decades, there is no bottom in the root of creating a cycle around the area, the decline of agriculture, forestry and livestock industry supporting the sustainability of local area. Human capital is one of depletion. In addition, the culture unique to the area and using cultivated plants and trees is about to disappear. The folkloric knowledge of food, clothing, shelter and livelihood cultivated by acts over a thousand years, once lost from this world can not be regenerated again.
“To eat is to live.” While we think deeply these words, we aim to rebuild deep and expansive culture around food.
Secondly, we regard region-specific traditional knowledge that has supported the primary industry such as agriculture, forestry and livestock as the foundation, as ecological management technology, adapt and preserve to modern society, sustain harmonious coexistence between people and nature We aim to make something.
Third, we will create a place where people with disabilities, people who need nursing care, people of different cultures with different words, and many other people can coexist through eating.
And in the darkness of the transitional turmoil, in the mountain village where we can not see, each one gathering at this group wishes to hand over the beautiful Noyama to the next generation, becoming small and strongly warm light .
●Business contents
1. Project to regenerate degraded forests and abandoned areas by traditional farming practices such as slash-and-burn farmland etc.
2. Activities to develop a holistic ecosystem approach to environmental resource assessment and management for middle and mountainous areas in the decline of human resources.
3. Study on traditional crops and gatherer cultures which are in danger of disappearance in Okuizumo and related cultural areas, as well as activities to conserve and reproduce as resources.
5. Promotion of industries based on the ranch where the cattle farm-Damuno mieru bokujou and its surrounding areas and creation of employment.
6. Planning and development of experiential program utilizing Satoyama nature in Okuizumo.
7. To contribute to social welfare and to promote the above project Practical study of various initiatives.
8. Other necessary activities to achieve the purpose of our group named Morito hataketo ushito.
スリランカの焼畑〜メモ
奥出雲山村塾のfacebookにあげていたものを再掲。
スリランカの焼畑メモ……です。一番最後に記していますが、スリランカの焼畑は水田耕作、そしてアグロフォレストリーと並行・連動してあるもので、奥出雲でやろうとしていることへの多大な示唆を有していると思いました。はい。いずれもう少しまとめたいと思いますが、記憶が薄れる前に、ぱぱっとメモしておくものです。(やや長文)
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スリランカは急激な人口増加局面にあり、焼畑農法は休閑期間の短縮によって持続可能ではなくなったと言われています。が一部、樹園ではなく常畑へと転換し肥料の投入を始めるところで、土壌流亡が生じているところもあり、それを焼畑の責に帰しているところもあり、なんともです。シンハラ語?でChenaと呼ばれる焼畑は、内戦の影響が大きかった東部地域で残っているところがあるようにも聞きましたが、ほとんどのエリアで1970年代から80年代にかけて禁止されてきました。
◆興味深いのは、Chenaは混作で穀物を中央に植え、周縁部に野菜類、外周は野生動物をブロックするために燃え残った枝や蔓などでフェンスを築く方法。
◆そしてChenaの主要穀物が、Finger millet(シコクビエ:ローカルネームはKurakkan)であったこと。シコクビエの利用は激減したものの、いまでも市場・食堂にあるということ(食べてみたかったし、どういう形で供されているのか興味あり。昔はダンゴにしたりしていたらしいが)。健康食品として重要視されていること。
◆森林だけでなく、叢林、牧草地など植生によって異なるChenaがあり、それぞれ名称が違います。主に4つに分類され、中には溜池をつくるものもあるらしい。
◆Chenaはあくまでも多用な土地利用のひとつに過ぎず、基本は数千年に及ぶ灌漑による水田耕作、(いまでは)ホームガーデンと呼ばれる5畝から2町に及ぶアグロフォレストリー、そしてChena。この3つをうまくまわす営みがあり、それはイギリス支配下のプランテーション時代であっても持続可能性を有していたが、戦後の農業近代化の過程で大きく複雑な問題をかかえるようになっている。
◆Chenaの役割として、食料供給のみにとどまらないという点が、水田耕作やホームガーデンと共存していることからも注目すべき。
たとえば、獣害の緩衝地帯として意識されている。
この視点は着目されづらいが、我々のねらいとしてはきわめて重要。
◆ホームガーデンとあわせ、植生のモザイク化をはかることで、生物多様性とリスクヘッジをはかっていること。獣もだが、鳥や昆虫(蜂をはじめとして)、コウモリなど、生物の有用意識がかなり高い。「鳥に食べさせる木」という呼称などはその典型か。
竹の焼畑2017〜火入れ地の検討
ダムの見える牧場での焼畑は、今年で3年目です。1月にNPO布勢の郷による竹林整備が終わりました。昨年の春焼き地の西側に位置しています。計画を聞いた段階から、急斜面であることと、日あたりがよくないことから、見送るか、6月〜7月頃にまいて、8月後半か9月上旬には収獲できるものであればと思っていましたが……。
今日現場をしげしげと見るに、想像以上の急傾斜でした。これじゃあ、火が入りませんね。まず既存竹林との距離がなさすぎること。延焼リスクが高すぎます。こりゃ、全部引きずり出して下で焼くしかないんじゃないかなあ。
斜面には燃やささずになにか播くことを考えたほうがいいですね、春の早い時期に。ヒエかなあ。
するってえと、置いてある竹は早晩下に引きずりおろすか。
考えることが多くて楽しいですね、はい。
今日の焼畑地
雪がつもりましたね。一昨日から融雪が進んだようですが、まだ膝上まであります。4月からの打合せを島大生と2時間あまり協議しました。やるぞい!
とりわけ、この春からは一般社会人の「入塾」ならぬ参加をおおいに募ります!
テーマは「趣味としての焼畑」です。
「ご趣味は?」
「焼畑を少々嗜んおります。荒れた薮や山を切り開いて、火を入れる、そしてアワや蕎麦やカブができる。なかなかよいものですよ」
……てな具合なのかなあ。
よくわからんけど、そこに必要な「達成感」や「満足感」「爽快感」が、個の楽しみでもあり、群れとしての楽しみでもあるような舞台をつくっていければと思っています。
◆令和4年1月1日追記
【はしゃぐ】
日本国語大辞典をひけば、第一義は「