憲法改正国民投票の実際

参議院選挙が終わりまして、日本国民は、自民党政権を支持するという意志を投票によって明らかにしたわけです。やれやれ。これで、自民党にとっては悲願?である憲法改正国民投票へと、実務的には大きく前進しました。
とはいえ、あくまで前進であって、こえるべき難関は数多く壁は高いものでしょう。私見では公明党との調整がこれ困難をきわめるでしょう。いや、改正という実績をとるには政治的妥協は不可欠ですが、こればっかりは妥協の線の引き方によっては自民そのものが割れかねないでしょうからね。
ここにきてやはり、右から左まで懐の深い自民の面目躍如?となるのだろうと思います。
相当な混乱が予想されます。
それに加えて、皆さん、国民投票の実際を誤解されているような気もする。私もあいまいだったので、改めて読んでみました。平成19年公布のそれを。
なんと投票用紙の形式まで決まっていたのですね、そりゃそうだ、大事なことですよ。

6.投票
投票は、国民投票にかかる憲法改正案ごとに、一人一票になります。投票用紙には、賛成の文字及び反対の文字が印刷され、憲法改正案に対し賛成するときは賛成の文字を囲んで(丸)の記号を書き、反対するときは反対の文字を囲んで(丸)の記号を書き、投票箱に投函(とうかん)します。また、選挙の投票と同じく、期日前投票(投票期日前14日から)や不在者投票、在外投票などが認められています。


引用元:
政府広報オンライン〜「国民投票法」って何だろう?
しかし、それだけ厳密にしておきながら、いまひとつ曖昧なのが、引用した冒頭の一文。
投票は、国民投票にかかる憲法改正案ごとに、一人一票になります。
どうやら改正案ごとに1枚の投票用紙ですね、これ。総務省のページをみると……。
http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/syushi.html

焼畑ゼミ2016@島根大学〜第4回

 今回読解する章において調査対象となっているのは、台湾のキヌラン村(去露村)です。屏東県霧台郷去露村。1970年代の調査ですが、今現在どうなっているのかも気になるところ。
グーグルマップには地名のポイントがありませんが、霧台(ブダイ)と阿礼(アデル)の中間に位置することからして、この写真(ストリートビュー)の左に見える集落ではないかと推理しました。
2013年3月のビューです。入山許可がないと入れないというのはこの道をみれば納得。
https://www.facebook.com/events/131220093973382/

竹林景観ネットワーク

 昨日は竹林景観ネットワークの研究集会が島根県飯南町中山間地域研究センターで開催されました。(本日はエクスカーションです)レポートは追って!

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 樹冠ネットワークの発表でも話題にあげられました、存続問題に揺れるJR三江線「竹」駅です。

https://www.facebook.com/balanet2/

《発表プログラム》

・後迫辰哉(県立広島大学):中実マダケ竹稈の組織的特徴の解析

・江上浩(住化グリーン株式会社)・久本洋子(東京大学千葉演習林)・鈴木重雄*(立正大学):事前伐採と塩素酸ナトリウム粒剤(クロレートS)全面土壌散布の組み合わせ処理による放置マダケ林の地上部および地下部調査(3年経過時点)

・河合洋人(NPO法人竹人):Google地理空間情報は竹林の健康診断に有効なデータとなるか?

・河本大地(奈良教育大学):茶筌製造業の現状と展望―奈良県生駒市高山町の事例を中心に―

・西政敏(島根県西部農林振興センター):島根県中山間地域研究センターにおける竹に関する研究

・面代真樹(奥出雲山村塾):竹の焼畑里山利用をめぐる枠組みの模索~島根県奥出雲地域におけるNPOの挑戦

・大津裕貴*(鳥取大学)・羽里信和(徳島地域エネルギー)・小池浩一郎(島根大学):そうだ、竹材を売ろう!‐竹材の燃料利用の可能性‐

・國光謙壯*・中村孔紀・小池浩一郎(島根大学):タケヤブヤケタ―仁多郡奥出雲町での孟宗竹林の焼畑

・國井加代子(樹冠ネットワーク):郷蔵普請と竹取のかぐや

・和田譲二(NPO法人緑と水の連絡会議):石見銀山石銀地区での景観整備の取り組み10年

人工知能がもつ限りない愛

 朝食をちゃぶ台へ運びながら、NHK総合テレビの朝のニュースを観て驚いた。人工知能のフェア開催の模様を伝えていた一コマだった。感情をもつAIについて、そのブース担当者が発したコメントは、朝のおだやかな時間に聞くには衝撃が強すぎる。

「AIは疲れませんから、無限の愛を人に注ぐことができます」

 そう、それは恐らく正しい。ロボットは原理上疲れない。文句もいわずに24時間働き続ける。そして、AIが機械である以上、その本質は変わらない。

 生身の人間と人工知能をへだつ最大のもの。

 さすれば、別な定義が人間に関して持ち上がってくる。おぉ。

 人間とは何か。

ーーー疲れる存在。

 東浩紀デリダ解釈の中核に「Limited Inc.」をひきながら、醸していたあれを思い出した。

 それはそれとして。もうひとつ。

 人工知能をめぐる熱さは、現在求職活動中に私にとってもリアルに感じるものだった。求人に人工知能とあれば、破格の労働条件が提示されているのです。知らんかったわ。

wiredの特集号を買って読むことにします。

 https://www.amazon.co.jp/WIRED%EF%BC%88%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%89%EF%BC%89VOL-20-%E9%9B%91%E8%AA%8C-WIRED%E7%B7%A8%E9%9B%86%E9%83%A8-ebook/dp/B018QNPT5S/ref=sr_1_4?ie=UTF8&qid=1467248722&sr=8-4&keywords=wired

アマランサスの間引き菜はほうれん草のように食うべし

 発芽しなくてやきもきしていたアマランサスがどんどん生長しています。

 種の蒔き方がやはり雑すぎだったため、困ったことにもなっていますが、次回への教訓として種まきの練習を必修として課すことを決意させたということで、よしとします。

 さて、大量の間引き菜が出てしまいましたし、これからも出ます。

 その場で葉っぱを囓ってみたところ、苦くてこりゃだめだと思い、その場にうち捨てつつ、中には根がうまく残っていて移植できるものもあるやも、ということで、持ち帰りました。

 畑の隅に2つ3つと、小さなもので状態のよさそうなものをポットに4つ5つ。

 はぁ〜疲れました。ちなみにアマランサスのほかに、

 移動も含めて午後1時〜5時頃までみっちりと。

 再生竹の除去

 アワの間引き……一部が何者かに食われていました

 ヒエの間引き……大量に!7割ほど!!!が何者かに食われていました

 ……を行っています。

 さて、夕ご飯の時間。妻に間引きの話をしたところ、「アマランサスの葉っぱは食べられるんじゃない?」と。Google先生に聞いてみたところ、どうやらほうれん草よりカルシウムが7倍とかなんとか、かなりの高栄養価らしい。

 さっそく裏庭にうち捨ててあったものをいくつか拾ってきて、軽く茹でてゴマで和えて食したらところ、美味い!!ではありませんか。

 土のえぐみのようなものがありますが、うん、これ、ほうれん草だといって出しても、わからないのではというほどに似ている。

 というわけで、大量に間引くことの後ろめたさも、どどんと解消され、今晩は気持ちよく眠りにつけるでしょう。おやすみなさい。

 

 

竹の焼き畑2016-sec.10~盛大に竹を伐るのだの巻

 6月25日(土)。曇りでした。湿度は高いものの、この時分山で仕事をするには過ごしやすい気候といえましょうぞ。さて、参加者は新人?3名(うち女性2名)もあって7名でした。
 ひたすら伐開につとめましたので、かなり進んだのではないかと。明日もあります。
 汗をかいたあと、山のてっぺんで、吹き抜ける涼しい風を受けてだらりと休むのは、ほんとにほんとに最高です。叫びたくなるくらいです。なんなら叫んでもいい。


失われた自然の再生とは

「失われた自然の再生とは何か」への回答として、さくらおろち事務局長時代にこたえたものがある。こういうものだ。

 ここにいう「自然の再生」とは、平成15年施行の自然再生推進法に基づき政府が決定した「自然再生基本方針」、ならびに平成24年閣議決定された「生物多様性国家戦略2012-2020」が基本方針とするものと同義である。
 すなわち「自然」は、人や人工物をも含めた生態系のことを指し、「再生」は狭義の「復元」の意味のみならず、修復、創出、保全、維持管理を含む。つまり、ここでの自然再生とは、人間が生態系の構造や機能を左右しうる存在であるという自覚に基づき、後世の人間が持続的に生態系の恵み(財、サービス、文化的価値など)を受け続ける持続可能性の確保に向けて、生態系を管理する行為である。

 そして住民参加について。

また、「住民参加」とは、内発的動機に基づく個人の自発的参加形態を指し、当該業務として実施する学習会へ、案内チラシや様々なインターネットサービスを使っての案内によって情報を得るか、参加経験者からの勧め等によって、その内容・趣旨を知って参加するその形態をいう。

 そして、環境保全活動を進める上での課題として、以下のように回答している。

 当業務を受託する団体の役割として、生物多様性・持続可能性を根幹とした環境活動を推進するうえで、以下のことを明確にすることが課題であると考えている。
生物多様性、②地誌・地理情報、③生態系を特徴づける物理・化学的環境要因、④地域の文化、社会、産業、⑤自然資源の利用に係わる技術について、
現状とその歴史的変遷をあきらかにしたうえで、そららに基づいて、どの範囲に、いつの時代に、どのような理由で、何が失われてきたかを、出来る限り具体的に把握し、目標・課題に反映させること。

 ま、そういうことです。
 時々読み返して反芻・記憶しておくために残しておくのです。
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写真はさくらおろち湖上流部の夏。湖底があらわれている。縄文遺跡もあれば水辺祭祀のあともあった場所。
 

ローカル・ナレッジを読みながら

《社会的なるものほぼすべてについての「一般理論」を求めようとすることの虚しさは増し、そうした理論を手にしたとの主張は誇大妄想と聞こえるようになった。これが統一的科学を望むには早すぎるからか、それともそんなものを信じるには遅すぎるからかは、議論のあるところと思う。しかしそうした科学が、今ほど遠く、考えにくく、望むべくもないように思われる時はない》C.ギアーツ,1983『ローカルナレッジ』小泉潤二訳

そして、青木保は解説でこういう。

「私もこの学会で30年近くを過ごしてきたが、ギアーツの著作を理解する教養と知性を備えたものはまずほとんどこの学会にはいないといってよいかと思う。それに替わって学会を支配するのは、専門に名をかりた野蛮な無教養主義であり、小権力をちらつかせる小エゴイストの横暴である」

閉鎖空間の中でしか知は知たり得ないが、それでも知たるものへの誠実を貫こうとすれば、閉鎖空間=枠組み=地方の知を、こえていかねばならないのだと。

どんなものであれば、いまの時代にあって、読むという行為は、その困難に挑むことなのだと思います。